ほえぶる!

ファンタジーやら現代もののエンタメ小説やら紀行文やら書いてます。自転車にも乗る。「文藝サークル~綴~」の中の人、「おにこくらぶ」の中の人、「ドジョウ街道宿場町」の中の人です。

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「なかなか面白い子を見つけたじゃない、鬼子」
 老いた楓の大樹の上から聞き覚えのある声がした。
「は、般にゃーさん! いらしてたんなら言ってください」
 般にゃー。
 ここ一体を統べる白い猫又だ。猫の姿だと顔が般若面のようにひしゃげるため、そう自称している。
「何度も言ってるけど、改まらなくていいのよ」
 苔に覆われた幹を飛び降りると同時に人間で言えば三十路前後の女性に成った。反射的に目を逸らす。着物に収まりきらない大きなふくらみに惑わされないためだ。
 いわゆる成熟した大人の女性ってヤツだが、しかし般にゃーの実年齢は誰も知らない。というか、知ったら否応なく殺される。
 ――と、般にゃーがメガネ越しに睨んできたので、無駄な考えはここまでにしておく。
「わたしがいないほうが、ありのままの貴女達を観察出来るでしょう? ……って気紛れよ」
 彼女がそっと微笑むと、鬼子は顔を伏せて顔を赤らめた。
 もうからくり人形の鬼子じゃなかった。
「で、どこ行ってたんですか?」
「高天原よ」
 高天原(たかまのはら)は紅葉里から遠く離れたところにある、高貴な神さまがお住まいになる聖域だ。鬼子は当然のことながら、俺やヤイカのような下々の神ですら伺うことは許されない。
「アマテラスサマとお茶してたの」
 般にゃーは大御神様のお供ができるくらい貴い身分なのか? まったくその気配が感じられない。例えお茶をしたことが冗談だとしても、御名を拝借した冗談を言えるんだから、たいそうな身分であることに違いはない。
「ホントはもっとゆっくりしていく予定だったんだけど、急用が出来ちゃってね」
 般にゃーは帯から煙管を取りだし、煙草に火を点ける。急用で戻ってきたとは思えないゆったりとした調子で煙を吐いた。
「越沢(こえさわ)の村に鬼が出たわ」
「越沢って……すぐふもとじゃない」
 山林を走って二時間のところのある村だ。この周辺は般にゃーの結界で鬼の侵入はないと思ってたから、俺も鬼子も驚いた。
「いい? 被害はその村だけに留めなさい」
 なら越沢村はどうなってもいいのかよ、とは思わない。そんなこと思ってる暇があったら戦いに向けて気を集中させる方がいい。ここにいる誰もがそう思っている。
 冷酷になってしまったわけではない。未熟な自分が悔しくて仕方がないんだ。
 なにせ、俺たちには空間を渡る術を持っていない。鬼を祓うために二泊三泊は当たり前だ。その間に暴走を続ける鬼は容赦なく村を滅ぼしていく。現地に駆けつけたら、家も畑も穢された村で鬼がのびのびと人間を喰らっている場面を幾度見たことか。
 そういうこともあって、今回は何としてでもヘマをしないよう鬼子の援護しなくてはならない。
「わんこ、こにを起こしてきて」
「おう」
 小日本は一度寝るとなかなか起きない。でも今日という今日は容赦せず叩き起こそう。そう決心して小屋へと向かう。
「小日本、起きろ」
 手荒く襖を開ける。
「おうわん公、オメェも目の保養に来たか」
「むっつり助兵衛だねえ。時間差とはさすがだよ」
 さきほど拳と剣を交えた同志が、今や幼き女子を囲んで宴に勤しむ変態野郎となり下がっていた。
 怒りが上昇していくにつれてヤイカの悪臭濃度も上昇する。
「お前らな……」
 二匹の首根っこを鷲掴み、縁側に出る。
「二度と来んなって言ってんだろうが!」
 見ないなと思ったら何してやがるんだ。もう会うことがないよう祈りを込め、秋空の先までぶん投げてやった。
 仕切り直して、小日本の眠る部屋に戻る。今の騒動にも動じず、すやすやと寝息を立てて目覚める気配はない。
「起きろ」
 涎を垂らし眠りこける小日本の肩を揺らす。
「ふにゅ……」
 寝言で返事をされる。
「鬼が出たんだ。早く出ないと」
 もう一度揺する。
「ねむいのらぁ」
 反応に意識が宿っているようにも思えるが、八割方夢の彼方を漂っているようだ。緊急事態でもなおのんびりな小日本にため息が出る。
「……まりゃまりゃ食べられるよぅ」
 八割じゃない。十割食いもんの夢の中だ。寝ぼけてやがる。俺が団子を買ったせいなのか? くそ、田中の奴が使いっ走りにしたからこうなったんだ。覚えてやがれ。
 でも、実に幸せそうな寝顔だ。口をもぐもぐして、にへらと破顔させる。
 不覚にも言葉を失ってしまった。
 こんな幸せそうな小日本を強制的に現実へ引き戻してしまっていいのか?
