ほえぶる!

ファンタジーやら現代もののエンタメ小説やら紀行文やら書いてます。自転車にも乗る。「文藝サークル~綴~」の中の人、「おにこくらぶ」の中の人、「ドジョウ街道宿場町」の中の人です。

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 いわゆる日常的な平穏ってものは案外あっさりと奪われてしまうらしい。戦いがすぐ近くで繰り広げられていたのに平穏っていうのはおかしいかもしれないけど、じゃあシロちゃんやこにぽんと雑談に興じていたのを、平穏と言わずになんと言えばいい? でも、そういうものは、この世界において実にもろくて、崩れやすいものなんだとやっと実感することができたのだった。
 鬼にやられた。わんこは帰ってくるなりそう声を張り上げた。あわてて出てみると、日本さんを背負い、白狐の爺ちゃんの肩を担いだわんこがそこにいた。ひたいから血を流す犬ころの姿を見て、自分の体が青ざめていくのがわかる。シロちゃんが小さな悲鳴を上げ、こにぽんがあたしの裾をぎゅっと握りしめる。傷ついたわんこの代わりに日本さんを背負おうと思って手を伸ばしても、吠えて拒むのだった。それからうわ言みたいなことを言って、わんこは倒れてしまった。
 今はそれぞれ別の床で休ませている。シロちゃんは白狐爺を、こにぽんは日本さんを介抱している。
「お茶淹れたよ」
 そしてアタシは元気のない元気坊主の相手をしているワケだ。
「人間の淹れた茶なんて飲めるかよ」
 弱ってるクセに、意地だけは変わらない。包帯を巻いた頭を外に向けたままふてくされている。
 外では何やら人々が集まってお経じみた合唱が行われている。怪しい儀式で枯渇した白狐爺の力を満たそうとしているらしい。
「あの連中を黙らせろよ。昨日から休みなしで眠れねえし、気が狂っちまう」
「はは、そりゃ同感」
 湯呑の載ったお盆を置く。立ち上る湯気が渦を巻いた。
「このお茶さ、アタシだけが淹れたんなら別に飲んでくれなくて構わないけどさ、こにぽんとシロちゃんと一緒に淹れたんだよ」
 お茶を渡すと、わんこはしぶしぶ受け取り、息を吹きかけた。しばし小波に揺れる水面を眺め、一口飲む。それからまた湯呑の中のものを見つめていた。
「……チクショウ」
 考えていることが口から洩れているような、そんな訴えだった。若々しい悔しみに懐かしさのようなものを感じる一方で、自分を追い込む痛ましい姿に心が苦しくなる。
「アンタはよくやったよ」
 わんこの「チクショウ」みたいに、アタシも口から言葉が滲み出ていた。
「よくねえよ」
「シロちゃんから聞いたよ、後ろから叩こうとしたヒキョーな奴らをボコボコにしてやったんでしょ? しかも二人相手とか、お見事としか言いようがないね」
「見事なもんじゃねえよ。鬼子も守れねえし、自分も守れやしねえ。あまつさえ白狐爺もだ。……こんなのってねえよ」
 わんこって、こんな弱音をはくような人だっけ? なんか、こういうのを見ると、ケガしたりカゼひいたりしたくないなあ、なんて思う。わんこの弱音はケガやカゼみたいなものなのだ。
「やれやれ、まったく、男なら堂々としてな! 見てよ、アタシの堂々っぷり!」
 無い胸を張って言ってやった。当然冷ややかな目で見られる。
「お前は馬鹿なだけだ」
 湯呑を投げるように置き、布団をかぶってしまった。
 たぶん、わんこの言う通りなんだろう。日本さんのことを差別する人がいる。その人を見たときのわんこの表情から察するに、差別は日常茶飯事なのだろう。日本さんはそのことをひたすらに隠そうとしていた。もしかして、アタシが知っちゃったから、日本さん鬼に負けちゃったんじゃ……。
