ほえぶる!

ファンタジーやら現代もののエンタメ小説やら紀行文やら書いてます。自転車にも乗る。「文藝サークル~綴~」の中の人、「おにこくらぶ」の中の人、「ドジョウ街道宿場町」の中の人です。

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
笹波のしか、日本鬼子を見て萌え散られた結果生み出された言霊を詠める歌。


一.
  日ノ本の 影に染まれる 紅葉着の 立つ背は澤の 流るる様よ
  天伝ふ 東の果ての かの島の 光に編まれて 生まれたりけり
  恋ひの素 人の心を 種にして いざ萌えにしが 西の果てまで
  雑言も 罵り言葉も 悪口も 白たつ海の 日差しのやうに
  荒波に 呑まるは無かれ 渡りたし 萌の光 己が心の
  地鳴にも 騒ぐは無かれ 一輪の 花は勝らん 千の戦に


二.
  日ノ本の 風に靡ける 黒髪の 生糸は笹の 流るる様よ
  大和なる 誰にも負けぬ もみじ葉(ハ)の もえ散るものぞ うるはしからん
  人が身の うちに眠れる 卑し事 いざ癒やしからん 妹にゆかして
  天つ前 生きとし生ける ものならば いづれか姫を 愛ぜざりけんや
  現世は 間近の道も 見えねども 夜明く朝焼け えならぬものよ
  踏みにじり 踏みにじれども 天昇る あなをかしきや その故我が名







作成時間大体一時間半分くらい。
ほとぼり冷めたらへんでここに投下。


日本鬼子(ヒノモト-オニコ)ってなあに?って方のために、とりあえず参考↓

「日本鬼子」まとめ@wiki ⇒http://www16.atwiki.jp/hinomotooniko/pages/1.html

⇒続きを読む

スポンサーサイト
どうも、じょがぁです。


最近気管支の調子が優れなくて数週間前に薬を貰ったんですが、薬を使いきってもなお咳と喘息が続くので、今日再び薬を貰ってきました。

んで、薬局で会計をするとき、


薬剤師「それじゃあ三割負担でお願いします」


って言われて、そういえば医療保険ってのがあって受診者はかなーり安く薬が入るんだなあ、としみじみしたりしてみた。

つか、3割しか払わなくていいって、マジ日本大判振る舞いだろw


薬剤師「はい、6310円ですね」


ちょwポケモン黒より高いじゃねえかw






いや、この値段には本当に驚いた。

だって本来の値段はこの2倍以上、2万円を超える金額なんですからね。
2万って言ったらそれなりに使えて安い自転車用ヘルメットが二つも買えますからね!(何)



まあ、そんなのは常識みたいなもんなんでしょうけど、でも実際こんな大金を負担して下さるのは本当に嬉しいことですね。
ほんと、医療保険様様です。ありがたやありがたや……。
木枯らしと枯れた色する曇り空fallに追われて振らぐflagよ吾が身


どうして頑張るんだそこで! 諦めてみろよ! 周りのことなんて気にすんなよ! 寒い寒い……。そうですよ、この北から吹いてくる風のように、お前も冷たい心を持ってるだろ!? 出来るって言わない! どんなに頑張ってもさ、どうにもならないことってあるのよね! 出来ない出来ない出来ない出来ない……。俺だって-10℃のところで寒い……って震えてるんだよ! 何にも出来ない! 凍えることしか出来ない! だからこそ、もっと、もっと、もっと! 寒くなれよおおおおお!!!














⇒続きを読む

表紙からして竜騎士07無双な予感。

どうも、字足らず語彙足らず、じょがぁです。


今月からの新連載のうみねこ散。
これで竜騎士07原作が三作品ということに。


というわけで11月号です。
新連載の他にも、第2回J1グランプリを生き残った3作品もございますよ。


来月11/22(MON)発売の新刊↓

「夏のあらし! 8(完)」
「プラナス・ガール 3」


先月最終回だった夏のあらし!が早速刊行。作業早いっす。
最終回といえばガンガンのハガレンも同日に発売ですね。
受験近いけどどうすればいいのよ?


ちなみに今月(9/22)の新刊↓

「アラクニド 2」
「戦國ストレイズ 7」


アラクニド買い忘れてた。


では本編へ。


秋タカ「うみねこのく頃に散 Episode5:End of the golden witch」

あれ、ベアトさんがどうしてこんなにやつれて……? Ep4で何が起こったんだか。
しかし戦人のカッコよさは変わってないなぁ。
彼の精神力はきっとブッダに相当するだろうね。


藤原ここあ「妖狐× 僕SS」

蜻蛉にしては地味過ぎる卑しい親切に泣いた。俺ドM。
御狐神くんのペロは普通のキスよりエロい……。
というか、これフラグだよね?


忍「ヤンデレ彼女」

髪の色変わると誰が誰なんだか分からなくなるなw
110頁右下のコマの校長、絶対心の中で「計画通り」って言ってるよね。
先生ベタ塗りお疲れさまでした。


タカヒロ 田代哲也「アカメが斬る!」

スラム街の人たちとブドー大将軍は伏線、だよなあ。
つか、異民族っていたなあ、瞬殺だったけどw
さて、帝具のコロちゃんがどんな技を繰り出すのか期待。


小島あきら「わ!」

扉と岩千鳥さん、もう結婚しちゃえばいいのに……。
ああ、懐かしいな写真部メンバー。まなびやっていつから休載してたっけ?
ああ、部長に会いたいっ! けど先生のお体を優先させます。


村田真哉 いふじシンセン「アラクニド」

あらゴキ沖さんって金髪だったんですね、てっきり黒光り色かt(ry
うは、スタイルが良くてぬるぬるしてて下着だけどこれほど嬉しくないシーンはないな。
えー、つまり、ヒントは沖さんの自家ローションプレイ、うん、そう。


吉辺あくろ「絶対☆霊域」

聖一のマスク&アイマスク姿が似合いすぎて怖い。この人絶対犯罪者だよね。
不謹慎ながら思わず笑ってしまった回だった。看護師は俺の嫁。
この展開、次回でひなちゃんとの仲が縮まると見たが、この解釈で大丈夫か?


山口ミコト「死神様に最期のお願いを」

あれ、変だな、なんかコープス・パーティーみたいだぞ……。
だからJOKERのホラージャンルは飽和状態だって言ってるんだ!
しかし馬は不覚だった。


松本トモキ「プラナス・ガール」

突然登場した委員長に登場人物も読者も振り回されたんじゃないかな?
さすが委員長、クラスの頂点に立つ女……。
ってか、紫苑の存在がどんどん薄くなってるような。軽く忘れてた。


篠宮トシミ「コープス・パーティー」

哲志も直美も無事生還して欲しい。切に願うよ。
でも七星の台詞、一人しか生還出来ないフラグだよな……。
次回はあゆみ回かな?


めいびい「黄昏乙女×アムネジア」

夕子さんの体操服姿最高。もう夕子さんが着ると何でも似合う。
モデルがいいんだよな、絶対。これでお腹いっぱいになりたかった。
霧江が割と貞一の世話してる隠れツンデレ感が溜まらない。マニアでごめんよ。


↓以下3作品、J1グランプリ選抜作品↓


高遠レイコ「かしずき娘と若燕」

紐に引かれるロリロリさんのお話。
いかにして女性が紐に引かれるのか、非常に参考になるお話だった。
ツバメが可愛すぎてしょうがないんだけど自分ロリコンなのかな……?


卯月なごや「めがねとメガネと眼鏡と白衣」

メガネとヘビが本体なんだな、というこのお話。
うん、全員眼鏡キャラとか、眼鏡フェチの方なら発狂モノ。
徹した信念は良いけど、キャラ紹介っぽい話になってたのが残念だなあ。


梨笠ユウミ「+リリィ」

主人公五十鈴とヒロイン千早(神)がどんな理由で出会ったのか。
敢えて明かさないのは作者が続きを欲しているからか。
作品の中に野心を感じて、グッと来た。


↑以上G1グランプリ選抜作品↑


高坂りと「“文学少女”と死にたがりの道化」

最終回かよ!? もっと続くかと思ったw
屋上の一件で遠子先輩は心葉が小説書いてたこと知っちゃってるんじゃない?
2011年1月号から新連載「“略”と飢え渇く幽霊」が始まります。


七海慎吾「戦國ストレイズ」

息子に見せる最期の姿は父として、本当の最期は武士として死んでいく。
致命傷受けてるのに、青かった空が紅くなるまで生き永らえるなんてな……。
道三さんマジ漢だよ……。


鈴羅木かりん「ひぐらしのく頃に解 祭囃し編」

鷹野も本当は普通の人だったんだよな……。
環境が悪かった、境遇が悪かった。
人って初めっから殺戮しようとか思わないしね。


木村太彦「瀬戸の花嫁」

しかし色々と何が何だか分からない内容になってるような。
なぜに父さん変身したし。そんな設定あるのかな?(あるならあると言ってくれ……)
うーん、打ち切りエンド臭が……。


檜山大輔「ひまわり」

今回のシーン見ると陽一のシスコンぶりがよくわかる。
さてさて、次回でアリエス編が終了ってところかな?
「次回予告」が演出されてたら原作厨歓喜だなw(ワクワク)


尚村透「失楽園」

生徒会役員が寝返るとか、そんな簡単なオチじゃ終わらない、よな?
いや、エルさんはきっとエビでタイを釣る気なんだ!
それにしてもスリッパショットの絵は上手い。


夏海ケイ「うみねこのく頃に Episode3:Banquet of the golden witch」

巻頭のベアト見てからこっちのベアト見ると、可哀相でしょうがない。
戦人もう少し構ってやってくれよ……。ベアト可愛すぎるよ……。
後半の銃撃戦が痺れる。素晴らしい戦略に描写力だ。


カザマアヤミ「はつきあい」

あ、扉絵好き。伝えたいことは分かるけど具体的には出来ないもどかしさが出てる。
というわけで橋本×莉乃再来。今度は莉乃視点。
莉乃の心情が現れてて、もう一度前の回を読み返したくなる。


鳴見なる「絶対†女王政」

女王様黒いです……。だがそれがいい。
母親にも振り回される悠馬の女難。
余談。登場人物増えてるし、そろそろあらすじページ更新した方がいいんじゃないかな?


河内和泉「EIGHTH」

そうか、ルカはクララだったのか。
いや、単なるセルシアにゾッコンな男だったってわけね。
やっぱセルシア可愛いよ。異論は認めん。


横山知生「私のおウチはHON屋さん」

ついにあらすじページの注文が人間外の注文へ……。どこがR18なんだよ。
小学生なみゆが幼稚園なみゆに。
この発想は無かったwいつもありがちとか言っててスミマセン。




本編は以上。

先月は「夏のあらし!」、今月は「文学少女」、来月は「瀬戸の花嫁」かな?
今年の初めのころは新連載ラッシュだったけどここ最近は連載終了が多いですね。
新旧交代の時期ってことですかね?

とか思ってたら、来月は新連載が始まるようです。
その名も「花咲くいろは」

……って原作P.A.WORKSかよwww

どうやら近々アニメで登場する作品が先行して漫画化ってことらしいです。
個人的に注目したいのは、キャラ原案が岸田メロ先生だってことですかね?

舞台は温泉。
「少女たちの揺れ動く~」とか書いてあるから、ポロリ系なのかな……?
いや、心が揺れ動くんだ!と期待しつつ、ほのぼの系を期待しつつ、来月のJOKERも期待ですね。



余談。

え、忍先生って男じゃなかったんですか!?


結婚してくだs(ry
笹波のしか、ぶっちゃけ受験成功しねえよと嘆きつつも松岡修造の影響を受けて鼓舞するを詠う腰折れの歌。


  獣道今を止まむに先も止む今を進めば前へ進まん


どうしてそこでやめるんだ、そこで!! もう少し頑張ってみろよ! ダメダメダメダメ諦めたら!! 周りのこと思えよ、応援してる人たちのこと思ってみろって。あともうちょっとのところなんだから! 俺だってこのマイナス10度のところ、しじみが取れるって頑張っt
う、ういてる、だと?


何…だと……?


なぜかニコニコプレーヤーだけがデスクトップに飛んでしまっているという状況に。

うはw何が起こったんだww


もしやと思って動画のページに行ってみると、

う、ういてる、だと?3

消wえwてwるwww


見事にプレーヤーだけが家出をしている。
なんなんだこれは……!


ちなみに、

う、ういてる、だと?2

もちろんちゃんと再生しますよ^^


というわけで、



この動画は作業用BGMとして愛用しておりますw
皆さんもぜひどうぞ^^
笹波のしか、二次元を求めんとするを詠う腰折れの歌。


  秋山の榊に篭る胸の内つねにならめやそなたを見れば


我々が虚構であり、箱の中が現実なのだという新説。

というわけでじょがぁでした。
笹波のしか、授業中に落ちるを美しく描かんとする阿呆を詠う腰折れの歌。


  ひさかたの空をあまねく朝霞こらす黒板ぼけて見えけり


ちなみにルーセントハートってのはこれです。

原画なのかどうかは微妙ですが、このページに描かれてるキャラクター。
何となく岸田メル氏と似た絵を描かれてらっしゃいますが、多分別人でしょう。

当然じょがぁはやりませんよ? ぶっちゃけオンラインゲームは苦手だ。目悪くなるしね!
 鳥の鳴き声が、いつも以上に明るい。
 このアパート暮らしも、もう一年が経っていた。初めのうちは愚痴ばかりだった。寒い日は寒く、暑い日は暑い、それに狭い、しかも風呂がない、ボロい、隣のテレビがうるさい、などなど。唯一の長所は家賃が安いことだけで、こんなところに住むんならいっそホームレス高校生でいい、なんて思っていた。でも、いつしかそんなボロアパートのことが好きになっていた。住めば都ということわざも頷ける。
 オレはぼんやりと窓の外を見つめながら久しぶりの制服に着替えていた。もう春だ。生命の力強さが身に沁みる季節になっていた。高校の正門に咲く桜の花も満開になっていることだろう。オレは今日から高校二年生になる。
 ……そうそう、学校へ行く前に電話をしなくてはいけないのを思い出した。制服を着ると、携帯電話を開いた。オレの部屋の電話は携帯だけだ。置き電話なんてむしろ不便だ。
 電話帳からずいぶんとかけなかった電話番号を探した。すぐに見つかる。発信ボタンを押すと、しばらく電子音が聞こえ、それから声が聞こえる。
 ――もしもし、穂枝です。
 男らしい太い声がした。何年も聞いてないような気がしたが、実は春休みに一度会っている。
「オレだ、統流だ」
 ――なんだ、統流か。こんな朝早くにどうしたんだ?
 声の主は、照れを隠すように感情を抑え込んでいた。そんなことしなくてもいいのに……とオレは思う。
「今日から高二なんだよ。それだけだ。悪いか?」
 なんて思ってるオレなのに、わざわざ声色を変えてふてくされてしまった。言い換えるのなら、立派な照れ隠しだな。
 ――そうか。ま、頑張ってやれよ。
「言われなくとも頑張るっての。じゃ、切るな」
 会話はそれだけで終わった。電話にしても短すぎる。でも、オレたちにとってはそれで十分だった。
 ――ああ。元気でな、統流。
「じゃ、風邪引くなよ、父さん」
 そう言って、オレは携帯を切った。
 オレは、いつからか親父のことを父さんと呼んでいた。不器用な親子だよな、オレたち。
 しばし携帯の画面を見つめていた。そして、思い出したようにオレはカバンを手に取った。
 まだ遅刻する時間じゃないが、クラス発表がある。早めに行きたいじゃないか。


 二年の教室は一年の教室の下にある。一階低くなるんだから、景色は一年の頃よりも悪くなる。少し憂鬱になるが、でも新鮮味はある。席に座るとやることがなくなった。こんな早くに学校へ来るもんじゃないな。仕方なく机にうつ伏せて教室を見渡した。もう二人から四人程度のグループに分かれておしゃべりをしてる奴らがいた。でも、オレのように二年早々居眠りをしてる奴らもいる。
「またお前と同じかよっ!」
 背中から馴染みのある声がしたから、オレは振り返った。黄色い髪の毛に、爽やかな笑顔、ボタンを全部外した制服を着ているのは、間違いなく大瀬崎だった。クラス替えをしたが、オレはまた大瀬崎と同じクラスになってしまったのだ。
 大瀬崎は一年から全く変わっていなかった。
「ああ、そうだな。こりゃもう最悪のクラスだ。今まで生きてきた中で、これより下のクラスは無いって断言できるほどのクラスになっちまったな」
 だから、オレも変わらない反応をした。
「さすがにそこまで言われると泣きそうになるんですけど……」
「じゃ、泣け」
「フォローしてくれよっ!」
 目を見開いて大瀬崎はツッコんだ。本当に変わらない奴だ。
「大丈夫だ。『今までに』こんなクラスは無いって言ったんだ。来年や再来年は、このクラスよか悪いクラスになるかもしれないぞ」
「フォローになってねえよっ! ってか、クラス替えってもう来年しかないんじゃないっすか?」
 確かにそうだった。大学に入ったら、クラス替えするようなクラスなんてないに等しいんだろうし。
「……で、神子元は同じクラスなのか?」
 どうやらオレに訊いてくるところ、こいつはまともにクラス発表の張り紙を見ていないようだった。
「奏は違うクラスだよ」
「……マジで?」
 大瀬崎が引きつり笑いをしていた。嬉しいんだか寂しいんだか。でも驚きを隠せない様子だ。オレだって、クラスに奏の名前がなかったときは衝撃を受けた。そのときは心配で仕方がなかった。でもそれは一瞬のことで、今では腹が据わっている。
「でも、奏なら大丈夫さ」
「神子元だから大丈夫なわけないだろ」
 オレと大瀬崎の意見が食い違った。だが、オレにはちゃんとした考えがある。
「今年の奏は一味違うんだよ」
「……ふーん」
 大瀬崎は半信半疑だった。
 しばらくすると、新しい担任がやってきた。出席を確認したあと、体育館に移動した。それから始業式が始まった。もちろん誰も先生の話なんて聞くわけがなく、寝ていたり携帯をしていたりしていた。オレもどうしようか迷った挙句、ぼうっとすることにした。
 校長の話が終わったあたりだろうか、ポケットに入っている携帯が震えだした。オレは震動で驚き、反射的に携帯を取り出た。開いてみると、奏からだった。
『ホームルームが終わったら食堂に来なさい。駿河も連れてくること』
 友達探しの手伝いでもするんだろう。オレは前向きに手伝おうと思ってるから『了解』と打って、気合を入れた。
 そして、そのあとのホームルームを適当に過ごし、放課後になった。帰ろうとしている大瀬崎の首を掴み、そいつを引きずりながら廊下を駆けた。
「シュ、シュールだからっ!」
 そんなことを言っていたが、ムシして食堂へ急いだ。


 今日は午前のみの学校なので、食堂はがらんどうだった。でも、購買のおばちゃんはいた。ただ、ラーメンや定食は売っておらず、パンが少し売られているだけだった。
「遅いわよ!」
 食堂に入ってきて、開口一番奏がそう怒った。オレたちは確か、ホームルームが終わってすぐに走ってここまでやってきたんだが。お前、早すぎるからな。
 オレは大瀬崎を掴んでいた手を離し、奏が座る席へ向かった。後ろから大瀬崎が付いてくる。
「なあ穂枝」
 大瀬崎がひそひそと後ろから呟く
「なんだ?」
「見知らぬ女の子がいるぜ」
 確かに、大瀬崎の指すところ……奏の隣に見知らぬ女子がいる。
「ほらほら、話は座ってから」
 オレが見知らぬ女子のことを言おうとしたら、奏がそう言ってきた。オレは言われたとおり奏と向き合う椅子に座った。大瀬崎があとから隣に座る。
 奏の隣に座る女の子の第一印象は、おとなしそう、だった。メガネをかけ、ソバカスだらけの頬を見ると、奏とは正反対の人間のように思えた。まあでも、サイドポニーテールはよく似合ってると思う。驚いたように大瀬崎の金髪を見ていた。最低でも不良との付き合いは、いじめる、いじめられるの関係を除けばゼロと言ってもいい。
「こいつらは、私の友達」
 奏がその女子にオレたちの紹介をするようだ。
「やる気のなさそうな顔してる、つまらなそうなほうが穂枝統流よ」
 なんとなく気にくわないが、奏はオレを紹介した。
「どうも、穂枝統流です」
 軽く頭を下げると、向こうも頭を下げた。でも、ずっと目はこっちを見ていた。警戒されている。
「それで、統流の隣に座ってる、金髪の変人は大瀬崎駿河」
「言っておくが、九百九十九のケガを持つ男だ。この学校一のワルだぜ。グェッヘッヘッヘッ」
 九百九十九のケガだなんて痛々しい。出来れば傷と言ってもらいたかった。
 大瀬崎が身を乗り出してその女子を睨む。女子は驚き、身を縮ませた。
「威嚇すんなっ!」
 オレは大瀬崎の頭に渾身のチョップを繰り出した。そう、渾身のだ。大瀬崎は変な悲鳴をあげてテーブルにうつ伏せた。
「……こんな奴だけど、オレたちの雑用担当だ。目一杯こき使ってもこいつは怒らない。むしろ喜んでご奉仕する奴だ」
 オレの説明にこの女子は目をパチクリさせていたが、小さく頷いた。
「こいつらは、結構恐そうに見えるかもしれないけど友達思いなのよ。それで、この子なんだけど……」
 奏が補足を加えてから、肘で女子に合図をした。
「あ、えと、えっと……伊東吉佐美です。よろしくお願いします……」
 おしとやかな声で礼儀よく頭を下げた。オレもつられて頭を下げる。口調といい、しぐさといい、やはり奏とは全然違う奴だ。
「吉佐美は私の新しい友達よ。一年の頃の友達と別れちゃって、一人でいたところを声かけてみたの」
 なるほどな、とオレは相槌をうった。それにしても、奏が友達を、しかもこんなに早く作るなんて思わなかった。
「伊東とか言ったか? 奏の友達になってくれて、ありがとな」
 なぜかオレがお礼を言っていた。伊東は恥ずかしそうに頷いていた。
 奏は、変わった。二年生になって、変わった。本当なら一年生のうちに変わろうとしていたから一年遅れだけど。でも、一年遅れたほうがよかったかもしれない。
 伊東の目を見たときわかった。こいつは、暗黙のルールなんて作らないし、暗黙のリーダーになんてならないだろう。
「さて、お腹も空いてきたところだし……。駿河! 寝てないでパン奢りなさい!」
「なんで奢らにゃいかんのであろうかっ!」
 変な語尾と共にガバリと大瀬崎は起きあがった。伊東はビクリと身体を震わせた。
「いいじゃない。記念よ、記念。私ポテトサラダサンドね」
 確かに今日は記念だ。打ち上げがてら、オレも頼んでおこう。
「オレ、スペシャルカツパンな」
「お前もかよ!」
「今日くらい奢ってくれたっていいだろ?」
 そう言ってやると、大瀬崎は唸り声をあげたきり何も言い返さなかった。
「伊東も何か頼んだら?」
「え、私ですか? 私は別に……」
 伊東は首をフルフルと振っていた。すると、大瀬崎はヤレヤレと手を振った。
「パンくらい奢ってやるよ。今日の主役はお前じゃねえか」
 なんだ大瀬崎。お前は奢られて嬉しいのか。しかも新入りに。これで、きっと大瀬崎は三人のご主人に仕える下僕になるんだろう。
「それじゃあ……」
 伊東は少し考えてから、大瀬崎のほうを見る。
「アンパンを……」
「オッケー」
 大瀬崎は爽やかな笑顔を伊東に贈り、購買へとスキップしながら向かった。
 本当に、大瀬崎は変わらない。友達思いだ。そして、奏は変わった。オレがいなくても友達をつくることができた。それも、最高の友達を。きっと、今はお互いの性格や考えを手探っている状態かもしれない。信頼関係を築くのは結構時間がかかると思う。でも、この二人なら大丈夫だろう。
「奏」
 伊東が言った。伊東はオレと同じように奏のことを『奏』と呼ぶのか。オレ的に奏を苗字で呼ぶか『奏さん』みたいに『さん』付けで呼ぶのかと思った。
「明日から、一年生の頃の友達も呼んでいいですか?」
「ん? 別にいいけど……なんで?」
 奏が首を傾げていた。
「だって、奏がこんなに素晴らしい友達を持ってるんですもの。私の友達にも紹介したいですわ」
 ああ、そうやって、友達の輪は広がっていくんだ。
オレは素で感動していた。友達ってなんて素晴らしいものなんだろう……。
 でも、そうすると大瀬崎は四人の主人の下僕になってしまうんだよな。哀れだ大瀬崎。


 それからオレたちはすっかり伊東と馴染んでしまった。オレと大瀬崎のコントじみた会話に、奏のいじりが混じって、たまに伊東がボケて、オレがツッコんで……。そうやっていたら、すっかり空が橙色に染まってしまった。
 オレたちは正門で分かれ、バイト先の食堂へと歩く。
 オレは常連からも評判のいいバイトさんだと言われるようになっていた。店長から少しずついろんなものを作らせてもらえるようになってきて、ますますやる気が出てきていた。
 バイトが終わり、片づけをしていると店長から声をかけられた。
「穂枝、日曜日、昼から空いてるか?」
「ええ、空いてますけど……」
「じゃ、定食の仕込みを宜しくな」
 定食といえば、この食堂で一番人気のメニューだ。それをオレが仕込む……。とても期待されていた。
「はいっ!」
 オレの夢は、少しずつ確実に前へと進んでいた。
 嬉しくて家まで走って帰った。まだ夜は冬のように寒い。白い息が口から漏れる。とても懐かしい気がする。早く家に帰りたい。帰って、報告したい。
 ……誰に?
「ソフィア!」
 ドアを開けたら、そこは闇だった。誰もいない、ただのアパートの一室だった。
 オレは、自分を嘲笑った。ソフィアはもう三ヶ月も前にいなくなってしまったじゃないか。何をいまさらその名前を呼ぶんだよ。
 しばらく玄関に立ちつくした。そして、自分で部屋の明かりを点けた。
 荷物をそこら辺に投げ捨て、台所に立った。ソフィアがもういなくなってからは、お客が来なきゃ立たないんだろうと思っていたが、無意識のうちに立ってしまっていた。
『今日は、大家さんが来て、和菓子をくれたんだよ!』
 そんな無邪気なソフィアの声が聞こえてくるようだった。鮮明に浮かぶ、ソフィアの声。三ヶ月経っても褪せることはなかった。
 今日はスパゲティーを作った。二人分のパスタを茹でようとしたが、そんなに食えないと思い、一人分にした。
 茹でる時間も適当ではなく秒単位で計って火を止めた。アルデンテはもうお手のものになっていた。そして、現にオレの作ったスパゲティーはうまかった。
 食い終わり、食器を片付けると、お茶を飲む他やることがなくなってしまった。いつも、この時間はぽっかりと穴が空いたように暇になる。ソフィアがいたときは、おしゃべりしたりトライブレスを捜したりで、すぐ時間が過ぎてしまったのに。今では時が経つのを待つのがこんなにも苦しいなんて思わなかった。
 そういえば、ソフィアが来る前もそうだった。この時間は暇だった。ということは、ただいつもの生活に戻っただけなんだよな。……退屈だった日常に、ある日お前が現れた。結局、お前はなんでこの世界に来たんだ? もっと違う時代、もっと違う場所にタイムスリップしたほうがよかったんじゃないか? ソフィアは今、どうしているだろうか? 元気でやっているだろうか? ……『選ばれし者』とは出会ったんだろうか?
 こんなにも不安なのは、ソフィアが未来に帰ってしまった夜から、プツンといつも見る夢が途絶えてしまったからだ。ソフィアが選ばれし者と出会えずに、崩壊してしまった……。なんて最悪なシチュエーション、想像したくなかった。
 ――トントン。
 ノックの音が聞こえた。珍しい。こんな時間にお客さんなんて……。オレは立ちあがり、ドアを開けた。
「統流くん、差し入れだよ」
 大家さんだった。手には木彫りの熊がサケを食っていた。
「……いらないっす」
 呆れるほど大家さんはボケていた。
「まあまあ。そう言わないでおくれ。いいかい、統流くん。この置き物のように、ここじゃなきゃいけない理由があるんじゃよ」
「え?」
 オレは聞き返してしまった。今、大家さんが変なことを言った。熊の木彫りのように、ここじゃなきゃいけない理由? 変な言い方だった。
 ……いや、まさか、大家さんはソフィアのことを言ってるわけではなかろうか?
 オレのお袋が大家さんと同じセリフを言っても、そんなこと思わないだろう。大家さんだからこそ、その可能性があった。
 ソフィアがオレを選んだ理由があるっていうのか?
「物事には、全て理由がある。それが偶然に見えるものもそうじゃ。ある存在がそこになければ、偶然はありえんからの」
 大家さんはオレの部屋をくまなく見渡していた。今のセリフは、オレに対して言ってるようで、独り言のようでもあった。熊の木彫り向かって言ってたら笑える。
「この世界には、偶然に思えるもので溢れておる。偶然だと錯覚してしまうものがたくさんあるからの。ワシがアパートをここに建てて、今までずっとここで住んできたのも、統流くんが去年この部屋にやってきたのもそうじゃ」
 それって、偶然に思えるものじゃなくて、全部偶然じゃないのか? オレはそう思った。オレが実家を離れようと決意してこの町に来たのも、大瀬崎と出会ったのも、奏とずっと同じ学校にいるのも、今高校に通ってることも。
 そして、ソフィアと出会ったことも。
 でも、その偶然が偶然じゃないっていうのか?
 大家さんが部屋に上がり、畳の部屋をぐるりと見回した。
「よし、ここがいいじゃろ」
 大家さんは木彫りの置物を棚の上に置いた。熊の足もとにペンダントが転がっている。
「そこ、結構バランス悪いんですけど」
 大家さんは気にせず話を続けた。
「統流くんは、こんなことを思ったことはないか? 形に無い『存在』なんて、あるわけがない、と」
 あ……、と声を漏らしそうになった。どこかでそんなことを思ったはずだ。しかも、誰もオレがそんなこと思ってるなんて知らないところで。あのときのオレは、たった一人だったんだから。じゃあ、なんで大家さんは知ってるんだ? わからない。でも、わからなくてもいい。続きがききたかった。
「ワシは、形に無い『存在』とは、奇跡なんじゃないかな、と思っとる。偶然が始まったのが過去で、たくさんの偶然が重なりあった今を現在と呼び、偶然が奇跡を呼び、未来に繋がるんじゃ。未来につながる奇跡、それは『小さな繋がり』じゃ。未来への『小さな繋がり』……。統流くんが残したそれは『キボウ』じゃ。統流くん、小さな偶然にも理由があるように、たった一つの『奇跡』にも、それから生まれた『キボウ』にも小さな理由があるんじゃよ」
 小さな理由……? じゃあ、ソフィアがアパートの前で倒れていて、オレと偶然出会ったのにも理由があるってことなのか? そして、奇跡的にソフィアが未来に帰れることができたのにも、理由があるってことか……?
 実は、思い当たる点が一つあるんだ。それが理由なのかはわからない。それだけ曖昧なものだけど、でも大家さん曰く『キボウ』に必要なのは小さな理由で十分だから、それで平気なのかもしれない。
 オレはいつも同じ夢を見る。内容はいつも同じだ。
 もう一人のオレが活躍している、その夢だ。


