ほえぶる!

ファンタジーやら現代もののエンタメ小説やら紀行文やら書いてます。自転車にも乗る。「文藝サークル~綴~」の中の人、「おにこくらぶ」の中の人、「ドジョウ街道宿場町」の中の人です。

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「貴女が鬼子ね」
 油蝉の不協和音の中で、白い猫耳に眼鏡が印象的な背の高い女性に声を掛けられる。ちょうどやまめをしとめ損ねたところだったので、恥ずかしいところを見せてしまった。
 白狐の村を発って一年と三ヶ月が経った。その経験から察するに、どうも鬼や神さまからは偏見を抱かれていないようだった。もちろん性格的に気に入らない、女のくせに、みたいな見られ方をされることはあったけど。
 あれからもときどき中ラ連のお世話になるけど、私もこにも仲良く語らうことができていた。
「頼むから俺は祓わないでくれよな」と冗談めかして言う鬼さえいた。中ラ連に縋る鬼は、私が祓うような獰猛で凶暴な鬼から日々怯えて生活する鬼がほとんどなので、私たちはむしろ憧れの対象でもあった。有名になるのは恥ずかしかったけど、でも貧しい鬼や神さまからの激励が鬼を祓う力の源になったのは確かだった。
 そんなこんなで、猫耳の女性を見た。今まで見たことがないほど耽美な白い衣をまとっている。焼き付けるような日差しの中、女性は分厚い衣装で直立している。こには川岸で水遊びを楽しんでいた。
「あの、あなたは――」
「ソレ、何に使ってるのかしら?」
 私の質問を完全に無視して、女性は鬼斬を指さした。
「一応、銛の代わりですけど」
 女性が顔を覆い、盛大な溜息をついた。
「驕れる神器も久しからず、ね」
 でも私たちにとって鬼斬は命の源だった。獣を狩り、肉を裂き、枝を削る。柄が長くて料理には不便だけど、慣れればどんな包丁よりも扱いやすかった。
「まあいいわ。アマテラスサマから伝言預かってるから」
 面倒くさそうに白雪の髪を掻き、豊満な胸元から巻物を取り出した。
「ちょ、ちょっと待ってください! あ……いえ、お待ちいただけませんか?」
 天照大御神さま。神々しく輝くお天道様で、とてもじゃないけどこんな私がお会いしていいようなお方ではない。なんと申せばいいのか、なんと反応し奉ればいいか、この泥だらけの着物で無礼はないものなのか、そもそも振る舞いに非礼があるんじゃないのかとか、一気に頭の中があらゆるもので埋め尽くされた。大洪水だ。ちゃんと敬語を使わないといけない。
「えーっと」
 かの御神さまのお使い様は待って下さらなかった。
「『吾者聞八百万神鬼祓之噂。汝鬼子見、勅言』……はあ? ダメダメ、こんなの千年前でも理解できないわ」
 私は理解できない部類に分けられるけど、高天原の由々しい大神さまの方々なら、容易にご理解あそばせなさいますのでしょう。
「こにと一緒に犬神さんの里へ行って、心の鬼を祓いなさい。それが使命よ」
 大御神さまのお使さまはそう威勢よく仰せになられた。
「あ、ああ、あの、このような不束者のわたくしめでございますが……」
「世間知らずな貴方に、二つ世渡りの術を教えとくわ。一つ、下手な敬語を使わない。二つ、私に敬語を使わない」
 でも……と戸惑った。ここまで縛られていない神さまを、しかも大御神さまをさん付けで親しげに呼び表してしまう神さまなんて見たことがない。お怒りを買われないのだろうか。いやそれよりも、そんなお方とこんな世間の最下層の鬼の子が対等に話してしまったら罰が当たるに決まってる。
「いいからそう話しなさい。本来神さまってのは誰とでもフレンドリーなのよ」
「は、はあ」
 ふれんどりいってなんなんだろう。
「ねねさまー、この人だあれ?」
 遊び飽きたこにがやってきた。麻の着物は腰から下が水に浸ってしまっており、その手にはつるつるの小石が握り締められていた。
 誰と言われて、ようやくふりだしに戻ることができた。
「それでその、あなたの名前は?」
「あら、言ってなかったかしら?」