 そういう妄想全部、知らないフリして、とぼけちゃって、鈍感な仮面をかぶっている。
 でも、それはそれでいいんじゃないかと思ってる。
 だってさ、こーゆー空気、好きじゃないもん。
 ふすまが開いた。見るとこにぽんがしゃくりを上げながら立ちすくんでいた。
「なあおい、どうしたんだよ」
 がばりと上半身を起こしたわんこを見るなり、こにぽんはとてとてと駆け寄り、ぎゅっと抱きしめた。
「わんわんは、変わったりなんかしないよね? わんわんは、こにのこと、ずっと好きだよね?」
 アタシは何も語らず、じっと二人を見つめていた。
「な、何言ってんだよ。俺はその……俺のままだよ」
 アタシのことをちらりと見て、少しあわてた様子でつぶやいた。
「ねねさまはね。やっぱりかわっちゃったの。ねねさま、なんにもこたえてくれないんだよ? ぷりんのことも、たべてくれないんだよ? わんわん、ねねさまのおはなし、きいてあげて。ねねさまつらそうなの。だから……」
 きっと、今のわんこじゃイエスと言えないだろう。いつもならハッタリだとしても自信を持って頷くだろうが、先の戦闘で色々とキズを負ってしまっている。わんこのことだし、ほっとけばそのうち元に戻るだろうけど、今日本さんのトコに行ったらキズが膿んでしまうかもしれない。日本さんの心をえぐることになるかもしれない。
 アタシは、立ちあがった。
「代わりに行ってくるよ。わんこは安静にしてなくちゃダメだからね」
「ほんとにっ? タナカ、行ってくれるの?」
 こにぽんは真っ赤にさせた目を潤ませながら訊いてきた。
「当然よ。こにぽんはわんこと一緒にお留守番ね」
 日本さんトコへ行くのは、一つはわんことこにぽんのためだ。悲しそうな顔をしてるのをほっとけるわけないじゃないか。
 でも本命の理由は二つ目にある。
 どうして、黙り続けるんだ。こにぽんがせっかくプリンをあげるって言ってくれたのに、ありがとうのあの字もないってどういうことなのさ。
「……田中」
 わんこがアタシの名を呼ぶ。
「鬼子はな、今まで一度も鬼に負けたことはなかったんだ。だから俺みてえな立場の気持ちなんざ、ちっともわかっちゃいねえんだ」
 ほとんどグチのようなものだった。羨ましいのと恨めしいのがごっちゃになってまとまらないんだろう。
「だから、鬼子をこれ以上引きこもらせるようなことがあったら、俺は本気でお前を噛み殺す」
「おーこわいこわい」
「な……、俺は本気だからな!」
 本気だってことくらいわかってるさ。だからこそ、アタシは茶化してやってるんだ。


 しっけてるなあ、というのが第一印象だった。キノコでも生えるんじゃないの? そんな冗談みたいなことを考えてしまうほど日本さんの部屋はジメジメしていた。日本さんは布団にもぐってピクリともしなかった。角だけ飛び出ているのがちょっとほほえましい。
「ひっのもっとさーん、あっさでっすよー。正確にはひっるすっぎでっすよー」
 無反応。となるとここは興味を持ってもらえるような話題を立て続けにぶっ飛ばしながら、日本さんの睡眠(または狸寝入り)を邪魔するのが最適のようだ。
「起きたら朝日を浴びる! 一日の始まりと言ったらこれっしょ!」
 テンションを一人あげつつ、雨戸を引き開けた。まぶしい南の光が差し込み、布団がちょっとだけ動く。
「はい、布団ボッシュート!」
 それから掛布団をはがす。不意をつけたようで、あっけなく布団を奪うことができた。寝巻の浴衣姿の日本さんは縮こまった様子で、必死にまぶたをつむっていた。反抗期の寝ぼすけ坊主みたいで、なんか和んじゃうね。