 もう一人のオレは、大切なものを探す旅に出ている。


 寄せては引く。寄せては引く。時代は変わろうと、世界が変わろうと、海は変わらずに囁きかけている。
 その日、オレは夢を見た。はじめ、どうしてオレが海岸に立ちつくしているのかわからなかった。三ヶ月も見ていなかったから、内容を忘れかけてしまっていたようだ。
 思い出そうと頭を働かせる。そうだ、もう一人のオレは、師や仲間との別れを経験しながらもたった一人で河を下り続けたんだ。そして、前の夢で河口に着いたのだ。
 オレはもう一人のオレを探した。渚を駆ける。白い砂を走るのはなかなか大変だ。海岸には誰一人としていなかった。もう一人のオレはまだ着いていないのだろうか。そう思った矢先、オレは波打ち際に白い何かを見つけた。オレはそれがすぐに人間だとわかった。現代の人間ならそれが人だとは思わないだろう。でも、オレにはわかる。
 うつ伏せの白い少女は静かに揺れる波に打ち寄せられていた。白い腕には、青とも、緑とも、白ともとれる色に輝くブレスレットが付けられていた。
 少女は気を失っていた。波で青い服が上下する。青い髪の上に変な被り物をしていた。不思議な模様は、今まで見たことがなかった。烏帽子に似ているようで、そうでもない。ビショップの司教冠にも微妙に似ている。よく観察すると、その冠らしきものは髪留めであることがわかった。この世界のおしゃれだろうか。髪留めと帽子が合わさるなんて、想像もつかなかった。
 おい、いたぞ! お前の探してたやつがいたぞ! どこにいるんだよ、もう一人のオレ! そう叫ぼうかと思ったが、どうせ声は届かない。何も言わずにもう一人のオレが来るのを待った。
 河口のほうを見る。現代の科学じゃ理解できないような建造物が建っていた。この付近は貿易で発展した港町なんだろう。
 沖のほうを見る。空を見上げた。空高くに岩の塊のようなものが点々とあった。中心の岩には、宇宙にまで届くんじゃないか? と思うほどデカイ塔が肉眼で見えた。だが、天辺は霞んでしまって見えない。空に浮く島がこの世界にはあった。
 砂を蹴る音が聞こえる。それが徐々に近づいてきた。振り返ると、一人の少年が走っている。オレの顔に似ているが、微妙に女顔だ。誰かが初めてこいつを見たとき、遠目からだったら女の子と間違えるだろう。
 正確な歳はわからないが、雰囲気は中学生のオレとよく似ているので十四、五歳だろう。
 しかし、近づいてくると服装で驚く。ジーンズのような上着とズボンを身に着けているんだが、そのズボンにはいかにも硬そうな膝当てが輝いているのだ。さらに腰から下げている大きな剣を見れば、なおさら顔とアンバランスに見える。というか、あんな大きな剣は普通に持てない。だが鞘が茶色い革というところが貧乏くさくて親近感が湧く。
 少年は打ち寄せられている少女向かって一直線に駆けていた。砂浜の足跡だけが、少年の過去を示している。少年が少女の隣でしゃがみこむと、うつ伏せのままの少女を引っ張った。オレも手伝いたくて仕方がない。でも、オレがその少女の腕を握ろうとしたところですり抜けてしまうから成す術がない。応援だって効果がないことを知ってたから、じっと少年の奮闘を見ていた。
 なんとか少女を引っ張り上げると、少年は慎重に少女を仰向けにさせた。そして、肌や衣服なんかに付いた砂を払った。首に下げるペンダントは鈍色に輝いていた。どこかで見た気がするロケットが付いているが、この世界にオレは存在しないから『どこかで』なんてものはない。気のせいだろう。
 そして、少年はただ少女の目覚めを待つのだった。オレも待った。


 何分か、十数分したあたりで少女が目覚めた。すぐ隣には、もう一人のオレがずっと座っていた。少女が目覚めたのに気が付くと、少年は小さく微笑んだ。
 少女はきっと、記憶を無くしてしまっていた。
 オレにはわかった。その瞳を見ればすぐに。
 少女はきっと、この少年を見たことがないだろう。
 それは、少女が探し求めていた人だから。
 でも、見覚えはあるはずだ。微かな記憶は留めると音は連ねたからだ。
 きっと、どこか遠い昔に出会った人のように。幼いころ好きだった初恋の人のように……。でも、どんな人だったかと思い返すと、輪郭は掠れ、消えてしまう。
 でも、それでよかった。それだけで十分だった。
「目が覚めた?」
 もう一人のオレが少女に笑いかける。
「オレはスバル。スバル・フォーエヴァー」
 もう一人のオレは少女に自己紹介をした。
 少女にとっては聞いたことのない名前だろう。でも、どこかでやっぱり聞いたことのあるような気がするはずだ。少女は首を傾げていた。ヒントが遠すぎるんだろうな。『スバル』じゃわからない。でも、何かが頭の中で呼びかけている。
 少女は遠い記憶を辿っていた。そして、あることを思い出した。少女は、その人のことが好きだった。大好きだったから、別れなければならなかったのだ。
 少女は顔をじっとスバルに向けた。スバルという、もう一人のオレに。
「君の名前は?」
 スバルが言った。
 少女は息を吸った。そして、吐く。なんせ、久しぶりにこの世界で声を発するんだから、緊張するに決まっている。目を閉じて、目を開けた。改めて少女はスバルの瞳を見つめる。
 何と運がいいことか、オレはその青い瞳に、やさしい顔に見覚えがあった。短い間だったけど、すっげえたくさんの思い出を作っていった、大好きな奴だ。
 少女は翼を広げた。
「えっと……」
 そして、翼の生えた少女はゆっくりと、自分の名前を呟く。
「私は……」


 ――私の、名前は……


翼の生えた少女




 その桜は、何千年も生きているような気がした。とても大きな柳桜だった。その根から発される青白いような、緑っぽい光がオレたちを幻想的に照らしていた。影がないのだ。目の錯覚だと思うが、影が見当たらなかった。
 冬だというのに、ここだけ温かい。春の息吹が吹きこんできそうな気がする。時空が乱れているのか?
「統流君……」
 ソフィアがオレの名を呼んでいる。
「ソフィア……」
 オレはソフィアの名を呼ぶ。
 幸せだった。それだけでオレたちは幸せなんだ。もう、未来になんて帰らなくてもいい。ここで、この桜の木の下で、一生暮らしていよう。今ここでそう言ってもよかった。でも、まだ我慢をする。それだと、ソフィアとの約束を果たしたことにはならない。想いを伝えるのは、することをしてからだ。
「それじゃあ……捜そうか。『トライブレス』を」
 とても居心地がよかった。口調も穏やかになる。別れがすぐ側まで近づいているのに。いや、別れなんてものはない。ソフィアがこの世界に居続けてくれれば、そんな心配しなくてもいいんだ。
 なら、なんでオレはソフィアが告白してきたとき、すぐに答えなかったんだ? なぜ今まで答えを引きのばしてしまったんだ? あのとき、何かとてつもなく大きな不安を抱えていたような気がするが、もう忘れてしまった。たぶん、その不安も杞憂だろう。そうして、オレはそのわからない不安をぬぐいさりたかったんだ
 ソフィアが頷いてくれた。ありがとな。じゃあ『トライブレス』を一緒に捜そう。
 オレたちは、不思議な光を頼りに至るところを捜した。どこもかしこもじんわりと温かい。落ち葉をあさると、温もりが指先から伝わった。ふと、今までのことを思い出した。
 ソフィアと出会ったとき。あのときオレは四択問題を頭の中で思い浮かべて現実を理解しようとしていた。今思えば、あの選択肢がなかったらオレは『トライブレス』を捜してないかもしれない。選択肢四番『落とし主を捜す』なんて、バカバカしいと思っていたのにな……。
 それから、ソフィアがオレの部屋で目覚めて、未来から来たって言ってきたんだよな。あのときは信じられなかったけど、それは記憶が曖昧で、補填されてたからとかなんとかって後日ソフィアが言ってたよな。一晩だけ泊めさせてやるから、朝になったら帰れって言って、寝てる間にどれだけひどいことを言ったのかを知った。
 朝起きたら、何も言わずにソフィアはオレの部屋を飛び出していて、春までならオレの部屋に居させてもいいって思ってた矢先にやられたから、オレは急いであとを追ったんだよな。珍しく勘が当たってソフィアを見つけたんだけど、ソフィアはカラスに襲われていた。オレが追い払ったけど、それでソフィアは飛ぶことが怖くなってしまったって言ってたな。
 それから、ソフィアは空に浮く島に住んでいて、『トライブレス』を狙う奴らに突き落とされて、タイムスリップしたことを教えてくれた。あと、未来の地球はほとんど消滅して、一部しか残ってないと聞いたときは衝撃的だった。
 そんな話をしているときに大家さんが入ってきて、ソフィアの存在がバレちまったんだよな。そういえば、オレの次にソフィアの存在を知ったのって、大瀬崎でも奏でもなく、大家さんだったのか。
 学校の放課後に代樹山へ行って『トライブレス』を捜そうと思ったら、大瀬崎に見つかっちまって、あのときはどうなるかと思った。にしても、あいつはこの歳で家出って……笑えるぜ。まあ家を飛び出して独り暮らしをしてるオレが言えることじゃないな。
 で、大瀬崎をオレの押入れに泊めさせてやって、次の日遅刻して、それで奏に目を付けられた、と。下校中、奏に尾けられてたなんて思いもしなかった。部屋に入ろうとしたら奏がわざとらしく声をかけてきて……。とっさに羽交い締めにしたんだっけか。今思い出しても恥ずかしいな。まあ、ソフィアに友達ができたのは本当によかったことだと思う。
 それから、奏の仕切る本格的な『トライブレス』捜しが始まったんだよな。代樹山の頂で見た星は本当にきれいだった。
 大晦日、お袋が来た。ソフィアがいなかったら、オレは今も親父を拒絶してたんだと思う。『気が向いたら、連絡するよ』ってオレが言ったあとのお袋、笑ってたよな。……春休みにでも実家に顔出すか。
 今年になって、奏がソフィアのためにわざわざ自宅の風呂を開けてくれたんだよな。ありがたかった。そのおかげで、ソフィアとソフィアの服がきれいになって、オレも嬉しかった。
 それから、ハイキング。忘れられない一日だった。ソフィアが空を飛んだ日で、オレがソフィアのことが好きだと気付いた日で、ソフィアが崖から転落した日で、ソフィアがオレに告白してきた日で、オレの葛藤が始まった日だ。
 それから二週間が経って、オレたちは初めてデートらしいデートをした。それも、大瀬崎のリュックがあっての話なんだよな。大瀬崎、お前は本当に最高の下僕だ。
 そこで、オレは思いだした。
「ソフィア、ペンダントはどうした?」
「あっ!」
 枯葉をあさっていたソフィアが跳びはねた。
「統流君の部屋に置き忘れてきちゃった……」
 そう言えば、今日はソフィアから連絡があって、学校で待ち合わせて、奏の家で風呂入って、それから大家さんのとこ行ってここに来たからなあ。忘れても仕方がなかったが、残念だ。今更部屋から持ってくるのも気がひける。
「やれやれ……」
 オレが思い出としてとっておくよ……そう言おうとしたが、それはソフィアとの別れを意味していた。言えない。だからと言って、またオレの部屋に戻るんだから、そんなにしょげるなよ、とも言えない。
 早くソフィアを未来に帰すのかどうかを決断しないとダメなのに……。身体だけが焦っていた。
 オレは大瀬崎と奏のことを思い出していた。
 ――好きになった奴は、世界でたった一人しかいないんだ。断言しよう、穂枝という人間は、過去にも未来には存在しない。現在というこの世界に、たった一人しかいない。
 ――きっと、翼の生えた人間……バーダーは、平和の象徴なんだと思うわ。だからきっと、未来の世界は平和な世界なんだなって、思ったわ。
 ソフィアは、世界でたった一人しかいない。時空の中で、たった一人しか……。
 そして、ソフィアは平和の象徴だ。世界を救うために必要な存在なのだ。
 決断できない。これだから、オレはダメなやつなんだ……。
 何か、何かこのオレに、決断するだけの勇気をくれ。
 ……ください。
 手に感触があった。枯葉の奥に、何か固いものがあったのだ。トライブレスかと思って引っ張ってみた。だがそれは違った。かなり細長い、錆びた金属の棒のようだった。全体があらわになると、それが錆びてボロボロになった梯子だとわかった。失望したような気がする。
 ――戦争が終わって、跡には桜の木が植えられた。昔は梯子があって、そこまで簡単にいけたんじゃが、錆びて壊れてしもうたようじゃな。
 大家さんの言葉を思い出した。確かに梯子があったんだ。
 大家さんの言葉は、意味深なものが多かった。ソフィアと初めて会ったときにも、ソフィアをかくまってくれた。翼の生えた人間を目の当たりにして、そんな冷静な対応ができる人なんてそうそういない。
 ……大家さんって何者なんだ? そう思ったが、オレにはそんなことわかるわけもなかった。もちろん、意味深な言葉の全てをわかろうなんてことだって無謀なことだとわてっているが。
 ふと、大家さんの言葉がさらに膨れ上がって出てきた。今日のことだ。
 ――ソフィアさんに、夢の話はしたのかい?
 ――ワシに話した夢だぞ。切実に話した、あの夢だぞ。
 ――ワシには、ソフィアさんと夢が関係していると思ってならないんじゃよ。
 オレは、コックになることが夢だ。その話をソフィアにしたことはある。でも、それはなぜか大家さんの言うこととは矛盾している。コックになる夢を大家さんに話したことなんてないし、ソフィアと関係しているとも思えなかった。
 じゃあ、何か違う夢なのか……?
 夢……。夢、ねえ。
 ああ、なんだ。オレはようやく理解した。あの夢だったのか。
「ソフィア、ちょっと聞いてくれるか?」
 崖の隅のほうでトライブレスを捜しているソフィアに向けて、そう言った。
「どうしたの? ……なんか、すっごく思いつめてる顔だよ?」
 オレは思いつめてたのか? きっと、そうなんだろう。今までずっと、いろんなことを考えてきたから。
「オレさ、寝てるときに、いつも同じような夢を見るんだよ」
 話を切り出した。その『夢』の話は、一度大家さんに話したことがあった。あのとき、オレは唸り声をあげてしまうほど恐ろしい場面に遭遇していた。大家さんがオレの唸り声に気付いて、心配してくれて、マスターキーを使って部屋にいたオレに声をかけてくれたんだ。そのとき、オレは大家さんに『夢』の話をした。そりゃもう、切実、という言葉が似合うほど真剣に。
 オレはソフィアに、もう一人のオレはどこか違う世界か時間にいるんじゃないかってことや、オレはそれを傍観することしかできなくて、その世界の人はオレに気付かないこと、もう一人のオレは、ただ顔が似てるだけで、性格は全く違うこと、もう一人のオレは大切なものを捜すための旅に出ていることなど、思い出すことを全部教えた。
 ソフィアは、オレが将来の夢の話をしているときと同じように真剣に聞いてくれた。だが、一通り話し終えると、ソフィアはコックのときとは違い、神妙な面持ちで考え事をしていた。
「……どっかで、何かが繋がってるのかもしれない」
 そうソフィアは呟いた。意味はわからなかった。強引に理解しようとするなら、ソフィアとオレの夢は繋がっているのかもしれない。大家さんの言ったとおり。
「と、統流君っ!」
 ソフィアが突然、息を荒げながらオレを見つめた。
「どうしよう、変な気分だよ……。胸がドキドキするの。破裂しそうなくらい……」
 ソフィアは胸を押さえていた。耳を澄ませば、ソフィアの鼓動が聞こえそうな気がした。そう思うってことは、かすかに聞こえているのを耳が感知してるのかもしれない。ソフィアが訴えかけている症状は、何かの発作なのだろうか。胸の鼓動が早く大きくなったんなら、何か悪い病にかかってしまった、と思うのが普通だ。でも、そんな心配は何故かない。むしろ当たり前の反応だと安心する。ソフィアの言うとおり、どこかで何かが繋がっているとすれば、それはオレとソフィアを繋げる何かなんだろう。無意識のオレはその鼓動の理由を知っているんだ。
「私さ、統流君に言ったよね。『選ばれし者』は普通の人と変わらないって」
 胸の鼓動を抑えようとしてか、ソフィアの声は小さく震えていた。
「ああ、そういえば言ってたな」
 あれは、そう、ソフィアが崖から落ちたときに思い出したことだ。
「特別な力を持った人と物がないと探せないって、言ったよね?」
「ああ、言った」
 まさか、とオレは直感した。オレの勘は当たらないが、直感は当たる。特にソフィアに関連する直感は。
「統流君の夢で出てきたその人が『選ばれし者』なのかも……」
 オレの直感は見事に当たった。ソフィアの『選ばれし者』を探す力は、時空を超えても存在するのだった。
 ソフィアは、少し笑顔になった。
「なら、さ。私と統流君は、ずっと繋がってるってことだよね……?」
「え?」
 オレは聞き返していた。ソフィアも、オレと同じようにその鼓動がオレたちを繋げているもんだと思っているのだろうか。
「だって、そうでしょ? 統流君がずっと『選ばれし者』を見てるってことは、『トライブレス』を頼りに『選ばれし者』を探す私といつか出会うってことだもん」
「ああ、そうか……」
 でも、オレの見てるのは、あくまで夢って可能性もある。夢の世界が(普通の人間が見る夢のように)、単なるオレの想像の世界だったら、目の前にいるソフィアなんて出てこない。もちろん夢なんだから、オレの想像で出てくるかもしれないが、それは正真正銘のソフィアではない。
「統流君、だめだよ。不安になっちゃ」
 胸を押さえながら、ソフィアはゆっくりと言った。
「私だって不安だよ。もしかしたら、私が未来の世界に行っちゃったら、こっちの世界の記憶はなくなっちゃうかもしれないって思うと、怖くて眠れなかったもん。でもね、今統流君が夢の話をしてくれたから、そんな不安どっか行っちゃった」
「記憶がなくなっても大丈夫なんて……んなことないだろ」
 オレは不安で仕方なかった。夢で見ようと、そうでなかろうと、ソフィアが未来に行ってしまうのは変わりない。夢の世界では、オレは見ることしかできない。触ることも話すこともできないんだ。
 ソフィアは記憶がなくなってしまえば、オレたちと過ごした日々を思い出すことはないんだろう。それって、酷すぎるとおもわないか? なら、ここにいよう。ソフィアがここに……オレの隣にいてくれれば、記憶がなくなることはない。
 でも、ソフィアは首を横に振った。
「ううん。大丈夫。だって統流君が見てくれてるんだもん。それだけで私は幸せだよ」
 幸せ……? そうか、幸せか。ウソじゃないよな? いや、そんなわけない。ソフィアが今までウソなんてついたことあるか? ないよな。本当にソフィアはそれだけで幸せなんだ。
 それなら、オレもソフィアを見ていられるだけで幸せになれるかもしれない。
 オレは、ソフィアが未来に行ってしまえば一生会えないんだとばかり思っていた。でも、考えてみろよ。オレは、これからもソフィアにまた会えるんだぜ。それって、ソフィアの言うとおり、凄く幸せなことじゃないか。
 たったそれだけのことを信じるだけで、オレの気持ちを落ち着かせることができるかはわからないけど、それで十分だ。
 オレは、顔をほころばせた。
 ……そうだよな、それで十分だよな。
 ソフィアも笑った。
 ……早く『選ばれし者』に出会えるように、頑張るね。
 神秘な光がオレたちを包み込んでいる。
 ようやくオレは気が付いた。いや、それがオレたちの決断を待っていたのかもしれない。オレは柳桜の根本で光る場所へと歩きはじめた。ソフィアも後を付いてきた。
 光源は一定の光を放射し続けていた。不思議と眩しくはなかった。オレは、左手でその光源に触れた。一瞬閃光のようなものがほとばしった気がしたが、気のせいだった。それを持ち上げる。光が手を包み込んだ。
「あ……」
 ソフィアが声を漏らした。
「トライブレス……」
 トライブレス、と呼ばれたそれは親指と人差指で作った輪ほどの大きさだった。それに腕時計を思わせる小さなベルトが付いている。その輝きを除けば、腕輪……ブレスレットに見える。そう、この光こそが、このブレスレットこそが、オレたちの捜し求めてきた、小さなタイムマシンなのだ。
「見つかったんだね」
「ああ」
『トライブレス』が見つかったってことは、オレは約束を果たす時が来たってことだ。
 桜の木に見守られ、オレたちは見つめ合った。


 約束を果たす日が来た。
 オレもソフィアも、口には出さなかったが、二人ともわかっていた。
 あのとき言った、ソフィアの言葉を思い出す。
 ――だって、だって、私、統流君のこと、好き、だから……。統流君のこと、大好きだから。
 オレの顔をぼうっと見つめていたソフィアの顔を思い出した。
 ――告白に対してのオレの答えは『トライブレス』が見つかったときに、お前が未来へ帰る直前に答えてやるよ。
 オレはそう言って、その場を乗り切っていた。
 そして、今オレの手には静かに光る物を握っている。温かさも冷たさもない。この感触が『トライブレス』だ。
 ついにこのときがやってきた。ついに、ソフィアが未来に帰ることのできる術をオレは入手したんだ。嬉しかった。ソフィアに、オレの想いを伝えることができるんだ。
 でも、口を開けることができなかった。開けたら、ソフィアがどこかへ行ってしまいそうな気がした。
「統流君……」
 ソフィアが近づいてきた。そして、『トライブレス』を持ってない方の手を握ってきた。さっき木の幹を殴った手だ。今まで感覚がなかったくせに、やわらかくて温かい感触が伝わってきた。ソフィアはここにいる。どこかへなんて行ったりせずに、オレの話を聞いてくれる。
 泣きそうになった。なぜか泣きそうになった。嬉しさからなのか悲しさからなのかわからないけど、涙が出そうになった。でも、笑っていようって決めたんだ。せめてお前が未来に帰るまで。
「ソフィア、聞いてくれ」
 呟くように言った。お前は頷いてくれた。
「オレさ、お前がオレに好きだって言ったとき『お前のこと嫌いじゃない。むしろ好きな方だ』って言ったよな」
 目の前にいるお前は頷く。青い髪の毛からソフィアの匂いがした。
「でも、それウソなんだ」
「え……」
 オレはソフィアの戸惑いを無視し、一気に言った。
「『むしろ』どころじゃない。お前のこと、すげえ好きなんだ。オレは、お前のことが大好きだ!」
 しばらく沈黙が続いた気がした。知らずしらずのうちにオレは俯いてしまっていた。オレは今、泣いているのか? なら、何に泣いているんだ? わからない。普通、どんなときに泣くんだろうか? 泣くという感覚すら忘れてしまったような気がする。
 オレの頬に温かい手が触れた。顔を上げると、お前は笑っていた。オレを慰めようとしているのか? いや違う。お前は慰めなんて上っ面なことはしない。ただ、笑顔で全てを包み込んでいるだけなんだ。でも、その笑顔もオレと同じように嬉しくて泣いてしまいそうで、すぐに崩れてしまいそうなものだった。
「オレさ、きっとこんなに人を好きになったことがないんだ。だから、何をどうすればいいのかわからない。でも、オレがお前の側にいると、いつも笑ってくれてる。だからオレはずっとお前の側にいたい。恐いことがあったら何でも相談してほしい。助けてほしかったらお前を守ってやりたい。いろんな服を一緒に買ってさ、お前に着させてやりたいよ。オレ貧乏でさ、お前にお茶ばっか飲ませてきたけど、デートのときみたいにたまにはジュースとか炭酸とか飲ませてやりたい。デートっつっても、ここら辺で楽しいところなんてほとんどないけどな。もうネタ切れだよ」
 お前はふっと微笑んだ。笑ってくれていた。オレの話を聞いてくれていた。
「オレが学校やバイトから帰ってきたらさ、お前が出迎えてきてくれて、オレが夕飯作りながら、何気ない話をしてさ、つまんないことでも小さな笑顔をたくさん作ってやりたい」
 今、オレはお前との思い出が脳内を駆け巡ってるよ。ああ、オレはこれほどまでお前のことが好きだったんだな。明るくて、天然で、でもやさしくてちょっと涙もろいけど我慢しちまうお前のこと、すんげえ好きだ。
「……でも」
 でも、『でも』なんだ。
 オレは思い出したんだ。なぜお前の告白の返事をすぐに返さなかったのかを。
「……オレは、不安なんだよ。お前と一緒にいることは楽しいけど、同じくらい不安なんだ。お前がいない間に、未来の世界がどうなってしまうんだろう。未来の世界の人はどうなってしまうんだろう。そう思うと、怖くてそれしか考えられなくなっちまうんだ。それに、もし未来に何かがあってしまったら、お前はどうなっちまうんだよ?」
 お前はじっとオレを見つめていた。
 ……わからない。そう言っているようだった。
「未来の世界が滅んだら、お前は消えてしまうかもしれない。それどころか、ソフィア・ブルースカイなんてもともと存在しないことになって、オレはお前と過ごした記憶はなくなるんじゃないか? そりゃ、お前は消えることなく普通にいられるのかもしれないけど、オレってネガティブだからさ、別に大丈夫だろ、なんて楽観的には考えられないんだ」
 お前は今、何を思ってる? 勝手に存在を消すな、と怒ってるだろうか。それとも、そういう可能性もあるよね、と同情してくれているだろうか。
「だから……未来に、帰ろう」
 オレの夢とか、未来の事情とか、そんなものが何もかも繋がっていればいいのに。未来と過去なんて、手と手みたいに繋がってたらいいのに。
「統流君……」
 お前は囁くように言う。両手でオレの右手を包み込む。
「私は、統流君が想いを言ってくれることを楽しみにして、ずっと捜してきたんだよ」
 オレの右手で輝くトライブレスが、オレたちを見守ってくれている。そして、柳桜も。
「想いを伝えるっていうのは、私のこと『好き』って言ってくれるだけだと思ってた。私もそれで満足だったんだけど……。でも、統流君は私の期待以上に想ってくれてたんだね。好きとか嫌いとか、そんなことよりもっともっと大切なこと、ずっと考えてくれてたんだね」
 ソフィアの翼が広がった。バーダーの感情表現なんだろうか。
「ほんとはね、私もずっと迷ってたの。未来の世界に行ったら、私の記憶はなくなっちゃうんだろうなって……夢で見たから」
 さっきも言っていた。記憶がなくなってしまうなんて、それはとても不安で、怖いことだ。きっと、ソフィアもオレと同じくらい、またはそれ以上に不安で、怖くて、迷っていたんだろう。オレも夢でソフィアが消えちまうことを知った気がする。ソフィアも同じような夢を見たんだろう。
 ソフィアの記憶がなくなるってことは、オレたちと過ごしてきた今までが、まるで白紙のように忘れてしまうってことだ。そんなの寂しすぎることだって思った。
「今日、奏ちゃんからは未来に行ってきなさいって背中を押されて、大瀬崎君からはこの世界に留まってもいいんじゃないかって言われて、ずっと迷い続けてたんだよ」
 オレと同じだ。オレだって、ソフィアを帰すべきか否かをずっと迷い続け、大瀬崎から二つの意見を聞いた。ずっと葛藤を続けた。
「でも、統流君の見る夢の話とさっきの言葉を聞いて、やっと心が決まったよ!」
 ソフィアが翼をバタつかせた。本当に嬉しそうだった。
「私……未来に帰るねっ!」
 ソフィアはそう言って笑った。
『やめるんなら、今よ』
 奏の真剣なまなざしを思い出した。
 未来に帰るってことは、お前の記憶がなくなってしまうってことだぞ? オレと一生会えなくなるってことだぞ?
 ……でも、いいんだよな? それが、オレとお前の決めたことだもんな。
『二人なら正しい判断ができると信じてるぜ』
 不意に大瀬崎のセリフが浮かんだ。
 ソフィアが未来に帰る。それがオレたちで決めたことだ。大瀬崎、お前ならわかってくれるよな? 奏だって許してくれるよな?
 ソフィアの瞳を見つめる。
「ああ、未来に行ってこい」
 ソフィアは頷いた。
 未来へタイムスリップするには、どうすればいいんだろうか。きっと、ソフィアは知ってるはずだ。それは、トライブレスを持つオレにもわかってしまった。ソフィアにトライブレスが渡れば、ソフィアはタイムスリップされるんだ。
 オレはトライブレスをソフィアに差し出した。だが、ソフィアは頷いたまま動かなかった。
「統流君……」
 ソフィアの声は、自信なさげだった。
「タイムスリップするのって、とっても不安なことなんだよ」
 ああ、わかるさ。大切な人と別れるんだから、オレだって不安だ。それに、何が起こるのかわからないんだし。
「だからさ、最後にわがまま言っても、いい?」
 ああ。最後だもんな。
「なんだっていいぞ。今してやれるもんならな」
 そう言うとソフィアは笑った。
 幻想的な光がソフィアを包み込んでいたからかもしれない。最後の微笑みが、今までソフィアを見てきた中で一番美しかった。
 ソフィアが一歩、二歩と近づいてくる。徐々にソフィアの顔が近づいてきた。ソフィアが背伸びをする。視界の全てがソフィアの顔になった。ソフィアの眼、ソフィアの鼻、ソフィアの口、こんなに間近で見たソフィアははじめてだった。まつ毛の一本一本を数えることだってできそうだ。
「統流君、あの……恥ずかしいから目を閉じて」
 ソフィアが目を閉じた。口を軽く閉じ、顔を横に少し傾けた。少しずつ近づいてくるソフィア。オレは戸惑った。このままだと、ぶつかってしまう。
 ……いや、これがわがままなんだって。
 オレはソフィアに言われたとおり目を閉じた。
 すぐに、唇にやわらかくて温かい感触が広がった。すぐに溶けてしまいそうだった。
 オレはソフィアを抱きしめた。背中に生える翼がやわらかかった。ソフィアに包まれて眠ったら、とても寝心地がいいんだろうな、なんて思った。オレは安心できた。
 ソフィアもオレを抱きしめていた。密着する肌と肌。早く高鳴るソフィアの心臓の音が聞こえた。もっと繋がりあいたかったが、それ以上は無駄だとわかっていた。ソフィアは右手で何かを探し求めていたからだ。
 ソフィアはこの安心しきったなかでタイムスリップをしたいのだ。オレも、このままソフィアを未来に帰したかった。感覚のない右手と右腕でソフィアをしっかりと抱く。ソフィアの左腕にも力が入った。そして、トライブレスを持つ左手でソフィアの右手を探した。
 この間も、ずっと唇を合わせ続けていた。息が苦しい。でも、このまま窒息しても悪くはないな、なんて思ったりもした。
 ソフィアの髪を撫でたくなった。オレはソフィアの背中にあった右手を上へ移す。ソフィアが不安にならないように、ソフィアから手を離さないように、ゆっくりとソフィアの背中をなぞった。そして、髪をくしゃくしゃと撫でた。リンスの香りが漂う。気がつけば、ソフィアの左手はオレの服を強く握っていた。唇が震えている。オレは、ソフィアの唇を包み込んだ。
 ふと、ソフィアの手とオレの左手が触れ合った。
 オレは、その手をしっかりと握りしめた。オレの手の内に入っているトライブレスをソフィアに渡した。その手は震えていた。オレの手も震えてるのかもしれない。だから、ソフィアを落ち着かせるために、オレの震えがバレないように、強く握り締めた。強く、強く。
 ありがとう……統流君。
 そんな声が聞こえたような気がした。
 幸せにな……ソフィア。
 だから、オレはそう答えた。声には出なかった。