 もう何も言うまい。この人は気まぐれを煮詰めたような性格なのだ。周りの人たちを振り回しに振り回しても、当の本人は何の自覚もないのだ。
「みんなからは般にゃー、と呼ばれてるわ。貴女達もそう呼んで頂戴」
 般にゃー。その名前の由来はどこから来たのだろうか。般若と関係があるのは確かみたいだけど、猫又の女性と何の因果関係も見出せなかった。
「ああ、そうそう、これ忘れてたわ」
 彼女は懐から般若面を取り出した。
「般にゃーの般若、と仮称しておきましょうか。究極的真理を悟った瞳孔を観れば、心の鬼はたちまち人間から引き出されてしまうわ。またその口はよろずの神々と通じていて、貴女の戦いをサポートしてくれるはずよ」
 その深く濃い檜から掘り出された芸術に、私までもが魅入られていく。触れると胸が高く脈打った。般若が目撃してきた多くの事象が逆流して私の延髄を刺激する。神の息吹を感じた。
「それから、そっちのおチビちゃんにはこれね」
 般にゃーは谷間から鈴を取り出した。りりん、と癒される響きが蝉の豪雨をすり抜けて鳴り渡る。こぶし一つ分ほどの大きな鈴だった。
「なにこれー!」
 こには鈴を帯に結んでいる般にゃーに尋ねた。実に嬉しそうな問いかけだった。
「ふふ、これは恋の素。その音色には穢れを清める力に加えて、神と鬼を、鬼と人を、人と人を、あらゆるものを縁で結んで……そうね、みんなが仲良しになれる魔法の力がつまってるの」
「みんな、みーんな、なかよしだもんね!」
 こにはぱしゃぱしゃと飛び跳ねる。般にゃーはちょっと不快そうな顔をしていたけど、割かし気にしていないようだった。
「それじゃ、行ってらっしゃい」
 行く。犬神さまの里へだ。この川を上ってしばらくしたところにそんな里山があると中ラ連の常連さんが噂していたのを思い出す。あの村から人の気配が感じられなくなってしまったどころか、犬神さまの一族の知らせも途絶えてしまったという話も耳にした。噂なんて当てにならないものがほとんどだけど(鬼子が人を襲う、なんてその最たるものだ)、生まれたからにはそれなりの理由があるのだろう。
「あ、ちょっと待ちなさい」
 薙刀についた水を振り払い、こにと一緒に里へ向かおうとしたところで呼び止められる。
「その薙刀、わたしが預かっておくわ」


 どこにでもあるような、何度も見たことのあるような、そんな里だった。山に囲まれていて、田植えをして間もない青々とした稲が見渡す限りに広がっている。その中から素朴な藁葺き屋根の民家が点々と生え伸びている。あぜ道は真ん中だけ申し訳ばかりに裸の地面が見えるけど、あとは大葉子や狗尾草が悠々と陽射しを浴びて背伸びをしていた。
 でも、どこか陰気くさい。人の姿もなければ、鳥や蝉の鳴き声すらしない。植物の天下だった。
 この場所に来た理由なんて、少し考えればわかることだった。
 畏れ多くも大御神さまがご命令なさったんだから、それ相応のゆえんがあって当然なのだ。
 試練なのだ。
 鬼斬なしで、心の鬼を祓う。不可能な話ではない。しかし、相手がおとなしい性格でという前提の話になる。閉ざされた胸の内を心を砕いて開いてやらなければならない。しかも穏便に。無理やりこじ開けようものなら心の鬼は暴れだし、おそらく私はそれに呑みこまれてしまうだろう。危ない綱渡りなのだ。
 現在、神さまと鬼の勢力は徐々に鬼のほうが優勢になっているらしい。堕ちてしまわれる神さま、荒ぶる国ツ神の邪鬼化、そういうものが増えてきているのだ。
「わたしはあまり隠し事したくないし、別に隠せといわれてないから言うけど」
 薙刀を託したあとで、般にゃーが二本の尻尾を振って囁いた。
「アマテラスサマは貴女を利用するつもりなのよ。鬼の力を弱める道具として、貴女を駒として選んだってこと」
 鬼で、神さまと敵対しているわけでもなく、強くて、鬼を祓う道理がある。般若面は私を後援してくださる半面、私が神さまに刃向かおうと思えばいつでも潰すことができる、いわば悟空の緊箍児(きんこじ)なのだ。散歩紐をつけられた私ほど適材な駒はどこを探したっていないだろう。
