ほえぶる!

ファンタジーやら現代もののエンタメ小説やら紀行文やら書いてます。自転車にも乗る。「文藝サークル~綴~」の中の人、「おにこくらぶ」の中の人、「ドジョウ街道宿場町」の中の人です。

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 この日、アタシは悩んでいた。周囲からすればたいしたことのない話なんだろうけど、自分にとっては今後の人生の方向を決定づける重大な選択を強いられているんだと思っている。
 我をとるか、乳をとるか――。
 うん、正直冷静に語ってしまうと実に下らない。だから少し強引に事のあらましを話しておきたい。
 あれは朝目が覚めたそのときだった。
「……乳について語りてえ」
 開口一番、最悪だ。女性の部位は分け隔てなく愛する……というか、木を見て森を見ないようなことがないように心がけていたはずなのに、今朝のアタシときたらこれだ。こんなのでは世間から失笑を買われかねない。
 とにかく、突如として胸語りの衝動にかられたアタシは貴重な高校生の夏休みを利用し、この猛暑の中、本屋――主に同人誌を取り扱ってる店――へと赴いた。地元にはないので三十分電車に揺られて近くの大都市に着く。このときも、目に行くのは女性の胸ばかりだった。確かに日頃落書きみたいなイラストを描いてるためか、きれいな人がいたら参考がてらに目が行ってしまうのは認めよう。でもこんなエロオヤジみたいな視線で人を見たことなんて一度もなかった。
 おかしい。
 何かがおかしい。
 でもその原因がわからない。昨晩兄貴の作った三時のおやつっぽい夕食にいちゃもんをつけたからだろうか。それとも姉貴とのコスプレ談義が白熱を極め、四時間も盛り上がってしまったからだろうか。
 いや、そのあとで見た夢が原因かもしれない。紅の和服に長い柄の武器を持ったコスプレ少女が悪を蹴散らす、そんな夢だったんだけど。
 ……どれも理に適っていない。そんなささやかな出来事のせいで価値観を変えられてたまるか。
 しかし現に価値観がすっかり変わってしまった自分に戸惑っている。同人誌を前にして、手先が震えているのが分かる。どうしても胸に力を注いでいるクリエイターの作品に手を伸ばしてしまい、いつものように内容を吟味することはなかった。
 そりゃ、目の保養になるんだからいいかもしれないさ。でも、もしそれだけの理由で享用してしまったら今までのスタンスはどうなる? クオリティを二の次にしてまで、無秩序の奈落へ突き進む必要があるというのか?
 語弊があるといけないので、蛇足に一つ言いたい。乳漫画だとしても、乳に愛がこめられている作品ならいい。そういう話は、自然と話もすっきりしていて、読了したときの気分は実に爽快だ。アタシの言いたい「無秩序の奈落」ってのは胸をまるで道具のように使い、それで読者を釣ろうとしているような、そんな卑怯な作品のことを言っている。
 まあ、結局アタシは後者の誘惑に乗って軍資金を使い果たしてしまったから、偉そうなことは言えないんだけど。
 そんなこんなで、いくつもため息をもらしながら地元に戻ってきた次第だ。
 やっぱり、何かがおかしい。
 道端ですれ違う女性の胸を見て、反射的に手が動いてしまったこともしばしばで、危うく犯罪になりかけたこともあった。
 落ちつけ、まずは心を落ち着かせてみよう。
 そういうときは、外で読書をするに限る。まあ読書といっても同人誌なんだけど。
 地元で有名な八幡宮に足を踏み入れる。真っ赤で巨大な鳥居をくぐると、多くの人で賑わう路地が一直線に続いていた。
 ……いや、さすがに鳥居や本宮の真ん中でルツボを取りだそうなどという気はない。有名な神社だけど、一ヶ所だけ、人気がなく木陰もあって風通りもいい格好の読書スポットがあるんだ。
 本宮へと続く大石段の手前を左に折れる。林の中の小道に入ると、人々の賑々しい声は背丈のある木々に吸い込まれていった。聞こえるのは砂利を踏みしめる音とアブラゼミの鳴き声、木々を掠める風の音だけだ。そして苔の付着した石鳥居をくぐる。
 祖霊社。
 アタシの隠れ家に着いた。
 吹き抜けの寂れた社へと続く砂利の路を歩く。左右にはカドの欠けている灯篭が並んでいた。人は誰一人としていない。手近な灯篭に腰を下ろす。緑に包まれた空気をしばし味わいたかったが、待ちきれずに混沌たる書を開いた。
「ふむ、よい乳だ」
 よくない。内容なんて崩壊していて、ただ胸に全ての画力を注いでいる漫画を見たって面白くないのに、何がアタシをここまで暴走させるんだろう。
「何、読んでるんですか?」
「『魔王少女マオ☆まお』のパロだよ。いやあ、表紙買いって怖いわ」
 そんな雑談を交わしながらページをめくる。
「えと……あの、かわいい絵ですね」
「だろう? こいつが生きる原動力なんだから」
 いや、違う。アタシの原動力は乳ではない。なのに、まるで誰かがアタシの口を操作して勝手に喋らせているみたいだった。
「あ……」
 小さな悲鳴を耳にする。いかがわしいコマのあるページに到来したのだ。
 頭上で木が大きく揺れた。風が吹いているのだろう、葉っぱの擦れる音が境内を包む。
 遠くの方では鳥が鳴いている。近くに巣でもあるのだろうか、餌を求めるヒナの声が飛び交う。
 しゃわしゃわしゃわ……。蝉の鳴き声が、一段と大きくなった。
 ――あれ、なんか、おかしくないか?