 ――あなたは、選ばれし者でしょうか? いえ、違うのでしょう。あなたは未来に存在を与える者です。見事、役目を果たしてくれましたね。どう感謝すればいいのかわかりません。未来の運命の渦に巻き込んでしまい、今まで申し訳ございませんでした。ですが、次元の歪みを未来に帰ることができました。しかも、あなたはしっかりと『小さな繋がり』を残していきました。最高のお土産です。歪みを経由して形に無い『存在』を未来に繋げてくださいました。あなたは必然だったのです。だから、この世界に来ることができ、あなたは私の音が聞こえる。歪みが元の世界に戻るとき、歪んだ世界の記憶は失ってしまうでしょう。ですが、微かな記憶だけは留まっています。歪みが未来から来たと知っていたように……。
 オレはどこかにいた。
 それだけはわかった。
 ――申し遅れました。私は『トライブレス』の意識です。あなたが未来に繋げた『形に無い存在』は、時が来るまで私が守ります。そして、時が来たらこの世界にいた唯一の『存在』に委ねたいと思います。ですので、これからはじっと、夢の中で見守っていてください……。
 そんなことが、耳の中で囁いていたような気がした。


 不意に、何かがなくなったような気がした。手の感触がなくなり、密着していた肌の感触がなくなり、最後に唇の感触がなくなった。
 目を開けると、そこは闇に包まれていた。ただ、天上がひらけたここからは星空が見えた。光はただそれだけだった。
 何かが降り注いできた。雨だと思った。だが、そうではなかった。次に、星のカケラだと思った。でも、そんなものは降るわけもないとわかっている。ぼんやりと雫の一枚を手に取った。桃色の、薄い和紙のようなそれは柳桜の花びらだった。全ての花びらが舞い散っていた。それは、時間の乱れが治まったからだとわかった。だが、オレにはその花びらが、老桜から流される涙に思えてならなかった。
 一気に淋しさが増してきた。
「ソフィア……」
 そう呟くと、さらに淋しさが増してしまった。
 終わったのだ。
 そう思うと、一気に涙腺が緩んだ。今まで堪えていた涙の粒が一気に溢れる。
 オレは、柳桜の幹を借りて大声で泣いた。


 今日の昼も、いつもと変わりなく学食だった。
「二人とも、お待ちどうさん! 豚丼の穂枝君! 日替わり定食の神子元さん!」
 いつになくハイテンションな大瀬崎だった。オレと奏にそれぞれの食いもんが載ったトレイを渡す。
「そして、オレにはとっておきのカレー一丁!」
 自分の席にでんとカレーが載ったトレイを滑らせるようにして置いた。
 何かが物足りないと思った。それにすぐ気付く。
「大瀬崎、飲み物がないぞ」
「そりゃ、頼まれてなかったからな」
 じゃあ頼んでやろう。
「オレ、紅茶な。ストレートで」
「私はカフェラテね。カフェオレなんて頼んだら折檻だから」
「お二人揃って人使い荒いっすね!」
 大瀬崎がツッコんだ。それでもオレたちがお金を渡すと黙って受け取るところが大瀬崎らしかった。
 走って自販機へとぶっ飛ぶ大瀬崎の背中を見送る。
「ほんと、あいつって尽くすタイプよね」
「まったくだ」
 オレは箸を手にし、豚丼につけた。
「そうそう、今日はソフィアにお風呂、入れさせてあげられるから」
 奏はまだ食う気はないようだった。その代わりオレと話をして時間を潰す。
「おじさんとおばさん、いないのか?」
 奏が頷いた。
「その代わり、夜には帰ってきちゃうから、すぐ済まさないとダメよ。……バイトは?」
「今日はない」
 運がよかった。
 と、ズボンに入っている携帯電話が震えはじめた。電話だった。
「やれやれ……」
 オレが携帯を開くと、大家さんからだった。大家さんから電話だなんて、珍しい。
 ――統流君!
 受話器のボタンを押すと、大家さんではなくソフィアの声が飛び込んできた。興奮冷めやまぬといったような声で、オレが返事をするのを今か今かと待っているようだった。オレの部屋に電話はないから、大家さんの部屋の電話を借りているようだ。
 わざわざ電話を借りるほどの急用なのか? 嫌な予感がした。
「ソフィアか、どうした?」
 ――思い出したんだよ!
 思い出したって、記憶をか? わざわざ電話をするほど大切な記憶を取り戻したのか?
 それって、まさか……!
 ――この世界に来た場所を、思い出したんだよ!
 ソフィアがタイムスリップをし、この世界に行きついた場所を思い出した、そう言っている。そこに、タイムマシン……トライブレスが存在している可能性が非常に高いのは言うまでもなかった。鳥肌が立つ。それは、嬉しさからなのか、不安からなのか。
「そっか。よかったな……」
「どうしたの?」
 奏が小さな声で尋ねてきた。トライブレスのありかがわかったかもしれない、と言っておいた。
「四時に学校の正門で待ち合わせって言って。すぐお風呂に入れるように」
 奏の声もソフィアと同じように弾んでいた。胸がドキドキしてやまないのだろう。オレだって止まらない。二人とは違うドキドキだが。
「ソフィア、四時に学校の正門で待ち合わせだ。奏の家に行って風呂に入る。リュック忘れずにな」
 ――うん! ありがとうって奏ちゃんに伝えといて!
「ああ」
 そう言って、オレは携帯を切った。ソフィアの嬉しそうな声が耳の中で木霊した。
 なんでお前はそんなに嬉しいんだ? だって、お前が未来に帰っちまったらオレたち一生会えなくなるんだぞ?
「今日が、ソフィアとお別れの日……なのね」
 オレの曇った顔を見たのか、奏はそう呟いた。
「紅茶とカフェオレ、おまた……せ?」
 誰かの声が背中からした。オレは振り向けなかった。奏も、オレの背中の奴とは目も合わせず、ただオレを見ていた。
「ソフィアが未来に帰っちゃうの、イヤ?」
「え、マジ……?」
 奏の声と、背中からの声がステレオのように響く。
「嫌じゃないけどさ……。寂しくなるよな」
 オレはそれだけ言った。でも、思いはそれだけじゃない。言葉にできないような不安が頭上から降り注いできていた。怖い、という感情も含まれている。
「で、あの、よろしければ飲み物を……」
「統流、アンタがしっかりしてないと、ソフィアだって帰ろうにも帰れないわよ。あの子、そういうのに敏感だから」
 奏の言う通り、オレがしっかりしなくちゃいけない。わかってるんだ、そんなこと。
「あの、飲み物……」
 様々な光景や感情が混ざり合っている。立ちあがったらすぐ倒れてしまいそうだった。だが、そんなこと許されない。ソフィアだってきっと不安なはずだ。
「あれ? 駿河は?」
 我に返ったところで、オレは後ろを向いた。大瀬崎の姿はない。
 ……その後、テーブルの下でいじけている大瀬崎を奏が発見し、ソフィアの件の一部始終を語ったという。あと、奏の飲み物はカフェラテなのに、こいつはカフェオレを買ってきやがったから、また買わされていた。


 放課後、オレたちはホームルームが終わるとすぐに正門へと走っていた。約束の時間を過ぎても、担任曰くとても重要な話が続いていたからだ。抜け出そうと思ったが、雰囲気がそれを阻んでいた。
 ようやく正門に着いた時には、もう十分も遅れてしまっていた。ソフィアはいた。周囲から変な目で見られている。でも、ソフィアはオレたちを目で探していた。そして、オレと目が合ったときにとびきりの笑顔を見せた。
「統流君! 奏ちゃん! 大瀬崎君!」
 嬉しそうに駆けてきた。オレたちを見てひそひそと耳打ちしながら歩く奴らが無性にムカついたが、無視した。
「それじゃ、話は歩きながらしましょう」
 ソフィアが何かを話したそうにしていたので、奏がそう言った。ソフィアは頷き、オレの隣を歩いた。
 奏の家に行くまで、ソフィアは色んなことをしゃべっていた。この世界に来た場所にトライブレスがあること。つまりトライブレスは代樹山にあること。少し危険なところにあるから今まで行けなかった、など。でも、オレはほとんどそんな話を流して、ただ前のほうをぼんやり見ながら歩いていた。
 ソフィアがいなくなったら、オレはどんなオレになっているのだろうか。部屋のドアを開けたら、誰もいない真っ暗なアパートの一室に立っている……。電気はオレが点けて、自分が食うためのコンビニ弁当を食うんだろう。当たり前のことが、もう当たり前じゃなかった。
「告白、すんのか?」
 いきなり大瀬崎がそんなことを言ってきた。ふと現実に戻ってきたようだった。今オレは木製の椅子に座っていて、大きなテーブルを挟んで大瀬崎が座っていた。天井にはシャンデリアがあり、床には絨毯が敷かれている。ここは、奏の家のリビングだ。無意識のうちにここまで来てしまったようだった。もうソフィアは風呂に入っているのだろう。奏がいないのは、タオルでも渡しているのかもしれない。第一、あの二人がいるところで大瀬崎がそんなことを訊くわけもなかった。
「告白か? するぞ」
 オレは大瀬崎の質問に答えた。
「簡単に言う奴だな。それで失敗したら、ソフィアちゃん嫌な気持ちのまま帰ることになるんだぜ」
「いや、平気だ。あっちはもう告白してきたからな。オレはその答えを出すだけだ」
 そう言って深呼吸をした。自分の気持ちを整理する。ソフィアに好きだということを伝える。ソフィアはそれを受け止め、未来に帰る。それだけのはずだ。それ以上何を望むというんだ。
 大瀬崎のほうを見ると、口をポカンと開けていた。
「お前……。告白されてたんだな」
「知らなかったのか?」
「知るわけあるか!」
 ああ、と今更気が付いた。こいつが上半身裸で大家さんのところに行ったときに、ソフィアがオレに告白してきたんだっけか。
「……じゃあ、お前は告白したらさようならってことになるのか? 一度もデートせずに?」
「デート? したぞ」
「早すぎだっつーの!」
 確かにそんな気もする。
「でも、迷ってることは確かだ。ソフィアを未来に帰すか、そうじゃない方がいいのか……」
 振子時計がゆっくりと時を刻む。何もしていなくても、ソフィアと別れる時間が近づいてきていた。
「つまり、ソフィアちゃんのことなんて考えずに、自己中心的に考えれば、ソフィアちゃんをこの世界にいさせたいんだろ? 本来、未来に帰してあげるのがベストだけど」
 オレの気持ちを簡単に説明すればそうなる。
 大瀬崎は続ける。
「俺が思うに、その葛藤は俺たちみんな持ってると思うぜ」
 俺たちっていうと、お前も、奏も、そしてソフィアも葛藤しているというのか? まさか、そんな顔してないじゃないか。オレは大瀬崎を睨んでいた。
「だって、俺たちソフィアちゃんの友達じゃねえか。迷うに決まってる」
 ……そうか、忘れてた。友達だから、ソフィアといるときは素直に未来へ帰れることを喜んでいるんだけど、本当はもっと一緒にいたいんだ。ソフィアとオレは同じ立場にいるんだから思いは一緒だ。みんなの葛藤に気付けなかったのはオレだけなのかもな。
「俺もソフィアちゃんと会えなくなるのはめちゃくちゃ淋しいよ。それがソフィアちゃんのこと大好きな、だーいすきな穂枝だったらなおさらなんだろうね」
 皮肉だろうか、冗談っぽくオレがソフィアのことが好きなことを強調させた。でも、オレは黙って大瀬崎の話を耳にしていた。
「きっと、俺の千倍くらい迷ってるはずだ。いや、そんなに凄くはねえか。……前言撤回、それ以上だ」
 大瀬崎なりに、オレの想いを理解しようとしていた。それがどこか安心する。
「だから、お前の迷いを解消するために俺が意見を出したって、さらさら参考にならないけど、あえて話しておくぜ」
 大瀬崎が笑った。ふと、オレの顔が固まっていたことに気付いた。
「ああ、頼むよ」
 オレはぎこちない笑顔を作った。ただ顔を歪ませただけに見えるかもしれないが、笑ってやった。
「了解。じゃ、これから俺の家族のこと、話してやるよ」
 大瀬崎の長いお話が始まる。
「お前には言ってなかったが、俺には二十一になるアネキがいるんだ。頭もいいしスマートで、よくオレをいじる奴なんだけど、去年な、男と婚約したんだ。オレが見る限りいい奴だと思うぜ、アネキの相手は。で、アネキの両親にそいつが挨拶来たんだよ。そんとき、ジジイがすげー怒ってさ、うちの娘は渡さん! って、ドラマみたいなこと言って結婚認めなかったんだよ。特にアネキの相手は無礼なことしてないのにさ、むしろ礼儀正しいほうだと思うんだけどさ、頭のかたいジジイは認めないの一点張りだったんだ。そのとき、俺はなんでジジイが反対するのかわからなかった。
 アネキはジジイの反対を押し切って結婚して、結婚式開いたんだ。それでよ、ほら、花嫁が両親にお礼の言葉言うやつあるじゃん。あれ言ってるときに、あのジジイが泣いたんだぜ? 俺のばあちゃんが死んだときも涙堪えてたジジイが、悲しいわけでもなく、悔しいわけでもなく、嬉しくて泣いたんだ。結婚式が終わってから、ジジイが花婿に『娘を守ってやってくれ』ってぎこちなく言ったとき、初めて理解したんだ。ジジイがどれだけアネキを愛してたのかが、な。本当は、アネキを手離したくなかったんだよ。でも、アネキが幸せになることがジジイにとっても幸せだって思ってたんだろうな。だから、穂枝、お前の愛とジジイの愛は違うもんかもしれねえけど、そうやって思うことは難しいか? ソフィアちゃんを信じて、未来の世界を信じることはできないか? ジジイがアネキとその相手を信じたようにさ」
 とても長い話だった。でも、疲れなかった。
 オレが大瀬崎の父親だとしても、同じことを言うと思った。たぶん、結婚を認めなかったのは最後のわがままだったのかもしれない。でも、最終的には大瀬崎の姉を尊重したんだ。愛する娘の幸せを第一に……いや、娘の幸せは自分の幸せだと思い。
「なあ、大瀬崎」
「なんだ?」
 大瀬崎は特に変わりなく返事をした。大瀬崎にしては、姉の結婚も一つの思い出になっているんだろう。
 オレも、思い出になるんだろうか。ソフィア? ああ、懐かしいなあ……。なんて思えるようになるんだろうか。
「ありがとう」
 お礼を言った。背負っていた荷が軽くなった気がした。
「そんな、わざわざご丁寧にありがとうなんて言われても、どう対応すればいいのかわからないんだが」
 そういえば、真剣にお礼をこいつに言ったのは久しぶりか初めてだった。いつもいじってばかりだったからな。
「つーかさあ」
 大瀬崎がため息まじりに呟いた。
「ソフィアちゃんが穂枝のこと好きになっちゃうなんて、めっちゃくちゃ羨ましいんだけど! すぐ側にこんなハンサムな俺がいるのに……灯台とても暗しだな!」
 嫉妬していた。男らしくないな、と乾いた笑みを浮かべた。それに、お前はそれほどハンサムでもない。あと、言うなら灯台下暗しな。
「男はオープンとムッツリしかいないなんて大きな声で言ったからだ」
「よく覚えてらっしゃいましたね!」
 なぜか敬語で返してきた。ソフィアと過ごしてきた日々は大瀬崎も大切な思い出となっているんだろう、そう思った。
 そして、しばらく大瀬崎をいじっていると、ソフィアと奏がリビングにやってきた。青い服はさすがに洗えなかったが、身体はとてもきれいになっていた。


 アパートまで来ると、駐車場で大家さんが待っていた。オレたちに気付くと、無言で大家さんの部屋まで案内された。
 大家さんの部屋は、オレの部屋にはない畳の香りがした。ちなみに、オレの部屋も畳だが、緑茶臭がこびりついている。同じ広さなのに、幾分大家さんの部屋のほうが大きく見えるのは、コタツがなく、ちゃぶ台しかないからだろう。床が電気カーペットなので、寒さ対策はできているようだ。そして、ちゃぶ台の上にはそれからはみ出るほど大きな地図が載っていた。この地域の地図だ。
「それでは、早速話をするかね」
 部屋にオレたちが入ったことを確認すると、大家さんが口を開いた。
 ちゃぶ台に座り、このアパートがある場所を指差した。オレたちは大家さんの指先に注目した。
「ここがアパートじゃ。それで、ソフィアさんの大切なものはどこにあったと言ってたかな?」
 大家さんのやさしい目がソフィアに向けられた。
「私が覚えてるのは、代樹山のどこかです。すぐ近くにピンク色の葉っぱが付いてる、とても大きな木が一本立ってました。平坦なところだけど、すぐに崖があるところです」
 ソフィアがハキハキと言った。本当にトライブレスのありかを思い出していた。
「ピンクの葉っぱが付いてる木ってなんだよ。どこのワンダーランドツリーっすか?」
 大瀬崎が言った。
「桜よ」
 奏が即答した。なぜわかった。
 まあ、確かに初めて見た人なら桜がピンクの葉をつけてるって思うかもしれないな。でも、一つ疑問点があった。
「今、冬だよな? ソフィアがこの世界に来たときも冬だ。なのになんで桜が花つけるんだよ」
 奏があごに人差し指を添えてしばらく考え込んだ。そして、一つの結論に至ったのか、顔をあげてオレたちを見た。
「これは仮定に過ぎないんだけど……。ソフィアは時間を超えてここまでやってきたのよね? だから、時間を超えたタイムマシン……トライブレスによって周囲の時間が歪んでも完全に否定することはできないわ。だから、桜の木が冬に花を咲かせてても文句はないわよね?」
 まあ、そこら辺の所は奏がわかってればいいと思う。
「話を戻すぞ」
 大家さんがオレたちに言った。
「ワシはここら辺の地理は全て把握しておる。特に代樹山は古くから遊んできた庭みたいなもんじゃ。じゃが、桜が一本しか咲いてない場所はたった一つしかない」
 大家さんは指を移動させた。アパートから代樹山の頂上へ滑らせる。そして、ある一点で止まった。頂上のすぐ近くだった。
「ソフィアさんから聞いたんじゃが、一度代樹山の崖から落ちてしもうたようだな」
 ソフィアが崖から落ちたといえば、ハイキングのあの日しかない。ソフィアが告白してきた、あの場所だ。
「そのさらに一段下に、桜はあるんじゃよ」
 マジか……。オレは胸の高鳴りを覚えた。確か、大瀬崎がソフィアを質問攻めにした日、奏がはじめてトライブレス捜しに参加したあの日、オレは直角に切って落とされたような崖を見た。懐中電燈に照らされた土。三メートルほど上に懐中電灯をかざすと、木の根っこが見えた。その根っここそが、桜の木だというのだろうか?
「あそこは、戦時中高射砲が設置された場所なんじゃ。そのために山を削って人工的に平坦にしたところだったんじゃよ。戦争が終わって、跡には桜の木が植えられた。昔は梯子があって、そこまで簡単にいけたんじゃが、錆びて壊れてしもうたようじゃな」
 そんなものがあったなんて信じられなかった。きっと、代樹山は東京を守る要塞のような場所だったのだろう。
 大家さんが立ちあがった。
「ロープを持っていきなさい。あなたたちが統流くんとソフィアさんを下ろしたり引っ張ったりすれば、安全にいけるじゃろう」
 大家さんは戸棚から束ねられた二本のロープを大瀬崎と奏に渡した。一本目は、ハイキングのときにソフィアが落ちた場所へオレたちを下ろすためのもので、もう一つはそこからトライブレスのある桜の木の場所へと下ろすものだ。
 そこへ行けば、トライブレスは見つかる。ソフィアを見た。とても嬉しそうに笑っていた。
「おい、ソフィア」
 オレはソフィアに声をかけた。
 ソフィアが振り向く。
「なんでそんなに嬉しそうなんだ?」
 オレは、こんなにも不安なのに。ソフィアがいなくなってしまうのが怖いのに……。大瀬崎に励まされても、完璧に吹っ切れたわけじゃないんだぞ。
 でも、なんでソフィアは笑ってられるんだ。
「だって、私の質問に統流君が答えるときが近づいてきてるんだよ! ワクワクして仕方ないもん!」
 お前は、それだけで不安な気持ちが紛れるのか? そんなにオレの言葉で救われたのか……?
 どうなっても知らねえぞ。
 と、オレは笑っていた。なんだかんだ言って、ソフィアを支えられている自分が嬉しかったのだ。
「それじゃあ、行きましょうか」
 奏が言った。大瀬崎とソフィアが頷いた。
「ほれ、頑張ってきなさい」
 大家さんがオレたちを見送った。
 オレも外に出ていくことにする。
「っと、待ちなさい、統流くん」
 大家さんに腕を掴まれた。振り向くと、大きな目でオレを見つめていた。
「ソフィアさんに、夢の話はしたのかい?」
 夢? コックのことか? そりゃもちろんだ。オレは自分の夢を初めて語ったのはソフィアだ。オレは大家さんの目を見て頷いた。
「本当か? ワシに話した夢だぞ。切実に話した、あの夢だぞ」
 ……いや、大家さんに話したことないからな。
 思わず苦笑してしまう。
「ワシには、ソフィアさんと夢が関係していると思ってならないんじゃよ」
 まあ、確かにいつも料理を作ってやってるけどな。でも、そんなに関係はないんじゃないか?
 大家さんのボケだろう。オレは適当に頷いてソフィアたちのあとを追った。


 外に出ると、日はもうとっぷりと暮れていた。星が点々と見える。
 山を登った。ソフィアと登る最後の日だと思うと、ワクワクよりも苦しみのほうが強かった。結局、オレは弱い人間なのだ。簡単なことですぐに折れてしまうんだ。
 隣にソフィアがいた。オレは、手を握ろうとした。ソフィアから優しく手を包んでくれた。冬の寒さから、そこだけが守られているような気がする。温かかった。でも、この温かさも今日で最後なんだ。そう思うと、涙が出てきた。
 どうしたの? ソフィアが訊いてきた。
 なんでもねえよ、とオレは顔を逸らした。もちろん、涙をぬぐうために。
 大瀬崎と奏はずっと無言だった。
 それぞれの思いを抱きながら、道なき道を登る。ただ、淡々と。