「それが嫌ならちゃんと言いなさい。わざわざわたし達のメンドーな問題に顔出さなくたっていいんだから」
 上にはわたしから言っておくわ。貴女は今まで通りの生活を送ればいいから。と般にゃーは付け足した。本来なら大御神さまの勅に逆らうことなんてできないのだろうけど、この女性がそういうのであれば、そんなあり得ないことも叶ってしまうような気がした。
 でも、私には断る理由なんてなかった。鬼を祓う鬼、それが私なんだから。
 承諾した私は連れ添いのこにと一緒に犬神さまの里へと赴き、今に至るのだった。
「おなかへったー」
 こにがお腹をぐうぐう鳴らして、そんなことを言った。口から言葉を発しているのか、お腹から言葉を発しているのか微妙なところだ。
「そうね、早く犬神さまのところでご飯にしましょう」
 民家から食材を分けてもらいたかったけど、塩をまかれるのが関の山だし、そもそも人がいない。そのくせ廃村のように荒れてるわけでもないし、鬼に襲われた形跡もなかった。
 おかしい。何かが変だ。今までの鬼とはわけが違う。
「ねねさま! あれ!」
 こにの指の先には、あぜ道で倒れている若者がいた。慌てて駆け寄り、口に手をかざして息を確かめる。
「う、あ……」
 意識もちゃんとあるようだった。
「大丈夫ですか? 怪我、ありませんか?」
 身体を起こしてあげたいけど、また嫌がられるからそれはできない。ただ見守ることしか術はないのだ。
「め、めん……めんどくさ」
 若者は、掠れた声でそう呟いた。
「めん? な、なんですか? もう一度言ってくださいませんか?」
「いやあ、二度言うとかほんと面倒なんで」
 だらだらと断られた。
 変だ、確実に変だ!
「犬神さまの元へ急ぎましょう」
「でも、このひと……」
 のっぺりと気持ちよさそうに日向ぼっこしている若者を一目見る。
「この方は好きでやってるの。大丈夫、行きましょう」
 こにの手を取り、走った。
 犬神神社は山にへばりつくように建てられた神社だった。社はお爺ちゃんの神社の蔵と同じ程度の大きさで、やっぱりどこにでもあるような村社だった。
 しかし、どこか異変を感じる。じわりじわりと体の一部分が吸い取られていくような、そんな気分がした。
 その気配のほうへ、一歩、また一歩と前進する。こにがぎゅっと私の衣を握りしめた。私だって何か確実的なものにすがりつきたかった。


 本殿の裏側に綿のような老犬と、茶色い髪に紅の道着を着る少年が寝そべっていた。おそらくは般にゃーの言っていた犬神さまなのだろうが、見る影もないだらけようだった。
「わんこの神サマ、だいじょうぶ?」
 こにが齢のいった犬神さまの元に駆け出した。しゃらんりんと鈴が鳴る。すると大の字に寝そべっていた老犬さまが身を震わせ、起き上がった。
「た、助かったわい」
 ついさっきまでの怠惰な姿は微塵も感じられない。神さまの威厳がひしひしと伝わってくる。この寸刻の間に何が起こったのだろうか。
「お嬢ちゃんのおかげじゃ。その鈴が『さぼテン。』の物臭な邪念を追っ払ってくれたんだよ」
「こにのおかげっ?」
 こにの目がきらきらと音を立てて輝きだした。この一年と三ヶ月の間、こには人がケガをしていても、鬼が暴れていても、私の裾をつかむことしかできなかった。どれだけもどかしい思いをしていたんだろう。
「うちの大馬鹿者が心の鬼を宿してしまっての、その邪気が村全体を覆ってしまったんじゃ。気付いたころにはワシ一人でどうこうできる事態でなくなってしもうた」
 そう言って、竹林の前でだらだらと尻尾を垂らし、肘を枕にして眠りこけている少年を指さす。歳はシロと同じくらいだろうか。シロのぱたぱたと慌てて駆ける廊下の音を思い出した。
「……私が代わりに祓います」
 頭に提げた般若面を手にし、犬耳の生えた少年の前に立つ。
「気をつけい。輩から出るさぼりの念に呑まれると、たちまちやる気を削がれるぞ」