 小さな幸せをぶっ壊していいのか?
 幸せってのは、小さければ小さいほど、それを潰すのに覚悟が必要になる。
「寝るなら、俺の背中で寝ろ」
「……ふぁあい」
 ふわふわとした手つきで瞼をこすり、身を起こす。多分寝たまま無意識にやってるんだと思う。一つ大きなあくびをし、「ん」と両腕を前に出した。このまま背負えってことだろう。
 まったく、ワガママなお姫様だよ。
 小日本の武器である「恋の素」を帯に付けてやる。恋の素は幸せと縁と結ぶ鈴で、鳴らすと穢れを浄化させる効果がある。それから角を隠すために笠をかぶらせる。布団を引っぺがし、小日本を背に負った。
「いららきましゅ」
「イデデッ! それ髪の毛だ!」
 後頭部で結った髪束に喰いつきやがった。なんて食い意地を張ってるんだよこのお姫様は。
 庭には藤紫の装束の般にゃーと紅葉の着物の鬼子が準備を終えて待っていた。鬼子は瞳はいつもより鋭いものとなり、紅に燃え上がらせている。
 鬼の中には、姿を変えることで力を増強させたり、特性を得たりする。俺たちは通常の姿を『生成(なまなり)』と呼ぶのに対し、変化した姿を『中成(なかなり)』と呼び分けている。
「行ってらっしゃい、三人とも」
 般にゃーが煙草を吐く。
「来ないのかよ」
「貴方たちだけでなんとかなるでしょう?」
「あのな……」
「それとも、わんちゃんはわたしの力がないと鬼子を守りきれないのかしら?」
 そう言われると言い返そうにも言い返せない。般にゃーは俺の性格を見通している。ただただ悔しかった。
「そんなワケで、わたしはお留守番してるわ」
 お気楽に言ってくれる。
 まあ、それが般にゃー流の激励だってことは承知してるんだけどな。

   φ

 鬼子とわんちゃんとこにちゃんが紅葉の森に消えるまで、わたしはずっと三人のうしろ姿を見送っていた。
 結界の内側で鬼が出没するとなると、敵は冒涜された神ではなく、人間の心から生まれた鬼である可能性が高い。心の鬼は先日鬼子一人で戦った「黒い鬼」のような腕っぷしは持ってないけど、それを補う独自の特性を持っている。慣れてない相手だから、苦戦するかもしれないわね。
 人間の心ほどフクザツなもんはない。長いこと「あっち」と「こっち」の人間を観察して導き出した結論だ。
 あのコたちは心の鬼と戦う経験があまりにも少なすぎる。
「鬼子、アンタには辛いことばかり任しちゃってるわね」
 いくら煙を吸ったって、この罪悪感が癒えることはない。アマテラスサマが仰ってたことを考えると、肺臓に穴が空きそうになる。
「神々に気付かれずに勢力を拡大させる鬼の集団がいる……か」
 異変、と思うにはオオゴトだけど、最近どこか違和感のようなものが猫ひげを伝って感知していた。
 そもそも、鬼は集団行動の出来ない問題児ってのがわたしたちの通説だった。互いにいがみ合い、殺し合い、本能の赴くままにふらふらして落ち着かない。例外は鬼子とこにちゃんだけ。
 それなのに、いきなり国規模の集団が出現するなんて信じられない。
 天変地異だと慌て者の神々が喚いてて呆れるけど、同時に鬼子たちに対する期待と疑念が一層増しているのも確かだった。
 鬼にあらずは鬼は祓へじ。もうそんなことしか神は言えない。
 アンタたちの神話はどこへ行ったのよ。

   φ

 針葉樹とシダの森を駆ける。人間のいる場所には近付かないよう尾根伝いに村へと向かった。苔に呑まれ、朽ち果てた倒木を飛び越え、奔放に伸びる蔓の輪をくぐる。
「ん……どこ?」
 背中の小日本がもぞもぞと動き出した。目が覚めたらしい。
「山を降りてるところだ。鬼が出た」
「……ん」
 小日本はそれっきり何も言わず、おとなしく乗っかってくれていた。