 代樹山の頂上に着いた。ここから見える星は、何度見てもきれいだった。でも、その光ですら心にチクチクと刺さって痛かった。星がきれいに見える場所にいるってことは、もうすぐソフィアと別れるってことだ。オレにその決意ができるのだろうか……。不安だった。
「それじゃ、私はここに残るわ。駿河は下で待機ね。で、統流とソフィアがトライブレスのあるところまで行く。これでいいわね」
 オレは頷いた。せめて最後は笑顔でいよう。今は辛いかもしれないけど、いつかは笑えるようになると信じて。
「神子元、ソフィアと何か話さなくていいのか?」
 大瀬崎が奏に訊いていた。
「別に。家でたくさん話したから、それで十分よ」
 そう言って、奏はソフィアを見た。ソフィアは照れ笑いをしていた。一体何を話したのだろうか。
 しばらくして、ソフィアが奏のロープにつかまった。そして、少しずつ崖を降りてく。次に大瀬崎が続く。
 大瀬崎も降りると、今度はオレの番だ。奏の白いロープを掴んだ。
「待ちなさい、統流」
 奏に呼び止められた。イラッとして睨もうとしたら、奏は今までにないほどじっとオレのことを真剣に見つめていた。その瞳にオレは動揺し、ロープを落とした。
「なんだよ……」
 オレの声が弱々しく聞こえた。
「やめるんなら、今よ」
 真剣な表情を保ったまま、奏はそう言ってきた。
 やめるって、それはつまりソフィアを未来に帰さない、ということか? 未来に帰したくない……その気持ちは大瀬崎の意見を聞いても揺るぎなかった。でも、ソフィアを未来に帰す。その決意もまた、不動だった。
 だから、オレは首を横に振った。オレはソフィアが一番幸せになることをするだけだ。
「思い出してごらんなさい。未来は危機に立たされているのよ。危ない世界なのよ」
 わかってる。そして、ソフィアはそれから逃げてはいけない運命を背負っている。危機を救うために、命をかけて未来の世界を守るんだ。平和ボケした日本じゃ考えられないようなことが未来の世界では日常なのかもしれない。
「でも、この世界で生きるよりかはマシだ」
 オレはそうはっきりと答えた。
 思い出せ。ソフィアはずっとオレの帰りを待つことだけが楽しみだったんだ。外にも行けず、テレビも見れず、ただじっとオレの帰りを待つだけの日々。しかも、寒い部屋の中でだ。
 少し危険な世界でも、未来は自由な世界なんだ。友達もいる。親もいる。ここよりも遥かに楽しい世界だ。
 と、奏の真剣な眼差しが和らいだ。代わりに重く深いため息が漏れた。
「はあ、そこまでソフィアのことが好きだと、妬けるわ」
 奏が妬くほど、オレはソフィアのことが好きらしい。それって、凄いことじゃないか?
 また重いため息が聞こえる。
「いいわよね、アンタたちは。特に統流は」
 え、オレ? オレのどこが羨ましいんだ?
「いつもいつも、私のことなんてムシして、どっか行っちゃうんだもんね」
 奏が目を逸らした。そして、黒い空を見上げた。
「覚えてる? 小四の頃、私がいつもアンタの近くにいたこと」
「……覚えてない」
 オレは正直に答えた。大体、小学校のころの記憶なんて覚えてる人のほうが稀だ。
 奏はとても呆れた様子だった。
「でしょうねえ……。じゃあ、あのとき私が言ったことも覚えてないのよね」
 覚えてないだろうな。
「私さ、そのとき友達とうまくいってなかったの。だから、私はアンタに助けを求めた。知らずしらずのうちにルールが決まって、知らずしらずのうちにリーダーが決まる。知らないうちにできたリーダーが、知らないうちに決めたルールを破るとグループで無視されるの。私はそんなルールわからないのに破っちゃったみたいで、グループから無視されたの。そんなのありえないでしょ? だから統流、助けなさいって」
 んな助けを求められた覚えないって。そう思ったのだが、どこかで聞いた覚えがあった。
「そしたらアンタはなんて言ったと思う? ルールがわからなかったら、リーダーに聞けばいいだろって、そんな適当なこと言ったのよ。ま、最初から期待してなかったけどね」
 思い出した。金曜日に大瀬崎が奏に訊いた質問の答えだ。
『私はね、そういうの嫌いなの。一つのグループに集まって、その中で暗黙にリーダーが決まって、暗黙に主従関係ができて、暗黙に掟ができるような、そういう友達ってものがね』
 奏の気持ちがわかったのは、昔そういう話を聞いたことがあったからだ。誰から聞いたのか、あのときは顔を思い出せなかった。でも、今思い出した。奏がオレに言ってきたのだ。
 心にあった小さなしこりが取り除かれた気がした。
「ずっと私がアンタの側にいたのは、ずっと監視だって言ってたけど、それは自分に言い訳をしてたんだと思う。本当は、自分を安心させたかった。それだけなのよ」
 今更ながら、奏は昔話をしていた。ソフィアに嫉妬してるって話はどこに行ったんだ?
 でも、奏からこういう話を聞けるのは珍しいから、じっと話に耳を傾けることにした。
「アンタって鈍感だから、私の訴えなんて伝わらない。だから、言ってもムダだってわかってたけどね。でも一番信じられたのよ。でも、いつかはアンタとも別れる日が来る。突然アンタが離れていっちゃうのは嫌だったから、私から故郷を離れてこの町に来たの。それなのに……そういうときだけ、アンタは家出半分で私にノコノコついてきて……。そのときの私の気持ち、わかってんの?」
 奏の口調が荒かった。それに、表情も硬かった。正直、怖い。
 だから、オレは苦笑いをしながらこう言った。
「スマン、わからない。でも、ごめん」
 謝りまくった。
 そしたら、奏はもっとムスッとした。やばい、癪に障ってしまったようだ。
「ようやく、アンタは一生私の気持ちなんて理解できないって胸を張って言えるようになったわ」
 ぽつりとそう呟いた。そして、不意にもこいつは笑った。いつもつまらない顔をしてばかりいるこいつが、笑った。
「そのとき、私は嬉しかったのよ。とっても嬉しかったのよ」
 ああ、オレも理解した。お前の気持ちなんて、一生理解できないよ。
「ずっとずっと、アンタが離れていきそうで、いつも私が必死になって繋ぎとめてたアンタが、私の手を借りずについてきてくれたんだから」
 そう言って、空に散らばる星を仰ぐ。北から吹きぬける風で髪が流れた。
 横顔を見て思ったことを、勘で言った。
「お前さ、なんかオレのことが好きだって、そう言ってるように聞こえるぞ」
「……はぁっ?」
 奏が反射的にオレのほうを見た。その顔は夜でもわかるくらい赤かった。
「バ、バカッ! そんなわけ……ない、わよ……。ただ、嬉しかったから、つい……」
 そりゃそうか。オレの勘はいつも外れるからそんなところだと思った。
 ふっと、奏の表情が和らいだ。大人の落ち着きがある。
「それでね、私思ったの。アンタと一緒に高校生活を楽しもうって。そのあとで会った駿河も仲間に入れて、一緒にバカやろうって思ったのよ」
 オレは大瀬崎と初めて話したあの日を思い出した。あのときからアイツはいじられキャラだった。
「……でも、しばらくしてそれだけじゃダメなんだって思ったの。この町に来た本当の理由を思い出したから。統流がいなくてもいいように、たくさん友達を作るってことをね。だから、友達を作った。アンタも少し前に会ったでしょ?」
 奏の友達と言われて思い出すのは、田舎のギャルみたいな格好をしたミズキとかいう香水臭いあいつだ。
「私は暗黙のルールをまさぐるようにして覚えて、必死に生きたわ。アンタに心配されないように頑張ったわ」
 星の光に照らされた奏の目は死んでいた。絶望に満ちた瞳を、オレは今まで見たことがあっただろうか?
「必死に生きたって……。そんな友達あるわけないだろ。それは、友達なんかじゃない。そりゃただの奴隷だ」
「……じゃあ、どうしろって言うのよ! 私がリーダーになって、他の人を苦しめればいいわけ?」
 奏が叫んだ。
 星の砂が奏の頬辺りで輝いていた。紛れもない涙だった。初めて見た涙。
「違う! オレや大瀬崎のような友達を探せばいいってことだ!」
 奏が泣きだしたのは驚いたが、オレも叫び返した。
 しばらくの沈黙が代樹山の頂を包み込んだ。ソフィアや大瀬崎はオレを待っているだろうか?
 オレがここに来たのは、奏の悩みを聞くためではない。
 もう下に行きたい……と思ったのは奏が『そこまでソフィアのことが好きだと、妬けるわ』と言った辺りまでだ。今は、奏の悩みをしっかりと聞いておきたかった。奏の悩みを聞いて、それからでないとソフィアにオレの意志を伝えることなんてできないと思ったからだ。
「そんな人、いないわよ」
 奏の弱々しい声のあとは、また静寂だった。
 いつも強がってる奏は、すぐに崩れてしまいそうなくらい弱い存在なのだ。すぐに心が潰れてしまいそうなオレと同じくらい、奏も弱かった。
 だから、子どものように泣く奏を少しでも励ましてやりたかった。
「オレたちみたいな奴ら、いると思うぞ。いや、絶対いる。考えてみろよ。女子が全員グループになって、暗黙暗黙ばかりだったら逆に寒気がすると思わないか? それに、お前がそう思ってるんなら、学校にも同じこと思ってる奴、いるって」
「いるわけないわよ。私は特別な人間だから……」
 しゃくり声を上げながら奏は言った。
 そう、奏はある意味特別な人間だ。小学校の頃、友達は男ばかりだった。中学校に入って、奏が女の子……男の子とは違う存在だと気付いた男子は去り、友達はオレだけになった。女子の友達は作ろうとしなかった。きっと、小四の頃の友達がトラウマになってしまったんだろう。その原因の中には、助けを求めた奏の手をとらず、適当に流してしまったオレにも少なからず責任がある。そして、人付き合いがうまくない奏は勇気を振り絞って、自ら独り旅をしようとした。でも、オレが付いてきてしまった。だから決心が揺らいでしまったんだろう。本当の友達と言えるようなもんは、オレと大瀬崎だけになってしまったんだ。
 でも、これだけは言える。
「お前と同じこと思ってる奴なんて、たくさんいるに決まってるさ。現にソフィアは暗黙のルールなんて作らないし、あったとしても従わないだろ?」
「ソフィアだって、私と同じように特別よ」
 奏は目を逸らした。ソフィアは特別か? 確かに未来の人間だ。でも、特別なんかじゃない。オレは首を横に振る。
「ソフィアの住む世界には、ソフィアの友達がいる。決して特別なんかじゃない。あと、あいつはオレにこう言ったんだ。どんな世界にも、似てる奴がいるって。それは、未来とか過去とか、そんな巨大なものだけじゃない。高校に進学したら、中学校のとき顔見知りだった奴に似てる奴がいたり、引っ越した先で何も知らない人のはずなのに、どこか親近感がわいたりとか、そういうのも含んで、だ」
 これは実際に体験したことだから、胸を張って言えた。
 でも、奏はそんなことわからないかもしれない。奏に友達といえる奴はオレくらいしかいなかった。だから、これからがスタートなんだ。
「それに、今のクラスにそんな奴がいなかったら、二年になってクラス替えがあったときに探せばいいじゃないか」
 オレは奏に微笑みかけた。こんな表情を奏に向ける日が来るなんてわからなかった。
「奏、お前は自分で思ってる以上に友達思いだから大丈夫だよ。大晦日の前日のこと、覚えてるか? お前、ソフィアのためにプロフィール作ってくれただろ?」
 だって、普通あんなに詳しいプロフィールを作るか? 作らないだろ。それなのにお前は作ったんだよ。それってすげえことだ。
「それ以外にも、ソフィアに色んなことしてやってたろ? いいか、奏。お前ならいい友達をたくさん作れるさ。自信持てって」
 奏にこれほど長いセリフを止められずに言いきった記憶がない。
 ……奏は泣くのをやめ、オレをじっと見た。
「アンタがそんなに言っても、不安なことに変わりはないのよ」
 奏の視線が揺らぐ。
「だから、さ。その、統流も……。統流、も……」
 奏はそこで言葉を詰まらせた。恥ずかしくて言えないんだろう。でも、奏の言いたいことはよくわかった。
 ――統流も、一緒にいてくれる? 友達作るの、手伝ってくれる?
 オレは、大きく頷いた。
「ああ、もちろんだ。あのときみたいにお前を置いていったりはしないさ。今度は一緒に友達探してやるよ」
「嘘だったら……承知しないんだからね」
「そんときは本気で蹴っていいからな」
 冗談っぽくオレは言った。きっと、奏は冗談で済ましてはくれないだろうけど。
 奏が背を向けた。そして、大きくため息をするのがわかった。
「ホント、アンタはソフィアのことが好きなのね。そりゃもう、嫉妬するぐらいにね。ソフィアがいなかったら、私にそんなこと言えなかったでしょ?」
 奏の背中がそう言った。まあ、確かにそうかもしれない。オレだって女子で友達といえるのは奏のソフィア(ソフィアは友達以上、といえるが)しかいないから、もしソフィアと出会わなかったり、仲が良くなかったりしたら、奏をここまで励ますことはできなかっただろう。
 奏が振り返った。涙のあとが見えるが、もう奏は泣いていなかった。
「行くんでしょ? ソフィアのところへ」
「ああ」
 もう迷いはない。ソフィアのところに行く。ただ、ソフィアを未来に帰すか、帰さないかはまだ少し迷っているが。
「一緒に未来へ行こう、だなんて言わないでよね」
「行かねえよ」
 その手は浮かばなかったが、そもそも行けるかどうかすらわからないし、行けたとしてもソフィアの二の舞にだけはなりたくないから嫌だ。第一、奏や大瀬崎、親に心配かけたくない。
 奏が微笑み、ロープの端を差しだした。オレはそれを手に取り、崖のほうへ移動した。
「あ、忘れてた」
 オレが崖を降りようとしたら、奏が待ったをかけた。
「ソフィアが行っちゃう前に、これだけは言いたかったの。未来の世界に、翼の生えた人間がなんでいるかってこと」
 そんなことわかるわけない、頭がパンクするだけ。いつかはそう言っていた奏だが、ちゃんと考えてくれていたのだ。
「きっと、翼の生えた人間……バーダーは、平和の象徴なんだと思うわ。だからきっと、未来の世界は平和な世界なんだなって」
 平和の象徴……。危機が迫る世界。たくさんの人々が死んでしまうと騒がれている世界。世界のほとんどが消滅してしまった世界。その中でバーダーは平和を象徴している。空を舞うソフィアの笑顔。全てを包み込んでくれそうな優しさ……。
「それ、意外と御名答かもしれないな」
 そんな気がした。
 奏はニコリと笑い、そして呟いた。
「行ってらっしゃい」
 オレは、ロープを支えに崖を下った。光は樹木にさえぎられていき、最後には消えた。


 枯葉の潰れる音がした。地面の感触がする。その二つが感じ取れなかったら、オレは今地面に立っていることなんてわからなかっただろう。暗黙に閉ざされていて、視覚は役に立たないということだ。
 大瀬崎とソフィアを探そうかと思ったが、大家さんの言葉を思い出した。トライブレスがある場所へ行くには、もう一つの崖を降りるのだ。つまり、下手に動くと足を滑らせて崖から落ちてしまうかもしれない、ということだ。ここはおとなしくじっと待って、目が慣れるのを待つのがいいだろう。それから大瀬崎たちを探しても遅くはない。というか、大瀬崎とソフィアが落ち合っていたら(二人とも崖から落ちてしまった、という意味ではない。二人とも出会ったら、という意味だ)、話し声くらいは聞こえるはずだ。
 耳を澄ませてみる。しばらくは胸の鼓動しか聞こえなかった。奏と話していたから、心拍数が上がっていたようだ。オレは心を落ち着かせる。
「……俺は、ずっとずっとソフィアちゃんとタイムマシンを捜してきた」
 どこからか大瀬崎の声が聞こえた。さらに耳を澄ませる。
「少しずつだけど、心に溜まっていく想いがあったんだ」
 会話の途中だったから全く内容がわからなかった。
 大瀬崎の一方的な話はまだ続く。
「それでな、俺の気持ちに応えること、できないか?」
「できません」
 大瀬崎の声のあと、やさしい声がした。ソフィアだった。大瀬崎の問いに即答している。
 ……会話から察するに、大瀬崎はソフィアに告白してるのか? そう思うと、二人の会話に入れなくなってしまう。飛び出して止めようとするのが普通なのに、それができないのはオレがヘタレだからか? いや、大瀬崎には不可能だとわかってるからだ。そうに違いない。
「今まで三十分くらい話してきたことも全部込みでもか?」
 告白なのか何なのかわからないが、大瀬崎は三十分もソフィアに気持ちをぶつけていたようだ。
「それでも、です」
「やっぱり即答っすか!」
 大瀬崎がオレにツッコむような勢いでソフィアにぶつかっていた。
「くそ……。どこからそんな堅い決心があるんだよ……」
 独り言のように呟いているが、遠い場所にいるオレにも丸聞こえだった。
「それは、私が統流君のこと、好きだからです」
 きっぱりとソフィアは言い切った。予想通り、大瀬崎はソフィアに告白していたようだ。ま、オレに敵うわけない。諦めろ。
「そっか……。なら仕方ないな」
 そうだ。きっぱり諦めろ。
「でもな、俺はソフィアちゃんがこの世界に居続けて欲しいんだ」
 な……。オレは何も言ってないのに言葉に詰まった。奏の家でオレに言ったことと、正反対のことを言ってるのだ。あのときは未来に帰すのがいいって言ってたじゃないか。なのに、こいつはそんなことを言いやがって……。オレに言ったお前の姉の話はウソだったのか?
「でも、私は帰らないといけないんです……」
 ソフィアの声が明らかに戸惑っていた。ソフィアの表情がわからないからだろうか、なんとなくソフィアもオレと同じく迷っているように思えた。
「よし、じゃあソフィアちゃんを引きとめちゃおう大作戦として、俺が穂枝と神子元に出会ったときの話でも聞かせてやろうか」
 やめろ。オレたちと大瀬崎の出会いになんら感動するもんはないけど、もし大瀬崎が変な演出でもして、ソフィアまで未来に帰ることを躊躇してしまったらどうすんだよ……。未来に帰れなくなったら、どう責任とってくれるんだよ……。
 しばしの沈黙のあと、大瀬崎はやたらと大きな声で言う。
「大丈夫、穂枝にとってヤバイことは言わねえからよ」
 そのあとで、鼻で笑ったような息の音がかすかに聞こえたような気がした。まさか……。
 大瀬崎は、オレがここにいること、わかってんのか?
「俺は、中坊の頃、すっげえいじめっ子だったんだ。そりゃもう、俺が自覚するくらいのいじめっ子だ」
 大瀬崎の昔話はこの冒頭で始まった。大瀬崎が中学生だった頃、よく弱い奴をいじめてたってのは聞いたことがある。だから、この話は本当のことなんだ。
 不安が脳裏をよぎった。
「別に理由はなかった。強いて言うなら、ストレス発散かな? 弱い奴殴るとさ、スカッとするんだ。周りの戦慄がたまらなかった。先公の対応も格別だった。そんな暴れん坊な俺は、そのまま高校に入った。そしたら高校じゃ、いじめはタブーってオーラが、まるで文字になってそこらじゅうに浮かんでるみたいだったんだよ。だからオレはいじめられなくなった。別に、わざわざいじめをすることなかったんだけど、でもストレスは溜まった」
 オレから見た大瀬崎の第一印象は、その金髪頭から不良だった。そして、実際不良みたいなことをやってきた奴だ。まあ、タバコとかアルコールには手を出してなかったみたいだし、それなりに頭もよかった(そうしないと今の高校に入れないからな)から、ドラマに出てくるような不良にまでは至らないだろう。ただのいじめっ子だ。どこの中学校にもいるような。
 ちなみに今言ったことだけ聞くと大瀬崎はただの悪役だが、そんなわけないぞ。
「そんなとき、神子元と仲良さげに話す穂枝がいたんだ。無性にムカついて、二人のところにヅカヅカ寄ったんだよ。イチャイチャしてんじゃねえよって言ったんだ。そりゃもう、不良らしく真正面から睨みを利かせてさ」
 ああ、そういやそんなことしてたな。
「そしたら、神子元の奴にうまく言い返されたんだ。さんざん弱い奴らの助けを嘲笑ったオレが何も言えなくなるくらいに見事にな。穂枝も調子に乗って、変なこと言いやがってさ、なんだか恥ずかしくなって、ノコノコと席に戻ったわけだ」
 懐かしい。確かにそれがオレと大瀬崎の出会いだ。奏は男子相手にならどんな奴でも口でなら勝てる。男友達ばかりいるからだ。
 ちなみに今言ったことだけ聞くと大瀬崎がめちゃくちゃ恥ずかしい人間に見えるが、これが本性だ。
「それ以降俺はあの二人には関わらない方がいいって思ったんだ。でも、あいつらはそう思ってくれなかった。その昼にさ、穂枝と神子元は昼飯を誘ってくれたんだ。ケンカ吹っかけた罰だって、購買で昼飯買わされたよ。そのときは嫌で嫌でたまらなくて、ムカムカしてた。でも食堂に戻って二人が幼馴染みで、静岡からやってきたって聞いたとき、少し面白そうな奴らだなって思ったんだ」
 確かに、自己紹介のときはオレが奏にヘコヘコと頭下げまくってたから、大瀬崎から見れば面白い奴らって思ったかもな。いや、大瀬崎は退屈で仕方ないときに、オレたちがやってきたってところで、そう思えたのかもしれない。一般人が、外見から不良に見える奴にわざわざ寄ってくるなんてないだろう。不良が寄ってくることはあるが、この高校に不良(ドラマに出てくるような本当に怖い奴ら)はいないからそれはありえない。
「ストレスばかり溜まってた俺だけど、穂枝と神子元といれば、そんなの感じないって思ったんだよな」
 その結果、大瀬崎はいじられキャラに抜擢され、ストレス溜まりっぱなしの役に就いてしまったわけだ。
「俺、今じゃいじられてばかりだけど、穂枝から奏の性格とか経歴とか聞かされてたから、別にどうって思わなかった。少なからず今までいじめてきた奴らへの償いも込みだったけど。でも、三人でいるのがめっちゃ楽しいのは、胸張って言える」
 大瀬崎は更生しはじめた不良だった。そして今では、こんな友達思いの人なんて見たことない、と思えるほど、友達のために動いてくれる奴になっている。大瀬崎って、本当にいい奴だと改めて思った。
「だから、ソフィアちゃんも、俺たちと友達になれたのはスゲえ幸運なことだと思うぜ」
 そう言って、大瀬崎はソフィアに笑いかけているに違いなかった。
 少し沈黙が訪れた。そして、オレは思い出す。
 今までの話は、大瀬崎の『ソフィアちゃんを引きとめちゃおう大作戦』の一環なのだ。オレが感動してしまうくらいなんだから、間違いなく作戦は成功してしまっていた。
「なあ、ソフィアちゃん」
 大瀬崎が猫撫で声で呼びかける。
「はい?」
「穂枝のこと、好きなんだろ?」
 こいつは紛れもなく悪だ。この作戦のあとでその言葉を発するなんて反則だ。
 間が空いた。きっとソフィアは頷いている。
「好きになった奴は、世界でたった一人しかいないんだ。断言しよう、穂枝という人間は過去にも未来にも存在しない。現在というこの世界に、たった一人しかいない。ソフィアちゃんが未来に帰っちゃうってことは、穂枝と一生会えなくなるってことだ。未来に穂枝みたいな奴がいるって思ってたら、それは間違いだぞ。穂枝は一人しかいない。未来の世界に『穂枝みたいな奴』がいても『穂枝』はいないんだ」
 怒りに燃えあがってくるのがわかった。拳が震える。わかってることだった。ソフィアが未来に帰ったら、一生オレに会えないんだ。
「しかも、死別じゃないから穂枝と過ごしてきた日々が一生思い出として残り続ける。それは、穂枝も同じことだぜ」
 最後の一言が強調された。それはオレに向けられた言葉だった。
 もし、この後の人生でソフィア『みたいな』奴に出会ったとしたら、多分オレは惚れるだろう。でも、相手はオレのことなんて何も知らない。アパートの駐車場で倒れてたことや、一緒にタイムマシンを捜したこと、コックになることが夢だってこと……。何もかも知らないんだ。それに気付いたオレは、どうなってしまうんだろう?
『どんな世界にも、似ている奴がいる』
 オレたちの背を押してきたその言葉が、刃を向けてくるなんて……。
「ま、答えは下で穂枝に言ってくれ。俺はただ、二人を引っ張り上げるか、一人を引っ張り上げるかの違いだけでしかないんだからな」
「うん……」
 自信なさげにソフィアは呟いた。
「じゃ、行ってこい」
 ソフィアは桜の木があるはずの場所へ下りているはずだ。そこは、最後の場所にも、スタートにもなりうる場所だ。
 しばらく、ロープが擦れる音がする。そして、いつしかその音はやんでいた。
「穂枝、そこにいるんだろ?」
 大瀬崎の声がした。オレはただ怒りにまかせて声の聞こえるほうへ走りだした。
 そして、大瀬崎がいるだろう場所に辿りついたとき、全力で拳を振り上げた。怒りだけを詰めたパンチは、何か固いものにぶつかった。はじめ、何を殴ったのかわからなかった。感覚がなかったから痛みはない。そして、ようやくオレは木の幹を殴ったんだと理解した。
「穂枝、一応言っておくが、俺は本気でソフィアちゃんをこの世界に留めさせるつもりはないぜ」
 すぐ隣から大瀬崎の声がした。殴ろうにも、感覚のない手で殴ることはできなかった。
「うるさい……。じゃあお前は、何が目的であんなことしたんだよ」
 怒りはまだ治まっていなかった。
「ただ俺は、お前とソフィアちゃんに考えてもらいたかったんだ。お互い向き合って、しっかりとな」
 大瀬崎のやさしい声がムカついた。
「ソフィアちゃんを未来に帰すか帰さないかは、お前とソフィアちゃんにしか選べないことだ。二人の友人として、平等な選択肢のなかから選ぶのが一番いいって、必死に考えた結果だ。それで恨まれたら、俺は申し訳ないとしか言えない。でも、俺はお前らが選んだ選択が一番正しいと思うし、二人なら正しい判断ができると信じてるぜ」
 ふと我に返った。
 こいつは、平等な選択肢を選ぶことができるように、二つの昔話……一つは大瀬崎の姉の話。もう一つはオレたちが出会ったときの話……をしたんだ。オレたちに恨まれたっていい。だから、それ以上のものをムダにしないでほしい、と大瀬崎は思って行動したんだ。
 バカな大瀬崎だが、バカなりに頑張って考えたんだろう。
「もう一度言う。俺はどんな結果になっても、お前やソフィアちゃんを責めたりはしない。男の約束だ」
 オレは無言で頷いた。何も言わなくても伝わっただろうか? いや、伝わった。オレは大瀬崎に細長い何かを握らされたからだ。ロープだとすぐわかった。
 怒りにまかせて幹を殴った右手が痛かったから、左手を縛るようにしてロープに掴んだ。
「お前らに、未来を委ねたからな」
 大瀬崎は『またな』と言う代わりにそう言った。
 今まで、たくさんの人に支えられてきた。お袋や親父、大家さんや店長、そして奏と大瀬崎。
 未来を救うとか、一生会えなくなるとか、そういうことは置いておこう。
 ただ、ソフィアのために何が一番いいことなのか……。それを、ソフィアと一緒にこれから考えていけばいい。
 崖を降りていくと、なぜか徐々に明るくなってきた。今まで見たことのない光だった。下がっていくにつれ、闇が深くなるはずが、眩しくなっていった。
 地に着き、振り返るとやっとわかった。
 満開の桜の根本から、白とも青とも緑ともつかない光が放射されているのだ。
 そして、目の前にソフィアがいた。
 翼の生えた少女が、そこにいた。


 ――また会いましたね。
 知らないうちにオレは何もない世界にいた。少し前までオレは何をしていたのだろうか。オレは、ずっとこの世界にいたのだろうか。色も感情もない、この世界に。
 いや、違う。オレはこの世界にいない。これは夢なんだ。夢だ。もう一人のオレがいた世界だ。どうやらオレはその世界に迷い込んでしまったようだ。
 自分を落ち着かせる。
 ふと気付いたことがあった。
 オレは、耳の奥底から聞こえる誰かの声に聞き覚えがあった。いつか聞いたことのある声。いや、音と言ったほうがいいかもしれない。それは実体のない世界の全体から聞こえてくるようだった。この世界がこの世界であることを示してくれる唯一の光だ。
 そして、思い出した。
 この音はオレに忠告をしてくれた。想いを伝えてしまえば、それはすなわち世界を崩壊させると、そう教えてくれた。
 オレは、この音のおかげでソフィアを助けることができたんだ。
 ――あなたの世界では、未来は限りなく分岐を続けます。
 確か、初めてこの音を聞いたときは何が何なのかわからなくなって、自分が抜け殻になってしまうような、精神と肉体が離れてしまうような感覚を味わった。
 ――そして、あなたはその中からたった一つの道を選びました。それが、私にとって最善の道だと思います。
 目の前に……といっても、距離感がわからないが、ぼんやりと見えるそれは微かに動いているのか、微動だにしないのか、それともオレが動いているのだろうか。とにかく音はそこにいた。
 ――歪みとの繋がりは必要ありません。繋がれば、きっと私は消えてなくなってしまうでしょう。つまり、未来は消えてしまうのです。未来への分岐も全て、可能性は失せます。
 音は警告していた。まだ危機は去っていない、と。
 でも、オレはいつしかその『歪み』と繋がりを求めていた。手と手のように、離そうと思えばすぐに離れてしまうような繋がりではない。永遠の繋がりを欲していた。
 だから、オレは音に尋ねた。
 ……オレとそいつは、繋がってはだめなのか?
 ――はい。
 答えはすぐに返ってきた。不快の感情が流れる。
 ……なんでだよ。そんなことも許されてはいけないのか? オレは。
 ――許されていないのは、あなたではありません。歪みのほうです。
 オレではない。それはなぜだろうか。歪みだからなのか? そうだな、歪みだからだ。
 ――ただし。
 音は連なる。
 ――未来は小さな繋がりを求めています。
 ……どういう意味だよ。
 わからなかった。繋がってはいけないと言いながら繋がれと言っている。それは、あなたは死んではいけない、だから死ねと言っているようなものだ。
 ――あなたは、その歪みを経由して形に無い『存在』を未来に繋げてほしいのです。
 何かの罰ゲームに思えた。頭の悪いオレに対して相対性理論を三十文字以内で説明せよと問われても答えられるわけがない。形のない『存在』なんてあるもんか。
 ――これは、未来が二本の道しかない世界ではできないことなのです。私はあなたとあなたたちの世界にしかできないことを託しているのです。
 これは夢なのだ。しかもオレの夢だ。オレの夢なのに、オレの考えを超える世界があった。理解なんて一生できないんだろう。
 なんてことはその数秒後には忘れ、さらに数秒後、オレは目を覚ましていた。


 学校が始まり、退屈な勉強の時間が始まった。勉強の合間の十分休みのときや昼休みはいつもどおりオレと大瀬崎と奏の三人で他愛無い話をし、放課後は食堂でバイト。それから帰ると、ソフィアと夕食をとりつついろんな話をして、それからトライブレス捜しをする。疲れたオレたちはトライブレス捜しから帰るとすぐに眠り、宿題をするのは朝学校で、という忙しい日々が始まっていた。
 疲れは当たり前のようにたまるが、慣れてしまうと疲れを忘れてしまうようだった。それだけ忙しいのだろう。
 そして、あの夜のハイキングから二週間が経った。
「穂枝! 今日はお前が昼飯買ってこい!」
「なんでだよ」
 昼休み、食堂で大瀬崎がそんなことを言ってきたので、オレはやる気なく言った。奏の昼飯を買わされるのは慣れてるからまだいい。だが、わざわざ大瀬崎のために購買という戦場に足を運びたくなかった。
「冬休みが終わってからずっと俺がお前と神子元の飯買ってやってるんだぞ!」
「おお、そりゃ凄い。新記録出してみようぜ」
「冗談じゃねえよっ!」
 びしっと大瀬崎のツッコミが決まった。
「……ったく、俺たちが初めて会ったとき、お前は言ったはずだ。オレはツッコミ王だ、とかなんとか。なのにこの様はなんだ! これじゃあ、お前はボケのトベリストじゃねえか!」
「わかったわかった。買いに行ってやるか」
 オレは席を立ちあがる。たまにはバレない程度に先輩を蹴散らして前へ進むのもストレスの解消になる。
「あの、トベリストってなんじゃい! ってツッコんでもらわないと微妙な後味になるんですが……」
 大瀬崎が苦笑いを浮かべていた。そりゃそうだ。今、オレは大瀬崎にツッコむべき場面であえてスルーし、逆に大瀬崎の分まで買ってやるって言ったんだからな。
 ふと奏の視線が目に入った。じっとオレを見つめ、そして目で何かを伝えようとしていた。オレには長年の勘でわかる。
 大瀬崎に買いに行かせろ。そう言っている。理由はわからないが、なにか企んでいるんだろう。
 オレは小さくうなずき、大瀬崎に向き合った。
「あー、いいことを教えてやろうか」
 オレは大瀬崎を購買に行かせるための言い訳を始めた。
「実はな、今奏はめちゃくちゃ機嫌が悪い」
「え? いつもと同じじゃねえかよ」
 大瀬崎が奏の顔をまじまじと見た。奏はいつも通りのムスッとした表情だ。だが、決して機嫌が悪いわけではない。いつも通りだ。
「そうよ。私はいつもと同じよ」
 そう奏も平然と言った。奏の機嫌はむしろいい方だと思える。ちなみにさっきオレが言ったのはハッタリだ。
 大瀬崎にだけ聞こえるように耳打ちした。
「あの口調は、絶対にイライラを押しこめてるぞ。そんなときにオレがいなくなったらどうなると思う? 奏の怒りが突然爆発して、憂さ晴らしに何やられるかわからないぞ」
「マ、マジかよ……」
 大瀬崎の声が強張っている。オレの嘘を信用しているようだ。
「だから購買行ってこい。その間にオレが機嫌を直しておくから。お前は奏に日替わり定食とチーズケーキとアイスレモンティー奢ってやれ。オレはカツサンドと焼きそばパンとイチゴクリームサンドを頼むな」
「お、おう。マジで宜しくな」
 大瀬崎が親指を突き出して言った。そして、購買に群がる生徒たちの塊に突っ込んでいった。
 巧みな話術で、今日の昼は大瀬崎のおごりになった。
 大瀬崎が戦場に紛れこんだのを見て、オレは席に座りなおした。そして、奏のほうを見る。
「ご苦労さま」
 奏はそう言ってオレ顔をじっと見つめた。
「アンタにどうしても言いたいことがあったのよ。ソフィアの世界に関してだけど」
 ソフィアの話。それは、オレが奏の家に行ったときのやつだ。なぜバーダーが生まれたのか。未来の世界は一体どんな世界になっているのか。それの答えが出たのだろう。
 奏はざっと周辺を見渡した。食堂のざわめきの中なら、逆に誰もオレたちの話なんて聞きはしないだろう。奏はオレに呟く。
「ソフィアのいる世界には、科学では立証できないような力が現実として存在してるわ」
 え……?
 オレは理解ができなかった。それはどういうことなのか、見当もつかなかったからだ。
 今、この世界では科学が全てだと思う。そりゃ、海底に沈む遺跡や、空からみないとわからない地上絵や、人が消えてしまう地帯、たくさんのオーパーツがあったりする。でも、そんなものも(オレの考える科学の究極体である)タイムマシンが発明されれば全て立証できてしまう。神秘の力、と呼ばれるものにだって、ただの自然現象だったり、手品のタネのようなものがあるとオレは思う。
 だが、こいつは何を言っていた? 科学では立証できないような力? そんなもの、今述べた『科学じゃないように見える力』以外オレには考えつかない。
「いい? これは未来の話よ。そして、未来からやってきたソフィアを見たら、科学以外の何かが存在しているって認めざるを得ないの」
 オレは黙って奏の話に耳を傾けた。
「思い出してごらんなさい。ソフィアは空を飛べるわよね? そのとき、なんて言ったか覚えてる? 楽しかったり、心が温かかったり、怖かったりしないと飛べないって言ってたでしょ?」
 ああ、確かに言っていた。オレはあのときのソフィアを思い出していた。とても悲しそうな顔をして俯いていた。そして、そのときオレも疑問に思っていたんだ。なんでそういう気持ちにならないと空を飛べないのかって。
「そりゃ、メンタル面も大事だと思うわよ。野球だってイラついてたり焦ってたら打てないじゃない? 気持ちを落ち着かせれば打てるようになるはずよ。
 でも、あの翼の大きさじゃあそう考えたって人の体重を支えられることなんてできないわ。だって、世界一大きい翼を持つ鳥が、アホウドリで開張三メートルなのよ? きっと、体重は十キロもないと思うわ。それに比べて、ソフィアの翼は開帳五メートルくらいかしら。とてもじゃないけど、アホウドリの四、五倍以上の重さがあるソフィアがそんな翼で飛べるとは思えないわ。
 無論、翼が大きくなれば、それを動かす筋肉だって発達しないといけないのに、あの容姿よ? 一度ソフィアの翼の根っこを見たことあるけど、普通の人間かそれ以上にスラッとしてたわ。私が妬むぐらいに、ね」
 ソフィアが飛んでいる姿を想像してみた。あれは、飛んでどこかへ移動するという鳥本来の使い方というより、人間が嬉しくなって踊ってしまうような、そんな感じの使い方だった。なら、コンパクトな方がいいのはわかる。だが、飛べない翼はただの飾りだ。なのに、比較的小さな翼でソフィアは実際に飛んでしまっているのだ。
「つまり、物理的におかしいの。それに、ソフィアは本当に感情によって飛べるかどうか決まってくるみたいだし……。だからね、バーダーってのはクローンみたいに科学の集大成じゃないってこと。ソフィアの住む世界には科学に代わるものが進歩した世界なのかもしれないし、科学と新たな技術が共に発展している世界になってるってことよ」
 すぐには理解できないような内容だが、要は今の世界では考えられないものがある、ということらしい。
「でもさ」
 しばらく奏の話を聞いていただけだったオレは口を開く。
「それでも、なんでバーダーが生まれたのかはわからないよな。それに、新たな技術ってのが何なのかわからねえし」
「それ言っちゃったらおしまいよ。未来の話なんだから私たちがいくら頭をひねったって、ただ脳みそがパンクするだけ」
 ごもっともな意見だった。納得いかないところがあるが、納得しない方がいいこともあって、このことは納得しない方がいいの類に入るのかもしれない。
 とにかく、ソフィアの世界には科学の他の何かがある。そして未来の世界地図は、一部しか描かれていない。その理由が、新たな技術によるものなのだろうか。それとも、科学技術のピリオドとなる出来事だったのだろうか。新たな技術は戦争の産物なのか、平和への祈りなのか、それさえもわからないことがわかった。無知の知、と哲学者は言っていたな。
 未来は何が起こるのかわからない。それは、何億年経った宇宙でも、二秒先の学校でも同じだ。だから未来に絶望なんてしちゃいけない。未来に希望を持っていけば、どんなに辛いことも乗り切れるはずなんだ。
 歴史を習う教科書があるのに、未来を予測する教科書がないのはそういうことなのかもしれない。
「おいっす。お待たせ!」
 背中から声がして、ようやく今オレは食堂にいることを知った。誰ともわからない不特定多数の雑談が耳に入ってきた。
 振り返ると、二つのトレイを持った大瀬崎がやってきた。
「穂枝には言われたとおり、カツサンドと焼きそばパンとイチゴクリームサンド、それとおまけでミルクティーをどうぞ」
「お、サンキュー」
 オレの前にパンとミルクティーの乗ったトレイが置かれた。今日の大瀬崎はやけに気が利く。
「おい、穂枝」
 大瀬崎がオレにだけ聞こえるよう、耳元で囁いた。
「神子元の機嫌は直ったか?」
 オレの嘘を本気で信じているようだ。まあ、あれを信じないのなら、大瀬崎じゃないんだが。
「ああ、もちろんだ。今は超機嫌がいいぞ」
 今度は本当のことを言った。奏の機嫌なんて最初からよかったんだから。
 大瀬崎が一つ咳ばらいをし、体を奏のほうに向ける。
「そして、神子元さんには日替わり定食……今日はベジタブルスペシャルとチーズケーキとアイスレモンティーをチョイス致しました」
 なぜか敬語を使う大瀬崎は、うやうやしくそれらの乗ったトレイを奏の前に差し出した。
 すると、大瀬崎は手ぶらになった。
「お前の飯はどうしたんだよ」
 そう聞くと、大瀬崎は青ざめた。
「やべえ……買い忘れた……」
 バカだこいつ。バカという言葉が褒め言葉に聞こえるくらいこいつはバカだ。バカという言葉をバカという小包に包み、バカと書かれた手紙を添えて贈呈したいくらい、こいつはバカが似合う。
「……あのねえ」
 奏がため息をつく。
「今日はあんかけチャーハンを頼もうと思ったんだけど……。それに、私はチーズケーキが嫌いなの。しかもこの季節にレモンティーがアイスってどういう意味? ホットにしなさい、ホットに!」
 奏の怒りが爆発した。
「ほ、穂枝! 話が違うじゃないか! 機嫌最悪じゃんかよ!」
 大瀬崎の怒りが爆発した。
「いや、これはお前が選択ミスして機嫌損ねたんだと思うぞ」
「お前がこいつらを選べって言ったんでしょっ!」
 確かにそうだ。オレは、わざと奏の機嫌を損ねるようなメニューを選んだわけだが、まあ罪は全部大瀬崎のほうに行くからオレはのほほんとしている。
「いいから、早く買いなおしてきなさい!」
「じゃあ、買ったやつはどうするんだよ!」
 大瀬崎が選択ミスしたトレイを指差して言った。
「お前が食えよ」
 そう言ってやった。
「俺が野菜嫌いなのわかってて言うのかっ!」
 大瀬崎が絶叫した。今日の日替わり定食はベジタブルスペシャルと言って、野菜サラダはもちろん、野菜スープに野菜の天ぷら、青汁、野菜丼など、ありとあらゆる野菜が詰まっている定食なのだ。
 その前に大瀬崎よ……。野菜嫌いってお前は小学生か。
「残さずきれいに食べなさい。もちろん私の奴買ってきてからね」
 奏がにこやかに笑いながら言った。ものすごい殺気が漂っている。
「は、はいいっ!」
 ひ弱な声を漏らし、大瀬崎が逃げるようにして購買へと駆けだしていった。


