ほえぶる!

ファンタジーやら現代もののエンタメ小説やら紀行文やら書いてます。自転車にも乗る。「文藝サークル~綴~」の中の人、「おにこくらぶ」の中の人、「ドジョウ街道宿場町」の中の人です。

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「あー! こにぽん、私のプリン食べたでしょ!」
 般にゃーの座学を受けていると、隣の部屋で鬼子の悲鳴が聞こえた。
「たーべてないよー!」
「ほっぺに付いてるカラメルはなんですかっ?」
 いつもこの調子だから、もう慣れたもんだ。
 でも、鬼子は変わった。
 鬼手枡を祓い、大量の団子をお土産に持って帰ったあの日から、鬼子は明るくなった。本来のおしとやかさを残しつつ、田中の明るさを写し取ったような、そんな感じだ。
「わんこ、聞いてるの?」
 般にゃーの一言で現実に引き戻された。
「ふふ、鬼子のことでいっぱいなのね」
「ち、違う!」
 まるで想い人のように言うもんだからつい反抗してしまった。般にゃーはしめたとばかりに勝ち誇った笑みを浮かべる。
「いいわ、今日の講義はこれで終わり。甘えてらっしゃい」
「あま……す、するかそんなもん!」
 なんで甘えなくちゃいけないんだ。確かに鬼子たちの部屋に行こうとしてはいるが、これは鬼子と小日本の仲裁に入るためであって、決して甘えるためではない。
 最近、鬼子は田中の住む世界に行ってばかりいる。俺たちといる時間より田中といる時間の方が多いような気もする。
「もう、あのプリン、せっかく田中さんがくれたのに……」
 まあまあ、喧嘩はよせよ。よし、襖を開けたら、穏やかにそう言おう。そんなことを思って、引き手に指をかけ、引いたそのときだった。
「ねねさまなんて、きらい!」
 俺の脇を小日本がくぐり抜け、部屋を横切る。
「お、おい小日本! どこ行くんだよ!」
 土間に下りた小日本が応じるわけもなく、外へ飛び出してしまった。
 あいつがこんなことで家を飛び出すなんて初めてだ。というか、何に腹を立てて出てっちまったんだ。怒られたからなのか? それとも、そういう年頃なのか?
「早く追いかけねえと」
 ともかく、このまま紅葉林を抜けられたら危ない。いたずら好きな神がそこらかしこで待ち受けてるんだから。
「わんこ、様子見てきてくれる?」
「おう! 任せとけ!」
 意気込んで身だしなみを整える。待ってろ小日本、必ずお前を連れだしてやるからな。
「……って、鬼子は追いかけねえのかよ!」
 思わず場の空気に流されそうになった。なんで第三者の俺が行かなくちゃいけないんだよ。
「私は……」
 鬼子が口ごもる。そうなったら、もう言わなくても分かった。
「心の鬼祓いか。向こうの世界で」
 しばしの沈黙ののち、鬼子は頷いた。
 思わずため息が出る。小日本が逃げ出した理由が分かったからだ。
「祓うのは別に構わねえけどさ、小日本のことも、ちゃんと構ってやれよ。あいつには鬼子しかいないんだから」
 小日本を包み込んでくれる存在は鬼子だが、鬼子を包み込んでくれる存在はどこにもいない。今まで一人であがき続けてきたんだから、今の小日本の気持ちだって分かるだろ。
「……はい」
 鬼子を説教するなんて不思議な感覚だ。でも最近の鬼子は、変なところで抜けてしまっている。目覚ましには丁度いいだろう
「小日本は俺が連れてかえしてやるから、鬼子はそのときの言葉を考えとけよ」
 そう言って、俺は玄関を出た。

   φ

 天候、晴れ。風向き、北西からの微風あり。現在鬼子さん、こにさんは朝食の後片付けを、わんこと般にゃーは鬼に関する講義中との情報。朝ごはん前に洗われた洗濯物はまだ生乾きの状態にある。
 パンツ狩りにはこれ以上ないほど恵まれている機会だ。
 物干し竿に掛かった鬼子さんのパンツを目の前にし、触れる前にまず鼻を近付ける。人間はなんと素晴らしいものを発明したのだろう。神さまだって偶像を崇拝したくなることくらいある。洗いたてではあるが、かすかに鬼子さんが残っている。鬼子さんが穿いていたんだ。鬼子さんの一部を形成していたんだ。純白に輝く真珠の温もりに触れる。繋がる。今、ぼくと鬼子さんは繋がっているといっても過言じゃない。なぜなら、パンツは体の一部なんだから。それからおもむろにそれを頭にかぶせる。窮極的な合体だ。鬼子さんがぼくの頭を締めつけている。絶頂だ。僕は絶頂に達しようとしていた。