 恐るおそる漫画から目を離す。そっと視線を前へ向けた。
 そこには、深紅の着物を着た女性が、困惑した表情を見せ、アタシをじっと見つめていた。
 死んだ。
 ああいや、これはつまり身体的生命活動の停止を意味するんじゃなくてですね、ほら社会的抹殺を今まさにここで宣告されちゃったことに対する激しい動揺やら衝撃やら日常崩壊やらバチ当りやら悟りやら、その他諸々やらに関する数多のほとばしる熱いパトスを端的に述べたものであって、つまりアタシはもうお嫁にいけないんだという古典的諦めをかの三文字で表そうとしたわけですけども、そもそもアタシみたいな輩を嫁にする野郎なんてどの次元探そうともいないっつーか、むしろこっちが○○は俺の嫁って宣言したいクチだしうんぬんかんぬん。
 まて、落ち着け自分。今自分が呼吸をしているのかどうか把握できる程度の冷静さを取り戻そう。
「あの……」
「ななななんだイ?」
 声が上ずっている。愛想笑いを浮かべようにも、頬が歪んで愛想もなければ笑いもない。気持ちの悪い汗がにじみ出ていて、もう「にげる」のコマンドを連打したかった。
「え、えと、落ち着いて下さい」
 和服の少女が、言葉を選び選び口にする。初対面の彼女から心配されているようじゃいけない。
 まだ社会的抹殺から逃れる術はある。深呼吸をして、そっと同人誌をカバンに収めた。
 と、ここでようやく目の前の少女の黒髪から人間のものとは思えない二本の角が生えていることに気が付いた。
 それに加え、リボンを結ぶ感覚で般若のお面を側頭部からぶら下げていた。
 よくよく見れば、この少女だっておかしい。
 確かに境内で同人読んでるアタシよりかは遥かにマシかもしれないけど、暑苦しい紅い着物とか、熱心に読書する人に声を掛けちゃうところとか、常識外れだと思わないかい?
 いや、待てよ……?
 もしかしたらこの子は同志なのかもしれない……いや、「同じ志」とはいかなくとも、「同じ類」とは言えるのではないだろうか?