「そういやさ」
 あんかけチャーハンらを買って戻ってきた大瀬崎がケーキを食いながら口を開いた。
「神子元、お前友達と一緒に昼食わなくていいのか?」
「あら、アンタと私は友達って関係じゃないと思ってたの?」
 ホットレモンティーを口にする奏がそっけなく言った。
「いや、確かに俺たちは友達だ。でもな……」
 大瀬崎が言葉に詰まったように俯く。
 奏がマグカップを置いた。
「あ、間違えたわ。私たち主従の関係だったわね」
「わざとらしく訂正するなって!」
 大瀬崎が目を見開いてツッコんだ。
「主人が二人で、下僕が一人って大変だよな」
 オレも話に参加してみた。
「俺たち親友じゃないのかよっ!」
 親友? 大瀬崎が戯言を言っているようだった。
「とにかく、だ」
 話を戻そうと大瀬崎はフォークをトレイに置いた。
「神子元、女の友達とは昼一緒にしないのか?」
 ああ、なるほどな。少しオレも気にしてたことだ。焼きそばパンを頬張りながら話を聞くことにした。
「私はアンタたちと一緒にいたほうが楽しいの。だから昼はこうしてアンタをいじりながら昼食をとってるのよ」
「一言余計な気もするけど……でも、やっぱり女友達って、男とは違ってよ、なんか複雑なんだろ? 同盟みたいにいつも一緒に活動してるっていうか。俺の偏見かもしれねえけどさ、一回一回の食事が大切だったりするんじゃないのか?」
 オレは女子のことについて詳しいことは知らないが、たぶんオレの意見も同じようなもんだ。そういう話を昔女子から聞いたことがある。
 奏が深く長いため息を漏らした。
「私はね、そういうの嫌いなの。一つのグループに集まって、その中で暗黙にリーダーが決まって、暗黙に主従関係ができて、暗黙に掟ができるような、そういう友達ってものがね。そうなると、ありのままの自分が出せないから疲れるの。だから、私はありのままの私でいられるアンタたちと一緒にいるの」
 なんとなく奏の気持ちがわかった。というのも、昔そういう話を聞いたことがあったからだ。そのことを言った女子の顔は忘れてしまったが、とても疲れていたのだけは覚えている。
 オレたち三人のグループにも、リーダーがいるし主従関係もあるし、掟もある。だが『暗黙』という言葉は入っていない。誰もがありのままの自分でいられるから疲れもしないのだ。
 きっと、奏の気持ちが分かるのはオレだけじゃない。ちらと大瀬崎を見た。伸びをしてそして何かから吹っ切れたような満足感が顔から感じ取れた。
「なるほどな……。ま、俺が何か言うような立場の人間じゃないからな。ただ、そう思っただけだ」
 そう言って、大瀬崎は野菜丼をかきこむように口に入れた。
 その直後、自分が野菜嫌いなのに気付いたらしく、撃沈した。


 放課後、オレは家とは反対の方向へ足を運んでいた。
 今日はバイトがある。だから家に帰るのは九時過ぎになってしまう。銭湯に入ったりすると、十時を回ってしまうこともたびたびあった。飯は帰ってきてからになり、ソフィアもそのときに食べる。大家さんに頼んで、先に食べていろと言っても、ソフィアは聞かなかった。それならオレはコンビニで済ませられるし、トライブレス捜しも長くできるというのに……。まあ、強制できないオレもオレだが。
 商店街の裏にある定食屋がバイト先だ。オレは一番客の入る五時半から八時半までの間働いている。昔は皿を洗ったり会計をしたりするだけだったが、今ではギョウザやレバニラ炒め(オレの実家ではニラレバ炒めだった。それとどこが違うんだか)を作らせてもらえるようになった。
 店の中は暑いし、ヘマするとすぐに店長に叱られる。でもお客から注文が来て、オレの作った料理を食って、それで「うまい」と言ってくれる。それだけで本当に嬉しかった。
「お疲れさん」
 バイト時間が終わり、店長が声をかけてきた。
「今月のバイト料、忘れんなよ」
 店長はオレに小さな茶封筒を差しだす。そういや今日はそうだったなあ、と思い出した。
「ありがとうございます」
「ああ、これからも頑張ってくれよ」
 そう店長は励ましてくれた。とても温かかった。


 オレの家へ戻る。ボロアパートは、冬の寒さと夜の闇でブキミな雰囲気を漂わせていた。お化け屋敷というか、ドラキュラの館といわれてもおかしくはない気がする。
 でも、これがオレの住むアパートなのだ。中に入るとソフィアが待っている。明るい部屋の中、ソフィアが待っているのだ。
「統流君! お帰り!」
 ドアを開けると、ソフィアが飛びついてきた。
「静かにしろよ。バレるだろ?」
 そう言ってもう二週間が経っている。ハイキングに行ったあの日から、ソフィアは前以上に活発になった。ソフィアを抱きあげ、ドアを閉めて靴を脱ぎ、居間でソフィアを下ろす。
「嬉しいのはわかるが、もう少し静かに喜んでくれよ。アパートの住人にバレたらやばいって何度も言ってるだろ」
 ため息をついてから、ジャンパーを脱ぎ、台所に向かった。早々に夕食の支度をしないとトライブレスを捜す時間が短くなってしまう。
「なんか食いたいものはあるか?」
 オレは蛇口のほうを向きながら言った。
「統流君の作ったものなら、何でもいいよ!」
 言ってくれるじゃないか……。頬が緩んでしまう。今日は中華風肉と野菜炒めにしよう。
 まな板を出し、洗ったニンジンを切りはじめた。
「統流君の作ってくれたお昼ごはん、とっても美味しかったよ!」
 今日一日の出来事をソフィアは話しはじめた。テレビもないこの部屋に籠りっぱなしなのに、ソフィアは実に色んなことを話した。オレは相槌ばかり打っていたがそれでソフィアは満足のようだ。
「そういえばね、夕方に大家さんが来たんだよ」
「ほう、何しに来たんだ?」
 野菜と肉の入ったフライパンをかきまわす。油が跳ねる音がし、香ばしい香りが漂う。
「コタツの横に置いてあるダンボールをくれたんだけど……」
 フライパンから目を逸らし、コタツの周辺を見た。想像以上にデカいダンボールにすぐ目がいった。それは、毎月くれる親からの仕送りだった。
 どうせ、中は少しの金と茶っ葉と近所で採れた野菜だろう。
「開けてみたら、手紙があったの」
 ソフィアが立ちあがり、オレに手紙を渡した。味気のない白い封筒だった。送り主は、お袋だった。
 フライパンの取っ手を持つ手に封筒を挟んだ。野菜炒めに特製のタレを加え、素早く絡ませてから火を止めた。
 フライパンをコタツに置いてから封筒を開封した。中には一枚の便せんと数枚の一万円札が入っていた。金はいつも送ってくるが、便せんと一緒に送られてくることは今までなかった。
 便せんには、ずっと見ていなかったお袋の達筆で、こう書かれていた。
『統流へ
 元気でやっていますか? 私はいつも通り楽しくやっています。お父さんも頑張ってお茶を育てています。翔流も生意気ですが、相変わらず元気です。四月から中三になるんですよ』
 弟の学年くらいちゃんと覚えてるって、とオレは笑った。
『このお金はいつものように生活費に使ってください。あと、少し余ったら彼女のソフィアさんのプレゼントにでも使ってください。
 お父さんはずっとあなたのことを心配していましたが、私のほうから説得しておきます。きっと、あなたの夢を応援してくれると思いますよ。
 それでは、これからも頑張ってください。体調にはくれぐれも気を付けて。
 あなたの母より』
 お袋の言葉が心に沁みこんでいった。
 もう一度封筒の現金に目を向ける。入っている札の枚数がいつもより一枚多かった。しかも、今オレのカバンには店長から貰った茶封筒がある。ふと思いつきでカレンダーを確認する。今日は金曜日で、明日は土曜日。学校は休みだ。
 オレはソフィアが告白してきたあとに、無意識に思ったことをもう一度思い出していた。
『ソフィアと二人で買い物をしたり、ファミレスで飯食ったり、湖の畔で色々なことを話したり、笑ったり、夢を語り合ったりしたかった。本当の、恋人同士のように』
 思い立ったら、すぐに行動に移したほうがいいんだろうな……そんなことを思った。


 次の日の正午前、空は雲ひとつない青空だった。風は少し冷たいが、でも過ごしやすい。行楽日和だろう。
「ソフィア」
 オレは計画を始めた。
 オレはミカンを食べるソフィアに声をかけた。
「なに? 統流君」
 ソフィアはミカンを丸ごと口の中に入れていた。どうやら、大瀬崎がいつもやっていることをマネしてしまっているようだ。
「今日さ、外で昼飯食わねえか?」
「むぇ? まんもほほえああえんめめあ?」
「何か言いたいことがあるんなら、食ってから言えよ……。全くと言っていいほど意味がわからん」
 なんか、こういう会話を結構前にやったことがあった気がする。
 ミカンを少しずつ噛み、呑みこんだ。
「ええっと……。なんで外で食べるんですか?」
 ソフィアが首を横に傾けていた。
 そりゃ、お前と一緒に色んなところ行って、買い物したり遊んだりしたいからだ……。なんて言いたかったが、そんなことは恥ずかしくて言えない。
「日に当たらないと、白い肌がもっと白くなるぞ。外食ついでに色んなところ歩こうぜ。ほら、お前のソックス切れちまったしさ。買ってやるよ」
 だから、そう言った。
「デート、だね!」
 オレは盛大に吹いた。思ったことでもあえて文中に書かなかったようなことをこいつは平然と言ってのけたのだ。忘れてた。こいつは天然だったんだ。こいつなら、そんなの普通に言えるに決まっていた。
「まあ、そんなところだ」
 オレは苦笑いをし、そして立ち上がった。
「じゃあ、行くか。リュック背負ってけよ」
「え? ちょっと待ってよ」
 オレがジャンパーを持って玄関のほうへ行こうとすると、ソフィアが声をかけてきた。しょうがない、待ってやるか。オレは玄関の側で立ち止まった。
「お弁当は持っていかないの?」
 そうか、そうだったな。忘れてたな。オレは台所へと足を運び、弁当の準備をした。
 まな板を出した辺りでソフィアのほうを向く。
「って、持っていくわけないっつーの! 外食だぞ? わかるか?」
 久しぶりのノリツッコミだ。感覚が鈍っている気がする。
「外で食べるのに、お弁当がなきゃ食べられません!」
 ソフィアが反論する。
 ……お弁当がなきゃ食べられない? 少し冷静に考えてみる。
 そして、ある仮定を立てた。
「お前の世界には『レストラン』というものがないのか?」 
 そういうと、ソフィアが驚いて手を口にあてた。
「この世界にもあるんですか! 知りませんでした!」
 現代文明を完全に舐められていた。まあ、仕方ないといえば仕方ないんだが。
「あるよ。当たり前だ。行くぞ」
 オレは部屋の隅に置いてあるリュックをソフィアに放った。


 この町の市街地に出ると、やはり車や人が多くなる。ソフィアは辺りをきょろきょろと見回していた。
「人がたっくさんいるね!」
 白い息と共に、ソフィアは言って笑った。
「まあ、東京……都会に比べちゃこんなのたくさんのうちには入らないんだろうけどな」
 日本の首都をソフィアが知るわけもないので、都会と訂正しておく。しかし、この程度の人で驚くくらいなんだから、ソフィアが東京にでも行ったら目を回すに違いない。朝の通勤ラッシュに巻き込まれたら気絶するんじゃないか……? 想像したら笑えた。そして、あることに気がついて胸の中で何かが渦巻いた。
 この世界で、ソフィアはこれだけの人を見たことがあったか? いや、ねえな。だからソフィアは人がたくさんいるね、なんて悲しいことを言ったんだ。
「ソフィア……」
「ん? なに?」
 何も知らないソフィアがオレに微笑みかける。
「トライブレス、早く見つけような」
 オレは無感情に言った。どういう顔をして言えばいいのかわからなかったからだ。その言葉でソフィアは傷つくかもしれない。でも、ここで不自由な生活をするよりかは、オレのいない本来の世界で過ごしたほうが幸せなんだ。
「うん!」
 ソフィアが大きく頷く。
「見つけたら、統流君の想い、教えてくれるんだよね?」
 ソフィアの理由がそれだけでもいい。ソフィアが笑顔で帰れるのなら、それでいい。オレも、最後に見るソフィアが笑顔ならそれで満足だ。
「オレの想いを聞いたら、未来に帰るんだぞ」
「……うん」
 実際はどうなるかわからないけど。色々な意味で。


 国道沿いにあるこの町唯一のファミレスにオレとソフィアは入った。中は暖房が効いていて程良い暖かさだった。休日の昼時なのに、空席が点々とある。でも、ファミレス独特のにぎやかさは確かにあった。
「暖かいね」
 ソフィアが言った。今更だが、ソフィアはあの青い服を着ている。オレとソフィアが初めて会ったときに着ていた未来の世界の服だ。薄い生地で出来ている。この服でソフィアはずっと過ごしてきたのだ。きっとオレなら寒くて毎晩トライブレスを捜せるわけがない。
 ソフィアはずっと我慢していたのか……。そう思うと切なくなった。
「ここには、きっと温かい食いもんがたくさんあると思うから、いろいろ選べよ」
 オレは、それだけしか言えなかった。
 すぐに店員が来た。禁煙席か喫煙席のどちらかに座りますか? と訊かれたから、禁煙席にした。店員はすぐさまオレたちを窓際の席へと案内する。そこは四人座れる席で、やわらかそうなソファーが置かれていた。オレたちは向き合って座る。ソフィアはリュックを背負ったまま、相変わらず辺りを見渡していた。
「このメニューで食いたい物を選ぶんだが、それはそっちでも同じか?」
 ソフィアは天井で回っているシーリングファンをじっと見つめていた。オレの話を聞いていないみたいだった。だから、意地悪してやろうとソフィアの頭をメニュー一覧の本で軽く叩いた。
「いたっ。え、あ、うん。ありがとう。お、同じだよ」
 叩かれたソフィアは反射的に一瞬目を閉じ、そしてオレのほうを見た。少し動揺していたがオレの話は聞いていたようだ。表情の変化に富んでいて、見ていて楽しい。メニューを受け取ったソフィアはテーブルにメニューを置き、まじまじと見つめた。オレも反対側から見た。といっても、今日外食するのは昨晩から決めていたことだったので、何を食うのかはだいたい決まっていた。なにしろ、明日デートをしようと決めたとたんに緊張して眠れなかったから、昼は何を食うか、食ったあとはどこへ行こうか、など細かいところまで考え込んでしまったからだ。
「オレはハンバーグセットとチョコパフェにしようかな」
 昨夜考えに考えた結論がこうなった。なぜこうなったのかは、寝る直前のオレに聞かないとわからない。
「え! ちょっと待って。私まだ決まってないよ!」
「わかってるって。ちゃんと待ってやるから」
 想定していたが、ソフィアは絶対に何を食うか迷いそうだった。そして、その予想は的中した。だが、まさか十分も迷うとはさすがに思わなかった。
 最終的に、オレが手助けしてやり、ラーメンとチョコパフェに決まった。パフェはオレと同じものを食べたいという願いからで、ラーメンはラぁめん王の味を思い出したい、とのことだった。ラぁめん王のうまさには嫉妬する。
 店員を呼んで、ハンバーグセットとラーメン、パフェとドリンクバー二人分を頼んだ。
「ドリンクバーってなんですか?」
 ソフィアが訊いてきた。マジかよ、未来の世界にはあの画期的なドリンクバーがないっていうのか……?
「セルフサービスで、色んな飲み物が好きなだけ飲めるんだ」
 簡単に説明をすると、ソフィアが合点した。
「ああ、じゃああれのご先祖様なんだね!」
 あれってなんだよ。ってか、ご先祖様ってことは、ドリンクバーをも超越するものが未来にはあるのか? 気になるじゃないか。
 それから話題は変わり、オレたちは大家さんの話をした。大家さんは不思議な人だ、と言ったらソフィアはやさしい人だよね、と言った。会話が成り立っているのかどうか微妙なところだ。
 しばらくして店員からハンバーグセットとラーメンが出された。
 時刻はすでに一時を回っていた。原因の七割はソフィアが何を食べるか迷ったからだが、そのおかげだろうか、程よい空腹感でファミレスのハンバーグでもおいしく感じられた。
 ソフィアのほうはどうだろうか。オレはちらとソフィアのほうを見ると、ラーメンを上手にすすっていた。
 昔を思い出す。懐かしい。まだソフィアを地球を征服する奴だと疑っていた頃、こいつは箸すら上手に使えず、ぎこちなくラーメンをすすっていた。
 もう、ずっとこいつと一緒に住んでるんだな……。そう思えてきた。
 ソフィアの箸が止まった。
「……あれ? ラーメンってこんな味だったっけ?」
 ソフィアは不思議そうな顔をしている。変なものでも入っているのだろうか。
「ちょっと食っていいか?」
 少し気になって、オレはソフィアの持つ箸を奪うように取り、麺を数本口に入れ、メンマでスープを飲んでみた。
 特に変わったところはなかった。
「普通のラーメンだと思うぞ」
「え……そうなのかなあ。もっと美味しいと思うんだけど」
 ソフィアは納得していないようだった。
「きっとさ、あのときお前、めちゃくちゃ腹空かしてたろ。だから、どんなものでもおいしく感じられたんだよ。第一な、手作りのもんよりインスタント食品やファミレスのほうがうまいなんて、普通は思わないんだよ」
 そう言って、オレはソフィアの頭に手を置いた。恥ずかしそうにうつむくソフィアを見ると、どこからか安堵感が込みあげてきた。
 と、ソフィアが小さく笑いはじめた。
「統流君、もしかし前私が言ったこと、ずっと覚えてたの?」
 前に言ったこと……。そうだ、思い出した。あれは、ソフィアと出会ってからまだ一週間も経ってなかったころだ。オレや奏たちと一緒に初めて代樹山に登ったときだ。あのとき好きな食べ物について大瀬崎から訊かれたとき、ラぁめん王が好きだと答えていたな。あれをオレはずっと覚えていた。今思えば、あんなことすぐにでも忘れてしまうようなことなのにな……。
「そうだな。お前の好きなもの、覚えてたよ。なぜか」
 あのときはまだソフィアに好意を寄せてなくて、でもオレはソフィアの好きな食べ物を覚えていた。偶然なのか、あのころから意識していたのか、どっちかなのだろう。
「でもね、統流君」
 ソフィアが笑った。
「私は、統流君の作った食べ物なら、なんでも大好きだからね」
 その笑顔をいつまでも見ていたかった。ずっと、ずっと。
「夕食がオレ手作りのラーメンだとしても食うか?」
 だから、そんな冗談まじりに聞こえることでも、言った本人であるオレは本気だった。それは、ソフィアがどんな返答をしてくるのかも当にわかっていたからだ。
「うんっ!」
 ソフィアは大きくうなずいた。
 ……ああ、こんな生活が、いつまでも続いてほしい。ずっと、ずっと。いつしかオレは、そんなことを望んでしまっていた。ソフィアは未来に帰ったほうが幸せなのを知っていながら。この世界にずっとい続ければ、いつかは消えてしまう存在だと知っていながら。
 オレはソフィアとずっと一緒にいたいと、心の底から願ってしまっていた。


 会計を済ませたオレたちは、ファミレスから外に出る。ドアを開けた瞬間冷たい風が隙間から入り込んできた。オレから何かを奪ってしまうような、そんな感触だった。
「統流君、パフェ、おいしかったね!」
 オレのすぐ隣には、ソフィアがいた。いてくれている。『今』という時が、オレの心を穏やかにさせる。
 そうだな……。パフェ、おいしかったな。クリームを頬につけても気が付かないほど、お前はおいしそうに食べていたよな。
 こういう至福の時も、いつまで持つのだろうか。オレたちは、明日にはもう壊れてなくなってしまうような、脆い橋の上を渡っているのだ。だが、その橋が壊れるというときは、オレがいじいじとソフィアを未来に帰さない、ということだと気付いた。じゃあ、今オレが拒絶しようとしているのはなんだ? ソフィアを対岸へと送り届けることじゃないか? もしそうなら、オレは谷のどん底にソフィアを落とそうと企んでいることになるのか……? そんなの望んでない。オレはソフィアを対岸へ送るのが役目であり、義務なんだ。違うか? そうだろ? それとも、役目も義務でもない、違う何かのためにソフィアを送るのか?
「統流、君?」
 ソフィアの不安そうな声が白い息と一緒にオレの耳に届き、ドアの隙間から入ってきた冬の風に、ようやくオレは足が地に着いたようだった。
「ああ、わりい。少し考え事をしてた」
 もうやめにしよう。考えてるだけじゃソフィアを心配させるだけだ。
 今は楽しもう。楽しませよう。
「よっしゃ、次は商店街を案内してやるよ。どっか行きたいとこ、あるか?」
 ソフィアの顔がぱっと明るくなった。
「本当に? じゃあ、アクセサリーショップ行ってみたいな!」
 アクセサリー、ね。さすがに二万円超すのはきついけど、それ以下だったらソフィアにプレゼントしてやってもいいと思った。
「じゃあ、行くか!」
 オレにしては珍しく、とても明るい口調だった。
 そして、オレたちは寒い真冬の商店街へと歩きはじめる。