 犬神さまの忠告を聞いて、心の中で頷く。確かに武器がない今、鬼に攻められたら一巻の終わりだ。でも鬼を祓う要領は武器のあるなしにかかわらず、さして変わらない。薙刀を振るうか、言葉を操るか、その違いだけだ。
 般若を顔にかざし、お面を通して少年わんこの瞼を射抜いた。禍々しい気配に気づいたのか、わんこが片目を開ける。その途端少年は眼を見開いた。こうすることで心の鬼と宿る身を分離させることができる……はずなんだけど、いくらたっても心の鬼は姿を見せなかった。おかしい、般にゃーから聞いた条件は全部揃ってるはずなのに。
「……めんどくせ」
 そう少年は呟いた。
「こいつから離れんのもかったりーわ」
 いや、違う。正確には少年に憑いた鬼が呟いているんだ。よく見ると、とげのないさぼてんが少年の背中から見え隠れしている。その姿を見るだけで気だるくなり、激しい無力感に苛まれた。
 私がここにいる必要性が見いだせなかった。そもそも私ってなに? みんなに嫌われてる。そりゃ神さまや鬼の一部からは好かれてるさ。でもそれが何になるの? どんなに頑張っても人から認められることはない。鬼という分類から脱することはできない。人の友達がほしい。でもそんなの不可能だ。じゃあ私は何のために鬼を祓ってるの? いいや、面倒くさい。考えるのが面倒だ。
立ってることも面倒で、つまらない世界を見るのも億劫で、外界と接するのもかったるい……。
「ねねさま!」
 りんりん。
 恋の素の音色で我に返った。冷や汗が全身から噴き出した。危なかった。もう少しで心を奪われてしまうところだった。
「ねえわんわん、こにといっしょにあそぼうよ!」
 こにが鈴を鳴らしながら近づいてくる。いつもなら鬼に近づかせないけど、恋の素がある今、こにが近くにいてくれたほうが安心だった。
「遊ぶ? めんどくせ」
 少年に憑いたさぼてんの鬼が答えた。鈴の音を聞いても反応はちっとも変わっていない。
「えー、あそぶのたのしいよ?」
 こにが残念そうにうなだれた。犬の少年はそっぽを向くのも面倒みたいで、焦点の合ってない目で神社の先を眺めていた。
「そりゃ楽しいさ、でも意味はない。体力の無駄遣いなんかしてられっか」
「ムダなんかじゃないよー!」
 こには無理やり少年を引っ張って走り出した。
「おい、何すんだよ」
「かけっこ!」
 こにが嬉しそうに走る。少年は引きずられるままに走った。恋の素がやさしい音を響き渡らせていた。
 おいかけっこをして、だるまさんがころんだをして、かくれんぼをして、鬼ごっこをした。少年から「さぼテン。」が離れることはなかったが、少しずつ目に生気が宿りだしていた。恋の素の影響だろうか。いや、きっとこれはこにの素質なんだと思う。こにの周りは、いつだって明るく照らされているんだ。
 西の空が色つきはじめた。一通り遊んだあとで、私たちは鳥居の前の階段に座って休憩した。犬神さまは鳥居の上で見守っていて、こには遊び疲れたのか、私の膝の上で寝息を立てている。
「俺、やっぱり何やってもうまくいかない駄目な奴なんだよ」
 そう耳の生えた少年は語った。
「いくら勉強したって風太郎に勝てないんだ。村ん中じゃかけっこで右に出る奴はいないけど、誰にも褒められやしない。地蔵師匠はもう相手にすらしてくれねえ。だったらかけっこだって疲れるだけだ、めんどくせえ」
 風太郎というのが誰なのかはわからないけど、地蔵師匠というのはおそらくあの犬神さまのことだろう。心の鬼は突発的に宿ってしまうこともあれば、あらゆる状況が重なって形成してしまうこともある。地蔵さまは少年を良くない目で見ているみたいだけど、全部が全部少年のせいではないような気がした。
「そのかけっこだって、お前に負けちまった。俺なんかどうせ……」
「いいえ、あなたは足も速いですし、体力だってありますよ」
「嫌味かよ」
 そう言って少年はふてくされた。長い長いため息をもらす。