 ああ、そっか、今まで反抗しようにもできなかったんだもんなあ。
「日本さん、起きてるのはわかってるんだぜ? おとなしく目を開けるんだ!」
 立てこもった犯人を相手する刑事風の口調で説得するが、止まれと言って止まらないドロボウのように、日本さんも目を開けるのを拒んでいた。
「さもなければ――」
 両手の指関節を動かし、ウォーミングアップを始める。
「くすぐりの刑に処する!」
 アタシは無防備な日本さんに飛びついた。木綿の浴衣の上から腋や横腹を揉みくだした。
「ひゃ、あっ!」
 日本さんの躰は、さっきまで布団にくるまっていたからか、とてもあたたかかった。頬や腕、胸、お腹、腿、どこを撫でてもつまんでもやわらかい。こんな華奢な肢体で薙刀片手に舞い踊るんだから不思議だ。
「た、たなかさ、ぁ、んっ、や、やめ……ん」
「だがやめぬ!」
 暴れないよう両手首を掴み、空いた手でその白桃を弄りまわす。脚と脚とが絡み合う。日本さんの息が近い。寝起きのまなこがとろりととろける。薄紅色の頬、ぬれる唇、艶めく黒髪の芳潤。
「鬼子ォ! 田中ァ! オレも混ぜろおぉ!」
 そして釣れるのは、白い淫らな鳥だった。
『お引き取り願います』
 鬼子さんと一緒に奴を外に放り投げた。儀式中の人々が悲鳴を上げた。その瞬間、アタシと日本さんは、初めて心から交わり合うことができたのだった。
 いや、ただくすぐっただけですけど。
「田中さん、な、なにするんですか……!」
 息を荒げる――アタシも似たようなもんだけど――日本さんの機嫌はある程度治ったみたいだった。
「心配でさ、お見舞いのお品物がなかったから、代わりに」
「代わりに、じゃないですよ、もう……」
 呆れられつつも、満更ってわけでもないみたいだった。でもその深い瞳に陰りがあるのは変わらない。
「なんかさ、悩んでることあったらさ、今すぐにでも相談に乗るよ。今すぐに」
 あえて唐突に本題へ移る。そうしないと、面と向かって話せないような気がした。
 日本さんは何も答えなかった。こんなすぐに自分の心の内を語るような人じゃないのは重々承知している。
「今回の鬼は、強かったみたいだね。っていうか、卑怯者ども、みたいな?」
 敗北の記憶を引っ張り出すことに躊躇はあった。日本さんの反応は無言だった。
「今回は負けちゃったけどさ、みんなが無事でなによりだよ。また次にさ、リベンジ果たそうよ」
「田中さんは――」
 ここで日本さんの口が開いた。
「田中さんはまだ、私のこと、友達だって思ってくれてますか?」
 その問いかけに、アタシはちょっとだけ懐かしい気分に浸ることができた。
 「お友達に、なって下さいませんか?」と緊張をあらわにお願いされたあの日がずいぶん昔のことに思えた。まだ一ヶ月も経ってないっていうのに。
「アタシは、いつもと変わらないよ」
「戦いに負けてしまってもですか?」
「生きてさえいてくれれば、それでもいいよ」
「負けたら、駄目なんです!」
 私の言葉を遮るように、日本さんは声を張り上げた。
 圧倒されてしまったアタシはしばし日本さんを見てまばたきするほかなかった。
 努めて落ち着いた口調で続く。
「私は、強い鬼でいなくちゃいけないんです。絶対に負けない鬼でなくちゃいけなかったのに……」
 鬼子さんの言葉から、まるで大木の根っこみたいにしっかりとした信念が見て取れた。
 でも、鬼子さんは再び黙りこくってしまった。
 日本さんはまだアタシに話したいことがあるはずなんだ。
 聞いてみたいけども、でも本当に聞いてしまっていいものなのだろうか?
 聞いたらその瞬間、二人の関係は壊れてしまうんじゃないだろうか?