「ねねさまなんて、きらい!」
 カタルシスの寸前、小屋からの悲鳴じみた大声に、全ては現実に帰した。
 気付かれたか? いや――まて、焦るな。鬼子さんの姿も、わんこの姿もない。つまり半殺しにされる危険もないってことだ。
 小屋からこにさんが飛び出てきた。僕のことは目もくれず、林の方へ走ってるのが見えた。
 最近、山に住む神さまや鬼たちたちのいたずらの度が過ぎているような気がしてならない。こにさんが襲われたら大変だ。経験的に危機を感じた僕は、こにさんを追いかけた。
「どこへ行くんだい?」
 紅葉の支配する領域でこにさんに追い付いた。楓と楓の狭間から神々の巣窟である原生林が見え隠れしている。
 びくりと体を緊張させたこにさんは、ほんの少しだけ足を止めるけど、すぐに逃げ出そうとする。とっさに彼女の細い手首を掴んだ。
 これで、わんこに言い訳ができなくなるな、なんてことを片隅で思うも、すぐにその思いは爆ぜ失せた。
 こにさんが泣いている。目も頬も真っ赤にさせ、大粒の涙を垂れ流しにし、呼吸ができないほどしゃくりあげている。
「ヤイカちゃんは……」
 じっくり七秒かけて、僕の名を紡ぐ。
「こにのこと、連れてかえそうとしてるの?」
 なぜそんなことを訊かれるのか、詳しい事情は知らないけど、ある程度推察するくらいはできる。
「家出、するつもりなのかい?」
 こにさんがぼくのようすを窺いながら、ゆっくりと頷いた。そこからは嘆願の視線を感じられる。
 こにさんの成長を応援したいぼくとしては、家出はさせてあげたいところだった。というか、こにさんの好きにさせてあげたかった。
「向こうは、危ないところなんだよ?」
 でも、リスクを考慮するとそれは難しい。ぼくが付いていけば多少の鬼払いにはなるだろうけど、それだって高が知れている。
 それでもこにさんは大きく頷くだけで、頑なな意志を曲げようとはしなかった。
「それでも、行くのかい?」
 頷く。しゃくりを耳にして、ぼくは困り果てた。鬼子さん譲りの頑固さで、こうなると絶対に譲ろうとはしない。
「話は聞かせてもらったぞ、お二人さんよぉ」
 その声は――顔を上げる。
 紅葉の枝の上に、ヒワイドリ君が立っていた。よかった、ヒワイドリ君がいれば大丈夫だ、なんて根拠のない確信を抱く自分がいる。
 とう、と声を出して枯葉の地面に着地すると、白い羽をぴしりとこにさんに指した。
「嬢ちゃん、家出がしてえんだってな」
「うん……」
 こにさんの涙も、少しずつ引いてきている。ヒワイドリはいたずらするときの笑みを浮かべた。
「オレたちだけが知ってる秘密基地、教えてやろうか?」
 ヒワイドリ君がぼくに目配せする。オレたち『だけ』という秘匿感。秘密基地、という童心を震わせる響き。教えてやろうか、という隠密さは冒険の予感をにおわせる。そして同時に、安全性もないがしろにしない心配り。
 こにさんは一瞬にして泣きやみ、涙で輝いた瞳から熱い視線をぼくの友人に向けた。
「うん、こに知りたい!」
 あんなぐしゅぐしゅだったこにさんを笑顔にさせるヒワイドリ君の天性に、ぼくは脱帽する。
 こりゃ、あとで乳の話を語ってあげないといけないね。


 基地までの道のりは、信じられないほど穏やかなものだった。鬼はおろか、神さまも、獣も姿を現さなかった。遠くの方で狼の雄叫びが聞こえたけど、ぼくらを襲うことはなかった。意気地のない狼もいたもんだ。
 ぼくらの秘密基地に辿り着いた。崖をくりぬいて作った洞窟がそれだ。苔生した巌で洞窟を塞いでいる。ぼくとヒワイドリ君と、この地で知り合った三人の心の鬼とで作った語り場だ。こにさんにはまだ早い場所だけど、荒ぶる神がうろついている今日この頃、秘密基地はここ一体で二番目に安全な場所だといえる。
「オレだ、入れさせろ」
 ヒワイドリ君が乱暴に巌を叩く。