「嫌味なんかじゃないです。私があなたくらいの頃は足も遅かったですし、体力もみんなよりありませんでした。だからあなたが私と同じ歳になったときは、きっと私なんかよりずっと足が速くて、体力もあるはずですよ」
「そういうもんなのか?」
「でも、努力はしないとだめですよ?」
「努力、か」
 少年は仰向けに倒れこみ、鳥居を真下から見上げていた。
 しばらくして、少年の体から心の鬼が抜け出てきた。
「さぼテン。」が静かに消えていく。
「俺、もう少し頑張るよ。かけっこも、勉強も」
「応援してますよ」
 くりくりとした、情熱に満ち溢れている少年の瞳を見て、私は安堵のため息をもらした。
 祓えたんだ。
 武器がなくても、祓うことができる。心の鬼と真剣になって向かい合うことができれば、鬼はちゃんと心を開いてくれるのだ。
「ふむ。やはり主が鬼子だったか。鬼を祓う鬼という評判は聞いておったわい」
 地蔵さまが鳥居から飛び降り、少年の脇に着地して私を見上げた。
「ワシが唐突にもこんなことを頼むのはまことにおこがましいことではあるが」
 そう先に述べて、寝転ぶ少年の頭に前足を乗せた。幼いながらも立派な男の子らしい額が露わになる。
「この世間知らずな馬鹿者わんこを、旅の供にしてやってはくれんかの」
「はあっ?」
 犬耳の生えた少年ががばりと上半身を起こした。
 騒ぎを耳にして、こにが寝ぼけた眼をこすりはじめる。
「なんだよいきなり! わけわかんねえ!」
 私としては仲間が増えることにさほど抵抗は感じなかった。少年は活発だし、ある意味野生的でもあったから、自給自足の生活を苦とはしないだろう。いや、それ以上に、村へ降りて人々から食材を分け与えてもらうこともできるようになる。大歓迎だった。
「わんわん、よろしくね!」
 こにも同感のようだ。
「わんわん言うな! 俺には歴とした名前があってな――」
「鬼子さん、ワシは思うんじゃよ」
「言わせろよ!」
 あえて言わせなかったんだろう。真名を知らせるというのは自身を拘束させることに等しい。地蔵さまは少年を縛らせたくなかったんだ。それは私のことを恐れているからなのだろうか。
「この村は狭すぎるからの。わんこにはもっと広い世界が似合うじゃろう。しかし辺境の地で育ったもんじゃから、あまりにも物事をわかっとらんのじゃ。どうか、世の中が井戸ではなく、こやつが蛙ではなく一匹の孤高な犬であることを教えてやってほしい」
「師匠……」
 少年の真名を語らせなかったのは、ここが少年の故郷であることをはっきりさせるためなのかもしれない。どれほど荒れ狂った旅路であっても、絶対的な安定のある場所があるとないとでは大違いであることは、私が一番知っている。私が真名を知ってしまったら、ある意味で故郷を失ってしまうことになる。
 油蝉の合唱が響き渡っている。その隙間から奏でられているひぐらしが、どこかもの悲しさを膨らませているように感じられた。
 それからしばらく犬の少年は鳥居の先にある神社を見つめていた。長いことそうしていて、それからおもむろに立ち上がった。
「風太郎に伝えておいてくれ。お前なんか比にならないくらいたくさんのこと学んで帰るってな。邪主眠(ジャスミン)の姉ちゃんにも、他の犬神にも、村のがきどもにも、それから……」
 言い終える前に少年は言葉をつぐみ、空を眺めた。この村はきっと、大切な思い出がたくさんある場所なんだ。
 ちょっぴり、羨ましい。
「鬼子さん、こにさん、わんこをよろしく頼むぞ」
 そう犬地蔵さまに任された。
 わんこをよろしく頼む。
 私は、少年のことをわんこと呼ぶことにした。


「ふーん、そーゆーこと」
 般にゃーの感想はあまりにもあっさりとしていた。私たちの紀行もわんこの同伴にもまったく興味を示さない。
 まだ青い紅葉の山の奥に般にゃーの住処はあった。でもほとんど使われてる形跡はなく、雑草だらけの庭と荒んでしまって久しいぼろ小屋があるばかりだった。
「命令を達成したらこの家を譲れってアマテラスサマが仰ってたわ」