 辺りは鬱蒼としていて薄暗い。霊域の近くだからか、樹から見下ろすサルやリスの眼光に意思が宿っているようにも感じられた。
 風を裂く鬼子の後ろ背を追う。
 いつか、俺が鬼子の前を走ってやる。黒髪なびく背中にのしかかる荷を、少しでも担いでやりたい。小日本だって背負って走れるんだ。そのくらい屁でもない。
「森、抜けますよ」
 鬼子の合図と同時に視界が開ける。西の空の大きな月が俺たちを出迎えた。絵画のようなうすら雲が掛かる望月は、どこか引き込まれてしまう魅惑があった。
「あれ、見てください!」
 鬼子が指差す方向が赤く揺らめいていた。畑の向こう側に群立する民家の方から赤い火が立ち昇っている。
「行こうぜ!」
 鬼の仕業だったら今すぐにでも食い止めなければならない。鬼子は頷く間もなく走りだした。俺もその背を行く。
 畑に足跡を残し、全力で足を動かす。早く、一秒でも早く。揺らいだ目先の小屋が徐々に大きくなっていく。畑から小道を横切り、茅葺きの家を横目に炎の元まで急ぐ。
 熱気が伝わる。走れ。息が荒くなる。走れ。鼓動が大きい。走れ。もうすぐそこだ。走れ!
 鬼子が立ち止まる。
 そこには。
「いねぇーつけばぁー」
 ……そこには、かがり火を囲うようにして踊る村人たちの姿があった。陽気に歌を詠い、気持ち良さそうに酒を呷り、飯を貪り食っていた。
 小日本を下ろしてやる。そして、脱力した。
 なんだこの宴は。この村の祭はこの前の収穫祭をやったばかりじゃないか。
「君らは旅人か?」
 村人の一人が声を掛けてきた。鬼子がびくりと身体を硬直させ、村人を凝視する。とっさに俺が鬼子の前に出る。
「……狛犬様ではございますまいか。それに笠をかぶれる桜着の小童……そちらの紅葉着の乙女は角の生えた、鬼と見受けるが」
 耐えろ。歯を食いしばり、相手の出方を窺う。
 叫ぶか、嘆くか、狂い笑うか……。
「なんと面白い組み合わせであることか。さあ、今日は祭ぞ。共に騒ごう」
 酔いの回った豪快な笑い声を上げ、ばしばしと頭を叩かれた。神に触れるなんて禁忌でしかないが、無礼講というものなのだろう。堅苦しい祭は嫌いだからこのくらいがちょうどいい。
 ……が、感触は不気味で仕方がない。
「こちらに来なさい。共に呑み、共に語らうもまた一興」
 上機嫌な村人に付いていく。太鼓の音は鳴り響き、どやどやとあちこちから声が湧いている。俺たちを見て挨拶してくれる人もいた。
「歓迎されてる……のか?」
 少なくとも、鬼子を見て悲鳴を上げる人間がいないのは確かだ。
「こに、おまつりだいすき!」
 小日本はぴょこぴょこと跳ねていた。しかし、俺は素直に喜ぶことができるほど純情ではない。
「そうでずね、わだじもだいずぎ……ずびっ」
「って、泣いてたのかよ鬼子!」
 思わずツッコんだが、気持ちは分からなくもない。鬼子、祭に行くことが夢だったもんなあ。
 だけどよ、俺たちがこの村に来た理由、忘れたとは言わせないぞ。
 鬼祓いに来たんだ。
 なのに、鬼が見当たらないなんておかしい。こりゃ一筋縄ではいかないかもな。
「なあ、オヤジさんよ」
「どうなされた」
「最近この村に鬼は出なかったか?」
「鬼? ああ出ましたぞ」
 あまりにも素っ気なく言い放つもんだから、軽く聞き流してしまうところだった。俺の中で緊張がはしる。
「そこにいる、かわいい鬼さんがね」
 そう言って、男は一人わっと笑った。
「鬼子のことじゃねーよ!」
「可愛いって、そんな……」
「鬼子も照れるなっ!」
 涙で赤くはらした目を細め、鬼子は笑っていた。こんな笑顔、いつぶりだろう。最低でも俺たちの前じゃ絶対に見せない。
「ねねさま、こに、おどりたい!」
「そうね、踊ってらっしゃい。周りの人に気を付けてね」
「うん!」
