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ほえぶる!

ファンタジーやら現代もののエンタメ小説やら紀行文やら書いてます。自転車にも乗る。「文藝サークル~綴~」の中の人、「おにこくらぶ」の中の人、「ドジョウ街道宿場町」の中の人です。


「僕の勝ち、だね」
 白渚は勝ったことを誇らしげにすることなく、感情を押し殺して呟いた。やけに国道から聞こえる車の音が気になる。伊東がビクリと身体を伸ばした。自分の活躍でオレたちの首を絞めたことに気付いたようだ。よっぽど試合に集中していたのだろう。責める気にはならない。
「統流、ごめん……」
 奏が謝る。オレはどう反応すればいいのかわからなかった。
「神子元が謝る必要ねえよ」
 大瀬崎が奏の肩を軽く叩いた。
「俺が神子元を巻き込んだだけだ。もちろん伊東もな」
 そして、身体をこちらに向ける。
「悪い、穂枝」
 大瀬崎……。
「お前、いつからそういうキャラになったんだよ」
「ちょ、せっかくのいい雰囲気をぶっ壊すなっ!」
 大声で突っ込むお前も雰囲気クラッシャーの一員だぞ……。
「それで、大瀬崎くん」
 白渚が話を戻す。
「今の試合、僕の勝ちってことでいいのかな?」
「ああ」
「絶対命令権ってやつも……」
「ああ」
 大瀬崎はキリッとした眼を白渚に向けている。
「お前、ひねくれキャラじゃねえのかよ」
「どっかのお前さんと一緒にすなっ!」
 突っ込みで顔がひねくれてるぞ、物理的な意味で。
 しかし、キャラに似つかわしくない清々しさだ。
「白渚、いい勝負だった」
 しかも相手に握手を求めている。
「こちらこそ、本当にいい勝負だったよ」
 お互いに手を握り合った。失ったものはデカいが、得るものもあったみたいだな。
「で、白渚、命令は何にするんだ?」
 握手を終え、大瀬崎は臆することなく話を持ち出した。こいつのどこから勇気が湧いて出ているのだろうか? ……いや、これは勇気じゃない。全てを受け入れているだけだ。
「命令といっても、僕には必要ないよ」
 まるで答えを用意していたかのような即答ぶりだった。
「それってまさか……!」
「あ、勘違いはよしてくれ。キミたちはいずみんと関わっちゃいけない……それはもうお昼に決まったことだからさ」
 そのとき、初めて気付かされた。大室が隔離される件は、白渚が勝つとか、命令をするとか、そういう以前の話だった。昼の件をなしにしてくれるなんてこと、初っ端からありえなかった。
「そういうことで、この命令権は大切にとっておくよ。それじゃ、もう帰りのバスがなくなっちゃうから、僕たちは帰るよ」
 いずみん、と白渚は大室を呼んだ。
 ……こくり。心なしか、大室の頷きがいつも以上に小さかった。
 それから、伊東と奏も帰り支度を始める。伊東はこっちが申しわけなくなるくらいに謝りまくっていた。オレなんてどうでもいいから、大瀬崎にも少しは詫びておけよ。
 女子二人が帰ると、残ったのはオレと大瀬崎だけになった。春の夜は動かないと寒い。大瀬崎も身体が冷えてきたのか、そわそわと身体を動かしている。格好が格好だから仕方がない。
「穂枝」
「ん?」
「風呂、貸してやる」
 久しぶりだな、大瀬崎が誘うなんて。銭湯も閉まる頃だし、是非とも大瀬崎の家に寄りたいものだった。


 大瀬崎の家には度々お邪魔をする。あのボロアパートには風呂が付いていないため、ときどきここの風呂を借りている。狭くて隅が汚れているものの、ここの風呂にはもれなくアヒルが付いている、ということで気に入ってたりする。ちなみにそのアヒルの尻尾に丸い字で『ひずえ』と油性ペンで記されている。ま、どーでもいい話なんだがな。
 とまあ、こんな感じで風呂から上がったオレは大瀬崎の部屋へと直行する。相変わらず足の踏み場がないほどの散らかりっぷりだ。ここまで来ると床に散らばったものをどかす気すら起きず、そのまま寝転がる。
 普段は適当にマンガを読んだりゲームをしたりして遊ぶのだが、今日は大室の話をしている。
「はあ……いずみちゃんと付き合いたいなあ」
 この部屋の主は溜息交じりに己の願望を漏らす。
「まだ言うか。もう『田舎来い』は終わったんだろ?」
「とは言うけどさあ、この想いも同時に終わって、きっぱり諦められるわけないだろ?」
 それも一理ある。いつまでも引きずるからな、男ってのは。
「でもな、そもそもお前には魅力がないからダメだ」
「なに! 俺に魅力がないだと? これを見てもか? 見よ、俺の肉体美!」
