ほえぶる!

ファンタジーやら現代もののエンタメ小説やら紀行文やら書いてます。自転車にも乗る。「文藝サークル~綴~」の中の人、「おにこくらぶ」の中の人、「ドジョウ街道宿場町」の中の人です。

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 二〇一二年八月二十四日(金)
 十日目 水戸~行方



 十日目の朝。この旅ももう終盤だ。

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 那珂川の河口を目指してひたちなか市を走る。
 道中、地震の爪痕がちらほらと見えた。
 通行止めになった赤い鉄橋の脇に簡素な橋が架けられ、自動車はそこを通っていた。


 那珂川の終点には、海門町ふれあい公園という公園があった。僕は茫然とそこに立ち尽くした。

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 震災当時の姿がそのまま残されていたのである。
 波打ったアスファルトの舗装路は割れてはがれおち、レンガタイルを敷いた歩道に放置されている。
 歩車道境界ブロックとみられるコンクリートの塊も地面から剥がされ、逆さまに転がっている。
 フェンスは海側へひしゃげており、地面は小石だらけだった。

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 震災前から変わらずあるものは、キノコを思わせる傘の付いた休息所と、「海浜門ふれあい公園」と書かれた杭看板、照明部分が錆びついた街灯一本、そしてレンガタイル製のモニュメントだけだろう。



 この辺りは三・八メートルの津波が襲ったという。
 現場を見てもなお僕の乏しい想像力では、津波のパワーを推し測ることはできなかった。
 茨城でこれなのだ。
 福島や宮城、岩手ではどれほどの波が押し寄せたのだろう……。

 数百メートル沖にある漁港を守る防波堤に白飛沫が立った。

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 太平洋の波をそこで受け止めているらしく、公園の間近の海は穏やかであった。
 のんびりと釣りを楽しむ人が数人いた。
 太陽に背を向けて日向ぼっこをしながら携帯電話をいじる男もいる。
 背後からはショベルカーやトラックがせわしなく動く音が聞こえる。

 この公園は、決して震災のシンボルではない。
 世界遺産に登録された原爆ドームではない。
 「はだしのゲン」で、ゲンたちがよじ登っていた廣嶋産業奬勵館(ひろしまさんぎょうしょうれいかん)なのだ。
 那珂川の河口をエンジン全開で疾走するモーターボートがあった。
 何度もバウンドしながら海へ向かっている。
 魚が一匹飛び跳ねた。
 当然の生活だ。
 日常だ。
 この公園はそういうものなのだ。



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 大洗町を鹿島灘沿いに走る。

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 途中「日本原子力研究開発機構大洗研究開発センター」を見つけ、周回することにした。
 ひたちなか市の公園を見たあとで原子力の研究所を見ると、多かれ少なかれ嫌悪を覚えてしまうのだが、しかしながらここでの研究がなければ、原子力エネルギーをより安全に運用することはできない。
 あれこれ思いを巡らしながら、研究所と深い森の中を走った。

 大洗町からひたちなか市を挟んで北側には、あの東海村がある。
 那珂川河口付近は原子力研究が盛んな地域なのだ。
 さらに茨城には筑波研究学園都市(Tsukuba Science City)がある。
 茨城と言えば納豆であり、訛りであり、田舎であったのだが、こうしてみると日本の最先端科学技術を研究している場所であるといえる。


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 鹿島灘と霞ヶ浦の間にある北浦沿いを走ろうと思ったのだが、この道も一部が震災で壊れていた。

 茨城に入ってから、震災のことをよく考えるようになった。
 それも○○しなければならない、という責任感、義務感ではなく、一人ひとりの暮らしを思った。
 過去の傷を受け入れて、日常を送ろうとする人たちを僕はじっくりと考えた。
 もちろん震災によって人生が大きく揺れ動いた人だっているだろう。
 家族や友人や会社を失った人だって大勢いる。
 この道のように、今なお癒えぬ傷を負ったままでいる人だって……。

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 それでも日々を送っている人がいる。
 彼らは傷を負っていないのだろうか。
 あの日を忘れてしまったのだろうか。

 ……いや、僕らも彼らも傷を負っているし、その日を忘れてはいない。
 だからそもそも「僕ら」「彼ら」と区別するのは間違っている。
 無意識に特別視してしまっていたけれど、そんなのはしなくてもいい。
 そんなことを思った。


 国道三四五号北浦バイパスを西に走る。
 パイパスとはいうものの、それほど道幅の広くない田舎を通っている。
 霞ヶ浦に近づいていくと道幅は次第に広くなっていった。

 前方右側に、一対の角が生えたような山が見える。
 筑波山だ。
 僕は筑波山を初めて見た。
 写真や映像でも見たことがなかったのだが、その一風変わった姿は僕の心を打った。

 筑波山は万葉の時代、歌垣(うたがき)の舞台として若い男女が集った場所である。
 歌垣とは求愛の歌を歌う、一種の求婚の祭だ。
 筑波山に集まった男女は歌い、踊り、そして肌を重ねた。
 どうして筑波山が歌垣の場になったのか……。
 科学的に説明できるわけではないけども、筑波山には人を吸い寄せる魔力のある山であるように感じた。

 その山の麓に学園都市はある。
 筑波山の若者を呼び寄せる魔力は現代も衰えてはいないのかもしれない。



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 今日は道の駅たまつくりで一泊することにした。
 日が暮れ、店が閉まるのを待ってから、施設裏のバルコニーに自転車を停めた。
 テントを張りたかったが、風が強く、また日が昇る前には出発したかったので、足利の駐輪場同様、地べたにマットを敷いた。
 物は盗られないように、一つのチェーンにまとめて腕に巻く。

 空を見上げた。
 一昨日見た夜空とはまるで違った。
 霞ヶ浦大橋を渡る車のヘッドライトがまぶしい。

 土浦方面をぼんやり眺めていると、流れ星が一筋流れた。
 天上からすっと湖面へとくだり、消えた。

 今日は一日ひたすら走ったし、美味しいものも食べていない。
 震災のあれこれを考えていたのもある。気は滅入っていた。

「でも、僕は走らなくちゃいけないんだ」

 振り返ってみると、あの流れ星は震災で犠牲になった人々の心だったのではないか、と思うようにもなっているが、当時はそんなこと少しも考えることはなかった。
 ただ漠然と、あの流れ星のその先にあるであろう我が家に想いを馳せていた。





4月28日に開催される超文学フリマで出す新刊
「自転車で関東一周してきた。~十三日間の記録~の十日目を無料公開でござる。

とりあえずブログ限定で。
というのも、十日目はこの節目にちゃんと披露しておきたかったのでね。



あ、本文は変わりませんが、掲載写真は変更の可能性大です。
実際の「自転車関東」はモノクロ写真です。ご了承あれ。

また、ブログに掲載するにあたって、改行を増やしました。
デジタルな横書きんときは、改行しまくったほうが読みやすそうなんでね。


被災地でもハワイでもスリランカでも、旅をするとそれだけ色々なことを学べるんだなって思ったです。
昨年夏の旅をして、あの日の印象がガラッと変わったわけですが、
それすら「学び」の一部に過ぎませんからね。

もっと大事なことが、すんすん吸収された十三日間でした。

というわけで、
「自転車で関東一周してきた。~十三日間の記録~
是非読んでみてね☆ミ

無論宣伝である。
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