 二人はすっかり祭の気分に浸ってしまっている。
「しあわせをーおすそわけー」
 謎の節を付け小日本はくるくる回る。鈴がりんりん鳴り響くたび、季節外れの桜が散っていた。
「他には見なかったか?」
 仕切り直し、村人に尋ねた。
「見ておりませぬ。おかげさまで今年は豊作です。ご覧くだされ、このアワの山を!」
 村人は祠の前にある粟の山を自慢げに見せつけた。
 しかし、その山は庭園の砂山程度のもので、とてもじゃないが一年を乗り切れるような量ではないし、粒もやせている。
 ……そもそも、なんで『粟』なんだ。
「オヤジさん、米はどこだよ」
「米? そんなもの作っておりませぬぞ」
「はあ?」
 何を言ってやがる。作ってないわけがない。有力者に収めるものは米と定められているんだから。
 ……そういや、先の収穫祭で越沢村は不作だったのを思い出す。
 何が豊作だ。嘘吐き男め。
「わんこ、見てください!」
「なんだよ」
 鬼子に肩を叩かれ、振り向いた矢先、その光景に言葉を失った。
「ぽろぽろふわふわこにっぽーん!」
 まるで、演壇の一点に集まる灯火が小日本を照らしているようであった。そして、そのまばゆい円状の地から、黒い斑が浮き出ていた。
 しばし幻想に包まれた舞姫に見とれてしまった。それは俺だけでなく、村人たちも同じだった。
 照らされる円状の地面、黒い斑模様……。
 そうだ、ここは舞踏場じゃない。現実はそんなきらびやかではなく、もっと残酷だ。
「鬼子! これは鬼の仕業だ!」
 ようやく確信が持てた。そもそも森を抜けたときにおかしいと思えなかったのがいけなかった。
「なんで、もう夜になっちまってるんだよ。出発したときはまだ南に陽があったのに、どうして満月が西に傾いてる刻になってんだよ」
 暗いのは穢れのせいだ。この村全体を包み込む穢れで夜だと勘違いしていたんだ。
 そして穢れを生み出した鬼は先日戦った『影の鬼』のような神様が堕ちて生まれたものではない。人間の心に棲まう鬼が力を溜めに溜め、村全体を巻き込むまで成長してしまったものだ。
 鬼の餌は男の言動、村人の行動からして『嘘』だろう。
 すると奴の正体は――、
「心の鬼は月に偽装している!」
「はいっ」
 鬼子の目が真っ赤に燃え上がる。薙刀を編み出し、空高くへと跳躍した。
 月に模した鬼が、危機を察知したのか、偽装を解き、姿を現した。
 嘘月鬼(うそつき)。薄黄の岩石質の球体に二本の角が生えており、目と口を思わせる三ヶ所の窪みがある鬼だ。
 心の鬼は鬼子の突きをかわすも、石突で叩き落とされる。そのまま鬼子も着地した。心の鬼が隠していた太陽が姿を見せる。
 黒、黒、黒。土も家も人も。黒、黒、黒。
 般にゃーですら気付かないほど僅かな邪念がここまで村を蝕んでいたなんて……。
 ただ一点、小日本の周りを除いて村は全てが穢れに呑まれてしまっていた。
「こに、邪気祓いお願い!」
 体勢を整え、鬼子は再び嘘月鬼との間合いを詰める。
 人間どもの悲鳴が湧き立ち、逃げ惑う。ようやく彼ら自身の姿を自覚したようだ。嘘を吐き、人を、自分を騙し続けた結果がこれだ。
「さくら咲け咲けーめばえ咲けぇ」
 不穏な気配の漂う中で、小日本だけがいつまでも潔白だった。幼い少女が舞えば舞うほど、周囲の穢れが清められる。
 鬼子と心の鬼の戦いは一方的だった。擬態という特性を見る限り、戦いを好まない鬼なのかもしれない。
 薙刀の切っ先が嘘月鬼の背を掠る。奴の動きを崩すにはそれで十分すぎた。
「萌え散れ!」
 心の鬼に斜めの直線が引かれると、岩石のそれは紅葉を舞い上げ、ずるりと巨体を滑らせた。裂けた嘘月鬼は委縮し、最終的には消え失せた。
 村の穢れも恋の素の舞で祓われ、元の姿を取り戻しつつある。
