ほえぶる!

ファンタジーやら現代もののエンタメ小説やら紀行文やら書いてます。自転車にも乗る。「文藝サークル~綴~」の中の人、「おにこくらぶ」の中の人、「ドジョウ街道宿場町」の中の人です。

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この記事、丹精込めて『M3-ソノ黒キ鋼-』のネタバレしていきます。
(十四話まで迷走している、みたいな感じで)
個人的にはネタバレしたものを観て1.5周目感覚で本編観たほうが楽しめると思うけど、
何かしら哲学のある人は以下読まないでね。



前書き
http://bluska.blog110.fc2.com/blog-entry-623.html

前半
「十四話の謎――カギは真綾の歌にアリ」
http://bluska.blog110.fc2.com/blog-entry-624.html




後半パート、文章だらけです。
よろしければお付き合い願います。



M3というアニメ。
まず第一に個人的な忠告を申せば、
「ジャンルはロボットアニメだけどロボットアニメとして観てはいけない」という点だ。
デザイン、格好いいんだけども。

ロボット「マヴェス」が中心に動いているわけではないし、ロボットが相棒であるわけでもない。
相棒はLIM(マヴェスに組み込まれた仲間)=人間である。
ロボットはいわばシェルターであり、武器である。

最終戦も魂と魂の対話って感じだし、
ロボットでバトルというよりかは人と人とが怖がりながらも心を通わせるって作品よ。


語弊があるといけないので補足すると、「ロボット必要ないじゃん」というわけではない。
何をもって必要不必要を決定するのかは個人によるだろうが、本作では、

「人の立ち入れぬ場所(無明領域)で活動する必要がある」
「人の立ち入れぬ場所の生成原因の根本には『復讐』という動機があり、物語において必要である」
「精神を共有し、意思で機体を動かすことが求められるため、人型である必要がある」


以上の三点からロボットは必要であった。
とはいえあくまでロボットは人々の補助役におさまっているため、
ジャパニーズアニメの王道から逸れていることは間違いない。



僕はロボットの話がしたいわけじゃない。
この作品が何を伝えたいのか。
そして伝えるために何をしたのか。

そのことを後半パートでお話したい。


この作品、人物の数だけテーマがあるのだが、あえてしぼるとすれば、

「人は分かり合えるか」
「過去と向き合う」


全編を通してこの二本のテーマが貫かれている。

前者のテーマがメインで、それを支えるためのサブテーマが後者、という位置づけである。
そしてこの作品のキモは、テーマの表現に妥協しなかったということだ。
テーマを突き詰めるためのギミックが、冗長な前半期なのだ。



「人は分かり合えるか」を正確に理解するには
「分かり合えない」
「まだ分からない」

知らねばならない。


我々は、目に見えないことを疑ってしまう。
愛とか絆とか、「分かり合う」といったテーマとか。

「愛はあります!」

そう声高々に謳っても現代人には通用しない。
上から横から、内から外から下から、
あらゆる方面からテーマを見つめなくては目に見えないものを信じられなくなってしまった。
(見えないものを多方面から見る。なんとも不思議な行為だ)

だから「愛」を語るのであれば、

「愛とは何か」
「どんな愛の形があるのか」
「そもそも愛なんてものはない」
「テンプレ的な愛」


等々を考える必要性がある。
実に面倒くさい。
(そして行き着く「真実ってやつはシンプル」なのだ! 夏入の台詞な


我々視聴者にとって、一話目のアカシたちはまったくの知らない人である。
はじめましてだ。

現実で考えてみよう。
現実ではじめましての人がいたとして、その全員に好感が持てるだろうか?
そうだとしたらバカげているし、それこそ挨拶する必要性がない。
(挨拶とは自身を主張し、相手に好感を抱かせるための行いであるともいえる)

アニメに出てくる人たちはお友達ではない。
我々はついつい誤解をしてしまうのだが、
アニメの中にいる人物全員が好感を持てる(視聴者に媚を売る)人間ではないのだ。


アニメの人物は好印象である、そう我々に勘違いさせるのはなぜか。
簡単な話だ。
「アニメは娯楽作品である」
そう考えるからだ。

しかしその考えは間違っている。
あえて言うのなら「アニメは娯楽作品のほうが有利である」だろうか。

これはもう資本主義の宿命なのだが、
funnyな作品のほうが万人受けしやすく、売れやすい。
売れれば利益が出て、次の作品をつくりやすくなる。

しかしあくまで「有利」なだけなのだ。
売れることが正しいことではない。
(嬉しいことではあるが)

創作に携わる人であれば共感できるだろうが、
「売れること(たくさんの人にみてもらえること、認められること)」と同じか、
それ以上に「自分の伝えたいものを伝えきれた瞬間」に喜びを感じるものだ。
前者が承認欲求であるとすれば、後者は自己満足の絶頂だ。