 この子はコスプレイヤー説、浮上。
 ならば、警戒しなくても特に問題ないだろうし、いやむしろ友好関係を築くのが紳士淑女の礼儀というものだ。
 わざとらしい咳払いをし、握手を求めるために手を伸ばした。
「アタシ、田中匠(たなかタクミ)。君もよくここに来るの?」
 少女はしばらく呆然とアタシの手を見ていたが、そのうちふっと、緊張した顔をほころばせ、満開の笑みに転じた。
「ひ、日本鬼子です! 初めてで、その、宜しくお願いします!」
 一気にまくしたてた少女は、そのまましがみ付くように握手した。アタシの手よりも少しだけひんやりとしている。
「ひのもと、おにこ?」
 変わった名前だ。日本という苗字もさることながら、鬼子……鬼の子だ。そんなひどい名前を娘に付けた親の顔が見てみたい。
「変な、名前ですよね」
 自虐的な笑みを見せる。やはり自分の名前にコンプレックスを持っているみたいだった。
 うつむく彼女の角が目に入る。
 ああそうか、と疑問に合点がいく答えが浮かんだ。
 「日本鬼子」っていうのはコスプレしてるキャラの名前なんだ。
 日の出を背に歩む、角の生えた少女……いいじゃない。
「アタシはその名前、好きだけど」
「ほ、本当ですかっ? は、初めてです、褒めて下さるなんて……!」
 目をキラキラと輝かせる。「鬼子」に扮した少女はまるで自分の名前を褒められているかのように喜んでいた。
「もっと、日本さんのこと、知りたいなあ」
 未知の作品に対する知的好奇心が口に出る。
 少女ははっとアタシを見つめた。希望に満ちた眼差しが日射しのように注がれた、と思いきや、ふと悲しそうな顔をして目線を灯篭に移してしまった。
「田中さんは、私のこと、怖がらないんですか?」
「まさか」
 コスプレイヤーに鬼はなし、と自称コスプレイヤーの姉貴は口癖のように言っていた。コスプレはそのキャラクターを思う気持ちがないと演じきれない。だからコスプレイヤーは思いやりを知っている。
 それに、帯の上に乗った形のいい乳。偉人は口を揃えて「貧乳美乳巨乳合わせてそれ即ち正義なり」と言っていたではないか。
 ……これは失言だった。
 とにかく「日本」少女は即答に半ば驚いた様子だったけど、小さく頷くと真剣な面持ちで口を開いた。
「鬼を祓っているんです。人々の心に棲まう、鬼たちを」
「鬼が、鬼を?」
 興味深い設定に鼓動が大きくなる。
「鬼といっても悪い鬼ですよ? 人に害を為さない鬼もいれば、ちょっぴりイタズラ好きなだけの鬼もいるんです。もちろん、国一つ滅ぼしてしまうような鬼もいるんですけど」
 悪い鬼、かあ。
 今朝見た夢を思い出す。悪の化身を華麗に蹴散らす少女の夢だ。まるで、アタシの夢がそのまま作品になっているような、そんな不思議な感覚にとらわれた。
「なんか、面白そうだね」
 日本さんの臨場感溢れる戦闘シーンを見事なコマ割りで進められたら、読むだけでときめいてしまいそうだ。
「面白くなんて、ないですよ」
 アタシの静かな躍動とは裏腹に、和服少女は盛り下がる一方だった。
 ここって、一緒に盛り上がって、意気投合する感じの場面じゃないの?
 少女は俯き、そして祖霊を祀る神社を見つめた。その横顔は、どこか遠い過去を眺めているようにも感じられた。
「なら、なんでコスプレしてるの?」
 ……こんなこと、訊いちゃいけなかったのかもしれない。
 この瞬間、アタシの日常は崩壊してしまったのだと、第六感が知らせている。
「こす……? あの、こすぷれって、なんですか?」
 思えば疑問は山のように存在していた。
 なぜ、この子はアタシに声を掛けたのか。モラルがないように思えたが、その身に染み込んでいる立ち振る舞いや着物の着付けを見ればむしろその逆だとすぐに分かる。
 沢の流れるような黒い髪、般若の面から滲み出る千年紀の色映え、素人目にも分かる、市販の浴衣とは別次元のやわらかみと深みを兼ね合わせた着物……。
 ここまでキャラクターとユニゾンできる人なんて、コミケのどこを探したって見つかるわけがない。
 「鬼子」という名前。その名に対するコンプレックス。彼女の設定をまるで自分の宿命のように語る口振り。
 「私のこと、怖がらないんですか?」の一言だって、よく考えてみればおかしい。
 そして「鬼子」の輪郭を垣間見た夢や、制動しきれない乳に対する強い情熱……アタシ自身もおかしい。
 今まで気にしなかった――いや、目を背けていた違和感がここに集い、巨大な仮説が誕生した。
 アタシたちは、「日本鬼子」を、誤解しているのではないか。
「君は……君が日本鬼子、本人なんだよね?」
「はい」
「『日本』さんを扮しているわけじゃないんだよね」
「はい」
 勘違いしていた。
 この子はコスプレイヤーなんかじゃない。
 鬼を祓う、鬼だったんだ。
「鬼は、嫌いですか?」
 その言葉は震えていて、アタシのことを……いや人間を怖がっているようにも思える。
 確かに「鬼」という概念については、文化的に「嫌いだ」という答えがひっつくのは仕方のないことだろう。
 でもこの子は「鬼」を祓う鬼だ。その勇ましい姿を想像して、憧れを抱いたのは確かだし、それは今でも変わらない。
 ……いや。ちょいと待たれよ。
 そもそも鬼は存在しない。神もいない。
 だからこそ灯篭に腰掛け、境内で同人誌を読もうなどという背信行為ができる。
 なら「彼女は鬼である」と考えるよりかは「彼女は鬼の外見をまねた人間である」と思うのが理屈に合ってると思わないか?