「これはこれはヒワイドリ卿、合言葉を言いたまえ」
 洞窟から反響する声が聞こえる。
「分かってんなら言う必要ねえだろうがよ」
「何を言うか。君をヒワイドリ卿に酷似した化物と見なしても良いのだぞ」
「あーはいはい、わあったよ。『父上、桃色のパンツ』」
 ぶっきらぼうに答える。ぼくもヒワイドリ君の気持ちはよく分かる。わざわざよわっちいぼくたちの秘密基地を荒らそうなどと思う鬼や神さまなんて、どこを探したっていやしないんだから。
 無駄に壮大な音を立てて、大岩が動く。そもそもこの巌だって必要あるのかも疑わしい。地鳴りじみた起動音で妖怪がやってきたらどうするんだって思う。
「ようこそ、我が秘密基地へ」
 我がっていうか、我らが秘密基地でしょ、と心の片隅で呟く。洞窟の入口でこげ茶色の大鳥が出迎えてくれた。ヒワイドリ君より一回り大きくて、その声はハイカラって言葉が似合う紳士の声だった。
 彼はぼくとヒワイドリ君を交互に見て、それから間に挟まれたこにさんを凝視する。
「そちらの小さな淑女はどちら様かね?」
「おお、紹介するぜ。オメエら、新しい仲間だ」
 ヒワイドリ君の一声で、洞窟の奥から心の鬼が二匹現れる。一匹は若葉色の小さな鳥で、ハイカラな茶色い大鳥の半分程の体長しかない。もう一方は抹茶色のカエルで、ぼくと同じくらいの背丈を持っている。
「小日本ですっ! こにって呼んでね!」
 自分を紹介したくてたまらなかったのか、こにさんはぴょこんと浴衣を揺らしてお辞儀した。礼儀正しいというか、ぼくらにとってのご褒美というか。しかし初めて会った心の鬼にも臆しないこにさんは、見た目以上に肝っ玉が据わってるのかもしれない。
「ほう、なかなかよい名であるな。私はチチメンチョウだ」
「よろしくね、メンちゃん!」
 思わず失笑してしまった。上品で教養があって礼儀正しい男チチメンチョウさんが「ちゃん」呼ばわりされるだなんて、誰が想像しただろうか。
 チチメンさんはわざとらしく咳払いをする。
「こに君、君の成長には期待しているよ。その胸に大志を抱いて精進したまえ」
 チチメンチョウさんは、一見穏やかな様子を醸し出しているけど、身ぐるみを剥がすとそこには巨乳原理主義者の面相を見せる。今のだって、胸の成長を遠まわしに祈願しているんだ。
「先生! それは間違ってます!」
 小さな鳥が待ったをかけた。身なりは小さいものの、声は澄んでてはつらつとしていた。
「小日本さんはそのまま成長してくれればそれでいい! その胸だって、この手に収まるくらいで充分だ! わざわざ大きくなる必要なんてない!」
「チチドリ君、淑女を前に騒ぐとは品がないとは思わんかね?」
「あ、すみません、先生」
 チチドリ君は無乳貧乳の大人が大好きな心の鬼だ。極論ばかり言うのはちょっと困るけど、チチメンチョウさんを先生を慕っているからか、とても礼儀正しくて優しい。
 巨乳派のチチメンさんと貧乳派のチチドリ君、それから両乳派のヒワイドリ君は、乳を愛し、敬い、語り尽くす三鳥だ。ぼくから言わせてみれば、巨乳も貧乳も変わらないと思うんだけど、三人にとっては大きな違いがあるらしかった。
「チチドリちゃん、こに、おっきくなったらいけないの?」
 こにさんが疑問を投げかける。
「なに、気になさらずとも結構」
 その返答は、チチドリさんよりチチメンチョウさんのほうが早かった。
「こに君の胸は大きくならねばならぬ理由があるのだ。幼女の胸は皆平たい。それはその小さな胸に明日への希望という名の種が植わっているからなのだよ」
「小さい子の胸が小さいのは当然です、先生」
「なんだね、その無粋な言い方は」
「無粋も何も、僕はただ真実を述べたまでです。真実ほど美しいものはありません」
「真実だけで未来は語れまい。こに君の将来もまた然り」
 特にこの師弟は暇があれば乳についての熱い議論を交わしている。ぼくらと出会う前からこの習慣は続いているらしい。
