ほえぶる!

ファンタジーやら現代もののエンタメ小説やら紀行文やら書いてます。自転車にも乗る。「文藝サークル~綴~」の中の人、「おにこくらぶ」の中の人、「ドジョウ街道宿場町」の中の人です。

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現在カクヨムや小説家になろうで連載中の『イリエの情景~被災地さんぽめぐり~』
旅レビュー第3回です。

本篇を読んでからでも楽しめると思います。
読まなくても旅先の雰囲気は味わえると思いますので、お好みで。


カクヨム版:https://kakuyomu.jp/works/1177354054881746364
小説家になろう版:http://ncode.syosetu.com/n5301dn/


『イリエ』旅レビュー 一覧
http://bluska.blog110.fc2.com/blog-entry-637.html




今回は「宮城県南三陸町 戸倉地区」です。
戸倉地区には2013年9月3日(この日はBRTで通過したのみ)、2016年4月24日、
2016年8月2日と2016年10月4日の4回訪れているみたいです。

『イリエ』でいうところの
「津波の地。タイムカプセル・ストリートビュー。タコの名を持つ沢。」
「20mの高台にいる人が流される。山から来た。better。」

の計2話分が主なシーンですね。


1、津波の地。タイムカプセル・ストリートビュー。タコの名を持つ沢。

小牛田駅からBRT気仙沼線で走ると、最初は「なんだ」と思うかもしれません。
いたって普通の田園風景。いわゆるテレビ画面に映る「被災地」の姿ではありません。

陸前横田駅を過ぎ、陸前戸倉へ向かう途中、我々は初めて津波浸水区間を示す表示板を見ます。


共にBRTに乗った男性はこう言いました。


「このあたりから戸倉地区と呼ぶんだ。そンなかの荒町ってとこなんだが、見てみ、あの表示板から津波浸水区間だ」


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※写真は別の場所で撮影。

津波浸水区間の表示板から読み取れる情報は3点あります。

1、この道の名称(eg:国道45号)
2、津波浸水区間が「ここから」なのか「ここまで」なのか。
3、津波浸水高(この写真の場合、18m。ポールの裏に記載されている)


この地を知らない人にとっても、震災時危ないことを明確にあらわしているわけです。
陸前高田市だと、また違った表示版があるのですが、それはまた機会があれば。
2人の旅と歩調を合わせて、浸水区間を走ると、妙な感覚に襲われます。


   今まで山間を走ってきたけど、そこと大して変わったような感じはなかった。ただ、平地部分に違和感があった。
   「なんか、寂しいですね」


このうら寂しさは、そこにあったものが津波に流されてしまったことで感じるものです。
実際、この感覚は的中します。

男性はかつての風景を語ります。


「左手のそこ、以前は竹林でした。瓦礫が絡まってしまいましてね、すべて薙いでしまいました。その隣にトタンの倉庫がありましたよ」


無論、そんなの普通は覚えていないです。
新しく建てられた住宅の土地に、以前なにがあったのか覚えている人は少ないでしょう。
風景に溶けた景色はなかなか思い出せないものです。寂しいものです。

そういうときは、文明の利器に頼りましょう。
グーグルさんが素晴らしいお仕事をしてくだすってました。
「〈未来へのキオク〉ですよね」
https://www.miraikioku.com/

要するに、震災以前のストリートビューデータを遺しているサイトです。
情報は新しかったり古かったり色々あるのですが、記憶を蘇らせるのには大変ありがたいものです。
(あるいは、自分のように創作する人間にとっても財産ですね)


2、20mの高台にいる人が流される。山から来た。better。

陸前戸倉駅の写真を撮っておけばよかった。
駅はダークブラウンのプレハブ製で、待合室には液晶画面が付いています。
BRTが現在どこを走っているのか、何分遅れなのかがが、一目でわかるわけです。


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まちは津波によって壊滅。
閑散としており、建物はセブンイレブンと土木事務所の他、なにもありません。
現在は折立川(BRTと並行して流れる川)に架かる橋を建造中のようです。


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トップの写真は、戸倉地区の全景です。
撮影は地区のちょっとした丘にある、五十鈴神社の下、宇津野高台でおこないました。
今でこそなにもありませんが、かつてこの正面の平野部に、戸倉小学校という学校がありました。

三階建、鉄筋コンクリートの校舎でしたが、津波によって屋上まで浸水しました。
校内にいた児童は五十鈴神社へ避難し、生き残りました。
詳しくは本篇をぜひご覧になってください。

もしくは、本篇を書く際参照にした小学校のウェブサイトや、避難の報告書をご覧になってください。

南三陸町立戸倉小学校:
http://academic4.plala.or.jp/tokura_e/

【PDF】麻生川敦『東日本大震災における戸倉小学校の避難について』:
http://www.pref.miyagi.jp/uploaded/attachment/12404.pdf


これらの事細かな情報提供からも、防災減災意識の高い学校であることが窺えます。
実際、PDFの報告書を読むと、
屋上避難か五十鈴神社のある高台に避難するか、事前に議論しつくされていたことが分かります。
同じく小中学生のほぼ全員が生存した釜石市の件や、
反対に多くの児童の命が奪われた石巻市立大川小学校の件と絡めて考えるとなかなか興味深いです。