 と大瀬崎は踏ん張って力こぶを見せた。いや、お世辞にも『美』を付けられるほど美しくはないぞ……。
「お前な、魅力ってのは見た目だけの問題じゃない」
「マジかよっ!」
 衝撃の事実を聞かされ、床に伏す。いちいちリアクションがオーバーだ。
「さておき、普通に仲良くなるには共通の話題が必要だよな」
 もう会えないわけだが、むしろ会えないからこういう話で盛り上がりたい。
「共通の話題?」
「ああ。オーソドックスなのを挙げれば、趣味だな」
 それから話題を広げれば、お互いのことがよくわかるし、同じ趣味だったらそれだけで仲良くなれる。
「趣味? ああ、俺はサイクリングだな。俺、週末になったら三浦半島行くんだ……」
「……お前、途中で事故ると思うぞ」
「不吉なこと言うなよ!」
 不吉なことを言ったのはお前だ、と言っても理解されないだろうから黙っておこう。
「しかし、相変わらず凄えところまで行くよな」
 いずみがサイクリングを趣味としてるとは到底思えないが、大瀬崎の旅好きは本物だ。
「ま、やっぱり一番は富士山で決まりだけどな!」
「ああ、そういやお前、初日の出見に行くって言ってたよな」
 あれは……そう、まだあいつがオレの部屋にいたころだったな。
「樹海巡り、楽しかったか?」
「巡ってねえよ!」
 目を大きくさせて突っ込んだ。あの時は樹海巡りで大瀬崎をいじり倒したものだ。
 懐かしいな……。
「なあ……そういや、お前が樹海行くって本気で信じてた奴、いたよな?」
 ソフィア、懐かしいよなあ。
 久々にそんな話をしたかった。
 なのに。
「ああ。えっと、確か……あれ?」
「どうした?」
 大瀬崎の顔が焦りのような、戸惑いのようなもので曇っていく。
「いた……っけ? もう一人いたような……でも、あの時は伊東とも知り合ってなかったよな?」
 ついに狂ったか? 大瀬崎。
「いや、だってさ、お前も神子元も、そういう冗談は言うけど、マジで言う奴じゃねえじゃん? ……ってか、あれ? っかしいな、あのとき三人だけだった……っけ?」
 頭を掻き、大瀬崎は何かを必死になって思い出そうとしていた。だが、なかなか思い出さない。
「なんだよ、忘れたのか? ほら、翼の生えたあいつだよ、えと……」
 誰だっけ? と思考を巡らせ、やっと名前が思いつく。
「ソフィアだよ。ソフィア」
「ソフィア……? あ、ああ。あいつね、ソフィア。バカだな、なんで俺ソフィアのこと忘れてたんだろ」
 大瀬崎はよく女子に『ちゃん』付けして呼んでいる。ソフィアに関しても例外ではなかったはずだが……。でも、気のせいかもしれない。特に気にならなかった。
 そのあと、あいつの話は隅に置き、大瀬崎をいじり続けた。やがて、話し疲れたオレは帰路に就く。大瀬崎家に泊まることは一度もなく、今回も例外でないわけだが、それ以上にあいつの話をしたあとから大瀬崎と話したくない気分だったからだ。


▲四月十六日(水)


 次の日、大室は休みだった。担任から理由は説明されなかったし、皆気に留めることはなかったから、きっと大室がいても変わらない日常が送られることだろう。
「ちぇ、残念だ」
 オレと大瀬崎だけなのか? このクラスで大室を心配している奴は……。
 大室がいないってことは、白渚も看病のために欠席しているかもしれない。
 なあ、これでいいのか? 白渚。
 昼飯は久しぶりに学食になる。オレも今日は弁当を作っていない。昼休みを知らせるチャイムが鳴り、立ち上がった。大瀬崎は……すでにいない。さっき突風が通り抜けたのだが、もしやあれが大瀬崎だったんじゃないのか? ったく、どんだけ学食が楽しみだったんだよ。
 食堂へ着くと、大瀬崎が入り口で痙攣しながら倒れていた。
「餓死か?」
「満身……創痍、だ……」
 微妙にずれた答えだな。
「タイムは……タイム、は……?」
 虫の息の大瀬崎が掠れた声で訴えかける。
 大夢。正式名称大夢定食。少年よ、大志を抱け、というかの有名な名言に心打たれた食堂のおばちゃんが「大きな夢を抱いてほしい」と考案した定食だ。文字通り食べた人を夢の世界へと連れていってくれる。なぜか大夢定食と桃色・女王様ラーメンのセットを完食した者はいないという伝説が残っている。なぜかは……察してくれ。
「安心しろ、大夢定食はいつだって余るほどあるぞ」
「違……そう、じゃ……」
 大瀬崎は力尽きた。
 やれやれ、そろそろ混む時期だし、『これ』は椅子の上にでも置いておこう。
 久しぶりの食堂は懐かしかった。大室や伊東の弁当もうまいが、ここのカツサンドは格別だ。隠し味は一体何なんだろうか?