 二人には呆れるときもあれば、関心することもある。今みたいに、こにさんに構わず論を展開しちゃうのは呆れるけど、一方でチチメンさんの知識の層には感服する。自他共に紳士と認める理由の一つだ。もちろんもう一つの理由は変態だからだけど。そんなチチメンさんに喰いつくチチドリ君の姿勢もまた敬意を表したかったりする。
「オマエが小日本か」
 討議に置いてけぼりになったこにさんのもとに、抹茶色の蛙が寄り添ってきた。
「うん、カエルさんの名前は?」
 こにさんは首を傾げて尋ねる。
「……ふむ」
 吟味するようにこにさんのある一点、浴衣から覗かせる細い腿に視線を注がせている。
「いい、太ももだな」
「ひゃぅっ」
 まずい、と思ったときにはもう遅かった。カエル――正式名称モモサワガエル――がこにさんのやわい太ももに手を差し伸べてしまった。
「なにしてんだモモサワァ!」
 三つ鳥の蹴りがモモサワ君に直撃し、彼は洞窟の奥にまで吹き飛んだ。
「テメェ、オレたちの条例を忘れたとは言わせねえぞ」
「幼女に抱くは誠意のみ。性意を抱くはこれすなわち罪悪なり」
「モモサワは直接的なんだ! 間接的な魅力を分かってない!」
 みんな紳士を自称することだけはあった。そんな三者からモモサワ君はいつも散々に叩かれる。
「こに君、心に怪我はないかね?」
 紳士的に振る舞うチチメンさんがこにさんの前でひざまずいた。
「こには平気だよ。でも、カエルさんがかわいそう」
「……天使だ」
 モモサワ君がわざとらしくよよと崩れ、泣きだした。
 こにさんの、自分のことよりもまず他人の心配をする姿が、鬼子さんのそれと重なる。
「その慈悲、よもや、こに君はかの鬼子嬢と面識があるのかね?」
 それは初対面のチチメンさんも感じたのだろう。というか、ぼくとヒワイドリ君がこにさんを連れてきたところで勘付いてたと思う。
「ねねさまはねねさまだよ!」
「鬼子はこにの目標にしてる人だもんな!」
 ヒワイドリ君は、きっと無意識に、いや誇りを持ってそう言ったに違いない。
「それはいけない。鬼子さんの胸は大きすぎるんだ!」
 でも、今のこにさんにとって、それはあまりにも重すぎる一言だったんじゃないかと思う。
「チチドリくん、いい加減犯罪者予備軍みたいな戯言はよしたまえ」
 こにさんの顔が曇りだす。
「は、はい、先生、気を付けます……」
 こにさんの変化に気付いたのは、ぼくだけだった。
「こには、こには……」
 幼い声が震え、小さな肩が震えだす。そして、こにさんは泣きだした。ふええ、ふええと、混沌とした泣き声だった。
「ねねさまぁ、ねねさまぁ」
 鬼子さんが恋しくなったのだろう。こにさんが完全に一人立ちするにはまだまだ時間がかかるようだった。
 家出は自立の一手段ではあるだろうし、こにさんも無意識的にそれを知っててやったんだと思う。きっと一人でやっていけると、家を出る直前までは確信していたに違いない。でも、まだまだこにさんは甘えたがりの年頃なのであった。

   φ

 正直、ヤイカガシの力を甘く見ていた。奴の鬼を追い払う悪臭に、ほとんど邪気の宿していない弱い鬼たちが逃げ出し、憂さ晴らしにと俺へちょっかいを出してくるんだ。羽虫みたいなものなので、素手で追い払ってしまえばそれでいいんだが、なにしろ量が量だ。俺の尻尾に群がる童部のように追い払っても追い払っても新手がやってくる。その姿を見た神に笑い飛ばされる。屈辱だ。
「わんこのしっぽをもーふもふ、わんこのしっぽをもーふもふ」
 いまだ尻尾にまとわりついて離れない小鬼たちが変な節をつけた唄をうたっていた。こうして俺をいらつかせ、その感情を養分に生きながらえる。まったく惨めな姿ではあるが、元々は木か、苔か、蔦を見守る神だったのだろう。木一本一本、葉一枚一枚に神は宿っているくらいだから正確な神の判別はできない。最近鬼が増えてきたという噂は聞いていたが、まさかここまで増えてきているとは。
 ヤイカガシの臭いを追ってここまで来たが、鬼と戯れる間にすっかりあやふやになってしまった。巌の突き出た崖の下ですっかり行方を失ってしまう。この辺りでぱったりと気配がなくなっている。転落でもしたのかと焦心して周囲を見渡すが、ここは比較的平坦で足を滑らせる場所もなかった。
 なら、小日本はどこへ行った?