 どうせ使ってないし、そろそろ掃除しないとって思ってたからちょうどいいわ、なんてのんきなことを般にゃーは言っていた。貰う側としてはひしひしと感じる面倒事にため息が出てしまうけど、でも屋根の下で眠れるんだからそれくらいどうにでもなる。
「当分わたしの指示に従ってもらうわ。……上に立つのってキライなのよね。ま、テキトーにやらせてもらうから、そこんとこよろしく」
 確かに般にゃーは上司という役柄は似合わない。何にも縛られずに彼処をぶらついてるほうが割に合ってるような気がする。
 それから鬼斬を返してもらった。般若面でいつでも鬼斬を預けたり引き出したりすることができることを教えてもらった。地味だけど、今まで薙刀のせいで人々に恐怖を上乗せしてしまったことが多々あったので、この機能は重宝しそうだった。
「最後に、アマテラスサマから贈物があるわ」
「お、贈物……って、え、ええっ? そ、そんな畏れ多い」
 高天原を治める超が付くほどの大御所さまが、底辺の鬼に何を渡すというのだろうか。こんな広い敷地を頂いてしまって、おまけに贈物ときた。
 般にゃーが巻物を取り出し、広げた。
「まず鬼子のほうね。『日本の姓を賜えん。鬼の子よ、鬼うち祓え。我が日本よ』だって」
 韻律の付いた歌が贈られた。形のないものだったから、はじめは何をもらったのかよくわからなかった。
「貴女に『日本』の姓をあげるって言ってんのよ。アマテラスサマも大胆ね」
 ひのもと……ひのもと、おにこ。頭の中で繰り返す。日本鬼子。天照大御神さまの下で鬼を祓う鬼の子。それが私の名前だった。あらゆる感情が入り混じって、なんと申し上げればいいのかわからなかった。
「こには? こにのもあるの?」
「もちろんよ。『小日本の姓を賜えん。小鬼の子、鬼子を支えよ。我が小日本』だって」
 同じように韻と律のついた歌が贈られる。
 こひのもと。それがこにの姓になった。
「般にゃー、こひのもとって、どーゆーカンジつかうの?」
「小さいニッポンって書くのよ。せっかくもらったんだから、大切にしなさい」
「うん! えーっと……こに、こにぽん、だね!」
 こにぽん。その愛くるしい響きとこにの笑顔が絶妙に合っていた。小日本、こにぽん、こにぽん。忘れないよう頭に刻み込む。
「そうそう、もちろんそこのわんちゃんにはないわよ? アンタは予定外の存在なんだから」
「わかってるよ、おばさん」
 あ。と私の口から言葉が漏れてしまった。慌てて口を押さえる。
「おばさん……?」
 般にゃーがぽそりと呟いた。ぴくりと小じわが増えたような気がして、そして……。
 その後、わんこは三週間ほど、般にゃーの話題に触れると禁断症状を起こすようになった。なぜそうなったのか、それは推して知るべきことだろう。

   φ

 日は暮れて、窓の先から星がちろちろと輝いていた。白狐爺の霊力を養うお祈りはまだ続いている。
「これが私の過去で、同時に鬼に勝ち続けなければいけない理由でもあります」
 長い、長い語りだった。途中で鬼子さんが物語る理由を忘れてしまうくらい、壮大で、心魅かれるお話だった。
「私は鬼を祓わなくちゃいけないんです。それが存在意義なんです中途半端に独りでなくなってしまった私は、もう邪鬼のように自分を棄てて暴れることもできないんです。鬼になれない鬼なんですよ。日本の姓を授かってから四年が経ちました。ひたすら鬼を祓い続けて、人々からは恐れられて……もう、何のために戦うのか、何を守って、何を消し去ろうとしているのか、わからなくなっちゃいました」
 日本さんはそう言ってほほえんだ。身震いするほどおそろしく悲しい笑みだった。
「私ってなんだろうって問いがあったら、鬼を祓う鬼だって、そう答える他ないんです。元々私なんて存在しないほうがいいんですから。鬼に負けてしまっては……鬼を祓えなかった私はただの鬼です。ただの厄病です。それ以外、何もありません。明日、大御神さまに奏上します。私を否定してくださいと。私をこの世から――」
「そんなの、ないよ!」
 感情に任せて立ち上がっていた。