 ちなみに大瀬崎にはお望み通り大夢を買ってやった。無論奢りじゃないぞ。目が覚めた大瀬崎が泣くほど喜んでいたことだし、買ってやった甲斐があったってもんだ。
 大瀬崎が定食を食い終わるのを待っていると、伊東からメールが来た。
『明日、みんなでまた遊びませんか?』
 明日? 明日は平日だが……そうか、開校記念日なのか。担任め、何も知らされてないぞ。聞くまでもないが、大瀬崎にも相談をする。
「決行だっ!」
 二つ返事でゴーサインだった。
 こんな日常ってのも、アリっちゃアリだな……。


学校にいる間、大瀬崎と一緒に昔のことを振り返ることは一度もしなかった。もしも冬の話が持ち上がってしまったら……オレは耐えられなかったろう。
 コツを習得しなければ一発で入らない鍵穴に鍵を差し込む。いい加減油を差さないと、と毎度思い返されるドアの音。今日もまた暗い部屋がオレを迎え――、
「おかえり、統流くん」
 迎え……?
 まさか、帰ってきたのか?
 あいつが、翼の生えた少女が!
「ほれ、突っ立ってないでお上がり」
 ……あれ?
 あいつはあんなにしゃがれた声をしていたっけか?
 まさか、ウラシマ効果?
 あり得る話だ。未来で必要とされていたあいつだが、年老い役目を終えたあとでならこっちの世界に戻ることくらい簡単だろう。
 オレのことを覚えてくれていたのか……。
「ほれ、ワシのオゴリ、じゃよ」
 だが、残念なことに、今の声は明らかに男性のものだった。
 そして、ちゃぶ台には似合わない程豪華な料理の数々。部屋中に漂う香ばしい香り。
 大家さんがお茶を飲んで待っていた!
「どうして大家さんがオレの部屋で飯を作って待ってるんすか?」
 大家さんが美少女だったら、この上なくベッタベタのマンガになるのだが。
「ほれ、この『ぴらふ』が自信作じゃよ」
 大家さんはまるで聞き耳を持たないようで、穏やかに笑っていた。
 やれやれ、食うしかないか。
 靴を脱ぎ、カバンを放り、大家さんと向かい合って座る。ちゃんと箸や取り皿まで用意してくれていた。湯呑にはお茶も入っている。
「それでは、召し上がれ」
「はあ……。じゃ、いただきます」
 どうしてこんな状況になっているのだろうか? まあ、最近の夕食は誰もいなかったから、こう賑やかだと嬉しいな。
 とりあえず大家さん自慢のピラフを頂くことにする。
 湯気からしてうまい。一口入れれば一目瞭然で、お米の硬さ加減、油加減、火加減、全てが程良く調和され、一つの作品が出来上がっていた。
「大家さんって、料理うまいんですね」
 いや、単に上手なだけではない。
 味がうまいとか、それだけでなく……これは、なんというべきか、覚えのある味だった。懐かしい、というよりかは、食べ慣れた、食べやすい味だった。前に食ったことがあったっけか?
