ほえぶる!

ファンタジーやら現代もののエンタメ小説やら紀行文やら書いてます。自転車にも乗る。「文藝サークル~綴~」の中の人、「おにこくらぶ」の中の人、「ドジョウ街道宿場町」の中の人です。

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現在カクヨムや小説家になろうで連載中の
『イリエの情景~被災地さんぽめぐり~』

旅レビュー第4回です。

本篇を読んでからでも楽しめると思います。
読まなくても旅先の雰囲気は味わえると思いますので、お好みで。 

小説家になろう版:http://ncode.syosetu.com/n5301dn/ 

『イリエ』旅レビュー 一覧
http://bluska.blog110.fc2.com/blog-entry-637.html


今回は「宮城県石巻市 自由の女神像」です。
 自由の女神像のある広場には
2013年9月4日、2016年1月23日、2016年8月2日の3回訪れているみたいです。 

『イリエ』でいうところの 
「違和感モーターボート。タープテントと移動販売車。あの女神。」
「諦観の音。彫刻の森より現代的な。ミルクティーを片手に。」
「星の子チョビンのいる通り。花壇跡。かつてのものを求めるわたし。」
「ロゴ・マーク。かき氷おじさんと憂鬱。これが旅の醍醐味。」 
の計4話分が主なシーンですね。



さて、今回ご紹介する石巻自由の女神像ですが、
一目で抱く奇妙な感覚。
片脚を失っております。

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それが印象的で、


文庫版『イリエの情景 ~被災地さんぽめぐり~1』の表紙題材にしております。

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イラストはkagati氏

依利江かわいいんじゃ^~と心で叫びつつ、
精巧な自由な女神像、お気に入りです。

あれこれ細かい注文をしてしまい、氏にはご迷惑をおかけしました。
それだけこの女神像には考えさせられるものがあったわけです。

が、まあその話は置いといて、
この女神像をどこで撮ったのか、そこからお話しましょう。



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石巻市街地には旧北上川という川がゆったりと流れています。

旧北上川……じゃあ(現)北上川はどこにあるんじゃいと言いますと、
石巻市の北境で枝分かれをし、市の東岸に流れております。
北上川にはヨシ(藁葺き屋根で使うアレ)の原っぱが広がっていて、
秋の夕暮れにドライブをするとそれは吐息が洩れるくらい美しいのですが、
まあそれは置いときましょう。

石巻市街地は旧北上川の河口付近にあります。
そして、河口近くにできた中州(↑写真中央)に自由の女神像はたたずんでおるのです。

ちなみに、中州にある白くて丸っこい建物は「石ノ森萬画館」です。

DSC_0123.jpg

近くで見るとこんな感じ。
石ノ森先生は少年時代、この中州にあった映画館に通っていたといいます。

なお、石ノ森章太郎の住まいは石巻の北隣、登米市の中田町石森にあります。
どうやら自転車で旧北上川沿いをくだって通っていたらしいです。
直線距離片道30km以上あるので、
時代と出身が違ったら総北のクライマーになっていたかもしれませんね。


DSC_0121-2.jpg

萬画館の周辺は公園になっています。
以前は駐車場でした。
最近行ったときは人工芝を天然芝に入れ替えていたような気がします。たしか。

ちなみに写真左上の建物「マリーナ中瀬」は震災以前から残っている建物で、
「マ」の近くに穴が空いています。
おそらくこの付近まで津波が押し寄せ、被災物がぶつかったのでしょう。


マリーナ中瀬の付近は地震による地盤沈下の影響で、
満潮と重なると水が溢れてしまう箇所があります。

DSC_1948.jpg

停泊中の船がある場所が本来の川岸です。
よく見るとタイヤでできた浮桟橋があります。

……こうした地盤沈下した地域は東北沿岸全域にあります。
たぶんまだこのまんまな場所もたくさんあるんじゃないかしら。
河口付近を散歩していると、水面が近く感じることが多々あります。
震災のスケールが多すぎて、妙な違和感を覚えるに留まる。

片脚を失った自由の女神像を見たときも、
一瞬なにがどうしてこうなったのか、理解ができませんでした。


DSC_1941縮小

おそらく津波に流された乗用車かなにかがかすって、左脚だけ持っていったのでしょう。
しかし、そもそも乗用車が津波に流されている、ということ自体が、
津波を知らない自分にとっては異様に思えるわけです。
(しかも津波が残した結果だけが目の前にあり、只今の水辺は平らかなのですよ)