 となると彼女は鬼でもなく、またコスプレイヤーとも言い難い。
 いわゆる重症中二病患者の疑い出てくる。
 リアル中二病ほど痛々しいものはない。
 けれども、もし「日本」さんが本当にいたとしたら、それは一期一会なんていう騒ぎじゃない。
 文字通り夢にまで見た、正義のヒロインじゃないか!
「日本さん」
 だからアタシは、一つの賭けに出た。
 実に滑稽でありながら、最も有効的な賭けだ。
「鬼祓いをさ、今ここでやってみてくれないかな?」
 鬼なんていないんだから、鬼祓いだってできるわけがない。
「もし鬼を祓えたら、私のこと嫌いになるんですか?」
「いや、むしろできなかったら距離を取らせていただきたいというか……」
 もちろん、中二病的な意味で。
「わかりました」
 彼女はなぜか嬉しそうに頷いた。
 胸が、きゅん、と締めつけられる。
 普通の中二病なら、ここで待ったを掛けるはずなのに。
 ――もしかしたら。
 角の生えた少女は般若のお面を手に取り、それを自身の顔に近づけた。
 にわかに風が吹く。
 その風が少女を包み込むと、ふわりと紅葉が舞い上がった。まるで幻を見ているみたいだった。
 紅葉はどこから来たんだろう……そんなことを思った瞬間、胸から強烈な衝動が全身を駆け巡り、全ての思考が遮断された。
 ただ、ただアタシは……。
 少女の胸に目が行く。ただそれだけを見ていたかった。
 あわよくば、それを語り尽くしたい。この身を尽くしてでも、語り尽くしたい!
 心が暴れる。まるで身体の内側で大嵐が渦を巻いているようだ。
 乳、乳、乳……。
 暴走を止めるには般若から視線を逸らせばいい。そう本能は指令を下しているんだけれども、もう窮極的真理の証を目の当たりにしてしまった今、逃れる術は一つとしてなかった。
 ――乳、乳、乳!
 四肢がはち切れ、胴は爆ぜるのではないか。
 もう全てを投げだして悲鳴を上げてしまおうか……そう思った、そのときだった。
 アタシは、全ての苦しみから、解放された。
 胸の中の乳語りの衝動が、身体から抜け出てきたような、そんな気分。
 思わず力が抜け、砂利の地面にへたりこんだ。
 自由だ。もう、気持ち悪い思考に至らなくて済むんだ。
 そんな安息な日々が、再び訪れ――なかった。
「乳の話を、しようじゃないか」
 謎の台詞を耳元で囁かれる。鳥肌が立ち、全身が硬直した。
 そこには、鶏に似た二足歩行の生命体がいた。
「な、なにこれなんなのっ?」
 逃げようにも、腰が抜けて力が入らない。
「ふむ、嬢ちゃん、オメェとはいい乳の話ができそうだぜ」
「しゃ、喋ってるーっ?」
 なんだ、なんなんだ「コレ」は!
 こんなのが、現実にあっていいものなのか?
「おいおい、このオレを知らねえったあ、よっぽどの田舎モンみてえじゃねえか。ま、そいつはそいつで面白ェからいいんだけどよ。ま、出会った印に一杯乳を肴に呑もうじゃないか」
 赤眼に赤鶏冠、白い羽毛に包まれた三十センチほどの生き物は実に饒舌だった。もう何を言ってるのか頭に入ってこない。
「ひの、ひのもとさん……!」
 戸惑いなんて隠せるわけがない。もう死に物狂いで日本さんに助けを求めた。
 彼女は両手を伸ばし、何かを呟いていた。
 何をマイペースに! そう言おうとしたとき、少女の前に長身の棒のようなものが……いや、これは薙刀だ。彼女の身長を優に超す薙刀が生み出されていた。
 もう、中二病とか理屈的とか、そういった考えは遠く異次元へと飛ばされていた。
 日本鬼子だ。そう思った。
 正真正銘、彼女は日本鬼子だ。
「あなたに憑いていたのは、心の鬼の代表格、ヒワイドリです」
 日本さんは薙刀を構え、呟いた。
「この子に憑かれると、ひ、ひ……卑猥なことばかり考えるようになります」
 日本さんの顔が赤くなる。なんて純情な心の持ち主なのだろう。こっちまで恥ずかしくなってくる。
「いいねえ鬼子。オメェの恥じらいのこもった『卑猥』ってワード、最高に――」
 ズドゥッ!