 アクセサリーショップなんて人生で一度も行ったことなかったが、さすが装飾品を扱う店だ。店はとてもきれいで、店が一つのアクセサリーだった。
 ソフィアはここでも辺りをきょろきょろと見渡してから商品をじっと眺めていた。よくもまあそんなに興味がわくもんだ、とオレはソフィアのうしろから彼女が手に取って見ているペンダントをぼんやりと見ていた。
「それ、欲しいのか?」
「え? あの、欲しいというか……」
 ソフィアがオレのほうを向き、そしてそのペンダントを見つめた。
「なんか、懐かしい気がするの……」
 ソフィアがそのペンダントを渡してきた。黄色の蔓らしき紐に、鈍色に輝く涙型のペンダントトップが付いている。いや、ペンダントトップだと思ったものは手で簡単に開けることができたから、ロケットと呼ぶべきだろう。ロケットには羽根をもっと簡潔な記号にしたような模様が浮き出ていた。言葉で説明すれば、アルファベット『E』を四十五度傾けて、縦棒を下に伸ばしたような模様だったが、そんな表面的なものよりも何か直接心を射抜いていくようなものがあった。
「買うか?」
「えっと……」
 口先では迷っているが、顔には「買いたい買いたい! 統流君買って!」と書かれていた。わかりやすい。
「買ってやるよ」
 オレはカウンターまで行った。
「三万九千八百円です」
 ……。
 だから、ソフィアは迷っていたのか。理解するのがあと十秒早かったらよかった、と反省した。
 決めた、今月は倹約月間だ。ここでこのペンダントをあきらめないところがオレらしい。というか、オレもこのペンダントをソフィアに渡したかったから、この値段が均衡なのかもしれない。ただペンダントに毒されてるだけだったら再検討の余地はあると思うが。
 色々と考えた結果、オレは財布を開けた。
 そして、そのあとも色々なところを回った。小物を買ったり、屋台に出ていた鯛焼きを一緒に食ったり、夕食のための食材を買ったりした。夕食を買うところが、一緒に住むオレたちらしかった。あ、もちろんソフィアの靴下も買ったぞ。でも、こいつはなんと買い甲斐のないことか、切れたニーソックスとさほど変わらない物を気に入ってしまった。もちろんそれを買ってやったけどさ。
 冬の短い日が沈みかけた頃、オレたちは湖の畔にある公園にいた。冬の湖は、たまに凍るそうだが、夕方の今は凍る気配はない。今の時刻、山と山の間から消える太陽は見事なものだった。
 今日は休日だというのに、公園にはオレたち以外の誰もいない。寒いのと時間の関係でだろう。東京には近いが、ただでさえ人口の少ないこの町の小さな公園だから無理もない。誰もいない公園のベンチに寄り添いながら座る。息を吐くと、白い靄がオレンジの夕陽を浴びて輝いた。
 今まであれほどはしゃいでいたソフィアも、ここまで来ると無言で自分の吐息と遊んでいた。今までこんなにソフィアが歩いたことはなかったと思う。いきなり歩きすぎたかな、と初めてのデートを反省した。
「統流君」
 不意にソフィアが話しかけてきた。
「ん、なんだ?」
「私ね、なんか知らないうちに、色んなことを思い出してたの」
 思い出したって、それは未来のことか? お前が本来住むべき世界のことか?
 ……ああ、思い出してしまう。オレはソフィアを未来に帰したいのか? 違うのか? どうなんだよ、いったい。
「私の住む世界には……」
 やめてくれ。オレは考えたくない。考えて、ソフィアを不安にしたくない……。
「統流君に似てる人がいるんだよ!」
「……え?」
 少し驚いた。不思議と共感できるものがあったからだ。今まで、タイムマシンだとか、世界は消えたとか、選ばれし者だとか、そんな現実味のないことばかりだった。さっぱりわからなかった。でも、似ている人がいる……。それは共感できた。高校に入ったとき、まだ奏以外の誰とも親しくなかったときだ。隣の人が中学校の頃よく遊んだ友達に似ていたり、ふとすれ違った生徒と小学校のときのクラスメイトに似ていたりした。オレの実体験とソフィアの言ったことが重なり、現実味を帯びていたから、無駄なことを考えずに済んだ。
「それに、大瀬崎君や奏ちゃんみたいな人もいたよ!」
「そう……なのか」
 オレは俯いて自分の手を見つめた。寒さでかじかんだ指先が赤くなっていた。たくさんの顔見知りがいる……。よりオレの経験に近づいてくる。
「あのさ……」
 ソフィアが小さな口を開いた。
「どんな未来も現在も過去も繋がっていて、どんな世界にも私みたいな人や、統流君みたいな人がいるの。世界中の繋がりの中で、どんなに苦しい時でも哀しい時でも、小さな嬉しさを見つけて、それで笑ってるの。それってとっても素敵なことだよね」
 不思議なことを言う奴だ、なんてソフィアを思い始めたのはいつ頃からだっただろうか。最近かもしれないし、ソフィアが未来からやってきたと言ってきてからかもしれない。
「ま、オレと全く同じ奴がいつの時代にもいるって想像すると、ゾッとするけどな」
「統流君! 違うよ! 統流君みたいな人、だよ!」
 今のオレには、もうどんな物事でも前向きに考えられる。だからこうやって冗談だって言えた。
 オレは笑った。ソフィアの脹れっ面がとてもおかしかったから、声を出して笑ってやった。ソフィアはムッとオレを睨んだあと、失笑して一緒に笑った。
 そうだ、オレは一日一日を楽しく生きていけばいいんだ。たくさんの思い出を詰めていけばいいんだ。簡単なことだとようやく気が付いた。せめて、ソフィアが帰る、その日まで。
「あとね、統流君。私、小さな頃の夢も思い出したんだよ」
 ソフィアが立ちあがった。きっと、その夢を思い出したことがとても嬉しかったんだろう。オレも夢の話をしっかりと聞くことにする。
「まだ私が小学校にも入ってないときの夢で、今はもう違うと思うんだけどね」
 思えば、ソフィアの昔話を聞く機会が今までなかったような気がする。もちろんソフィアの記憶がなかったからだ。だから、今ソフィアの記憶が蘇りつつあることにオレは喜びを感じた。
「私の夢はね、お姫様になることだったんだよ!」
 お姫様……? いや、わかる。ソフィアが小さい頃の夢だ。仕方がない。でも、お姫様は予想外だったから、思わず吹き出しそうになった。
「お姫様になって、かわいいドレスを着るのが夢だったんだ!」
 とてもかわいらしい夢だと思った。小さなソフィアを想像してみる。あどけない顔に、小さな翼。まるで天使のようなソフィアにドレスを着させて、白銀のクラウンを茶色い髪の毛の上にちょこんと乗せてやった。きっと、とても似合う。
「お姫様か……。お前らしい夢だよな」
 お前らしい夢……。それは自分に問いかけているようだった。オレらしい夢。オレがまだ小さかったころの夢は、コックさんになることだった。コックさんになって、美味しい料理を作るんだって、そう思っていた。
 でも、現実的にそんなの不可能に近いことだ。コックになるためには、何年も下積みをしなくちゃいけないし、いろんなことを勉強しないといけない。なにより、口に入れるものを作るんだから、少しも気を抜いちゃいけない。食器を洗ったり食材を選んだりなど、地味な作業が山ほどあったりする。当時描いたカッコよさとはかけ離れたものだった。
「どうせだからさ、オレの夢も聞くか? まだ誰にも言ったことのない将来の夢なんだが」
 オレの夢はソフィアのように幻想的で、異空間のような夢ではない。もっともっと現実的な、つまらない夢だ。
 ソフィアは頷いた。オレの夢を聞きたいらしい。家族にも、友達にも、幼馴染みの奏にすら言ったことのない夢を、今オレはソフィアに話そうとしている。
「オレの夢は……」
 ソフィアの目を見た。そして、ゆっくり、はっきりと言う。
「……コックさんだ」
「コックさん?」
「ああ。ガキんときからずっとなりたい夢なんだよ」
 オレは、まだ小さい頃の夢を諦めたわけじゃない。そりゃ、コックへの道は厳しいと思う。でも、オレの料理でたくさんの笑顔が作れたらいいなと思っている。好きなこととか趣味とかはあまりないけど、でも料理なら少し自信がある。だから、料理でたくさんの笑顔を作れたらいいな、なんてガキのオレは懸命に考えていた。それに、コックの道は厳しいかもしれないが、他の道も同じくらい難しいもんなんだと、茶を作る親父の背中を見てわかった。だから、オレはコックの道を進んでいる。
 オレはめんどくさがりだが、冷酷ではない。オレらしい夢だと思わないか?
 ソフィアがオレの夢を知り、目を輝かせていた。
「統流君なら、きっと叶えられるよ! だって、統流君の料理おいしいもん!」
 そうソフィアはオレを励ましてくれた。とても嬉しい。オレの夢を笑わず、応援してくれる。
 きっと、なんでオレがずっとこの夢を一人で抱え込んで誰にも言わなかったのか、と訊かれたら、笑われるって思ったからと答えるだろう。でも、ソフィアならきっと笑わずに激励してくれるってわかっていたから話したんだ。
 おのずと勇気が湧いてきた。オレは自身から込みあげてくるエネルギーで立ち上がった。
「よっしゃ、夕飯作るか! ラーメンだったよな!」
「うん! 手伝うね!」
 ソフィアがオレの隣に寄り添ってきた。
 そして、どちらかが先、というわけでもなく、同時に手を握り合った。
 真冬の小さな公園。夕陽に輝く湖を背景に、オレたちは初めてお互いを知り合えたような気がした。


 オレは崖を下る。いや、下るという言い方には少し語弊がある。オレはほぼ落下しているに等しかった。空を切る音が耳を掠めるように聞こえる。掴まれるところといえば、冬の乾燥した冷たい気流くらいで、崖につかまろうとしても冷えて凍った土を引っ掻くだけだ。実際デコボコとした崖に掴まろうとしてしまったオレは、指先から激痛が脳へと閃光のように駆け巡った。
 とたんに足に強い衝撃を感じた。地面に到達したようだ。足にしびれが生じ、じわじわと腰まで蝕む。指先からと足からの痛みにオレの脳はうずくまった。だが、なんとか耐えられる。昔オレは跳び箱から転落して足を折ったことがある。そのときの痛みと比べればこんな痛み屁でもない。
 立ちあがり、上を見上げる。星は見えず、闇しかなかった。どのくらいの高さから降りたのだろうか。わからないが、体感的に結構な高さだと思う。なのにこの程度の衝撃で済んだのは、おそらく枯葉のおかげだろう。足踏みをしてみると、人や動物の侵入がほとんどないのか、ここの土はとても軟らかかった。
「統流! 聞こえる? 大丈夫?」
 上のほうから奏の声がした。オレはすぐさま返事をする。
「ああ、大丈夫だ」
 オレはすぐさま返事をする。
「でも、何も見えなくて、ソフィアがどこにいるのかさえわからないぞ」
 冗談ではなく本当にそうだった。手をかざしても、なんとなく手の輪郭が見えるような気がするだけだ。広葉樹はもう葉のないただの枝なのだが、それよか遥かに背が高いスギやヒノキなんかの針葉樹が光を遮断し、闇をもたらしていた。
「懐中電燈は……あるわけないわね。ケータイ持ってるでしょ? カメラのライトを点けなさい」
 奏は頼もしかった。オレは言われたとおりカメラを起動させようと携帯を開ける。
「う……」
 思わず声を詰まらせた。オレの右手が血だらけだったのだ。冷たく固い崖を引っ掻いたからだろう。右手がひどい有様だとわかると、余計に痛みが増した。ただ、幸い左手は無傷だった。
「統流、ソフィアは見つかった?」
 奏がいなかったら、オレは手のケガを見て立ち尽くしていたことだろう。ソフィアはオレなんかよりももっと痛い思いをしているかもしれないのだ。手の出血くらいで何を痛がってたんだ、オレは。
 カメラを起動させ、周囲を見渡した。すぐオレの足の右側に闇でも目立つものが見つかった。ソフィアの翼だった。
「ソフィア、大丈夫か?」
 ソフィアの顔をライトで照らす。オレの存在に気付いているのだろうか? そんな疑問を持つほどソフィアは痛みで強く目をつぶっていた。ソフィアの前進に光を当てると、両手を右足首に当ててうずくまっていた。
 詳しく見るために、ソフィアの右足に白い光を当てた。自分の足が潰れるくらい強く握っている手を緩ませ、足首を見た。
 赤く腫れているのが携帯のライトだけでもわかった。
 でも、オレが折ったときよりかは大きく腫れてないし、触ってみても熱はあまり持っていない。これも落葉のクッションがあったおかげだろう。
「ソフィア、立てる……わけないよな」
 ソフィアは無言でこくこくと頷いた。折れてはいないだろうが、痛いものは痛い。
「統流、私の声が聞こえてるの?」
 上から声。
「ああ、聞こえてるぞ。ソフィアを見つけた。足が腫れてるが、折れてはないと思う」
「そう。とりあえず無事でよかったわ。でも、足は軽く見ちゃいけないわね。もしかしたらヒビが入ってるかもしれないから。応急処置、慎重にね」
 そのくらいはわかっている。わかっているが、何をすればいいのかわからない。
「統流、アンタジャンパー着てるわよね?」
 新たな指示を下すようだ。
「持ってるぞ」
 そうオレが答えると、上からもう一度声がした。
「じゃあ、そのジャンパーともう一枚の上着をできるだけ平坦なところに敷いて」
 オレは言われたとおりジャンパーと上着のトレーナーを脱いだ。残る服はTシャツに薄い長袖だ。冬にこれはかなりキツイが、ソフィアのためを思い、こらえる。
「次に、リュックを脱がしてから、ソフィアをそこに寝かせて」
「わかった」
 寒さに震えながら、オレはもう一度ソフィアにライトを照らす。
 先ほどソフィアは動けないと合図していた。つまり、オレがソフィアを移動させる、ということになる。
 確か、ソフィアと初めて出会ったとき、オレはソフィアをおぶって部屋まで運んだ。当時のオレは、ソフィアなんて人ではないものとして捉えていたから、多少の抵抗はあったにせよ、特に何も気にしなかった。だが、今ソフィアは人間だということを知っている。翼の生えた未来の人だ。しかも異性である。ついで言うと、オレはヘタレだ。自分で自分をヘタレと言うのは変かもしれないが、今まで生きてきた中で彼女なんてものを一人も作っていない。だからきっとオレはヘタレなんだと思う。異性に触れることには抵抗があった。
 しかし、ソフィアはただの異性ではない。オレが好きになった人だ。そいつが今苦しんでいる。下心とかそういうものより、オレはこいつを助けたい、楽にしてやりたい、という感情が先に出た。
「ソフィア、持ち上げるぞ」
 オレは落ち着いた口調で言った。ソフィアは何度も何度も頷いた。まぶたにうっすら涙を溜めている。その涙を拭ってやりたかった。
 オレは、正座の姿勢をとり、できるだけ優しくソフィアを抱きかかえた。腕に温もりが伝わる。
 それから、ソフィアの痛みがすぐにわかった。こいつは小さくうずくまって、強ばりつつ、小刻みに震えていた。温かく白い翼といい、まるで大きなハムスターを抱いているような感覚だった。オレは、その居心地の良さに、ソフィアの存在に安堵した。
 だが、ソフィアにオレのぬくもりややさしさは届いているのだろうか……?
「ソフィア」
 オレは小さな少女に呼びかけた。
「……怖いか?」
 やさしく問うと、ソフィアは頷いた。
「……ソフィア。今お前は、オレの腕の中にいる。外の世界は寒いし、暗いし、怖いところがいっぱいだ。しかもお前は、この世界のこと何も知らないんだもんな。でもな、それでも、オレの側にいれば安心できるだろ?」
 オレは何を言ってるのだろうか? どうしてこんなにもクサいセリフを恥じらいなく言えるのだろうか? きっと、この世界にオレとソフィアの二人しかいないからだろう。きっと、何も聞こえない無音の周囲は耳を針で刺すように痛いほど冷たいのに、胸の内は――ソフィアと接する所だけは――とても温かいからだ。
「体、強ばってんぞ。もっと力抜けよ」
 足の痛みに対することは何も言わなかった。言ってしまったら、ソフィアが痛みを思い出してしまうそうだったからだ。ただ一心にオレはソフィアを安心させたかった。それだけの行動だった。
 いつしか、ソフィアの震えは止まっていた。
 すぐ足の下にジャンパーがある位置までオレはソフィアを運んだ。
「ソフィア、オレのジャンパーんとこにおろすからな」
「……うん」
 ソフィアが返事をしてくれた。返事をしてくれたことがとても嬉しい。
 オレはソフィアに痛みを感じさせないよう、慎重にソフィアをうつぶせにジャンパーへ下し、翼を広げてやった。
「奏、次はどうする?」
 ここまで来ると、自分自身でソフィアを助けたいところだが、焦りはまだ治まっていなかった。いや、もう焦りはなかった。ただそれとは違う何かがオレの思考を遮っているようだった。
 自分だけの力でソフィアを助けられないのが惜しいが、今は奏の適切なアドバイスを待とう。
「ソフィアの靴と靴下を脱がして、キズがあったらドロを駿河のアクエリで流してちょうだい。その前に、アンタの手をきれいにするの忘れないように」
「ああ」
 奏に言われたとおり、オレはソフィアの靴を脱がした。靴の素材は違うが、未来の世界でも紐靴は健在しているようだ。次に靴下……膝下のニーソックスを脱がそうとしたとき、ソックスが破れ、そこから出血していることに気がついた。崖から落ちた時に擦ったのだろう。
 大瀬崎のアクエリを手に取り、まず自分の左手(右手はケガをしているから使い物にならない)にかけた。
「しみるかもしれんが、今だけ我慢してくれ」
 そう言って、オレはソフィアのふくらはぎにできた擦り傷にアクエリをかけた。
「――ッ!」
 声にならない苦痛の叫びをあげ、その手で腐葉土を握り締めていた。その光景がとても痛々しくて、思わずソフィアの顔から目を逸らした。できるだけ早く足のドロを落とす。それしかできなかった。
「足をきれいにしたら、駿河のシャツで足を固定して。必ず足首を曲げた状態にすること。できたら、足を何かで冷やしながら、ソフィアの靴と靴下をリュックの小さいポケットに入れといてね。駿河が来るまでいろんなことを話してなさい。来たら教えるわ」
 足を洗っている最中に奏が言った。奏が言うに、足さえ固定すればあとはほぼ暇なようだった。


 シャツで固定した箇所に余ったアクエリの入ったペットボトルで冷やしつつ、オレが荷物を片付けているときだった。
「統流君……」
 ソフィアがオレに声をかけてきた。
「なんだ?」
 オレは靴をリュックにしまいながら返事をした。
「その……ありがとう。私なんかのために、危険を冒してまで……」
「バーカ、こんなの危険を冒すようなレベルに到達してないっての。カラスのほうがよっぽど恐かった」
 どちらとも、ほとんど衝動に駆られた行動だったがソフィアに対する思い入れが全く違っていた。思い入れが強いほど、恐怖はなくなる、ということは昔聞いたことがあったが、実際その立場に立ってみると確かにその通りだった。
「統流君……」
「ん?」
 背後から小さな声でソフィアは呟いてきた。
「えっと……寒い?」
「ああ。寒いよ」
 この極寒の冬、オレは秋のスタイルでいる。所々が寒さで痛くなってきたところだ。
「あのさ、私の手、握ってもいいよ」
 小さな呟き。オレはソフィアのほうを向いた。白い手が差し出されていた。
「いい……のか?」
 ソフィアは無言でうなずいた。
 胸が脈打つ。めちゃくちゃ寒い夜だけど、心だけは温かかった。
 両手をソフィアの手を包み込むように握る。温もりがかじかんだ手を刺激される。ソフィアはもう片方の手をオレの手の上に置いた。落ち付く。ゆっくりと深呼吸すると、冬の空気が入り込んだ。
 ソフィアは携帯ライトの光の中で微笑んだ。
 ああ、このまま夜が明けてもいい。好きな奴が隣にいるだけで幸せだった。
「統流君……」
 ソフィアの口が開く。
「あのね、思い出したことが二つあるの」
 その口振りは、何かをふっきったような言い方だった。
「記憶のことだよな……?」
「うん。一つはタイムマシンのことで、もう一つは私には未来でやるべきことがあるってこと」
 新鮮味を感じた。新しい情報という新鮮ではない。情報の『種類』が今までと違い、新鮮なのだ。今まではソフィアの住む世界のこと、ソフィアの住む国のこと、ソフィアの国の人がよく歌う歌のこと、ソフィアの属する種族――バーダーのことなど、ソフィアの世界の話だった。だが、今回のものはソフィア自身のことなのだ。
「まず、私のやるべきことについて話すね。私の住んでいた世界には、危機が訪れようとしてるの」
「危機……?」
「うん。詳しいことは思い出せないけど、でもたくさんの人たちが死んじゃうような、悲しいことが起ころうとしてるんだって。でもね、その危機を回避するには一つだけ方法があるんだよ。それは、選ばれし者がトライブレスって腕輪を持って、仲間と共に未来を変えていくことなの」
「トライ、ブレス……」
 ソフィアは幻想のような物語を活き活きと語っていた。まるで、もうケガは治ってしまったかのように。オレはソフィアの話に相槌を打ちながら聞いた。
「未来の私は、その『トライブレス』を持って、それだけを頼りに『選ばれし者』を捜すの。あ、『選ばれし者』っていっても、見た目は普通の人だから、特別な力を持った人と物がないと探せない……みたい」
 つまり、ソフィアはこの世界でも一人浮いた特別な奴だが、未来の世界でも特別な存在なのだろう。
 ソフィアの話は続く。
「それでね、その『トライブレス』なんだけど……。それが、私が今まで『タイムマシン』って言ってたものだと思う」
 かなり前の話になるが、こいつは空に浮く島――ソフィアの住む国――から何者かによって突き落とされ、そしてタイムスリップしてこの世界に行きついた、と言っていた。
 タイムマシン、と呼ばれ続けてきた『トライブレス』たるものは、『選ばれし者』を見つけ出すには必要不可欠のようだ。イコール、『トライブレス』がないと未来の世界を危機から救えないわけだ。
 オレの頭が冴えてきた。
 そんなに凄いものなら、当然「汚い人類を一掃させるには『選ばれし者』に『トライブレス』が渡されないようにしなければ」とかいう逆さまの考えを持った奴もいて、必ずや世界を危機に陥れようと企む奴がいる。そいつが『トライブレス』を持つソフィアを消そうとして、ソフィアを島から突き落としたとしたら……。
 待て待て、なら『選ばれし者』を消したほうが早いだろ。
 ……ダメだ。『選ばれし者』は普通の人と変わらないと言っていた。だから『選ばれし者』を捜すには『トライブレス』と特別な力を持った人間が必要なんだ。
 特別な人間というものが何人もいたとしても、『トライブレス』さえ手中にあれば『選ばれし者』を消すことだって可能だ。
 だから、それを持つソフィアは悪者にとって格好の獲物だったんだ。
 誰も完成させたことのないジグソーパズルが全てはまったあとのように、知恵の輪が突然外れたときのような感情がオレの脳を揺さぶった。
 繋がってしまった。
 繋げてはいけないことを繋げてしまい、知らなくてもいいことを知ってしまったような気がした。
「それなら、なおさら早く『トライブレス』を見つけないとな」
 オレは呆然としたまま呟いた。
「……ううん」
 ソフィアがなぜか首を横に振った。
「そんなこと、しなくてもいいと思う。どんなに時が経とうとも、いつか私は未来に帰れるんだしね」
 そうか、そうだったよな。
 どんなに時が経っても、ソフィアがタイムスリップしたところにもう一度戻れればいいんだ。
 ……そうか?
 本当に、どんな時でも、戻れる未来は同じなのか?
 ソフィアが年をとって、それから未来に戻ったら、ソフィアは若返っているのか?
 そんな楽観的なこと、次元には通用しないんだ。オレの目の前でうつぶせになっているバーダーがいる時点で、もはやオレの考えは信用できない。もちろんソフィアにも同じことが言える。
 だからだ。もしソフィアがこの世界に長く居すぎてしまえば、未来は変わり、ソフィアという存在がなかったものになってしまうかもしれないのだ。そんなのは絶対に嫌だった。
「ソフィア……ダメだ。この世界は、お前の住む世界じゃないんだ。いつ、何が起こるかわからないんだ。だから、今までのようにタイムマシン……じゃなくて『トライブレス』を捜し続けよう、な?」
 だが、ソフィアは頷いてはくれなかった。かわりにオレの手をさすってくる。
「ダメだよ、統流君……。もう、そんなこと、できないよ……」
 ソフィアの声が震える。
「だって、だって、私、統流君のこと、好き、だから……」
 好き。
 その二文字がオレの心を射抜き、そして苦しめた。
 そして、時刻は一瞬止まり、オレはその間に空間を渡った。


 ――あなたが、選ばれし者ですか?
 ――いいえ、違うのでしょう。あなたは選ばれし者ではありません。
 ――ですが、あなたは選ばれし者のすぐ側にいる人です。
 ――あなたは、未来を変えることができる者なのです。
 ――それも小さな未来ではありません。
 ――世界を変えるような、とても大きな未来です。
 ――それは、遠い未来のこと……。
 ――未来を変えることは、全てが良い方向へと変えるものではありません。
 ――むしろ、存在するものが強引に未来を変えようとするのならば、確実に悪いほうへと変えてしまいます。
 ――この世界はそのような存在によって変えられた未来なのです。
 ――死んでしまった時空なのです。
 ――存在が未来を変えようとすると、こうなってしまうのです。
 ――ですが、あなたは違う。
 ――あなたは、未来を殺さずに変えることができるのです。
 ――あなたは未来を良いほうへも、悪いほうへも変えられることができる、唯一の存在なのです。
 ――どうか、未来を救ってください。
 ――あなたの行動次第で、未来を救うことができるのです。

 ――あなたの想いをあの存在に、時の歪みに伝えてはいけません。
 ――時のずれた存在が結ばれれば、それはすなわち未来を崩壊させてしまうのですから。


「統流君のこと、大好きだから」
 仰向けのままソフィアがもう一度言う。心が揺らぐ。温もり。
 オレは、ソフィアが好きだ。大好きだ。この想いを言葉や文章にして説明しろと言われても、完璧に表現することなんてできない。だが、ソフィアはオレよりも先に自分の想いを口にした。胸がドロリと溶けるような、口から形のないものがゆっくりと出ていくような気分がする。心地よい。早く、オレの想いを伝えたい。ソフィアと同じことを言えば、オレの想いは伝わる。
 オレも好きだ、ソフィア、と。
 でも、それを言ってしまったらどうなる? きっと最高の日々を送れるだろう。でも、悪く言えば取り返しのつかないことになってしまう。オレがソフィアに「好きだ」と言ってしまえば、ソフィアは未来に帰ることができなくなる。未来に行くということは、オレと一生離ればなれになる、ということだ。互いの想いを知ってしまったら、もしオレがソフィアの立場だとしたら絶対に帰れない。そして『トライブレス』捜しをやめ、この世界で暮らし続けてしまえば、きっと未来は変わってしまう。
 未来が変われば、ソフィアの住むべき世界の人々は『選ばれし者』の現れない世界となり、たくさんの人々が死んでしまう。オレがソフィアに向かって「好きだ」と言うだけで、世界の未来はハチャメチャになるのだ。そして、最後には無になる。
 未来の人々だけではない。ソフィアもそうだ。未来の世界の人なのに現在にいるソフィアは、きっと曖昧な存在になる。そうしたら、オレの想像できる最悪の場合は……。
 ソフィアという人間は、最初からいなかったことになるかもしれない。
 ――あなたの想いをあの存在に、時の歪みに伝えてはいけません。
 でも、だからといって、そのままノコノコとソフィアを未来に帰すことなんてできるか? できないだろ? ああ、できないともさ。このまま帰したら、オレは一生後悔する。想いを伝えられないまま大好きな奴に一生会えなくなるのだ。儚い片想いならまだましだが、ソフィアはオレに好きだと言ってくれた。大好きだと言ってくれた。両想いだ。しかし、オレの想いを鈍感なソフィアは知らない。
 ――時のずれた存在が結ばれれば、それはすなわち未来を崩壊させてしまうのですから。
 どうしても、ソフィアに想いを伝えたかった。
「ソフィア……」
 苦渋の決断をする。
 胸が苦しかったが、きっとそれを聞いたソフィアのほうが苦しくなるだろう。
 話を切り出した。
「オレは……お前のこと、嫌いじゃない。むしろ好きなほうだ」
 本当はお前のこと大好きだ。でも伝えることはできない。
「でも、今お前の想いに答えることはできない……」
 ソフィアが驚いたような、意外そうな表情をした。その顔を見るのが辛かった。
「なんで? なんで? 奏ちゃん言ってたよ。統流君にガールフレンドはいないって。奏ちゃんはただの腐れ縁だって言ってたもん。それ……嘘、だったんだ……」
 ソフィアが悲しそうにオレを見る。ソフィアの手に力が入った。冷えた空気が耳を切り裂く。薄着のオレにはかなり応える寒さだ。心の奥底まで凍てつくようだ。
「違う。ウソじゃない」
 オレは首を横に振る。
「オレに、彼女なんていない」
 それを付け加えたところで何が起こるのだろうか。
「じゃあ、やっぱり私のこと、キライなの?」
「だから言ってるだろ? 嫌いじゃない」
 このままでいいのだろうか? 一度は決意した心が揺らぐ。
 ソフィアが好きだ。今更方向を百八十度変えることなんて不可能だ。だから、ためらってしまった。最初から決意が固かったら「お前のこと、嫌いじゃない。むしろ好きな方だ」なんて言わなかったはずだ。
 いっそのこと「お前なんて嫌いだ。早く未来に帰れ!」と怒鳴れば何もかもが終わったのに。
 いや、そうしたところで終わるものは何もない。それでオレの想いにピリオドが打たれるとでも思ったのか? ダメだ。伝えなければ。こうなってしまった以上、もうためらうことはできない。
 オレの気持ちを否定したままだったら、今後の『トライブレス』捜しや日常生活をぎこちなくやっていくことになる。
「意味が……わからないよ」
 オレの手を握るソフィアはとても傷ついていた。
 二人の胸にぽっかりと大きく黒い穴があいてしまったような気がした。ほんの一瞬で、一言だけで繋がりは断たれてしまったような気がした。
「どうして……付き合ってくれないの?」
 今にもソフィアは泣きそうだった。
 ……でも、ソフィアは勘違いをしていた。
 そして、その勘違いに気付いたオレは、唯一ともいえるだろう解決策を思いついたのだ。
 ソフィアと付き合うことができ、オレの想いを伝え、そして『トライブレス』捜しを今までのように行え、この世界に長居させることなくソフィアを快く未来に帰すことができる解決策だ。
 涙のたまったソフィアに向け、オレは口を開いた。
「付き合わない、なんて言ってないぞ、オレは」
「……え?」
 まぶたに溜まった涙の粒がソフィアの頬を伝った。だが、涙はたった一粒だけだった。ソフィアはオレをじっと見つめる。握る手の力が少しずつ抜けていった。どんなことを思いながらオレを見ているのだろう。
「オレは『今お前の想いに答えることができない』と言っただけだ」
「それって……どういう、意味?」
 光は携帯のライトだけだ。ジャンパーの隅に置かれたそれがソフィアの顔を幻想的に照らしだしている。
 ここで、オレの考えた仮定(ここでオレも好きだ、と言ったらソフィアは消えてしまうんじゃないか、ということ)をグダグダ言ったとしてもややこしくなるだろうし、伝わらないと思った。だから、先ほどひらめいたオレの結論を言ってやった。
「告白に対してのオレの答えは『トライブレス』が見つかったときに、お前が未来へ帰る直前に答えてやるよ」
 そして、それまでの間はソフィアと二人で買い物をしたり、ファミレスで飯食ったり、湖の畔で色々なことを話したり、笑ったり、夢を語り合ったりしたかった。
 本当の、恋人同士のように。
「そんなの……、そんなの、ずるいよ」
 ソフィアがオレから目を逸らした。
「卑怯だよ……」
 心が苦しくなった。めまいがする。思えば、このあとソフィアが「未来に帰る直前だなんて嫌。今すぐ答えて」と言われてしまえば、オレは何も言い返せない。言い訳なんて考えられる時間なんてないし、この極限の状況もオレの思考を邪魔している。
「それじゃあ……」
 でも、オレに残された手段はもうこの方法しかなかった。それとも、そんなに簡単なことでは終わらないのだろうか? 誰も傷つかない方法なんて存在しないのかもしれない。オレは絶望した。
 未来なんて、知らない方がいいんだ。
 ソフィアが目をつむる。
「早く『トライブレス』を見つけないといけなくなっちゃうじゃん……」
 小さなおぼろげな光が闇の世界の中で輝いた。それは懐中電灯の光なのだが、オレには小さな粉のように思えた。
 ソフィアが目を開けた。そして、オレのほうを見て、笑った。
 オレも顔がほころんだ。
「ソフィア、お前はずっと、オレにとってかけがえのない大切な奴だ。だから、失恋したなんて勘違いすんなよ」
「……うん」
 オレは、ソフィアの手を離し、ソフィアの髪を撫でた。
「いつかさ、空がめちゃくちゃ青い日にさ、二人で買い物行こうな」
 付け足すように言った。とても意味のある付け足しだと思う。
「……うんっ!」
 ソフィアが飛びきりの笑顔になった。ここしばらく見てないようなとても明るい笑顔だ。
 お前には笑顔が一番だよ、ソフィア。
 それから少し経ってから奏の声がし、ロープが崖の上からやってきたのにかかった時間は三十秒となかった。


 大家さんの救急箱で応急処置をしたソフィアをオレはおぶり、山を下りていた。先頭はもちろん大瀬崎だ。ちなみにこいつはまだ上半身裸のままだった。気が付いているのか素で忘れているのか微妙なところだ。余談だが、オレは後者を希望する。この時間帯にそれで、よく警察に捕まらなかったな、と感心した。
 悪路の中、ソフィアはオレの背中で小さな寝息を立てながら夢の世界へと旅立っていた。疲れただろうから、起こさないようにゆっくりと歩を進めた。
「統流」
 奏がオレにだけ聞こえるように小さな声で呼んだ。
「なんだ?」
「なんでソフィアの告白を後回しにしたの?」
「……は?」
 意味がわからなかった。
「ごめん。アンタたちの会話、丸聞こえだったわ……。崖の上と下って、距離的に三メートルくらいしかないのよね」
 気が付かなかった。暗闇の中だったから距離感が全くわからなかった。奏の声も方向だけしかわからなくて、どのくらいの遠さから聞こえてきてるのかまでは感じ取れなかった。
 奏がため息を漏らす。
「ま、私は駿河みたいにとやかく言うことはないけど、これでアンタたち、両想いね」
 ため息のついで、のように奏が言った。
 奏のことだ。奏がソフィアと初めて会ったときから大体わかっていたのだろう。要するに、オレが自分の気持ちに気付く前からこの女は悟っていたということだ。
 どうにせよ、奏には崖の下でオレが考えたことを正直に言ったほうがいいと思った。告白を承諾したとしたら、ソフィアが消えてしまうかもしれない、というあれだ。
 でも、今日は疲れた。そういう難しい話は学校が始まってからでもいいと思う。
 なにせ、今日は記念日なのだ。
 ソフィアの温もりが背中に伝わる。
 今日は、オレの大好きなソフィアがオレのために告白してきた、大切な記念日になった。