「にげろ、にげろ、たべられちゃうぞ、かくれろかくれろたべられちゃうぞ」
 尻尾についていた鬼たちが蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。俺だけが場に残ってしまった。
「堕つべし、いざや堕つべし……」
 泥の上を歩くような、粘り気のある足音を聞いて、反射的に汗が滲み出てきた。背中から感じる強烈な怨念で、金縛りにあったように足が硬直する。
 ――臆するな、俺!
 鳴き声も足音も怨念もどうした。そんなもの、単なる誤魔化しでしかない。
 と思って振り返ったところで、前言を撤回したい。目の前には、青緑色のざらついた肌をした神さまがいた。樹齢二百年を優に超すスダジイの守神の圧倒的な存在感に言葉を失う。葉は全て抜け落ち、太い幹から大枝を伸ばしており、たくましい根を四方八方に広げている。幹のうねりがどこか口と目を思わせる。俺さえもこの御老樹の神さまを見て畏れおののくんだから、人間が見たらどう思うのだろう。
「神でありとも、得るもの有らず。鬼にしあれば、得るものこそ有れ」
 しかし、その言葉はまるで神々しさのかけらもない。
 小賢しい小鬼どもと同類であることは容易に分かった。
「主、日本家の供人狛と見受く」
 深い彫りから覗かせる瞳孔に射抜かれまいと、俺も奴を――神さまをやめた輩に敬語を使う必要もない――睨み返した。
「わしと共に邪念を吸うものとして生きよ」
「断る。なんで神さまが鬼にならなくちゃいけねえんだよ」
 不穏な空気が強くなる。
 もしも――小日本の行方がぱったりなくなってしまった理由がこいつのせいだったら……。
 いや、殺されたとか喰われたとか穢されたとか、そういう負の感情は抑えなければならない。短気な俺がどれほど自制できるか知らないが。
「尊びの言葉を知らぬ狗神よ。日本鬼子に仕える主が何故理解を示さざるか」
「鬼子は鬼子、俺は俺だ」
 鬼子が神さまに憧れを抱いたことは一度たりともない。どんなに人間から貶められようと、鬼の姿を悔やんで負け言をこぼしたりはしなかった。だから俺も、信念を曲げずにここまで来られたんだ。
「さならば、大御神は何故日本鬼子に鬼祓いを任せたもうたのか」
「鬼子は鬼だが、人間の心を持った鬼だからだ!」
「否、否なり」
「なにが違うんだよ! 鬼子は鬼子だ!」
 鬼子は特別な鬼だ。他の鬼と同じ捉え方をされると耐えられなかった。ただ欲望のままに活動する鬼なんかと同一視されてたまるもんか。
「鬼祓いを任せたもうたのは、神より鬼が圧倒的に強きことが故なり。今の世は嬉しみ、喜び以上に、悲しみ、苦しみのほうが遥かに多し」
「嘘だ。分かりきった嘘を」
 人々は神さまに感謝する。豊作のとき、人と結ばれたとき、新たな命が芽生えるとき……道端で銭を見つけたときだって感謝する。でもそれは一方で、不作のとき、縁が断たれるとき、命が奪われるとき、銭を失くすとき……そういった鬼のもたらす災いへの恐怖の裏返しでもある。つまるところ、人間が神さまを崇めれば崇めるほど鬼も力を付けていく。でもそれは均衡の取れた力だ。神さまの力が一ならば鬼も一。神さまが百なら鬼も百。そうやって八千代の時を過ごしてきたのだ。
「確かに、この世のみであらばわしらの常識は罷り通ろう」
 憎しみに染まった老樹の鬼が空気を揺るがした。
「しかれども、重要なのはむしろ異なりの世の民なり。若き神よ、承知しておるか、世は二つの世に分かれておると」
 異なりの世なんて言葉は初めて聞いたが、あらかた予想が付く。田中匠のいる世界。人間が神さまを信じなくなった世界だ。
 でもそっちの世界とこっちの世界に、何の関係があるんだよ。
「神も鬼も、養いはこの世の民の情念よりも、異なりの世に住まう民の情念に傾いでおる。喜ぶべきことを当然のものと見なされ、責任のみが課され、苦しみもがき続ける。即ち、苦しみの裏は苦しみなり。左様なる人間どもの住む世に神鬼は根を伸ばし、念を吸う。神を信じぬ、嬉しみを忘れた民に、神が養いを得ることが出来ようか」
 根を伸ばす? 念を吸う?