 そんなセリフを、いつか日本さんのほうから聞いたことがあった。
 そう。
 日本さんはアタシを、試している。
 アタシを友達だと思ってくれているから、アタシがどこまで近付けるのか試しているんだ。
 自分をさらけ出すことに、どれだけ勇気がいるんだろう。たぶん、友達を作ることなんかよりずっとずっと、桁違いの勇気を使うことだと思う。
 アタシにできるのは――、
「日本さんが話したいのなら、ちゃんと聞くよ」
 その小さな背中を支えてやることだ。
「……ありがとうございます」
 このあとで、何が起こるのかはわからない。アタシたちは、そういう綱の上を渡っているんだから。平穏なんてすぐに崩れ去ってしまうような世界で生きてるんだから。
「田中さんと出会えたのは、きっと何かの縁なんだと思うんです」 
 全てを受け入れよう。
「私が常に勝ち続けなければいけない理由を、鬼を祓う理由を、私の過去を、話しておきます」
 日本さんのお話を聞き終えたあとで、アタシは驚くかもしれない。
 あるいは、なんだそんなことか、と拍子抜けするかもしれない。
 でも、それを乗り越えて受け入れることが、支えるってことなんだ。
 そっと、息を吸う。
 やさしく息をはいた。
 日本さんの物語が、始まった。
「六年前のあの日が来るまで、私は人間だったんです」

   φ

「お母さん、もみじはなんで散っちゃうの?」
「そうね、あんなにきれいなんだもの、散っちゃうのはもったいないって思うわよね」
「うん」
「でもね、紅葉が散るのは、紅葉の神様がわたしたちのくるしいこと、かなしいことを散らしてくれるからなの。春になったらね、散らしきったもみじの木から、うれしいこと、たのしいこといっぱいの若葉が芽を出すのよ」


 六年前の秋のことだった。
 父は私が生まれて間もなく亡くなってしまったけれど、国境の山の恩恵と父の遺した畑のおかげで、母と共に貧しいながらも幸せな生活をしていくことができた。当時遊ぶことが大好きで、国境の山はお庭だった。友達と木登りしたり、虫取りをしたり、山頂まで駆け上がったりしていて、今では考えられないくらい、お転婆な小女時代だった。
 あの日は長く続いた秋晴れが終わり、冷たい風の吹く曇りの日だったのを覚えている。私は日課の薪拾いに出かけていて、冒険がてら山の頂まで登って一休みしているときだった。
 隣の国の山裾から恐ろしい姿をした鬼が向かってくるのが見えた。疾風みたいな速さで馳せるので、私は慌てて山から下り、母に知らせた。すると母は大きな釜を持って外井戸まで私を連れていった。
 お母さんがいい、と言うまで釜の中に入ってるのよ。
 もう母の声は思い出せない。でも、そんなことを言っていたのは記憶に残っている。
 私は怖かった。自分がお釜の中に入れるかどうかじゃなくて、この中に入ってしまったら、もう一生母と会えなくなるんじゃないかと感じたのだ。だから反抗した。あれが最初で最後の反抗だった。
 私は親不孝だ。最後の最後に哀しい顔をさせてしまったんだから。
 お母さんね、――には、たくさんの人を幸せにできる芽を持ってると思うの。みんなね。つらい、くるしい、かなしいって泣きたいこと、たくさん持ってるでしょう? でもちょっとしたきっかけで、私たちはみんなしあわせな気持ちになれて、笑顔になれるの。立派じゃなくていい。でも、――の芽が、みんなを笑顔にしてくれたら嬉しいな。
 もう、母の輪郭もおぼろげだし、母がつけてくれた大切な名前も忘れてしまった。
 でも、紅葉を見るたびに、この言葉だけははっきりと思い出すことができる。紅葉は母と私を繋げるものなのだ。
 私は母の言葉に胸をときめかした。あの時、鬼に食べられてしまっておしまいだと思っていた私にも未来があることを、未来に向かって歩いてもいいってことを、許してくれたみたいで、すごく嬉しかった。
 体を折りたたんでお釜に入ると、母は縄で縛って井戸に下ろしてくれた。身動きが取れなくて、痛くて、怖くて、一人きりで、探険するときの興奮はすぐに失せてしまって、だんだんと心細くなってきた。でも不思議と鬼への恐怖はなかった。母が守ってくれるから、と根拠のない自信で心は埋め尽くされていた。