「これでも得意料理は醤油和えスパゲッティなんじゃよ」
 大家さんは終始とてもご機嫌だった。大家さんとの夕食は恐らく初めてだったが、とても会話が弾んだ。爺ちゃんはオレがガキん頃に亡くなったが、きっと生きていたらこんな感じだったんだろう。
 帰郷ぶりに食った豪華な飯は意外とあっさりなくなってしまった。食器を洗った後も大家さんはちゃぶ台のところでお茶を飲んでいた。
 二人でのんびりと過ごす時間。いつぶりだろうか? ずいぶんと心が休まる。ここにあいつがいれば、もっともっと安らぐのに。でも、もうあいつはいない。一生会うことすらできない。いい加減に現実を受け止めてくれ。
『いた……っけ?』
 なあ大瀬崎。なんでど忘れなんてしたんだよ。ど忘れなんだろ? まさか、本気で忘れただなんて言わせねえからな……。
「統流くん、どうしたのかい?」
 大家さんは空になったオレの湯呑にお茶を注いでくれる。
「あ、いえ。すいません」
 湯気の立つお茶を口にし、喉を鳴らす。食堂に熱いものが通った。
 落ち着けるもんか。そんなもんでオレの心に平安が来るとでも思うのか?
 なあ、大家さんならわかるよな?
 オレの、グチャグチャになった脳ミソがねっとり練られていく気持ちを。
「あの、大家さん」
「なんじゃ?」
「あいつ……ソフィアのこと、覚えていますか?」
 聞いた。
 それが、もし後悔することになるとしても、聞かずにはいられなかった。
「ほう……」
 大家さんが目を細める。
「ソフィアさん……ですかな? ふぉっふぉ、懐かしい名前じゃ」
 よかった……。
 ソフィアさん。大家さんはあいつのことをそう呼んでいたから。
「確か……伊豆の踊り子さんじゃったかの?」
「いえ、違います……」
 いつもの大家さんだった。
「大家さんもあいつのこと、忘れてるんじゃないかって……少し、不安だったんです。もしかしたら……オレもあいつのこと、忘れるんじゃないかって」
 それから、昨日の大瀬崎の話をした。あまり話したくないことだったが、大家さんにだけでも話したほうがいいと思った。
「それは……悲しい話じゃの。でも、安心しなさい。ワシはずっとずっと、翼の生えた少女の存在を忘れないよ。絶対に、じゃ」
 その決心が、オレを安心させるためでないことくらい、目を見ればわかる。
「どうして、そんなことが言えるんですか?」
「統流くん、ワシはあなたと同じ『におい』がするからだよ」
 即答される。逆にオレが戸惑ってしまう。
 オレのにおい? なんだそれは?
「そうじゃな……強いて言うならば、お茶の『におい』じゃ」
「お茶?」
 大家さんはゆっくりと頷いた。
 そりゃ、大家さんならオレと同じくらいお茶飲んでるだろうけど……。
「翼の生えた少女、か……。懐かしいの」
 大家さんは遠い目をする。オレには、数ヶ月前を見ているというよりも、自分の少年時代を思い出しているように思えた。
「大家さんも昔会ったことがあるんですか? 翼の生えた少女に」
 ってことは……。
 あいつ以外にも、未来からやってきた人間というものがいる、ということなのか?
「あるよ。とってもべっぴんさんが一人、な」
 大家さんの肯定の頷き。確かに存在したのだ、未来からやってきたもう一人の人間が。
 だが、冷静に考えてみる。大家さんのボケが始まった、という可能性も捨てきれないんじゃないか?
 あり得る……。というか、パターン的にそろそろボケる頃だ。
「あの、それってソフィアのこと、じゃないですよね?」
「ソフィアさんじゃ」
 ん……?
「えーっと、オレの部屋にいた、『あの』ソフィアですか?」
「ソフィアさんじゃ」
 子供のように目を煌めかして頷く。そりゃそうだけど……。じゃああの遠くを見るような瞳は単なる気のせいだったのか?