 何もない世界。
 オレは、その世界の中でぼんやりと無を見ながら漂っていた。
 ここはどこなんだろうか。
 そう思ったとき、理解した。
 ここは夢の世界なんだ。もう一人のオレがいる世界なんだと。
 だが、ここにはオレ以外のものは存在しなかった。
 そういえば、もう一人のオレはずっと昔に時間と空間のある物語へと飛び出していった。だからもうこの世界には誰もいないのだろう。つまりここは、もう一人のオレが『いた』世界だ。
 恐怖はなかった。むしろ、これから楽しいことが起こるような気がした。心臓はゆっくりと、安定した鼓動を刻み続けていた。
 ――あなたが、選ばれし者ですか?
 どこからともなく声が聞こえた。役目がなかった聴覚が覚醒すると、鳥肌が立った。昔嗅いだ懐かしい匂いが鼻に入ってくる。ぼんやりと、影法師のようなものが目の前に現れる。血の味がする。五感が一気に活動を始め、オレはめまいと冷や汗で倒れそうになった。
 ――いいえ、違うのでしょう。あなたは選ばれし者ではありません。ですが、あなたは選ばれし者のすぐ側にいる人です。
 影法師が首を横に振っているような気がした。曖昧で、影法師なんて存在があるのかすらわからなかった。第一この声のような音が本当にそんなことを言っているのかが怪しい。
 ――あなたは、未来を変えることができる者なのです。それも小さな未来ではありません。世界を変えるような、とても大きな未来です。それは、遠い未来のこと……。
 この発声はどこから聞こえてくるのだろうか。耳の内側から聞こえてしまい、方向感覚がおかしくなる。オレは今、立っているのだろうか。上は下で、下が左なのかもしれない。でも、酔うことはなかった。そういうことですらオレは諦めてしまっているようだった。諦める? どういう意味だろうか?
 ――未来を変えることは、全てが良い方向へと変えるものではありません。むしろ、存在するものが強引に未来を変えようとするのならば、確実に悪いほうへと変えてしまいます。この世界はそのような存在によって変えられた未来なのです。死んでしまった時空なのです。存在が未来を変えようとすると、こうなってしまうのです。
 重力など失われている。死んだ世界。過去も未来もない。現在もない。オレはそんな世界にいた。夢なのかももうわからなかった。
 ――ですが、あなたは違う。あなたは、未来を殺さずに変えることができるのです。あなたは未来を良いほうへも、悪いほうへも変えられることができる、唯一の存在なのです。
 眠くもなければ、活発に活動する欲もない。オレは笑うことを忘れ、泣くことも忘れた一つの人形となっていく。
 ――どうか、未来を救ってください。あなたの行動次第で、未来を救うことができるのです。
 もう何も考えられなかった。
 ただ耳の奥のほうで何かが高く響いていた。
 ――あなたの想いをあの存在に、時の歪みに伝えてはいけません。時のずれた存在が結ばれれば、それはすなわち未来を崩壊させてしまうのですから。


 目が覚めたとき、オレは全身冷や汗をかき、息が荒かったのを覚えている。
 そして、今日も一日が始まる。
 今日は珍しく夢を見なかったような気がする。だが、目覚めは最高に悪かった。


 夜。
 代樹山の千畳敷は芝で覆われている。
 夜の草原は神秘的な雰囲気を漂わせていた。冬のここは、いつまでも白く続いているように感じられた。だがこの白は雪ではない。枯れた芝がそのまま残っているのだ。
 空を見上げるとビーズのような星が散りばめられている。都会のみみっちい星ではない。山の頂から見える、大地を照らす光のカケラだ。
「おい穂枝! 早く来いよ!」
 遠くから……。白い芝生の中心から声が聞こえるのは大瀬崎の声だ。それも、楽しそうな声だ。近くに奏もソフィアもいる。ソフィアは大瀬崎から貰ったリュックサックを下ろし、白い翼を風に揺らしていた。
 やれやれ……、お前らにはこの星の美しさがわからないのか? なんて、心の中でため息をつくが、オレはポエットじゃあるまいし、こんな考えをするほうがおかしいのかもしれない。思いをふっきり、みんなの待つ場所へと駆けだした。
 今日、この代樹山に登ったのはタイムマシン捜しのためではない。遊ぶためだ。今夜は冬休みの最終日。大瀬崎駿河主催、夜の代樹山ハイキングが行われているのだ。主催者は思い出作りのために、と言っていた。が、登山中本人に冬休みの宿題をネタに談話しようとしたら、その存在を初めて知ったご様子だった。
 宿題提出日にはある種の思い出となるだろう。
 色々と言ってきたが、オレはこのハイキングへの反論をしているわけではない。むしろ楽しめることなんだから、思いっきり楽しみたい。ソフィアだってこうやって羽を伸ばして(翼、と言ったほうが正しいかもな)遊ぶことがなかったから活き活きとしている。
 オレが大瀬崎の近くまで来ると、こいつはどこからか持ってきたハンドボールを高々と掲げた。
「ドッジボールしようぜ! ドッジボール!」
 嬉々たる大瀬崎が言う。ドッジボールは、ドッチボールとかデッドボールとかいわれる地域もあるが、この周辺ではドッジボールと呼ばれている。ちなみにオレが中学の頃はドッヂボールだった。。
 それにしても、ドッジボールなんて中二の球技大会以来だ。代樹山の頂上は何度も言うとおり平なので、できないこともないが、ボールを飛ばしすぎたり取り損ねたりして崖から落ちてしまえば、たぶんボールは二度と見つからないだろう。
 男子と女子でグーパー分けをし、男女一人ずつのチームに分かれた。
 オレは奏と組むことになった。相手は大瀬崎とソフィアだ。
「よっし、じゃあ早速始めっか!」
 相手は気合の入った大瀬崎。そして、ただ呆然とオレの隣で立ちつくすソフィア。
「あの……」
 明らかにソフィアは困っていた。
「ドッジボールって、なんですか……?」
 忘れていた。そうだ、むしろソフィアがそんなものを知っているほうが珍しい。
 大瀬崎が頭をかきむしる。
「あー、ドッジボールってのはな……」
 大瀬崎が簡単なルールを説明した。オレが中坊だった頃のドッジボールとはルールが微妙に違っていた。いわゆるローカルルールってやつだろう。それと、奏が人数が少ないので追加ルールを述べた。
「内野の人は、三回当てられないと外野に行かない。最初外野だった人は、内野が外野になったとき、無条件で内野に戻れる。この人も三回当たらないと外野に行けないわ。そして、外野の人が内野の人を当てたとき、その人は内野に戻る権利が得られるわ。当てた分だけ当たらないとその人は外野に行けない。先に相手を全滅させたほうが勝ち、でいいわね?」
 ややこしいルールを言葉だけで伝えるのは難しいが、身振り手振りを駆使して、みんなにわかりやすく伝えさせた。アホな大瀬崎も、ルールを知らないソフィアも理解したようだ。わかっていることだが、奏は説明がうまい。
 それからしばらくして、大瀬崎の合図で試合が始まった。内野にはオレと大瀬崎が向かい合っている。外野は奏とソフィアがいる。オレの後ろでソフィアが緊張した面持ちで構えていた。
 先攻はオレたちのチームからだ。オレは手の内にあるボールを二、三度弾ませる。
「穂枝よ……。この日が来るのを俺はずっと心待ちにしてたんだ。いつも俺はお前にいじられて、いじられて、気付いたらいじられキャラになっちまったんだ」
 なぜか大瀬崎の鼻息が荒い。それに、なんかムカつくことを言われているようだ。
「この悔しみを忘れないため、毎日薪を舐め肝の上で寝てきたんだ」
 毎日薪を舐め、肝の上で寝るのではなく、肝を舐め、薪で寝るのが臥薪嘗胆だと思う。こいつが言うに、臥胆嘗薪が正しい四字熟語のようだ。
「そして、俺は今日お前に打ち勝つ! そしたら、お前がいじられキャラになるんだ! 本気で来い! 本気の一騎打ちでキサマをつぶす! 来い!」
 こんな奴と真向から勝負なんて挑みたくない。オレは迷わず奏にボールをパスした。
「え……」
 大瀬崎がオレのほうを見て、アホな面をしている。
「ひぎゃっ!」
 そのとき、大瀬崎の背中にとてつもなく速い球体が飛び込んできた。臥胆嘗薪という言葉を創造した少年は奇声をあげて飛びあがった。
 ボールがバウンドしながら奏の方へ引き返す。ボールを拾った奏がオレに尋ねる。
「統流、内野で逃げ回ってる生物が言うルールに、顔面にボールをぶつけてもセーフ……って言ったかしら?」
「そんなこと一言も触れてなかったな」
「なら、文句ないわよね」
 そして、奏は獲物を見つけたヒョウのようにニヤリと笑った。奏が投球の姿勢を取り始める。
「も、文句ありまくりだ!」
 内野の大瀬崎が絶叫する。が。
「のぶぇっ!」
 奏はお構いなく大瀬崎に全力でボールを胸目がけてぶつけてきた。奏は女だが、そんじょそこらの男よりかはパワーがある。ボールのスピードだってそう簡単には取れないような威力だ。
「あら、ごめんなさい。少し手が滑って、顔外しちゃったわね」
 奏が悪魔に見えた。日ごろのストレスを思う存分晴らしているのだろう。大瀬崎はこういうとき役に立つ。
 ちなみに、奏が顔面を外したのはあえて大瀬崎を失神させず痛めつけるためであって、コントロールが悪かったり、大瀬崎を思いやっているわけではない。
「統流君……。大瀬崎君がかわいそうです」
 オレの後ろの外野に立っているソフィアがオロオロと心配しながら大瀬崎を見ていた。
「安心しろ。これはスポーツだ。奏と大瀬崎はスポーツマンシップに乗っ取って正当な勝負をしている。それに、大瀬崎はこんなもんでへこたれもしないしノックアウトもしない。大瀬崎に対する特別なコミュニケーションだ。だから心配する必要はこれっぽっちもないぞ」
 そう言っておく。確かに今奏がやっていることを大瀬崎以外の奴にやったのならば、それはいじめだ。でも、大瀬崎だから許せるし、許してくれる。
 というか、大瀬崎の運動神経なら普通に二球目は取れる球だ。
「ケンカじゃなかったんだ……。よかった。私、びっくりしちゃったよ」
 ソフィアは納得していた。ただ、これをどう見れば奏と大瀬崎のケンカに見えるのだろうか。
「へぶしっ!」
 大瀬崎の顔面に奏の放った剛速球がクリティカルヒットした。首が反り返り、芝に倒れた。ボールはオレのほうへ転がっていく。それを拾い、オレは大瀬崎のほうを見る。
「大瀬崎、早く外野に行けよ。そうしないと当てるぞ」
 と、オレは伸びている大瀬崎向けてボールを投げた。一応、思いやって優しくだ。
「いでっ! ……って、言ったそばからボールを当てるな! ってか少しは俺をいたわれよ!」
 ガバリと大瀬崎が起き上がり、オレにツッコミを加えた。忙しい奴だ。
 でもな、大瀬崎……。オレは、お前の生命力なら地球が滅亡しても生きていけるぞって感心してるんだぜ。それって名誉なことだと思わないか? 思え。
 渋々立ち上がった大瀬崎は、ソフィアが内野に入ってから外野へと歩いていった。
 さて、大瀬崎も消えたことだし真面目に戦おうと前を向いた。
 冷たい風の吹く夜空の下。暗がりの中に翼の生えた少女がいた。その姿は夜の闇とソフィアの光が混ざり合い、どうも不釣り合いかと思われた。しかし、そんなことはない。むしろそれこそソフィアだと思った。それに、その闇と光はオレが毎晩見てしまう夢物語の序章のようだ。何もない世界が闇だとしたら、無を拓くための道しるべが光……ソフィアになる。
 そんな仮定というか妄想は誰に言っても通用しないだろう。でも、なぜかそれらの存在が完全に分けることのできないものだと思ってしまう。
「統流君。私、負けないからね!」
 ソフィアの声がして、ふとソフィアに視点を合わせた。両手を自分の膝に置いて構えている。外野ならまだしも、内野でそんな格好をしたら反応が遅くなるぞ。
 ……しばらくソフィアと睨みあった。
 胸が痛い。もしオレが真剣勝負だからといって本気でボールを投げてソフィアにぶつけたら、とても痛いだろう。ドッジボールなら当たり前のことが、なぜか今のオレには抵抗があった。だからといって、軽く投げたら奏に怒られる。
 オレは迷いながら投球を始めた。
「あ……」
 力みすぎたようだ。オレの投げたボールは二メートルほど先でバウンドし、ソフィアの胸へと跳びこんだ。ほとんど反射的にソフィアはボールを全身で捉えていた。
「統流! なにやってんのよ!」
 奏の怒鳴り声。怒鳴られるのは、ボールが指先から離れた瞬間悟っていた。
「よーし、ソフィアちゃんやっちまえ! 俺の遺志を継いでくれ!」
 外野の男が興奮しながら叫んでいた。
 ソフィアがこくりと頷き、両手で持っていたボールを右手に持つ。そして、足を一歩前に出して今まさに投げようとしている。肘の位置が明らかに低い。ソフィアは下半身と上半身がバラバラなまま砲丸を投げるようにしてハンドボールを投げた。球がオレのほうへと近づいてくる。
 瞬時に迷いが生じた。
 この程度のボールなら、簡単に取れる。だが、取ったらまたソフィアを狙って投げなければならない。そんなことしたら、さっきの苦しみが再度やってきてしまう。なら、今度は奏にパスするか? でもそうしたら確実にソフィアをアウトにするだろう。
 嫌だ、と思った。
 ボールがどんどん大きくなってゆく。
 だから、オレは……。
 オレは、ボールを回避した。
 幡から見れば、とても滑稽な姿だろう。こんなボールを避けるんだからな。そんなことわかっていたのにオレはそうした。
 ――そうするしかなかったのだ。
 跳ねながら転がるボールがオレのいる内野を通過し、外野へ行きつく。大瀬崎は足でボールを止めた。
「穂枝……。さっきはよくもやってくれたな……」
 さっきやったのは九十七パーセントくらい奏だ。オレではない。
「今度こそ、お前をいじられキャラのどん底に叩き落として、キャラ転換させてやる!」
「そんなセリフ言ってること自体、お前は十分手遅れだからな」
「なんでこういうときにだけツッコむんすかっ!」
「キャラ転換? このオレが? ムリだろ」
 オレはさらにダメ出しをする。
「つ……つべこべ言うなやい!」
 対応が中学生や小学生と変わらない。つーか、オレを倒したかったらボールを捕った瞬間に投げればよかったのに。
「穂枝、覚悟しろ! 必殺技出してやるからな!」
 大瀬崎の目が光る。
「スーパー エターナル レボリューション・ハイパー ライトニングサンダー バースト ストライク ファイアー!」
 中二病患者は、横文字単語をずらずらと並べた。どこで区切ればいいのかわからないそれは、技の名前なんだろう。豪快なモーション。オレは俊敏な対応ができるように姿勢を低くして構えた。
「うるあぁ!」
 雄叫びをあげる大瀬崎がボールを投げた。
 正直オレはひるんだ。今までたくさんの奴らとドッジボールをしてきたが、こいつほどの速球を見たことがなかった。たぶん、オレの真正面にスーパー エターナル レボリューション・ハイパー ライトニングサンダー バースト ストライク ファイアーがぶっ飛んできてたら当てられていたことだろう。
 まあ、オレの語りから察する通りの結果だった。大瀬崎はオレを当てることができなかったわけだ。
 ボールは、オレの遥か頭上へと飛んでいったのだ。冬の冷たい風に流され、ソフィア、奏をも通り越し、ついには千畳敷から飛び出していってしまった。
 ボールの高度が下がりはじめた頃には、急な斜面に生える木々の上を掠めるように消えていた。
「あ……」
 空しく響く大瀬崎の声。あとに残るのは、枯芝を連れて流れる風の音だけだった。
「まあ……仕方がないか。じゃ、次はテニスでもやろうぜ! もちろんダブルスな!」
 大瀬崎はいつから隠し持っていたのか、背中からラケット四本とボール一個を取り出した。
「やるもんかっ!」
 オレと奏がツッコんだ。ボールを無くしてすぐ、次の球技――しかもドッジボールよりも無くす可能性の高いもの――をやるなんてさすが大瀬崎だ。そのアホさだけは評価してやろう。


 このあと、オレたちは芝生に寝転がった。ドッジボールをしているときは無駄にアツかったので上着はいらなかったが、こうしてじっとしていると、一気に寒くなった。当たり前だ。これが冬なんだから。
「なあ穂枝」
 オレの隣で、じっと夜空を見つめる大瀬崎が呟いた。
「お前がいじられキャラになるにはどうすればいいと思う?」
「まず、オレがいじられキャラになろう、という意志を持つことだなだな。周囲の雰囲気も大切だと思うぞ」
 オレは即答する。
 大瀬崎がガバリと起き上がった。
「よっし! じゃあいじられキャラになりたいと心の底から願え! さあ!」
 ガッツポーズをしながら大瀬崎が言った。
 こいつはバカか……。
「ヒマだなあ……。宴会部長、なんか一発ギャグしろ」
「俺の切なる願いはどこ行ったんすか!」
 切なる願いとは、オレがいじられキャラになることだろう。だが安心しろ。きっと奏の中でならオレは十分いじられキャラだから。ソフィアが奏の家で風呂に入ったあのとき、オレをいじり倒したからな。
「早く私たちを盛り上げさせないと、ドッジボールの球みたいにふっ飛ばすわよ?」
 奏が退屈そうなため息を漏らしながら言った。
「お前ら、本当に冷酷っすね!」
 そんなことを言いながらも、大瀬崎は立ちあがった。
「えー……。ネコのモノマネをしながらイヌの鳴き声をしまーす」
 大体オチがわかってしまった。
 大瀬崎は芝生にしゃがみこみ、両手を地面に付けた。そして、つぶらな瞳をオレに向ける。
「ワン!」
 大瀬崎がひと吠えした。完璧に大瀬崎は犬だった。猫はどこ行った。
 ため息をついてからオレは上半身を上げる。
「ソフィア、何か話題あるか?」
「俺の傑作を簡単に流すなぁ!」
 大瀬崎にツッコまれた。でも、犬と同類のお前にいちいちつっかかってたら時間が無駄に終わる。
 それよか、今までじっとしていたソフィアと、何でもいい、他愛ないことを話したほうがよっぽと時間の有効活用だと思う。
「え、私ですか……?」
 急に話を振られたソフィアが体を起こし、キョトンとオレを見つめる。
 ソフィアに話を振ったところで、何か話題が浮かぶとも考えられなかった。
 だが、ソフィアの顔がパッと明るくなる。
「バーダーはね、たくさんの人が集まると、空を舞うんだよ!」
 その顔が笑顔であるのが暗い夜の中でも十分わかった。
 空を舞う……つまりは飛ぶのだろう。そういえば、空を飛ぶソフィアはオレたちが初めて会った次の朝以来ずっと見ていない。
 ソフィアの言ったことに興味を示した奏も起き上がった。オレも無性にソフィアが夜空を飛ぶ姿を見てみたくなってきた。
「よし、じゃあ空を飛んでみろよ」
「え……」
 ソフィアが戸惑った表情に一変した。
 そして、俯く。
「ソフィアちゃんの飛ぶ姿か……。俺も見てえな」
「奇遇ね。私もアンタと同じ意見よ」
「こんなときしか意見が一致しないんだな……」
 大瀬崎が苦笑していた。
 そんな大瀬崎を尻目に、オレはソフィアを見ていた。俯いたまま変わらない。
「……んです」
 そして、何かを呟く。
「どうした?」
「飛べないんです……。バーダーは、とても楽しかったり、とても心が温かかったり、反対にとても怖い思いをしないと飛べないんです……」
 ソフィアの声は小さかった。小さかったのに、耳に残るほど印象深かった。
 今、この状況は楽しくないのか? 怖くはないだろうが、心は温かくないのか?
「ハイキング、つまらないのか?」
 大瀬崎がまっすぐに訊いていた。
 ソフィアは首を振った。
「ううん。とっても楽しいよ。みんなとこんな広いところで遊べるなんて、とっても嬉しいし、私の心はみんなのやさしい温もりで一杯だよ。でも……」
 ソフィアは自分の両手を握りしめた。
「空を飛ぶってことは、それだけでとても怖いことなんです。だから、その怖さを支えてくれる人がいたり、思い出があったり、空を飛ぶ怖さを超える恐怖がないと飛べないんです。それに、最近はずっと空を飛んでないし、最後に飛んだのが……」
 最後に飛んだのは、襲いかかった何十羽ものカラスから逃れるためだった。ゴミ捨て場に一羽いるだけで不気味なあいつらが自分を覆い尽くすほどいたんだから、相当の恐怖だっただろう。
 ソフィアが空を飛ぼうとするとき、あの出来事が脳裏をかすめて飛ぶことにためらいが生じる……そう思った。


――どうか、……を救ってください。あなたの行動次第で、……を救うことができるのです。


 プツンと何かが切れるような音がし、その一秒にも満たない短い時間に誰かが何かを呟いていた。周囲を見渡しても、奏と大瀬崎とソフィア以外誰もいない。当たり前だった。でも確かに何かがオレの耳元で囁いていた。矛盾しているようだが、聞き覚えのない懐かしい音だった。
 ソフィア……。
 オレは、ソフィアを救わなければならないのだろうか。
 なぜそう思ったのかは知らないが、そうしなければならないのだと思った。
 オレにできること。
 それは、ソフィアを安心させること。もう一度空を飛ばせること。
 決意した瞬間……オレはソフィアの手を握っていた。
「ソフィア。もう一度空を飛んでみようぜ」
 大瀬崎と奏のことなんてこれっぽっちも考えていなかった。誰もいないかのように、オレはソフィアだけを見つめる。ソフィアだけを救いたかった。
 だからだろう。告白じみた言葉をソフィアにかけていたのは。
「前飛んだとき、カラスがお前を襲ってきたんだよな。それがどれほど怖かったのかは経験したことないからわからない。でもな、今ここにはカラスなんて野郎はいない。今はオレがいる。オレがお前を支えてやるから、空を飛んでみないか? 夜の闇がカラスの羽で、散りばめられた星が目に見えてしまったら、下を向いてオレを見ればいい。もしそれでもカラスが頭から離れなかったら、すぐにオレに飛び込んでこい。オレは逃げない。ずっとここにいる。だから安心して飛べ」
 ……じっとオレはソフィアは見つめていた。世界はソフィアだけしかいないんじゃないかと錯覚するぐらいソフィアが近くにいた。
 ソフィアの唇。
 唾を呑みこんだ。
 ソフィアの口が動く。
 胸の鼓動が高鳴った。少しずつソフィアの顔が近づく。
「統流君、ありがとう……。私、今なら飛べそうな気がするよ!」
 そう言って、ソフィアは笑った。
 その笑顔を見て、オレはなんてことを考えていたんだろうかと自嘲笑いした。一瞬ソフィアとキスする自分を想像してしまったのだ。
 ソフィアがオレの手を離して立ち上がった。ソフィアとの繋がりが断たれた瞬間、オレは周囲の殺気にようやく気が付いた。
「穂枝、てめえ……。よくも俺のアイドルを……っ!」
「統流……少しは考えなさいよ。場を」
 二人とも言うことは短かったが、オレに不安と恐怖を与えていた。視線が突き刺さって痛い。
「ほら、二人とも。ソフィアが空を飛ぼうとしてるんだから、見守ってやろうぜ! な?」
 言い逃れるためにそんなことを言った。無理やり二人から目線を逸らし、ソフィアのほうを向く。
 ソフィアが翼をはためかせていた。目を閉じ、口を細かく動かしている。胸の前で両手を組み、何かを祈っているようだった。ソフィアは空を舞うと言っていた。舞うためには何か呪文めいたことを言わなければならないのかもしれない。足は微妙に交差されていて、右足を少し前に置いている。
 それから、風になびかせていた大きな白い翼を左右に伸ばして止まった。ソフィアは全身で十字架を形作っていた。白い翼はソフィアの身長よりも長く生えている。羽一本一本に手入れがなされていて、誰もが見とれる美しさを醸しだしていた。
 組んでいた指をそっと離す。両腕も翼を同じように左右に広げた。依然目は閉じたままだ。短い茶色の髪。白く健康的な顔。頬を少し赤らめているのが暗がりでもわかった。初めて出会ってから今までずっと変わらない、海のように青く深い服。それも、現代的な服ではない。服の胴体部分はぴったりと肌に張り付いていて、袖は先に行くほど広がっている独特の服だ。両手を広げていると、袖口が手首の三、四倍あることが分かる。下のスカートも膝の上五センチメートル程度の丈だ。空のように青い。そして、交差した足に黒く薄いソックスを穿いている。靴は西洋の中世的な革製の靴だ。
 風が吹く。頬に刺さるような風ではなく、不思議と春のような暖かい風のように感じられた。
 ソフィアが目を開ける。オレと視線が合い、ソフィアは微笑んでくれた。それとほとんど同時に地面と水平にさせた翼をバタつかせる。光の粉のようなものが舞い散った。
 そして、少しずつソフィアの足が地面から離れていった。オレは最初、ソフィアが飛んでいることに気がつかなかった。ただ、オレがソフィアを見上げているだけ、そう思った。
 ソフィアは今、夜の闇の舞台で、光に輝く星というスポットライトに照らされた劇のヒロインだった。光の粉がオレたちに降り注ぐ。
 そして、ようやくオレは気付いた。
 今までずっと思っていたことが当たり前になっていて、忘れてしまったことを。
 ……オレは、ソフィアのことが好きなんだ。
 ……この上なく、今空中で踊っているソフィアが大好きなんだ。
 今までソフィアを見てきて感じてきた感情はそうだったんだ。初めて会ったときは、ただ鬱陶ししくて、早く未来へ帰ってほしかった奴だった。なのに、今ではいつまでもこいつといたい……と知らずしらずのうちに思うようになっていた。
 じっとオレはソフィアを見続けた。
 この、オレの気持ちに気付き、湧いて出てきた喜びと戸惑い、恥じらいと嬉しさ、不安ともどかしさを胸に……。


 オレは空を飛ぶソフィアを見つめ続けた。隣で大瀬崎が感動のため息を漏らしていた。
 それから、翼を動かすのに疲たソフィアは地面に着いた。
「えへへ、久しぶりに飛んだら疲れちゃいました」
 ソフィアの表情は、どこか満足感と喜びの入り混じった表情だった。そう見えたのはオレがソフィアに対する感情に気付いたからだろうか。前のオレだったら、今のソフィアの気持ちをどうとっていたのだろうか。もうわからないが、どうでもよかった。
 それから、奏と大瀬崎がソフィアに近寄り、飛べたことを喜びあった。オレも少し輪と離れたところで祝った。
「穂枝も来いよ、な?」
 大瀬崎がニヤニヤと言った。きっと、もう大瀬崎はオレの気持ちを知ってしまっているのだろう。
 奏のほうを見た。ソフィアの髪を撫でて微笑んでいる。でも気のせいだろうか、どこか悲しそうにも見えた。
 オレもソフィアを囲う輪に入り、それから色々なことを話した。大瀬崎がオレのほうを見て「コクっちゃえよ」とか「俺も協力するぜ」とか「羨ましいぜ、おい」とか言っていた。なんとなくいじられている気分がした。
 そんなこんなで、楽しかったハイキングも終わった。
 もう日にちは変わり、帰る支度をする。
 ソフィアがリュックを背負い、大瀬崎は様々な装備(ラケットやボールなど、遊ぶための道具)を片付けていた。それらの装備はほとんど使わなかったために、ただの邪魔物となってしまっていた。
「よし、じゃあ下りるか」
 大瀬崎が言った。オレたちは頷き、大瀬崎を先頭に奏、ソフィア、オレの順番で千畳敷を歩く。
 前のソフィアの歩き方が不安定だった。ゆらゆらと左右に揺れている。飛びすぎて疲れたのだろう。今晩はゆっくりと寝させてやろうと思う。
 オレの目に、頂上と尾根の境目を示す崖が見えた。危ないので杭とロープで入れないようにしているのだが、その崖には見覚えがある。
 確か、他に類をみないほどの切り立った崖で、しかも杭が腐り、ロープがちぎれそうになっていたあの場所だ。
 不安を覚えた。
 ……だが、遅かった。
「あ……」
 ソフィアの身体が大きく横にぶれる。そして、ロープにもたれかかった。それが杭の臨界点だったのだろう。
 杭が根元のほうから折れ、ソフィアが崖のほうへと転落した。
 胸が締め付けられ、鼻の頭を殴られたような感覚がした。
「ソフィア!」
 オレは叫ぶのと同時に折れた杭まで寄り、崖を見下ろした。前のほうを歩いていた奏と大瀬崎もオレの叫びに気付き、ここまで駆け付けた。
 一メートル先も見えない闇だった。
「ソフィア! 返事をしてくれ!」
 オレの悲痛な訴えに、闇は無言の返事をした。
 何かをしなければいけない。オレは何もできない自分のもどかしさにイラついた。
 ……いや、できることがある。
「オレ、ソフィアを助けてくる」
「穂枝! そりゃいくらなんでも危険だろ? そんな事してお前までケガしちゃなんにもならんだろ? 救急車を呼ぼうぜ!」
 大瀬崎がそうオレに言った。
「救急車なんて呼べるかっ! 確実にソフィアが鳥の人だってバレちまうだろ!」
 救急車で運ばれるとしたら、リュックに隠している翼を見せざるを得なくなる。わかりきっていることだ。
「だから、頼む。オレは絶対にケガしないから、ソフィアのところに行かせてくれ」
「お前が行くより、スタントマンらしい俺が行ったほうが安全だ!」
 大瀬崎は大瀬崎で考えを持っているようだった。だが、ソフィアのところへ行きたい……それは切なる願いだった。もしここでソフィアに何かがあって、もし二度と会えないようなことがあったら、オレは嫌だ。
「統流、行けば?」
 ずっと口を聞いていなかった奏が冷静な声で呟いた。
「……ソフィアのところへ行くのはアンタしかいないのよ。駿河の意見なんてムシしなさい」
「ひでえ!」
 大瀬崎はショックを受けていたが、奏に助けられた。どこか腑に落ちない態度だが、今は気にしないでおこう。
「駿河、なにか応急処置できそうなもの、ある?」
 相変わらずの冷たい口調で奏は大瀬崎に言う。
「俺のシャツとアクエリくらいならあるが……」
「十分よ。早く脱いで、それとアクエリ渡しなさい」
「オーケー」
 大瀬崎は反論せずに、言われたとおり服を脱ぎ、最後に脱いだシャツとアクエリをオレに渡した。
「……そうだな。暗黒の城に閉ざされた姫を助けるのは、俺みたいな賢者じゃなくて王子様だもんな」
 さわやかな笑顔を送ってきた。
「黙っとけ。あと自分で賢者言うな」
 オレはそれだけ言って、シャツを貰った。
 でも、なんだかんだいって嬉しかった。こいつらは本気でソフィアを心配してくれる仲間だった。
「駿河、その調子でアパートの大家さんから救急箱をとってきてくれる? 大体のものは入ってると思うわ」
「まっかせとけ!」
 大瀬崎は調子よくガッツポーズをし、上半身裸のまま山を駆け下りていった。通報されないことを祈ろう。
 奏はすぐにオレのほうを見て言う。
「私は、ここでアンタの指示をするわ」
 真剣そのものだった。
「ケガ……しないようにね。私だって、アンタのこと少しは心配してんだから」
 そう言って奏は視線をずらした。
 やれやれ、少しでも心配してくれてるんなら、日ごろからもっと丁重にオレを扱ってほしいものだ。
 奏はオレを見守ってくれている。大瀬崎は半裸のまま山を駆け下りてくれている。そして、ソフィアは今崖の下で、オレを待っているんだ。
 寒い冬の夜、オレは意を決して崖を滑り落ちた。