 明日友達となにして遊ぼうか、そんなのんきなことを考えだした、その時だった。
 井戸の外から、稲妻のような地震のような大きな音がして、すぐに女性の叫び声が聞こえてきた。音は井戸の中で反響に反響を重ねる。
 それきり、だった。
 もう何の音も聞こえない。
 急に孤独を感じる。これ以上膝を抱えて待っていても、母は迎えに来ないのではないか。頼れる人はいなくなってしまったのではないだろうか。これからぬくもりに触れることはないのではないか。あのすまし汁は二度と食べられないのではないか……。
 お腹が減ると、余計に寂しさがこみ上げてくる。
 それからどれだけ「お母さん」と呼び続けただろう。我に戻ったのは、お釜がごとりと動き出したときだった。お母さんは鬼に殺されてなんかいない、生きてるんだ。何事もなく鬼が通り過ぎていって、引き上げてくれてるんだ。そう思った。でも、母の「もういいわよ」の声はどこからも聞こえてこない。それどころか人の気配が一向に感じられなかった。それなのに、お釜は上下に揺れ続けている。
 鬼に見つかったんだ。息を殺してさらっておいて、鬼のすみかで戦利品とばかりに私を食べようとしてるんだ。
 ただただお母さんお母さんと連呼して、助けて助けてと祈り続け、こわいこわいと頭を抱えたその瞬間、違和感を覚えた。
 頭に、何か固いものが二本生えていたのだ。しばらくいじると、それが角だってことがわかった。
 鬼と成っていた。
 どうしてそうなってしまったのか、今でもわからない。母への思いが鬼にさせたのか、お釜の中に入っていたから鬼になったのか……。
 今度は自分が怖くなり、外に出たくなった。これ以上釜の中にいたら、私は心まで鬼になってしまいそうな気がした。母の言いつけなんてどこかへ飛んでしまうくらい怖かったのだ。
 ふたを押し開け、生まれたばかりの仔馬のようにふらついて倒れこむ。そこはもう夜で、井戸の中ではなかった。河原の草原で、山と山に挟まれた渓谷だった。上流の空が煌々と赤く燃えていた。故郷は鬼に滅ぼされ、私はきっとその最期を見届けていたのだ。
 でも、周りに鬼の姿はなかった。私は鬼に連れられてここまで来たわけではないようなのだ。だとしたら、どうして見知らぬここまで来てしまったのだろう。そんなことを思ってお釜をみると、どういうわけかお釜に手と足が生えていて、ひょこひょこと飛び跳ねている。
 私の強い祈りを受けて神さまになったのか、例の鬼の邪気を受けて鬼になったのか、それとも神さまでも鬼でも人間でもない存在に変貌したのか……。とにかく鬼になってしまった私に心があるのは、お釜が私のことを守ってくれたからなのだろう。でも私は混乱していて、鬼や神さまの知識もなかったので、ただただ不思議だなあ、と思うばかりだった。
 きょとんとしている私を見て、お釜は意気込んで渓流に飛び込んだ。何をするつもりなのかわからなかったけど、川から上がったそれを見て、納得すると同時に仰天もした。お釜の中にはお腹の膨れた鮎がたくさん泳いでいたのだ。お釜に顔があったらしたり顔をしているようで、きっとほめられたかったんだと思う。
 山菜と朽ち木を取ってきて、ご飯を作った。ずいぶん久しぶりだった。塩気がなくておいいくなかったけど、お腹はいっぱいになれた。
 でも母の味を思い出して悲しくなって、その日は泣きながら草を枕に眠りについたのだ。
 こうして、私は鬼として日々を過ごすようになった。鬼を自覚したのは初めて村を訪れた時の人々の対応を見てからだ。
 鬼の子だ、鬼子だ。
 自分は忌み嫌われる存在なのだそうだ。冬が来て、食べるものが少なくなって、雪が降ってきて、寒くて、里へ降りざるを得なかったときは、そんな罵倒を受けながら、お祓い程度のお米と、塩と、大量の孤独感を持ち帰ったのだった。
 鬼子だ、鬼子が来たぞ。
 いつしか私は鬼子と呼ばれるようになった。一度も来たことのない村でもみんなが口を揃えて私の名前をさらしあげる。悪い噂ほど、早く世間に広まりやすい。噂の対象になって初めてその本意を理解できるなんて、なんだかとても皮肉なものだった。