 一件落着、といったところか。
 多分、勧善懲悪の物語だったら、ここで話は爽快に幕を閉じるのだろう。
「おお、お、鬼だ! 鬼だあ!」
 俺たちを案内してくれていた村人が奇声を上げ、鬼子を指差した。明らかに恐怖の対象として捉えられていた。
「何言って……あなた、私たちを歓迎するって、言ってましたよね?」
 鬼子の瞳に戸惑いの念が窺える。
「嘘だよ! そんなもの、嘘に決まってるではないか!」
 村人は目を大きく見開き、口をだらしなく開け、今にも気を失いそうだった。鬼祓いの姿のままでいる鬼子に気付いた他の村人も悲鳴を上げ、家の中に入ろうとする。しかしその家の中は穢れに満ちていて、混乱を生み出した。
「不作でもう生きてゆけぬ現実を見たくなくて、我が身に嘘を吐いた。他人に嘘を吐いた。やがて嘘に嘘を重ね、止むことを知らず……だからといって、村のみんなを巻き込む道理がどこにある? 鬼め、苦しむのはおれだけでよかろうに! 返せ! おれらの村を、返せ!」
 心の鬼は人間の負の感情に芽吹く。先の見えない不安や絶望が「嘘」の鬼に成ることだってある。
だから心の鬼を宿した人間を一概に責めることはできない。
 でも、
「わたしのおうちをかえして!」
 かつん。
 鬼子の般若面に小石が当たった。投げたのは小日本ほどの背丈の娘だった。黒染みの目立つ家に佇み、涙を浮かべた目に迷いはなく、きりりと鬼子を睨んでいる。
 慌ててその母と思しき女が娘を庇うように抱きしめる。
 心が苦しくなった。
 鬼子はきっと、俺の苦しみどころじゃない。
 鬼子は薙刀を高天原に収めると踵を返し、無言で森へと足を運びだした。
「二度と来るな! 穢れ者!」
 今度は大柄の男が石を投げつけた。こぶし大のそれは鬼子の帯に命中し、彼女は膝を着いた。
「テメ……ッ!」
 怒りが込み上げてきた。すぐにでも人間の分際に跳蹴りを喰らわそうと地面を踏む。
「め! わんこおすわり!」
 小日本が俺と男の前に立ちはだかった。とっさにしゃがみこんでしまう。
 むっと頬をふくらませ、袖を広げる小日本の後ろでひそひそと村人が囁いている。本当に小さい声だから、人の耳を持つ小日本には聞こえないだろう。
「あの子、鬼に魅入られちゃったのよ」
「憐れな。狛犬様もどうなされたのか」
「凶兆じゃ、凶兆じゃあ」
 深くも考えずに言霊はきだしやがって。俺も言えたもんじゃないから、ここは黙って小日本の手を取った。
「……行こう」
 チクショウ。
 何が鬼子を守るだ。
 石っころから守ってやれることすらできないくせに。
 ……チクショウ。

 鬼子は腰を押さえながらも、一歩一歩地面を踏み締めていた。
 どうして鬼子は、ここまで苦しみ抜くんだ。
 身体も精神も傷付き果ててもなお前進をやめることはない。
「もうさ、鬼祓うの、やめようぜ」
 分かってる、こんなの責任転嫁でしかないと。でも、もう耐えきれないんだ。鬼子のつらそうな顔を見るのが。鬼子のつらそうな顔をひた隠しにする顔を見るのが。
「感謝のかの字もねえしさ、くれるのは石ころばっかりじゃねえか。こんな見返りのないことやったって、意味ねえよ」
 こう言うしか救う術の見つからない浅はかな俺をぶん殴ってやりたかった。
「わんこ」
 鬼子が口を開く。
「あなたは将来、何になりたいの?」
 その口調はやわらかくて、あたたかいものだった。操り人形じゃない。生身の鬼子の声だった。
「い……一人前の、里山守だよ」
 鬼子のようなやさしさを持つ守神になれたらどんなに素晴らしいことか。そう夢見た俺だが、その意志は折れそうになっている。
 里山守ってのはつまり、人間を守る神だ。
 俺が守る人間とやらは、果たして守るに値する存在なのか?