「なんなのさ、自分勝手すぎるでしょ!」
「それなら!」
 日本さんも負けじと声を張り上げる。
「……それなら、田中さんには説明できるんですか。どんな鬼でも祓うことができて、それを大御神さまにも認めてもらえて、母から人の嬉しいことや楽しいことを芽生えさせられるような人になれと言われたのに、祓えなかった鬼がいる自分に気付いて、こにぽんを守ることができない可能性を叩きつけられて、人々の喜びを奪い去ってしまいそうだった私が今もなお生きてしまっている理由を、息をしている理由を、田中さんは説明できるんですか?」
 卑怯だ。そう思った。
 アタシは人間だ。ついこの間までこっちの世界のことなんて何一つ知らなかった人間だ。平凡で並々の生活を営んできた高校生にすぎない。
 それでも、言わなくちゃいけない。
「そりゃもちろん……」
 言葉に詰まる。
 ダメだ、止まっちゃいけない。考えろ。
 日本さんの存在意義。難しいようだけど、どこかに答えはあるように感じる。そしてそれをアタシは持っている。心の隅っこのほうで丸まってるような気がする。でも、それを拾うことはできない。拾える距離まで潜りきれていないんだ。
 外のお経がうるさい。
 あの連中を黙らせろよ、わんこのいらだった声が反響する。同感だよ、はは。誰か爆弾でも投げ込んでくれないか?
 考えがあともう少しでまとまりそうだったのに、思考はほどけた書類のようにばらばらと混沌の中へと散らばっていく。もう元のまとまりには戻れない。
「もちろん……」
 嘘だ。自分には日本さんを納得させられるだけの経験と論理展開能力と語彙が備わってないんだ。
 アタシの存在意義すら今まで考えたことすらなかった。そんな人間が他人の存在意義について述べようと空っぽの頭をひねろうったって、おからを絞って何も出ないのと同じように、妙案の一粒すら滴り落ちてくることはなかった。
「やっぱり無理なんですね。田中さんにも答えられない」
「そんなことない!」
 ただのハッタリでしかないことはアタシも日本さんもわかってる。でもここで屈することはできなかった。屈してしまったら、もう二度と日本さんと会えなくなるんじゃないかって、そう思った。
「日本さんは……」
 でも、限界だった。針金みたいな強度しかないアタシには、日本さんの巨大な道のりの一部ですら代われるものじゃなかった。
「日本さんは……」
 諦めよう。
 アタシじゃダメだったんだ。
 ――アタシなんかじゃ。

「ねねさまは、ねねさまだよ!」

 襖がぴしゃりと音を立てて開かれた。
 こにぽんが、そこに立ち尽くしていた。
「こに、むずかしいこと、わかんないよ。でも、ねねさまがいるから、ねねさまはねねさまなの! いなくなっちゃったら、こに、さびしいもん!」
 こにぽんが日本さんのところまで歩み寄って、その白くて小さな両腕で日本さんを包み込んだ。
「タナカだって、わんわんだって、シロちゃんだって、じじさまだって、ヒワちゃんだってヤイカちゃんだって! みーんなみーんな、ねねさまのこと大好きなの! ねねさまはみんなの心の中にもいるんだから! いなくなっちゃったら、こに、ヤだよ……。いなくなっちゃったら、いなくなっちゃったら……!」
「こにぽん」
 日本さんが涙ぐむ女の子をそっと抱きしめた。やさしくやさしく、母親のようなぬくもりがそこから感じとれた。
「こめんね、こにぽん。そうだよね、独りじゃないって、こういうことなんだよね。戦い続けなくても、変わらないものはあるんだよね。こんな私でも、好きでいてくれてる人はいるんだよね。今だって、これからだって……」
 簡単な話だったんだ。経験だとか、論理展開能力だとか思考だとか、そんなワケのわからないことで悩む必要なんてどこにもなかった。誰にだって言えること、当たり前のことだった。
「ねねさま、いたいよぅ」
「あっ、ごめんね」
 抱擁を解放し、やや間を置いてからこにぽんの髪を撫でた。
 こにぽんは雫を拭うと、腰につるしてあった巾着を開けた。