「……そうじゃ、せっかくソフィアさんの話が出たんじゃ。統流くんにとって、少しだけ為になる話を聴かせてあげようかの」
 それを聞いたところでソフィアに会えないことに変わりはない。ましてや大家さんのことだ、的外れな説教になるかもしれない。でもオレはほんの僅かな希望を祈ったのか、首を縦に振っていた。
「ソフィアさんは旅立ってしまった。ワシらにとってはとても触れられぬ世界で、決して追いつけることのない遠い遠い未来の世界へ、じゃ」
 大家さんの長い話が始まる。
「旅立ったあの日から、もう幾つの月と日が経ったんじゃろうな……。じゃが、ワシは思うんじゃ。時とは、過ぎ去るものではない、とな。ましてや単に一方へ流れるものでもない。川の岸は洪水の都度姿を変え、朽ちた倒木から芽が萌え出づる。この世の全てのものに記憶があるのならば、時とは積み重なった全ての記憶じゃろう。ワシはこの町の『時』をずっと見続けてきた。じゃからワシは忘れんよ。この町の記憶はずっと、な」
 それは当たり前のことで、だがよく考えると斬新な思想でもあった。
「……オレにも、言えることでしょうか?」
「それはわからぬよ。統流くん、あなたは六十年前のこの町がどんなものだったのか、知っておるかね?」
 オレは、首を振った。ここらの歴史なんて興味がなかった。実家周辺の昔話も、もう忘れているくらいだしな。
 大家さんは悲しく笑った。
「それと同じじゃよ。残念なことじゃが、時は新たな記憶に埋もれ、忘れ去られてゆくものなのじゃからな……」
『確か……あれ? いた……っけ?』
 大瀬崎の言葉がよぎった。
「嫌だ。オレは忘れたくない。あいつの存在を!」
 オレは何に対して反抗しているのだろうか。何に反抗すればあいつのことを忘れられずに済むのだろうか?
 そもそも、どうして忘れることを前提に考えてしまっているんだ?
「忘れたくない、かの。とても苦痛なことじゃろう……。『時』に抗おうとすることはつまり、世界の秩序を乱そうとするものじゃからな……」
 秩序を乱す?
 ソフィアを忘れずにいることで、どうして世界の秩序を乱すことになるんだ?
 わからない。わからないまま、時が過ぎていく。
「『きせき』の話を昔にしたのを覚えておるかの?」
 大家さんがそっと問いかける。
 覚えていないはずがなかった。
「どんなものにも全部理由があって、偶然なんてものはありえない、というあれですよね?」
「そうじゃ。偶然が始まるのが『過去』で、たくさんの偶然が積み重なった今を『現在』と呼び、無限に広がる可能性のうち、ある一つの未来に繋がる偶然が『きせき』なのじゃ。そして、小さなことでもいい、『きせき』には理由があるのじゃよ」
 あの時と同じことを繰り返す。
「つまり、どういうことなんですか……?」
 どうしてここでその話が出るんだ?
「いいかい、統流くん。この世界でも、『きせき』は起こり得る、と言うことなんじゃよ」
 奇跡が起こる? もしその奇跡とやらで願いが叶うのなら、もう一度あいつに会いたい。
「ソフィアと、また会えるのか?」
 しばしの沈黙のあと、大家さんは微笑んだ。
「さあ、それはわからんよ。でも、じゃ。ワシが言いたいのは、信じ続ければいつかは『きせき』の種を見つけることができるかもしれん、ということじゃよ」
 オレにはまだわからないことだったが、大家さんの言うことだ、何かとても重要なことかその真逆かのどちらかだ。
 大家さんはコタツに手を突いてゆっくりと立ち上がった。
「さて、統流くん」
 曲がった腰で、ゆっくりと棚まで移動し、その上に置いてあるロケットを手に取った。
「この首飾り、借りてもいいかな?」
 鉛色に輝く涙型のそれを胸まで上げ、オレに見せてきた。
 まあ、貸すくらいならいいだろう。快く承諾しておく。
「ふぉっふぉ。よかったよかった。実のところ、今日はワシはこれを借りに来たんじゃよ」
 もう一度嬉しそうにフォッフォと笑うと、ロケットをポケットにしまった。
「それでは、もう夜も遅いことだし、ワシは寝ることにするよ」
 小さく笑い、大家さんはそそくさと部屋を出ていった。
 大家さんがオレの部屋に用事があって来たことなんて一度もなかった。
 よっぽど借りたかったんだろうな……。大家さんのことだから、その理由は全くもって不明であったが。



第十八話『水辺の夕陽』に続く

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