なにより、
トーチから伸びたコードが風に吹かれて、
から、から、という音を出すのです。

初めてこの女神を見たのは2013年秋でした。
震災から2年半、あの乾いた音が、当時抱いた震災のイメージそのままなのでした。


津波があったことは言葉の上では理解できますが、
僕はきっと本質的に想像できていないんだと思います。


だからこそちゃんと見なくちゃいけないし、
考えなくちゃいけないし、
それ以前に覚えなくちゃいけない。

震災を忘れちゃいけない、と口にするのは簡単ですが、
では忘れちゃいけないそれをどれだけ知っているのか。

僕はフェルマーの最終定理がどんなものか忘れたことなんて一度もありません。
なにせ、少しも知りませんからね。
知らないものなんて忘れようがないんです。
それとも、僕はフェルマーの最終定理という単語さえ忘れなければいいのでしょうか。


最終定理のことをどれだけ知っていようと、
人生にはなんの変化もないかもしれません。
実際そうかもしれないです。

定理を解こうとして散っていった数学者を見て、
ムダなことはするもんじゃないって教訓を得れば充分なのかもしれません。
でもやっぱり、定理を証明したワイルズに出会えたのとそうでないのとで、
目の前の仕事に対する姿勢は変わると思うんですよ。
(特にネタが浮かばなくなったときなんか特に、ね)

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アンドリュー・ワイルズ "copyright C. J. Mozzochi, Princeton N.J"

ま要するに「忘れちゃいけない」なんてわざわざ言う必要はないんですよ。
そもそも津波が押し寄せる映像なんて
忘れたくて仕方がないけど、こびりついて離れないじゃないですか。

ワイルズだって最終定理に魅了されて、
頭から抜けなかったんじゃないでしょうかね。

トラウマ級の衝撃をどうすればいいのか。

目を背ける。

たぶんそれが一番いいと思います。
僕のかつての上司も震災後、
「俺は自分の仕事を全うすることが使命だ」と仰ってました。
きっとそうやって決心をして、現実の荒波にもまれていくうちに、
あの日固く誓った意志も知らず知らず水泡に帰すのでしょう。
そうやって人は前へ進んでいく。
僕もそれができる器用さが欲しかったです。

残念なことに自分は不器用なので、
気になってしまったらもうどうしようもないわけで。

あえて向き合う。

そんなふうに震災と付き合っていくことにしました。
強烈なインパクトを残していった震災ですが、
その強烈さのまま心に留めるのでなく、
実際なにが起こったのか、今どうなっているのか、これからどうなるのか。
そんなことを自分なりに解釈していくことで、
強烈だったものを自身のどこかに落ち着かせたいと、そう思ってます。

目を背けて消し去る。
向き合って自分の中で落ち着かせる。
似てるようで、まったく違います。

そのことを片脚を失った自由の女神像は教えてくれました。


現在、石巻市に自由の女神はありません。

DSC_0117.jpg

地元の方の話によると、海外の富豪が持ち帰ったと言いますが、
真相は不明です。

わざわざ残す必要もなかったのでしょう。
石巻市はこれからどんどん変わっていきます。
あの日のままではいられませんし、いる必要もない。
誰も彼も、生きなければいけないわけです。


こうした震災遺構をめぐる議論は各地で行われています。

撤去されたもの eg:気仙沼第18共徳丸
審議中のもの eg:南三陸町防災対策庁舎
保存が決まったもの eg:陸前高田奇跡の一本松

賛否両論ありますが、自由の女神像に関していえば撤去されてよかったと思います。
石巻は東北被災地をリードする立場であってほしいですし、
きっとあの中州もニューランドマークに変貌していくのでしょう。

なにより個人的に、「から、から」という音。
心にあの音を刻めたのは、二度目の来訪時、
女神像がいなくなったことを知ってからでした。

そこにないからこそ、心に留まるものがある。
目の前にないからこそ、誰かが伝える必要がある。

そしてひとりでも多くのひとに、
この地に片脚を失った自由の女神がいたことを、
その女神の奏でる音楽に魅了された人間がいたことを、
不器用に向き合いつつ語りたいと思ってしまったのです。

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物語は続く。


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