 何度か訪れた村に再び足を踏み入れなければならないときがあった。吹雪いていて、空腹で最寄りの村もなかったから、無理を承知で食べ物を少し分けてくれるよう頼むためだ。
 でもその村は荒れ果ててしまっていて、見るも無残な光景が広がっていた。小屋は一様になぎ倒されており、がれきに押しつぶされた大人の周りに集って、涙を涸らしてもなお泣き続けている子どもの姿があった。
 堕ちた風の神さまの仕業だった。ある意味で、初めて鬼の被害をこうむった村を目撃したのだ。思わず踵を返し、走って逃げる。
 あの子たちはこの世の中で生き抜くことができるだろうか。そんなの、答えは決まっていた。だから余計に辛かった。
 鬼を倒せる力があったら。自分の無力感、同族嫌悪、そんな自己への嫌悪。
 私って、なんなんだろう。
 笑顔の葉っぱを芽吹かせてほしい。そう母は言ってたけど、私を見る人々はみんな、顔はこわばり、瞳孔は見開いている。
 私なんて、私なんて……!
 でも、それでも人を襲うことはしなかった。それをしたら、きっと最後に残された大切なものまで失ってしまうと思ったから。別にそんなもの、全てを私の中の鬼に委ねてしまえばすぐに楽になれるのに。自分勝手とか、わがままとか、そういうのじゃない。
 ――春になったらね、散らしきったもみじの木から、うれしいこと、たのしいこといっぱいの若葉が芽を出すのよ。
 世の中の色々から歯向かおうとしている自分がいると同時に、母が遺してくれた最後の希望を追いかけてみようとも思っていた。
 その一環だったのかもしれない。里山から村を覗いたときに、家々からもれるあたたかい明かりを見て、私はそれらの家族の幸せを祈り続けた。
   わらぶきの 下でなごやぐ 親と子の 喜び萌えよ 悲しみよ散れ
 私の力はとても及ばないけれども、どうか鬼に襲われることなく、私みたいに鬼になることもなく、幸せでいてください。
 感謝なんてされなくていい。日常を、日常のまま暮らしていってもらいたい。第二、第三の『鬼子』が現れないように。
 寒さが一層厳しくなってきても、お釜を連れて川を下り続けた。体力も精神も尽きようとしていた夕暮れに、神さまの集団にお会いした。私みたいにみすぼらしいお姿をしていたから、きっと信仰や感謝をほとんど受けなさらない神さま方なんだと思う。でも飢えてる様子はなく、ずいぶんと穏やかなお顔をしていた。
 おや、見慣れない顔だ。
 もしや、人間の噂に聞く鬼子と、なんだ、釜か。
 鬼のクセに邪気が感じられんな。
 感じられるのは、さしずめ空腹感ってとこだな。
 彼らは私をおちょくりはしたものの、貶すことはなさらなかった。いや、敬語なんて取り払ったもいいような気がする。この方々にはどこか親近感を感じさせる。
 腹ペコ鬼子さんに、オレたちのバイブル、中ラ連を紹介するぜ。
 「ばいぶる」も「ちゅうられん」も意味がさっぱりだったけど、この神さまたちみたいに陽気な気分にさせるものだったら、喜んで行きたいものだった。人間だったころみたいに、楽しみで満ち溢れていたとしたら。
 中ラ連ってのはな、中央ライス連合の略だ。ライスってのは西の最果ての国の言葉で……米だったか、飯だったか、とにかく腹いっぱい飯が食えるんだ。俺たちビンボーな神や鬼を憐れんだ大神サマの恩恵よ。ありがてえ。
 ご飯というものは、人間の思いが詰まっているから、鬼や神さまにとっても栄養満点らしい。ご奉納のお米やお酒も、そういう点では間違いではない。
 神さまや鬼たちが一列に並んで配給を待っている。
 なんでえこの長さは、異常じゃねえか、と神さまの一人がつぶやいた。それに、元々の気質だかどうだかは定かじゃないけど、行列をなす神鬼からぴりぴりとした空気が伝わる。神さまたちに連れられて中ラ連の厨房へ向かった。
 連合と聞いて大きな施設を想像したけど、実際は人力車に食材と調理器具を積んでいるだけの質素なものだった。
 いいから米を出せっつってんだ、さあ!