自身の伝えたいものが娯楽とは程遠いものであれば、
確かに娯楽作品としては成り立たないだろう。

しかし自身の表現、出しきる、ということは文化的に崇高である。
我々のピエロにはなれないが、親友にはなれる。
M3は容赦なく伝えたいものを伝えようとしている。



人は分かり合えるか。
そもそも「分かり合える」とはなんなのか。
アニメでもドラマでも、散々テーマに使われてきたワードだ。
分かり合える。
合える。


「分かり合える」とは相互活動だ。

双方が分かろうとしなければ赤の他人だ。
片方が分かろうとしても、もう片方が分かろうとしなければ進展はない。
片方が分かった気になってもう片方の望まぬことをすればお節介だ。
双方が分かった気になっていればすれ違いになる。
一瞬互いのことを分かったとしても、双方が相手のことを分かる努力を怠れば「分かり合える」から遠ざかってしまう。

人と人とが分かり合うには、互いが互いのことを、理解しつづけていく必要がある。


「分かり合う」というテーマを扱うために、この作品では何をしたのか。
それは我々が作品に対して、
「分からない」「分かり合えない」と思わせる状況を作り出すことだった。


娯楽を求めたフィルターでこの作品を観れば、
すぐ我々の期待を裏切るように作られている。

なぜなら、アカシは過去に囚われ誰とも心を開いていないからである。

この作品に対する批判の多くは、
心を閉ざした人物に対して、
「この人なに考えてるのか分からない」という批判だ。

おそらく制作陣は、この批判を浴びる度ほくそえんでいたに違いない。
人物に対する非難、誹謗中傷、決めつけ……。
その一つひとつが「人は分かり合えるか」という問いの答えなのだ。


以下は、作品終盤のアカシの台詞である。
このとき、アカシは既に閉ざしていた心を開きかけている。
一方、ツグミは心を閉ざしているままだ。
そのツグミに語りかけるシーンである。


13oremoonajida.png
M3-ソノ黒キ鋼-/(c)佐藤順一・岡田麿里・サテライト/M3プロジェクト
  アカシ
   アンタは過去に囚われている。
   俺もだけどな。
   ガキの頃のことを思い出したんだ。
   大人の笑顔の裏に別な声が隠れてて。
   それが気持ち悪くて、心を閉ざした。
   誰も信用できないし、必要ないって思ってた。
   でもだからこそ、誰かと心から触れ合えた瞬間の温かさを
   奇跡のように幸せなことだと思えた。
     第二十三話「最強ノ証」


アカシは序盤、他者の目に怯えていた。
他者がアカシに投げかける言葉の一つひとつが、表面上のものでしかなかったからだ。

台詞内の「大人」を我々に置き換えてみる。
我々はアカシに対して何かしらのフィルターを掛けて見てしまっている。

「娯楽」
「ロボットアニメの主人公」
「佐藤監督作品」
「マリー脚本」
「豪華なスタッフ」
「暗い」


……当然だ。
大前提として「アニメ」というフィルターが掛かっている以上、
我々は期待を籠めた眼差しで見てしまうのである。



しかしアカシ当人にとってそんなものは関係のない話である。
独断で動き、後先考えず人を遠ざけ、そのくせ偽善ぶって、離れてしまう人々を恐れる。
その心境は一切描写されない。
我々にすら心を開いていないのだ。

我々のなかには、早い段階でフィルターを取り外した目で、
アカシ本人を見つめようとしている人(作中でたとえるならば、兄のアオシ)もいるだろう。
しかしアカシから見れば、誰も彼も気持ち悪い大人たちに見え、拒絶してしまう。

こちらの心からの親切心が相手に届かない。
相手の親切心を素直に受け取れず、勘ぐってしまう。
それは現実にもありうることだ。


我々の選択肢は二つだ。
アカシを見放すか、
それでもアカシに手を差し伸べるかだ。


我々は自由だ。
どちらを選んでも誰も文句は言わないし、
反対にどれだけ文句を垂れ流したっていい。

少しググれば、自分勝手な感想を漏らす人々で溢れている。
(そしてこの記事を上げた瞬間、僕もその仲間入りを果たす)

「私は視聴者だ」
その心意気を貫くのであれば、きっと十三話までのどこかでこのアニメを離れるだろう。


向こうからの最初のアプローチは九話だ。
(人によってはエミル関連で三話や四話というかもしれない。
しかしエミルはLIM化され、期待は希望に変わる前に絶望に染まる)