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五十鈴神社境内。広さはバスケットコート半面ほど。拝殿はまるで物置に屋根を付けたような、そんな小さな建物である。この神社が人々の命を救った。

大川小学校では震災後に議論が活発になったようですが、
戸倉小学校ではその議論を震災前までには済ましていた、という点は特筆すべきでしょう。
(実際、戸倉小の校長は屋上避難派だったが、2011年3月9日の地震から危険性を憂慮し、避難先を高台に変更することを決断した)


   九一人の児童が助かったのは奇跡ではなかった。日々の積み重ねが実った結果だった。
   あらゆる状況を想定した防災訓練の徹底。綿密に検討を重ねた避難マニュアル。日頃から行ってきた地域住民との交流。リーダーを中心にした情報収集と迅速かつ〈ベター〉な判断(ベストを尽くして決断が鈍るよりもいいのだ)……。
   これを奇跡と呼びあらわして褒め称えてしまったら、わたしも三ツ葉も男性も、先生も児童も亡くなってしまった方も、誰ひとりとして救いがない。



依利江はこう心に描きます。
エピソードを聞いて奇跡なんて称してしまうのは、上っ面しか見ていない人の発言です。
生存譚に奇跡なんてどこにもなくて、あるのは単なる(そして偉大な)日々の積み重ねなんですね。

特に「リーダーを中心にした情報収集と迅速かつ〈ベター〉な判断」は非常時の鉄則と言えるでしょう。
ベストな判断を考えては、40分といわず40日あっても足りません。
そんなことをいちいち考えていては、生きられるものも皆死んでしまいます。

当時大川小学校の校長先生は不在でしたが、
有事の際にリーダーシップを務められる人(あるいはひとりの判断で全員が動くというキマリ)を定めていくことは、
今後の犠牲者を生まないために必要不可欠なものであると考えられます。


さて、話は戻りまして、先程から話に挙がっている五十鈴神社ですが、境内の高さは約30mです。

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戸倉小跡付近から宇津野高台と五十鈴神社を見る。住宅のある高台が宇津野高台。その右、杉の生えた丘の奥に神社はある。

また、境内から少し下がった場所に鳥居があるのですが、波はこの鳥居まで来たようです。

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宇津野高台から草に覆われた鳥居。鳥居へ続く階段は急。神社らしいと言えば神社らしい。

鳥居の脇には震災記念碑があります。

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この碑で注目すべき点は以下の2点。
1、五十鈴神社下の宇津野高台に避難した住民は津波に呑まれ、多くの犠牲者が出た。
2、津波浸水高は23メートルである(記念碑の建つ場所の高さに同じ)


2階建ての一軒家の土台から屋根までが約8mなので、津波浸水高23mは、それがほぼ3軒浸かる高さだということです。
要するに、そんな高いところにいても流される危険性があり、実際多くの方が避難した場所で亡くなったのです。

次来る津波も五十鈴神社を上回らない保障はどこにもないので、とにもかくにも高いところへ逃げましょう。ええ。


以後は、本篇に出さなかった場所ですが、先月歩いてきた場所なのでお伝えします。


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あれこれ写真を撮りまくっている自分ですが、写真になるとどうしても高さや長さを的確に伝えられなくて苦労します。

裏手から五十鈴神社と宇津野高台を見上げてみました。
津波は裏手からまずやってきたため、宇津野高台に避難していた人は逃げ遅れてしまったようです。
波は住宅の一階部分まで浸水しました。

この付近は震災以後ほとんど手付かずのままで、
被災物は撤去されていますが、土台は震災以前のままです。


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セイタカアワダチソウと遺された土台。
この土台がかつての住居なのか、農業用施設なのかは判別がつきませんが、なんとも寂しい光景です。

やはり、セイタカアワダチソウ(黄色い花をつけた背の高い植物)は強いです。
アスファルトの割れ目からも伸びていますし、放置された田んぼにびっしり生えていたりします。
それからススキも非常に強いみたいです。
セイタカアワダチソウは他の植物が生えないように毒素を出すと言いますが(出典不明)、ススキはそれに負けず伸びています。


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さらに奥へ進むと、手入れの施された田園が広がっていました。
この地を手放さずに暮らす人々もいる。
初めて戸倉を訪れると、一見まるでこの地は死んでいるように見えてしまいますが、そんなことはないのです。

何度波が訪れようとも、その地に暮らす人がいる限り、文化はきっと絶えず続いていく。
そんなことを、ぽつんと思ったのでした。


まあそんなわけで、依利江は議論に議論を重ね、震災に臨んだ小学校の思いに心打たれたのでした。
これから依利江たちはどこへ行くのでしょうか?

「BRTが発車する。専用レーンのトンネルに突入した。窓の数センチ先に壁がある。すれすれを走っている。」


物語は続く。



『イリエの情景~被災地さんぽめぐり~』
カクヨム版:https://kakuyomu.jp/works/1177354054881746364
小説家になろう版:http://ncode.syosetu.com/n5301dn/

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