 アンタも鬼の自覚があるんなら、いい加減聞き分けな。道中釜が壊されちまったんだ。生米は食えないものが多いからそのまま出すのは不公平になっちまう。釜新調したらすぐ出直してやるから、今日のところは菜っ葉で辛抱してくれることを願う。
 短気な鬼と、中ラ連の料理人が口論をしていた。十数名の外野もああだこうだ声を張り上げていて、騒然としていた。
 あの、もしよろしければ、なんて言うまでもなかった。手と足のあるお釜が意気揚揚に(声こそ発さないものの)名乗りを上げたのだ。料理人と短気な鬼の間に立ち、自らふたを開け、銀色の中を指さす。
 アンタで米を炊け、と?
 お釜はこくこくと頷き、飛び跳ねた。料理人は確認するように私を見る。どうぞ使ってあげてください、と頭を下げた。あの日以来、お米らしいお米を炊いてあげてなかったから、お釜は早くしろと言わんばかりに、煤けたかまどの穴に飛び込んだ。
 久しぶりのご飯は甘くて、いい香りで、全身が溶けてなくなってしまいそうな感覚をもたらした。玄米に味噌と少しの菜っ葉という貧しい食事だったけど、本当に、涙が出てしまうくらいおいしかった。おいしかったなんて言葉にできないほどおいしかった。
 神さまや鬼たちが解散した後も、私はここに留まっていた。特に理由はない。あるとすれば、久しぶりに誰かの笑顔を見ることができた気持ちを噛みしめていたんだと思う。
 アンタ、色々大変なんだってな。
 料理人の彼は川で調理器具を洗いながらつぶやいた。
 辛いときは、俺の米を食え。飯がありゃ幸せさ。うまそうに食ってくれりゃあ俺も幸せになる。
 お釜は自分で自分の手入れをする。意外と綺麗好きみたいで、丁寧に汚れを洗い落としていた。
 熱心に包丁を磨く背中を見て、私は決心した。
 もしよかったら、あのお釜あげます、
 料理人の手が止まる。
 私からお釜をなくしたら、たぶん生きていくことはできないだろう。
 でも、それでいい。自分じゃ何もできないけれど、私の何かを誰かに託すことはできる。私じゃ力足らずだから、力のある誰かに私の思いを渡せばそれでいいんだと、そう思った。
 アンタ、こんな噂を知ってるか?