「そのために今、何してる?」
 鬼子の問いに人間不審の念を一旦隅に置く。
「守になるための……修行だよ」
「私がしてることも同じことよ。こにぽん、畑の邪気も祓っておきましょう」
「うん!」
 小日本が畑で舞踏する。
 同じこと……。石をぶつけられても、貶されても耐え忍ぶことが修行だっていうのか?
 分からん、全く分からん。
「めばえ咲けぇ!」
 黒く汚染された土壌が潤い満ちた耕作地に変わる。そしてそのやわらかい土から芽が生え、成長する。
「みんな、ウソつきだったんですね……」
 秋の夕暮れ、鬼子が独り言を呟いた。
 ああ、そうだな。
 鬼子だって嘘吐きだ。俺だって嘘吐きだ。
 どうして本音でぶつかり合えないんだろう。どうしてこんな悲しくなるんだろう。
 分からん、全く分からん。
 唯一分かるのは、俺たちの戦いはこれからも続く、ということだけだった。
 きっと、永遠に。

   φ

 日本さんたちと出会った翌日、アタシは再び都市へと赴いた。
 いや、決めつけないでもらいたい。アタシだって同人誌を買う以外の目的で電車に乗ることだってある。
 今日のおでかけの目的は他でもない、日本さんとこにぽんへのプレゼントを買うためだ。別に地元で買ってもよかったんだけど、質を求めるならば、大きな店へ行ったほうがいい、との判断でだ。結局お金がなくて安物になっちゃったんだけどね。
 帰りの電車を降り、古めかしい時計塔のある駅舎を出ると、空もいい感じの橙色に染まっていた。
 駅前の青いイチョウ並木を歩く。
 人々で賑わってはいるが、相変わらず道路はボロい。観光で生きてる町なんだから、歩道をもう少し広げてほしいもんだ。
 などと詳しくもない地方自治に対して愚痴を思っていると、どこからか聞こえる女の子の泣き声に気付いた。
 花の香に誘われる蜂のようにその声の元へと足が進む。
 そこには、ボロ生地が重ねられた黒い浴衣の女の子が大声で泣き喚いていた。青白い肌はどこか不健康で、帯まで届くツインテールの髪はぼさぼさしている。無意識に日本さんの髪と比べてしまうけど、アレは特殊で、こっちがいわゆる普通の髪だ……と思いたいが、多分この子の髪はあまり洗われてないと思う。
 何より目を惹いたのは、つぎはぎだらけのクマのぬいぐるみだ。少女はその片手を握りしめているが、首はだらりと垂れ下がり、足は地面を引きずって泥まみれになってしまっている。
 街路を行く大人たちは小さなSOSを完全に無視し、通りすぎていく。
 そりゃ、仕事は忙しいだろうし蒸し暑い日が続くから面倒事は避けたいってのが常だろうさ。
 でも、世間ってのはこれほど冷たいもんなの? 暑いから冷たくしようとかデタラメ考えてるんなら、アタシは世間ってのをぶっ飛ばしてやりたい。
 だから、女の子と同じ目線になるようしゃがみこみ、枝毛だらけの髪をそっと撫でてあげた。
「キミ、迷子になっちゃったの?」
 できる限りやさしい声で語りかける。ぶっちゃけこういう場面に出くわしたことがないからアドリブ全開だ。見切り発車というものだろうが、乗り掛かった船ともいう。
「……はい」
 陰湿な口調だけど、見た感じの歳にしては礼儀よく返事をしてくれた。今どき珍しい子だなあ。
「お母さんかお父さんはいるの?」
 ふるふる、と首を横に振る。一人のようだった。
「おうち、どこだかわかる?」
「大きな神社の近く……」
 大きな神社。言うまでもない、祖霊社のあるあの八幡宮だ。駅からだと歩いて数十分のトコだけど、子どもにとってその距離は国と国を跨ぐような長さになる。
 同時に八幡宮はアタシの家の方角でもある。