「でも、もう大丈夫ですよ」
 さっきまですぐ横にいたはずの心の鬼が見当たらない。さきほどのあらぬ音と関係がありそうな気がしないでもないけど、あえて気にしないことにしよう。
 ヒワイドリという鬼に憑かれていたから、今日は変な衝動に駆られてばかりいたのか。
 実にしょうもない鬼だ。確かに迷惑だしお金の無駄遣いをしてしまったわけだけど、別に命を狙われたわけでもないし、誰かを死に至らしめるわけでもなかった。危うく電車内で痴漢をはたらき、法的に拘束されかけたけど。
 あと、角がなくても鬼と呼ばれるらしい。アタシたちの考える妖怪みたいなものも鬼として考えていいのかもしれない。
 日本さんが血振りをすると、薙刀が紅葉となって消えた。
「あの、田中さん」
 面と向かった日本さんを見上げると、彼女が、手を差し伸ばしてきた。
「お友達に、なって下さいませんか?」
「……え?」
 拍子抜けたお願いに、思わず耳を疑ってしまった。真剣そのものの表情からそんなことを言い出すとは思いもしなかったというか、唐突というか……。
「だ、だめですよね? 私、鬼ですし」
「いや、まだ何も言ってないんだけど」
「なら、お友達になって下さるんですね!」
 日本さんの眼が輝く。
「えーっと、そういうことじゃなくてさ」
 なんというか、日本さんってちょっと世間知らずだよなあ。
 立ち上がり、スカートに付いた泥を払う。
 友達、という言葉が嫌いなわけじゃない。ただ、それを口にすることがおこがましく思えてしまって、気が引けてしまうんだ。
「友達ってさ、『友達になろう』って言ってできるもんじゃないと思うんだよね。一緒にいて、話して、少しずつ相手のことが分かってきてさ、嫌なところを見つけちゃっても、それでもやっぱり一緒にいてもいいなって思える存在……っていうのかな?」
 歯切れの悪いことを言ってしまった。慣れないことを言うもんじゃない。
「ま、ぶっちゃけ兄貴の受け売りだから自分自身よく分かってないんだけどさ」
 照れ隠しに笑ってみるけど、きっと頬がひきつってると思う。
 そもそも兄貴のお説教の中で語られた話じゃないか。もうずいぶんと昔のことで、何で叱られたのかは忘れちゃったけどさ。
「……田中さん」
「ん?」
「だながざん……」
「え、ちょ、なんで?」
 日本さんが、泣いていた。アタシに手を差し伸べたまま、大粒の涙を拭うことも忘れ、しゃくりあげ、肩を震わし、唇を噛みしめ、ひたすらに泣いていた。
「だながざん……わだじ、こんななのに……ずびっ、すごいです、大切にじでぐれて……」
 砂利の上に滴が落ちた。
 すごくなんて、ないさ。アタシなんて中途半端なオタクでしかないし、これといって何の役にも立たない。アタシを助けてくれた日本さんのほうがずっとすごい。
 ってことを言いたかったけど、相手が泣かれてちゃ言っても通らないような気がする。
「日本さん」
 宙ぶらりんの手を握り締めた。やっぱりひんやりとしている。きっと心があたたかい証拠なんだろうな。
「助けてくれてさ、ありがとう」
 アタシはやると決めたらとことんやる女だ。
「お礼しようにも金欠だから何もできないけどさ、行きたいトコあったら、一緒に行こうよ」
 だから、日本さんが友達になりたいっていうんなら、その地位に就けるようにやってやろうじゃないか。
「なら……私のおうち、来てくださいますか?」
 鼻声のささやかな要望に、アタシは得意顔で頷いてみせた。
「いいよ。どこなの?」
 すると、日本さんは祖霊社の方を指差した。なるほど、北東にあるんだな。
 ちょうど山があるから、その山の中に住んでいるのかもしれない。
「祠の中です」
 アタシはやると決めたらとことんやる女だ。
 いや、でもしかし。
 ――冗談きついっすよ、日本さん。


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