九話にしてようやくアカシは囚われた過去に向き合い、紐解いていく。
ここから分かり合うための「相互活動」が始まる。

しかしそれでもアカシは不安定で、
時に任務を失敗し、
時に暴走し、
我々を裏切る。

十三話は演出からして苦痛だ。
内容は回想ばかりで総集編に近い構成をとっており、
ヒロインであるはずのササメがLIM化するという事態に陥り、
アカシは無明領域に取り残される。

さらに、1クールは基本的に13話といわれる。
面白さを求め続けて観てきた1クール目最後の回が、これなのだ。
苦痛以外の何ものでもない。


この回でアカシを見放した人もいたのではないだろうか。
だがしかし、すべては「人は分かり合えるか」という問いかけなのだ。

M3を追っていくのは、ある種アカシを追想することに等しい。
アカシを追想するからこそ、
「誰かと心から触れ合えた瞬間の温かさを奇跡のように幸せなことだと思え」る。



哀しいことに先の引用は、
引用という形態をとってしまうが故に、
言葉の羅列でしかなくなってしまった。

しかし十四話でエミルとマアムの心の触れ合いを目の当たりにした瞬間、
アカシの台詞は手に触れたような感動を覚える。


よく「1クールにまとめられたらよかったのに」という感想があがる。
僕からすれば1クールにまとめてしまったらM3の良さは二十分の一も伝わらなくなってしまう。

十四話までアカシたちを追いかけ、
手を差し伸べ、裏切られてこなければ、
「分かり合う」というテーマはちっとも伝わらない。

無論M3を娯楽作品として観るのであれば、先の感想はごもっともなのであるが……。



M3、噛めば噛むほど味の出る作品だ。
語ればキリがないので、そろそろ風呂敷を収めたいと思う。

どこから考察をしても筋が通っている。
公式サイトの「キャラクター」欄に登場する人物であれば全員大きいテーマを抱え、
それぞれの「罪」を抱えているからだろう。

それぞれがぶつかり合い、
影響し合い、
すれ違い、
勘違いし、
苦しみ、
違う答えに行き着く。



互いに影響を受けて考えが変わるのも、人間らしくていい。
キャラクターにおいて、意見がコロッと変わるのは、
「こいつ言ってること変わりすぎw」という叩きにつながるのだが、
本来人間はころころ意見が分かるものだ。
むしろ初志貫徹する人物は夏入だけだ。
(彼の生き様は実に素晴らしいし、彼だからこそ初志貫徹できるのだろう)

同じ罪を抱く人物でも(例えばイワトとライカ)、罪への対処の仕方が違っていたりと、
「分かり合える仲」になりさえすれば多くの発見がある。
初見苦痛でしかなかった一話から十三話までの内容も実に面白く観ることが出来る。

冒頭で「1.5周目感覚で本編観たほうが楽しめる」と書いたのは、
各人物の生き様を追うことがこの作品の醍醐味だと考えたからである。

ただ、人を選ぶ作品であることは確実なので、自ら進んで推せないのが悔やまれる。



ニコニコ動画における最終話「原罪、カコミライ」の再生数はたったの39,580(2016年6月27日現在)。
4万にすら届いていない。

ニコニコで配信されているアニメで最も再生数が多いのは
『ご注文はうさぎですか?』の第1羽「ひと目で、尋常でないもふもふだと見抜いたよ」である。
現在6,734,248再生。
「帰省」というタグが付いているので、
おそらく毎クール終わりとお盆、年末年始あたりを中心に今後も伸び続けるだろう。

比較し、卑屈になるのはM3ファン特有の習性だ。

……もし興味を持っていただけたなら、ぜひともM3、観てほしい。

ニコニコ動画やバンダイチャンネル等で一話無料配信(全話パックは3500円程度)をしている。
初見であればニコニコで観たほうが気が紛れるだろう。
(また、面白い考察をコメントしている方もいて、そちらも興味深い)
心無いコメントも流れるが、それをスルー出来るのであれば、ニコニコで観ることを薦めたい。

なんだか雑文をつらねただけになってしまった……。
ま、「独り言」カテゴリに置いてあるわけだし、ま、いっか。


前書き
http://bluska.blog110.fc2.com/blog-entry-623.html

前半
「十四話の謎――カギは真綾の歌にアリ」
http://bluska.blog110.fc2.com/blog-entry-624.html


参考

アニメ「M3-ソノ黒キ鋼-」公式サイト
http://m3-project.com/index.html

ニコニコチャンネル「M3-ソノ黒キ鋼-」
http://ch.nicovideo.jp/m3-project

音楽ナタリー
http://natalie.mu/music

アニメとスピーカーと‥‥。
http://kato19.blogspot.jp/
※「アニメブログの画像引用で違法と言われない著作権法のポイント」参考にしました。
アニメの感想を書く際の不安要素、分かりやすく解説されてます!
↓↓↓
http://kato19.blogspot.jp/2015/05/cyosakukenanime.html
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