 手は止まったまま、でも振り向かずに尋ねられる。
 この川を下りきった河口の村の噂さ。その村を治める白狐が、まるで人間みてえな小鬼をかくまってるって話だ。
 今度は私が停止する番だった。
 私と同じ境遇の人間がいるの? にわかに信じられない事態だった。会ってみたかった。会って、共有できるものは共有したかった。私の心から生きることへの諦めの念は消えてなくなっていた。
 諦めてしまうことをとどめさせてくれたんだ。私の思惑を見破っていたんだ。そんな予感が頭をよぎると、たちまち目の前の背中がたくましく思えてきた。
 礼を言われる義理はねえ。俺たちに何の違いもねえんだよ。アンタは兄弟なんだからな。
 彼はそう言ったきり沈黙を続けた。
 別れ際、お釜に名前を付けた。中ラ連の彼の助言もあって、かまどで炊かれるのが大好きな鬼という意味を込めて、かまど炊鬼(かまどたき)と名付けた。ちょっとおかしな名前だけど、手足の生えたお釜はとても気に入ってくれたみたいだった。
 旅が始まる。一人で見知らぬ土地を歩いたことなんてなかった。海までの道のりは長かった。いくつもの村と町と国を越えた。何度石を投げられたかわからないし、いくつひどい言葉を塗りつけられたかわからない。目が合っただけで幾人に逃げられたのか。どれくらい挫けかけたことだろう。でも料理人が配給してくれた煎り米をつまむたび、前へ前へ進もうという気になるのだった。
 川は少しずつ広くなっていく。雪は徐々に解けていく。風に流されてきた潮を香りに気付くときには、もう桜が満開になっていた。春だ。
 河口の村は、今まで見てきたどの町や国よりも立派な塀が築かれていた。鬼の侵入を防ぐもので、隙間はどこにもない。道の先に大きな門が待ち構えていて、その前に白い髪の老人が立っていた。
 お主が来るのを待っておった。
 遥か昔から到来を予測していたかのような口ぶりだった。お主にしか出来ぬお守を頼みたいのじゃ。
そう言って重々しい門の中へ私を引き連れた。されるがままに動くしかなかった。こんなごくごく普通に接せられるのは鬼になって初めてだった。
 だからこの老人を疑った。狡猾な企みは私は騙されるんだと。でも抵抗はしない。すべてを受け入れる。
 人一人いない整備の行き届いた街道を歩き、村はずれの神社に到着する。
 おじいちゃん、大丈夫でしたか?
 ぱたぱたと箒を持った巫女姿の女の子が――薄黄色の髪から獣の耳を生やした子が――駆け寄ってくる。
 大丈夫じゃ。それよりシロや、旅人さんをあの子のところまで案内してやりなさい。
 老人がそう言うと、シロと呼ばれた巫女はびくりと体を震わせ、私を見た。その眼に緊張の情は混じっていたけれど、恐怖の情はちっとも感じられなかった。
 シ、シロです。はにかみながら少女は会釈した。あなたの名前はなんですか?
 私は――言いかけて気付く。私の名前はなんなのだろう。
 もうそんなもの、忘れてしまったような気がする。とても、とても大切なものだったけど、幼いころ大切にしていた木彫り人形みたいに、知らず知らずのうちにどこか暗い所へしまいこんでしまっていた。
 不思議とむなしさはなかった。
 ああ、えと、そ、そういうことってありますよね。わたしもど忘れしちゃうことありますよ。ほら、昨日の夕ご飯何食べたっけとか、部屋片付けなさいっておじいちゃんに言われたこととか。よくありますよ、ね?
 だから、何としてでも私を肯定しようとする小女の言動が、なんだかおかしかった。肯定しているように見えて、的外れなことを言ってるのもなんだかくすりとくる。
 大きな社の脇にある小屋に入る。中は広い板張りの稽古場になっていて、指先が痛くなるくらい冷たかった。ひたひたと中を渡る。
 裏庭から元気な鞠つき遊びの声が聞こえる。あんたがたどこさ、肥後さ、肥後どこさ、熊本さ、熊本どこさ、せんばさ……。
 私とはもう縁のない世界からの歌声に聞こえた。そんな日々がつい半年前まであったことがまるで夢みたいに感じる。
 裏庭の童女は鞠をつくたびに頭の両側でゆわえた短い髪束が揺れた。背を向いていて、黄色い帯は身長の半分はあろう蝶結びで締められていた。
 あの子、あなたと同じ鬼に成った子なんですよ。
 えっ。
 思わず声が漏れ出ていた。
 だって、だってあの子は……。
 こにちゃん、おいで、紹介したい人がいるの。
 待ってください、私はまだ、心の準備が……そんなこと、言えるわけがない。緊張してたんだから。
 童女は振り返る。
 まるで相縁に魅かれあうように目と目が合う。

「ねねさま!」

 頬をさくら色に染め、屈託のない無邪気な笑顔を満開にさせた。
 私の記憶に、鮮やかな色が宿ったのは、このときだった。
 裏庭の桜は、華々しく咲き誇っている。


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