「じゃあ、お姉さんと一緒に行こうか」
 女の子はこくり、と頷くと手を差し伸べた。二人で手を繋ぎ、歩きはじめる。
「ここまで、一人で来ちゃったの?」
「はい」
「どっか、行きたいトコがあったのかな?」
「いいえ、ただちょっとお散歩をしてたら、いつの間にか知らないところまで来てしまったんです」
「そっか……」
 二人で歩く大路は、どこかゆったりと時が流れているようだった。女の子の歩幅で歩いているからかもしれないけど、不思議と懐かしい気分がしていたからなのかもしれない。
「あ、そのぬいぐるみ、すごく大事そうにしてるね」
「ワタシの『オトモダチ』ですから……」
 ギュ、と玉だらけのぬいぐるみを抱きしめた。
「その子の名前はなんて言うの?」
「名前ですか? 名前は……」
 自然と会話が弾んだ。
 女の子はおとなしい子だったけど、居心地の悪い空気は感じられなかった。質問に「わからない」という答えを出さないはっきりした子だからなのかもしれない。口数は少ないけど、聞き手としての素質があった……なんて評価する立場の人間じゃないけど。
「あ……」
 日も暮れ、一番星が見えだす頃合に女の子は立ち止まり、上を向いた。アタシもつられて上を見る。
 大きな赤い鳥居が目の前に立っていた。その圧倒的な存在感に言葉を失う。
「おねえさん、ありがとうございました」
 ぺこり、と手入れの不届きな長髪を揺らした。
「いやいや……というか、もう暗いし、家の前まで送ろうか?」
「いえ、ここまで来れば大丈夫ですから」
 子どものクセに遠慮をわきまえている。十年前のアタシにこの子を見習えと言ってやりたいね。
「あの、名前、教えてくれませんか?」
 ぬいぐるみを抱きしめ、女の子が訊いてきた。初めて向こうから話しかけられたからちょっと驚いたけど、それ以上に嬉しい気持ちの方が強かった。
「アタシ、田中匠。男の子っぽい名前だけど、中身は純情乙女なんだ」
 純情乙女と書いてオタクとルビ振ってやってください。
「田中さん……」
 女の子は名前を小さく呟き、よれよれのクマのぬいぐるみを差し出した。
「これ、もらってくれますか」
「え、でもそれ、『お友達』なんでしょ?」
 こくり、と頷いた。そんなの受け取れるハズない。
「田中さんはお友達だから、きっとワタシの『オトモダチ』も大切にしてくれると思いますから。それに――」
 すっと、息を吸う。
「その子を渡しておけば、またいつか会えそうな気がして」
 「友達」という言葉を聞いて日本さんにお説教した言葉を思い出した。
 一緒にいて、話して、少しずつ相手のことが分かってきてさ、嫌なところを見つけちゃっても、それでもやっぱり一緒にいてもいいなって思える存在……っていうのかな?
 また同じことをこの子に言いそうになったけど、この子に言っても仕方ない。
 それにこの子とは随分前から親しくしていたような、そんな気がした。
「……そうだね」
 だから、彼女からぬいぐるみを貰うことにした。彼処に修繕痕がある。長いこと一緒にいたことが実感できる。
「それでは、田中さん、また遊びましょう」
 そう言って、女の子は手を振り、雑沓へと溶け込んでいった。
 ……今更だけど、彼女の名前を聞きそびれちゃったな。
 でも、根拠もなくまたすぐに会えるような気がしていた。
「あっ」
 帰り路を歩こうと思ったそのとき、思いがけぬ忘れものに気が付いた。
 わんこのプレゼント、買ってないや。


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