 俺たちは、田中のいる世界の人間から力を蓄えていた?
 なら鬼子が最近田中の世界に通いつめてるのは、ただ田中と一緒にいたいからではなくて、向こうの世界の人々を苦しみから解放させるためなのか? 喜びをもたらして、神さまの力を増やそうってのか?
 分からん。わけが分からん。頭が追い付かない。
「しかし、主は全てを理解する必要などなし。鬼は神に勝る。さのみ心に刻め。堕つべし、いざや堕つべし」
「堕ちてたまるか!」
 こんなとき、鬼子がいたら。
 きっと、大御神さまの力を得た薙刀「鬼斬」を使うまでもなく、邪念を取り祓うに違いない。なにせ、奴はまだ鬼に堕ちて間もない、鬼の中では最弱の鬼なのだから。
 でも、今の俺にはその対処すらできない。所詮、俺には知恵というものが足りないのだ。
 自分の無力さに打ちひしがれると、常に故郷のことを思い出す。
 いつもつるんでた風太郎の影響を受けていればよかった。あいつは鬼の名や性質をこと細やかに記憶していた。汚らわしい存在に向かい合うあいつのことをよく思わない神さまもいたのに、それでも風太郎は自分の道を極め続けていた。
 あいつ内気だったから馬鹿にしていたが、今思えばその知識の一割でもかっさらいたいくらいだった。そうすれば相手の泣きどころを見つけ出して、鬼化の進行を食い止められるかもしれないのに。
 今の俺にできることはなんだ?
 戦うこと。それだけだった。
 小日本の泣き声が聞こえていたことにすら気付かず、拳一つで老樹の鬼に立ち向かっていった。


 小日本が泣いている。遠のいた意識の中で、ようやく自制を掛けられなかった自分に気が付いた。
「いい? 鬼と向かうとき、一番大事なのは感情よ」
 心に住まう般にゃーが教えてくれる。
「本当は、薙刀なんて振るいたくないんです。そんなことしたって、怖がられるだけですから」
 遠い昔、鬼子が口にした言葉が頭の中を漂った。
「だめ! みんななかよくするの!」
 いつも通りの小日本が俺を戒めてくれた。
 なんで、言われたことを言われた通りにできないんだろう。みんな言ってたじゃないか。戦うのは最善の手ではないと。
 まだ小日本の泣き声が聞こえる。
 俺、鬼子たちの足手まといじゃねえか。
 無謀な戦いに挑んで、迷惑掛けるだけだ。スダジイの老樹の神さまと喧嘩したところで勝てる見込みなんてないことくらい明らかだろうに。そんなことすら考えつかない視野の狭さを恨みたい。
 俺には、鬼子の支えになる素質なんて、ねえんじゃないのか……?
 小日本が泣いている。いい加減泣きやんでくれ。眠るに眠れないじゃないか。俺は不貞寝がしたいんだよ。
「わんわん、起きて、起きてよう……」
 小日本は決して笑おうとはしなかった。ぐずついた表情のまま立ちすくんでいる。
 小日本の笑顔を見て眠りたい。いっそ惨めな俺を笑い飛ばしてくれでもしたら、すとんと落ちることができるのに。
 待て。
 心を落ち着かせる。
 起きて?