「これ、ぷりん。食べたらケガもなおるから」
「うん、ありがとう」
 アタシは主役ってガラじゃない。アタシはただの語り部で、舞台の真ん中に立つのは紛れもなく日本さんとこにぽん、
この二人なのだ。

   φ

「――という次第でございます、蟲武者卿」
 青狸大将の長々しく荒々しい報を聞き終えた。奴からは天魔党の四天王を前にしても揺るがぬ強い意志を感じる。激しい野望だ。今は我々に付き従いているものの、そう長くない頃に謀反を起こすであろう。しかし奴に憑く願望鬼は実に巧みな隠密として利用できる。利用し尽して、状況を見て斬り捨てるのが適切である。
「ご苦労であったな」
 偶然ではあるが、『鬼を祓う鬼』の素性が明らかになった。噂からして興味深いものがあるが、奴について知れば知るほど魅かれるものがあった。探究心は膨れるばかりだが、我は学者ではない。一人の武人である。無駄な情報は混乱を招く。なれば願望鬼は別の任務に活用させたほうが有益であろう。
「人間田中がこことは別の世の者であると申したが、それは真か」
「真でございます、蟲武者卿」
 得意顔で奴は述べた。
「ならばその者の身を用いて異なりの世を渡り、彼方で我が天魔党の助けとなる鬼を探せ。無論相応の報酬は約束しよう」
「くくく、わかっておるではございませぬか」
 裏のある笑みを見せ、青狸は退出した。
 奴の場合、裏があることが容易に解せるからまだ扱いに苦労することはない。
「お憎(おぞう)、我等も出陣するぞ」
「戦ですか。何処へ」
 我の率いる『侍』の第二位である彼女は常に我の傍らに控えている。彼女は片膝を立て、大きな櫛を挿した頭を我に見せ、微塵も動じない。忠誠を誓ったお憎は我が命令には全て過不足なく任務をこなす。己を知り、相手を計りて戦に臨むため、損じても被害は最小限に留めることが出来る。我が『侍』の参謀として言うべきことはない右腕である。
 彼女は実に頼もしい。だが完全に心を開き切って寝首を掻かれて終劇という事態にもなりかねん。
どうも奴は我に対して激しい感情を抱いていることは確かなのである。
「城下だ。城下へ親征する」
「城下ですか。……じょ、城下ですか? 黒金蟲様」
 彼女には予想外の目的地なのだろうが、我は長らく秘密裏にこの作戦を練り続けていた。
「そうだ、『甘味処ねむしや』に二十の兵を連れて向かおうと思う」
「しょ……将軍おはぎを討つのですね」
「如何にも」
 物分かりの良い副官だ。
『ねむしや』は一月前に開店したばかりで、なんでもおはぎがこの世のものとは思えぬ程の美味であると評判なのだ。
 立ち上がり歩き出すと、お憎もまた立ち上がり、後を歩く。
 『甘味処ねむしや』のおはぎを我等が領主様にも献上したく存ずるが、今は果たせぬ所望である。
 ああ、我が領主様よ、其方は何処へ行かれたのか。我等の勢力は増しに増してあるが、統べる者がおらぬ今、どうして国を治めることができようか。
 長き目で見れば、我等のみで治めることなど不可能なのだ。『侍』『忍』『陰』『局』の四党がいかに優秀であれども、大壺の底から徐々に腐敗が生じが如く、分裂は止む無きことなのである。
 統治には天性が必要なのだ。総指揮を執る大老様にも無く、当然のことながら我等にも無い。存在そのもののみで人を惹きつけ、心酔させるだけの才能、少々の荒事でも、其の者の言葉であるだけで従えてしまうほどの力は、行方知らずの領主様のみが有す。我等は領主様への絶対的な忠誠心によりて成り立つのだ。
 城を出、丘の下に広がる街を見渡した。所狭しと立ち並ぶ瓦屋根。そこには往き交う鬼等で賑わいているのだ。時の流れがを実感する。荒地だったあのころにここまでの活気を想像出来ただろうか。
 我が故郷なのだ、この天魔党の国が。領主様よ、其方さえおられれば、必ずやこの国を理想郷へと変えてみせましょう。
先代の領主様からの悲願を、いざ叶えて見せようぞ。


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