 俺は起きてるはずだ。
「わんわん、わんわん……」
 悲しい呼び声に、俺は意識を取り戻していた。
「わんわん!」
 眩しさに目の奥のほうが痛む。最初に映ったのは、大粒の涙を浮かべながらも、満面の笑みを咲かせる小日本だった。無言で胴着に抱きついてきて、涙と鼻水と唾液をぐしゅぐしゅと擦りつける。
 そうされてやっと自分がシダの上に横たわっていることに気が付いた。
「しんじゃったかと思ったんだからぁ……すっごい、すっごいしんぱいしたんだからぁ……!」
 幼い声が紅花染めの衣を震わせる。
「心配したのはこっちのほうだ。ったく、勝手に家飛び出しやがって」
「ごめんなさい、ごめんなさあい!」
 あぐあぐと大声でむせび、衣の湿った感触が肌にまで達した。湿り気と共に、小日本の小さな温もりも感じる。なだめるために、そっと小さな頭に手を載せた。やわらかい。
 生きている。
 ここは、夢じゃないんだ。
 現実味を帯びていくにつれ、気を失った瞬間と夢との境界があやふやになってきた。老樹の鬼と会ったこと、奴の言ったこと……。
「鬼は……鬼はどこだ?」
 あわよくば、全てが夢であってほしい。
「ヒワちゃんとヤイカちゃんが、たおしちゃったよ」
 洞窟のほうを指さす。洞穴の横に大岩が据わっている。ヒワイドリとヤイカガシ、変態語り仲間の三匹もいる。この洞窟はいわゆる五変態の魔窟で、大岩はさしずめ混沌の鍋蓋といったところか。小日本と関わらせたくはなかったが、今は俺たち二人の空間に立ち入ろうとはしていなかった。
「そっか……」
 なら、小日本の身は安全だろう。五変態の脅威は捨てきれないが、少なくとも堕ちた鬼に襲われる心配はない。ヒワイドリもヤイカガシも、小日本に仇なす輩は本気で潰すだろうし、何より俺よりずっと強い。
 つまりスダジイの鬼は存在した。
 ――神も鬼も、養いはこの世の民の情念よりも、異なりの世に住まう民の情念に傾いでおる。
 ――鬼は神に勝る。さのみ心に刻め。
 奴の言葉も、ちゃんとあったのだ。
「わんわん」
 自我を保っていられるのは、小日本がそこにいるからだ。涙の跡が目じりから頬を伝い、顎にまで伸びていた。涙を枯らすまで泣いてくれたんだ。幼い顔をしているくせに、愁いを含む複雑な表情は信じられないほど大人びていた。
 しばらく世界が止まっていてくれ、と月讀さまに願い奉ろうとさえ考えた。
「ねねさま、こにのこと、キライになっちゃったのかなあ」
 でも、やっぱり小日本は小日本だった。鬼子と同じ宿命を背負いながらも幸せな日々を過ごしている。鬼子のことが大好きで、まるで本当の姉貴のように慕っている。わがままで、世間知らずで、でも核心を突いたことをたまに口にする。
 そんな小日本らしい疑問だった。
「鬼子はお前のこと、いつだって好きだよ。今までだってそうだし、これからもな」
「ほんとに?」
「ったりめえだ。俺たちの鬼子だぞ?」
 ただ、俺たちの「たち」が一人増えただけだ。
 それだけなんだ。
「そうだ、今度鬼子と一緒にシロんち行こうぜ」
「シロちゃんち?」
「おう。俺も白狐爺に鍛えてもらいてえし」
「ケンカはだめだよ」
 喧嘩、ねえ。
「そうだな、喧嘩は駄目だな」
 つい今朝までの俺なら、喧嘩じゃねえよ、と自分を通そうとしただろう。でも、もうそんなことを言える立場じゃない。
「喧嘩にならない極意を学びに行く、これならどうだ?」
「うん! いこういこう!」
 小日本が笑った。
 今日初めて見る笑顔だった。
 こいつは、なんとしてでも鬼子を説き伏せねえといけないな……なんてことを思って、俺は身を起こした。


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