 夢を見ていた。とても怖い夢だった。きっと、もう一人のオレが傷ついてしまったからだと思う。猛獣の唸り声。流血。共に旅をしてきた仲間が声を掛ける。燃える炎――。
 ――統流くん、統流くん。
 どこかで声がした。周囲はうっそうとした森に囲まれている。誰もオレたちを助けることなんてできない。だからオレはもう一人のオレを助けようと、猛獣ともう一人のオレの間へと飛び込んだ。
 オレがこの世界に存在しないことを知っている。だから夢の世界では幽霊のように巨木を突き抜けることだってできる。
 つまり、オレが飛び込んだところで何も変わりはしないのだ。
 でも、今こいつを助けなければ……死んでしまうじゃないか!
 その瞬間、グワンと腕が引っ張られた。オレの行動は誰かによって止められたのだ。
 ――統流くん、統流くん……。
「統流くん、大丈夫かい?」
 オレは目が覚めた。最初に異常な量の冷や汗を掻いていることに気付いた。それから目の前に大家さんがいるのがわかった。気持ちの整理がつかない。混乱するオレを見てか、大家さんが話しかけてきた。
「統流くんが唸り声を上げてたから、心配して見にきたんじゃよ」
 そう言って大家さんは手に持つマスターキーを揺らして見せた。
「どれ、何か悪い夢でも見たのかな?」
 大家さんが優しくオレの髪を撫でた。冬なのに髪が汗でグショグショになっていた。大家さんの手はオレのじいちゃんみたいな手だった。
 少し気分が落ち着いてきた。オレは大家さんに夢の話を聞かせたくなった。その気持ちはたぶん、小さな子どもがおじいちゃんに純粋な夢を語るような、そんな感じだった。
 オレは大家さんにもう一人のオレの話をした。大家さんは、静かにその話に耳を傾けてくれた。
 鳥が鳴く。ソフィアはまだ眠っている。


 ……とまあ、無事にオレたちは年を越せたようで、世の中じゃあもう正月の浮かれ気分か会社と家とのめまぐるしい反復横跳びを繰り返していた。オレもその中の一人で、クリスマス頃から休んでいたアルバイトが昨日から始まっている。定食屋で働いているんだが、その話は置いておこう。
 実家に帰っていた奏と富士山に行っていた大瀬崎も数日前には帰ってきていて、空いてる日にはオレとソフィアと一緒に代樹山へタイムマシン捜しをしている。相変わらずタイムマシンらしきものは見当たらなかった。そして、年末年始の忙しくも落ち着く数日など忘れてしまったかのようにオレたちはいつも通りの生活に戻っていた。補足すると、タイムマシンを捜す日々も日常の一部になった、ということだ。それに、まだ高校が始まっていない。高校に行くってのは、休み慣れた体にはきついことだろう。
 オレはコタツの上にお茶を置き、そこに座った。冬晴れの、のどかな午前。軽い休息だ。ソフィアは先にお茶をすすっていた。ソフィアのカラスに負わされた傷は一昨日辺りに完治した。今ではもう翼も肌もきれいになっている。
 ソフィアはお茶を飲み込むと、美味しそうな吐息を漏らす。
「お茶、おいしいよ!」
「そりゃどうも」
 オレもお茶を飲む。今日は少しだけ甘味が強い。お湯がぬるかったようだ。
 いつもはソフィアのとりとめのない話を聞き、それから話題を広げていくのだが、今日はお客がいた。
「統流、今日はずっと暇なの?」
 奏だ。腐れ縁である奏は、オレの淹れたお茶をまるでスーパーの試食コーナーにあるウィンナーのように、ひょいと飲んだ。
「夜っつーか、五時から九時までバイトがある。それまでは空いてるぞ」
 オレは「統流の淹れたお茶は美味しいわね」なんて奏が言うのを期待していない。むしろ気持ち悪い。第一そんなものをいちいち気にしてたらオレと奏は、オレと奏でなくなってしまう。要は、感謝を言葉に表すまでもない仲なのだ。オレたちは。
「あ、そ。そうだと思った」
 ため息を吐くかのように奏が言った。悪かったな、暇人で。
「統流、今から私の家に来なさい」
 それから、何気なく奏はそう言った。私の家ってのは奏のおじさんの家ってことだろう。
 ……いや、それよりも、だ。
 信じられるか? あの奏がオレを誘っているのだ。
 そりゃ、オレだって男なんだから、異性から家に来ない? なんて誘われたらドキッとする。でも、奏からそんなことを誘われたとしたら、何か罠があると思わずにはいられなかった。
「奏、オレに何か恨みでもあるのか?」
「両手足の指でも数えきれないくらいあるわよ。小四のとき貸した鉛筆失くしたし、小六の夏にアンタと海へ行くのを楽しみにしてたけど当日の朝にドタキャンされたし、中学校だって一緒の部活入ろうってアンタを誘ったら帰宅部にしたし、修学旅行に雨降ったし、受験前に風邪引くし……」
 最後のほう、明らかにオレ関係ないんだが。でも恨まれているのは確かだから、先ほどの誘いは罠で間違いないようだ。
 ……なんてな。冗談だ。
 奏の口調を聞いてわかった。恨みではなく、ただ単に奏はオレを誘っているのだ。微妙な表情の違いでわかる。何かをやらかされるわけでもないようなので、オレは頷いた。
「でも、オレが奏んとこ行ったら、ソフィアはどうするんだ?」
 それだけが心配だった。
 すると、奏は重々しいため息を数秒間吐き続けた。そりゃもう鬱陶しいくらい。
「アンタ、バカね。ソフィアも一緒に来るに決まってるじゃない」
 バカはもともとわかってるから言うな。というかソフィアが奏の家まで、しかもこんな昼時に外出できるわけがないだろ。と心の中でツッコんで、ようやく大瀬崎から貰ったリュックの存在を思い出した。ああ、それがあれば(中に入ってるもんがバレなきゃ)どこにだって行けるのか。リュックを忘れてたオレがバカだった。そしてバカバカ思いすぎだ、オレ。
 しかし、ソフィアが同行するようなことがあるのだろうか? オレにはわからない。
 そのことを奏に訊いてみると、あっさりと返してきた。
「秘密よ」
 気になる……。


 オレたちは早々に支度をし、アパートを出た。すぐに帰りたくなるくらい冷たい北風が吹きぬけていく。そそくさと部屋に戻ろうとすると、奏が凄い形相でにらまれ、首の根を掴んで引っ張り出された。基本冬の寒さは苦手なオレだから、早いところ目的地に着きたいところだ。だが奏の家は湖に沿って歩き、例の天端を渡り、さらに湖畔を歩いたところにある。直線距離約一キロメートルのところを、わざわざ遠まわりをして歩かないといけないのだから(しかもずっと吹き抜けの水辺を歩くんだから)、凍え死ぬ前に奏の家に到着できるか心配だ。
 自転車を使うという手もあるのだが、奏はここまで徒歩で来たようだからオレだけ先に行ってしまうことになるから意味がない。困ったものだ。
 何分経っただろうか、オレは歯をガチガチ鳴らしながらトラックが何台も通る天端を歩いていた。トラックの後ろを枯れた木の葉たちが追いかけている。
 ソフィアは前後左右を見渡してばかりいた。湖、森、山、青空、白い雲、家、信号機、トラック、車、人、自転車、ガードレール、コンクリート……。見るもの全てが珍しいのだろう。ソフィアはずっと部屋の中にこもり、外に出るときは真夜中の、しかも寂しい山の中だ。だからソフィアには冬の澄んだ青い空でさえ珍しいものなのだ。
 誤って道路に飛び出したりしないか心配だが、ガードレールがあるから平気だろう。
「世界って、大きいんだね……」
 ソフィアが言った。
 世界はもっともっと大きい。お前が思ってるよりも遥かにな。そのことをソフィアに教えたかったが、なんて言えばいいのかわからなかった。世界ってもんは言葉で表せる存在なのか? 世界は、とっても広い。大きい。命がある。そんなこと言って、オレの言いたいことが伝わるのだろうか? 現在と未来の世界、そういうことをどう言えばいいのだろうか?
「世界はね、この空の続く限りある世界なのよ。例え雲で空が隠れてしまっても、その上に空はあって、地平線の彼方で白くなった空でも、私たちが地平線まで行って上を向けば同じ空があるの。それが、世界。まだまだとっても広いのよ」
 奏がソフィアに言っていた。
 そういう表現もあるんだな……、なんて思ったが一応奏に対して言っておく。
「お前にしては詩的哲学的だな」
「う、うるさいわね!」
 奏が顔を赤らめてぶっきらぼうに言った。
 天端を過ぎるとすぐ右にオレたちが通う高校がある。校門に髪を茶色に染めた女子たちがたまっていた。名前は知らないが、どこかで見たような顔だ。きっと同学年の奴らなんだろう。
「あ、ミコっちだ」
 その中の一人がオレたちを見つけて言った。ミコっちと言われてオレは驚いたが、すぐにそれが奏の愛称――奏の苗字、神子元のミコからつけたもの――だとわかった。
 髪を栗色の染めただけでもオレは嫌なのに、この女はさらにロールを施し、化粧をし、香水の臭いがプンプンしている。オレは生理的に受け付けなかったが、奏の知り合いなら仕方がない。
 奏がその女のほうに寄っていったので、オレもできる限り目立たないよう付いていった。ソフィアも同様にリュックを揺らして近づく。。
「部活帰りなの?」
 奏がその女向かって言った。明るい口調だった。
 違和感が、ある。
「ま、そんなとこ。ミコっちはデート?」
 ロールの女が言った。チラリとオレのほうを見る。なんか嫌だったから、オレはそいつと目を合わそうとはしなかった。だが、少し経ってからオレが流し目でそいつを見ると、すでに視線は奏のほうにいっていた。しかも会話が進行している。
「そんなわけないわ。こいつは私の幼馴染みなの。ただの買い物よ」
「男女が買い物するってことがデートなのよ」
 ロールの女は奏のおでこを人差指で二、三回つついた。
 なぜか奏は抵抗せずに笑っていた。オレがやったら刹那奏のエルボーがアバラ骨に決まっているというのに。
「それと、えっと……この子は?」
 香水の臭いを漂わせながらこの女はソフィアを見た。ソフィアはゆっくりとオレの背後に隠れようとしたが、奏が制する。
「中学校の頃の知り合いで、クォーターなの」
 奏が平然とウソをついた。ウソは茶髪の女と同じくらい嫌いだが、でもソフィア曰く守るためのウソは嫌な気がしないから大丈夫、と言っていたから大目に見てやった。
「ふーん、そうなんだ。……この人ってモテるね」
 と、女はオレに指をさしやがった。女が近くにいりゃあモテるのか? そんなわけねえだろ。なぜならオレに彼女なんてもんできたことないからだ。こいつは常識知らずだ。
 怒りに拳を握り締めていると、校門のほうでたまっている集団から一人がやってきた。
「瑞樹、これからファミレス行くんだけど、行く?」
 ロールの女はミズキというらしい。
「あ、行く行く!」
 ミズキは校門でたむろしている仲間のほうを向いて、そう言った。
「じゃ、奏、楽しんで」
 そう言って、そそくさと仲間の輪へ戻っていった。
 オレは変な感覚がずっと胸か頭の中をうずいていた。あの女どものこともあるが、主に奏に対するものだ。奏があんな奴と親密だったなんて……。奏が初めてタイムマシンを捜してくれたあの夜、オレたちに東京へ行くと言っていた。もしかして、あの茶髪一団と奏は東京で遊んでいたのだろうか? 奏があんな奴らと何時間も行動を共にするなんて想像がつかない。それともう一つ。奏が主導権を握っていなかったということだ。そんな奏、見たことも聞いたこともない。
「統流、ソフィア、行くわよ」
 だが、もう奏はいつもどおりのしれっとした口調に戻っていた。オレはしこりを残したまま歩きはじめた奏に付いていった。
 歩きはじめると、今まで忘れていた凍える風がまた吹きはじめた。


 奏の家に着くまで、オレはずっとソフィアのほうを見ていた。ソフィアのほうを見ながらオレは奏のことを考えていた。でも、歩きながら……しかも本人を目の前にして考えられるわけがなかったから、実際のところは奏の家の中はどうなっているのかを想像していた。前に外装を見た限り、豪邸の類に入るのは間違いない。きっと家の中にはトラの毛皮のカーペット(しかも、顔や足を残している)や、ロウソクのシャンデリアがいたるところにあるのだ。しかも玄関の天井は一階から三階まで吹き抜けで、天井に最後の晩餐と馬に乗ったナポレオンが描かれているのだ。
 ……オレの想像では、奏の家は教会になってしまっていた。いや、でも教会にナポレオンなんているわけがないか。どちらにせよ想像を絶する豪邸なのだ。オレの脳内では。
 だから奏の家に入ったときは少しがっかりした。玄関は三階建てのうち二階までしか吹き抜けではなく、もちろん絵なんて描かれてるわけもなかったからだ。
 奏に案内され、リビング(外とは正反対に、天国ではないかと誤解するくらい程よい暖かさで保たれていた)にやってくると、足元がフカフカして落ち着かない。トラのカーペットだと思ったが、ウールの白い絨毯だった。シャンデリアだってロウソクのものではなく、ただ単に電気で付く小さなものがこのリビングだけにしかなかった。
 ……結論を述べると、普通に豪邸だった。なんだよシャンデリアって。普通の家じゃねえ。
 改めて奏の家のリビングを見ると、いかにも高級そうなタンスやテーブルなどの家具が揃えられていた。古風な食器棚の中をガラス越しに見ると、皿のレパートリーが異常なほど多い。その他、純銀であろうナイフとフォークの輝きに目と心を奪われた。部屋の片隅には甲冑や剣、いかにも古そうなランプなどが置かれている。奏のおじさんは骨董品集めが趣味なのだろう。
 ただ、広いリビングは全体的にがらんとしていた。静寂がとても似合う。オレたちが黙っていると、古くて大きな振子時計が定期的に音を刻むだけだ。
「おじさんとおばさんはいないのか?」
 オレは奏に訊いた。
「おじさんは仕事。おばさんは友達と温泉」
 奏はそっけなく言った。
 つまり、この家にはオレと奏とソフィア以外誰もいないということになる。よくよく考えれば、あの慎重な奏がソフィアをこの家に入れることでわかるはずだった。
 同時に慎重な奏が危険を冒してまでこの家にソフィアを連れてきたんだから、何か重要な理由があるに違いなかった。
「ま、立ち話もあれだから適当に座りなさい」
 奏がオレに椅子に座るよう言ってきた。言われたとおり椅子を引いて座る。
 ソフィアも座ろうとしたのだが、奏がソフィアの肩を掴んでやめさせた。
「え? 座っちゃダメなんですか?」
 その問いに奏はもちろんと頷いた。
「今日はアンタのために二人を呼んだのよ。……ソフィア、ずっとお風呂入ってないでしょ?」
 奏が微かに笑った気がした。
「おじさんとおばさんが帰ってくる前にお風呂入りなさい。シャンプーにリンス、ボディーソープや洗顔、たくさんあるから思う存分使いなさい」
 奏がソフィアを連れてきた理由は簡単だった。
 ただ、ソフィアを風呂に入れさせたかったのだ。安全で、安心で、それでいて近くにある場所。それが奏の家だったというわけだ。
 ソフィアのことを大切に思ってくれている奏が嬉しかった。
「翼は何で洗うのかわからないけど……。一応食器の洗剤も置いとく?」
 ソフィアの翼をレパートリー豊富なここの食器たちと一緒にしないでくれ。
 オレはため息をついてソフィアのほうを向いた。すぐあっけにとられてしまった。ソフィアが泣いていたのだ。我慢することなく、しゃくり声をあげている。大粒の涙がシャンデリアの光によって真珠のように光っていた。
「ソ、ソフィア? ごめんなさい。せ、洗剤はさすがにありえなかったわよね」
「冗談なら選択糊とか言っとけよ、奏」
 戸惑う奏と焦るオレ。そして、涙をぬぐうソフィア。涙の珠が指に沿って落ちた。
「違うの……。嬉しくて。奏ちゃん、ありがとう。とっても嬉しい」
 嬉し涙って本当に流れるもんなんだな……。なんて思ったが、それほど風呂に入れなかったのがストレスだったのだろうか。オレだったら一ヶ月くらい平気で風呂に入らなくても大丈夫な気がする(誰かと会わないという前提のもとで)。もちろん汗や泥でべたつくのは嫌だが、我慢できる。
 でもソフィアの場合、ほとんど毎晩山を登っているのだから汗と泥まみれだろう。見た目、そんな感じではないが。それにオレがいることでもかなり抵抗があるはずだった。
 だからなのかもしれない。ソフィアが泣くほど風呂に入れるのが嬉しく、その機会を与えてくれた奏に感謝しているんだ。
「そんなに嬉しがってくれると、私も誘った甲斐があったわ。アンタが風呂に入ってる間に服も洗ってあげる。縮んだりしないわよね?」
 奏の機嫌が珍しくいい。あんな明るい顔を見るのは大瀬崎をいじってるときにも見せない。
 奏がソフィアに風呂場の位置を教えると、ソフィアは泣き笑いで指差したほうへと歩きだした。
 時間はすでに十一時になっていた。昼食を食べるには早すぎるが、少し腹が減っていた。
「統流」
 ソフィアがいなくなると急に奏が話しかけてきた。振り向く奏は向かいの椅子に座ってツンとしていた。両肘をテーブルに置き、頬杖をしている。
「ソフィアって、何者なの?」
 突然の質問で意味がわからなかった。ソフィアは未来の翼の生えた人間、バーダーだ。ということは昨年言った。
 理解しないオレの顔を見てか、奏が補足をする。
「未来から来たのはわかるわ。そして、その未来には想像もできないほど凄い技術を持ってることもわかる。でも、なんで人間に翼を生やしたの? なんでその世界の人間全員に翼が生えていないの?」
 そんなことわからない。でも確かにわかっているのは、奏の言うとおりソフィアの住む未来にはソフィアのようなバーダーがたくさんいることと、翼を持たない人間がバーダーを見て、若干嫌な顔をするということだ。
 そんなことになるのなら、いっそのこと翼など生やさなければよかったと今のオレは思う。それともなんだ? 人間の夢、空を飛びたい……という欲望の極限を求めたのか?
 バカバカしい。
「オレにわかるわけないだろ」
 だからそう言った。そんなこと現在の人間が知ってるわけがない。
「なら、アンタが隠してることを教えてよ」
 奏が話を切り替えた。
 隠していること……未来の世界がどうなってしまっているか、ということだろうか。世界は何かによって消滅し、一部残った世界に生き物が身を寄せ合って生きている、ということなのか? たぶんそれだろう。ソフィアのことで隠していることなんてそれぐらいしかない。
 なんでオレが隠し事をしてるのかわかったんだ? なんて言う必要はなかった。奏なんだから、オレの隠していることくらい表情か何か……いや、もっと形で表現できない雰囲気でわかってしまうのだろう。付き合いが長いというのは嫌なことだ。
 オレはため息を一つ吐いてからゆっくりと話を始めた。
 奏はそんな話を笑いもせず、逆に怒りもせずに真剣に聞いてくれた。


 あまり長い話にはならなかった。ただ少しばかり難しい話なだけだ。でも考え方によってはオレのように心が潰れてしまいそうになる悲しい話になる。そんな話をオレは終えた。
 奏は強い。だから変に煮詰まることはないだろう。オレは安心して全てを話せた。
「考えられることは、全部想像にしかならなくて、実態がつかめないわね……」
 奏が言った。未来なんてもの、オレたちにはどうしようもないことだ。想像でしか存在しないものを考えているわけだから当たり前だ。
「これはさすがに短時間でアンタに話せるようなことは言えないわ。またいつか、まとまったらアンタに言うわ」
 奏はこういう難しい話になればなるほど食いついて、それで結果を誰かに報告する奴だから、こうなることはなんとなくわかっていた。
 もしかしたら……。
 奏ならバーダーがなぜ生まれたのかを解明することができるかもしれないな。
「さて、と」
 両手で頬杖をしていた奏が右手だけで頬を支え始めると、オレをじっと見つめた。
「そんな、不思議な存在であるソフィアなんだけど、アンタはソフィアのことが好き?」
 話がシリアスからガールズトークに移行していた! オレの一番苦手なジャンルだ。
「嫌いと言えばウソになるが……」
 好きと言ってもウソになる。
 ああ、そうだ。昔はそんなに好きでもなかった。ソフィアと出会った直後はむしろ鬱陶しかった。だから嫌いに限りなく近かった。でも、ソフィアの純粋な気持ちとか笑顔とか、そういうのを感じとっていったら、どうなった?
 オレは次第に好意を抱くようになっていたような気がする。彼女にしたい、とかそういう意味ではない。ただあいつといると楽しいとか、安心するとか、そう思っただけだ。あいつの行動はどこか楽しいし、近くにいないと翼のことがバレてしまうのではないか、どこか危ない場所に行ってしまわないかと不安になる。
 いつしかソフィアのいる生活が当たり前になっていたんだ。
 だから……。そうだ、オレはソフィアが家族のような存在になっていたんだ。
「本当の妹のように、家族的な意味でオレはソフィアが好きだ」
 そう言うと、奏がニヤリと笑う。
「異性としてじゃなくて?」
 異性……。それはつまり、ソフィアに対して恋を抱いているのか、ということだろう。
 オレがソフィアに恋をしている? そんなわけないだろう。そんなわけ……ない。
「そういう意味でオレがソフィアを好きになるわけがないだろ? そりゃ、確かにソフィアの純粋な心とか、澄んだ笑顔はいいなって思ったりする。一緒にいるとそれなりに楽しいし安心する。あいつは、その場にいる人たちを和ませる力があるんだ。でもやっぱり異性としてってのは違うんじゃないか?」
 オレはソフィアが異性として好きでいることを否定した。
 なぜかはわからない。でも、この気持ちは違う。そう直感したからだ。
 なのだが。
「……それこそ、アンタがソフィアのことが好きだって思ってる証拠よ」
 そう言われてしまった。
 言い返せなかった。
「ま、あとはアンタが気付くまでのことよ。……そういうこと」
 オレは奏の顔を見ながら、何も見ていなかった。ずっと考え事をしていた。だからオレは奏の声しか聞いていなかった。明るい声から、オレはずっと奏が恋話をしているニヤついた表情なのだとばかり思っていた。
 実際、このとき奏の顔が曇っていたことなんて思いもしなかったし、気付きもしなかった。
「私、ソフィアに着替えを持ってきてあげるから、アンタはここで待ってなさい」
 沈黙の中から奏が立ち上がった。
「ん? あ、ああ」
 オレが奏へ視点を合わせたときには、ドアノブに手をかける奏の背中しか見えなかった。ドアの開く音。そして、閉じる音。
 静かだった。まさに雪原に一人残された気分だった。
 しばらくオレは古い時計の音に耳を傾けていた。時計のリズムを足で刻みながら様々なことを考えようとしたが、結局何色も混ぜた絵の具のように、何も取り出すことなくただボーっと過ごしていた。
 何分かした辺りで、ガチャリとドアの開く音が聞こえた。オレは反射的に音の鳴るほうへ顔を向けた。
 ドアを少し過ぎたあたりに奏がいて、その背中に隠れるようにソフィアがいた。風呂からあがったようだった。
「あー……」
 奏が顔を赤くしてオレのほうを見たり、少し目線を逸らしたり、耳の後ろを掻いていたりした。
「寒いからこっちに来てた方がいいかな……って思ったんだけど、ここにはアンタがいたのよね」
 奏が苦笑いをしている。その後ろのソフィアは、縮こまりながらオレのほうをチラ見している。
「まあ、少しの辛抱だからお互い我慢なさい。特に、統流がね」
 え? オレ? と目を丸くするが、その意味はすぐわかることになった。
 奏が体を横にずらすと、青い髪のソフィアが湯気を立てながら現れた。オレは息を呑んだ。
 ソフィアの身体はバスタオルで隠しているだけだったのだ。
「ほら、ソフィアには翼が生えてるじゃない。だから私たちの着るような服だと翼が邪魔で着れないのよね。ソフィアがいつも来てる服みたいに穴を開けるなんてできないし……」
 奏の言葉が耳の入り口で留まってしまう。オレはずっとソフィアを見ていた。見ていたというか、あっけにとられていた。姿かたちは同じだし、きっと性格も変わらないだろう。でも、オレは違う人間……バーダーを見ている気分だった。
 タオルから露出する鎖骨に肩。そこから細く曲線を描く腕が伸びていた。風呂に入る前からソフィアは白くきれいな肌だったが、入浴後はその白さがより際立っていた。赤く火照っていて、初めて見たときのような青さは感じられない。そして、バスタオルに包まれた膨らみ。形も大きさも整っている。胸が高鳴った。……って何想像してるんだ、オレは!
 気を紛らそうと、目線を翼に向けた。
 白かった。美しかった。
 比べるならば、白鳥の翼よりも白く、ヒスイの羽より美しかった。これがソフィア本来の翼だったのか。オレはずっと知らなかったようだ。その翼を持つソフィアが羨ましかった。オレだって、こんな翼を持てるものなら持ちたい。
「ま、そんな感じで上はバスタオルなの。も・ち・ろ・ん、下は何もないわよ」
「下は何もないとか言うな!」
「あらら。統流、変なこと考えちゃてったりするの」
「な……」
 これは、きっと拷問なんだろう。これが奏の企みなんだろう。この状況で変なことを考えたら負け。んな難しいこと、オレにはできない。
「統流君……」
 ソフィアが恥ずかしそうにオレのほうをチラチラと見ている。さりげなく奏の背後に移動しているが、気付いているのだろう、奏が微妙にソフィアを避けている。
「あの、あまり見ないで……ね」
 困った様子で、ソフィアが呟く。ようやくオレは、ソフィアがかわいそうだということにを理解し、我に返った。
 本来のオレなら今のソフィアは直視できないような格好だろ! 見れるわけがない!
「じゃ、ソフィアは統流のすぐ隣か、それとも向き合った場所か、どっちがいい?」
 奏の声が生き生きとしていた。奏の作戦にオレはまんまと引っ掛かっているようだ。ソフィアをすぐ隣に座らせるのなら、風呂あがりの熱や湯気、シャンプーの香りなんかを嫌でも感じとってしまう。逆に向き合った場所だったら、何かの拍子にソフィアを正面から――つまりは胸元を――見てしまい、一気に視線を逸らすオレを見て奏は面白がるに決まってる。
 罠だ。これは罠だ。陰謀だ。
 オレは奏によってオレの向かいに座らせられたソフィアを直視しないようにした。奏はこういうときだけ親切で、オレに紅茶やケーキなどを出しやがった。
 そんなわけで、オレはソフィアの服が乾くまでの数時間、奏が企てた拷問に耐え続けたのだった。


 小雨が降る当日の朝、お袋から連絡があった。昼前には来るようだった。オレに冷蔵庫の中身を訊かれ、やる気なく言われたとおりに冷蔵庫の中身(豚肉、のみ)を挙げたら、昼食は作ってくれると言った。ソフィアの分もある。少し多めに食材を持ってきてくれると嬉しいと言っておいた。しょうがないわねえ、とお袋はなぜか少し嬉しそうだった。
 オレたちは、お袋が来る前に最後の打ち合わせをした。翼が生えていること、未来から来たこと、タイムマシンを捜していることは絶対に言ってはいけないとソフィアに何度も注意した。
 あと、この地域についても簡単に教えておく。このぼろっちいアパートと裏山しか知らない彼女だなんてさすがにありえない。一応ソフィアはブルガリアからの留学生という設定だ。最低でも商店街と学校のことは知ってないといけないだろう。それに、こいつはオレの彼女という設定だから、どんなことがあって出会ったのかも訊かれるかもしれない。なので、ソフィアはこの冬にオレの通う高校へやってきた転校生ということにした。
 ……なんか、オレのほうが奏よりソフィアを偽装という石膏で固めているような気がした。
「と、ここまでで何か質問あるか?」
 そう言うと、ソフィアが手を挙げた。いちいち手を挙げなくても質問する奴はお前しかいない。
「ブルガリアって、どこにあるの?」
 なぜ知らん! と言いそうになったが、ソフィアは未来の世界の人間だ。そして、その世界はメソポタミアとかインダスなんかの文明が栄えた場所とその周辺のみの世界だ。ブルガリアは、なんとなくヨーロッパという感じがするから、ソフィアが知らなくて当然だった。……まあ、ソフィアの世界にもブルガリアがあった場所はあるが、ブルガリアなんて国はとうに滅亡しているかもしれない。が、そんな不吉なことは考えないでおいた。
 冬休みになって、一度も触れずにいて、もう化石化が進んでいる世界史の教科書を発掘した。
 ブルガリアはすぐに見つかった。ソフィアの世界にも存在するトルコ半島のすぐ右上(方角で言えば北西)にその国があったからだ。ブルガリアの東は黒海に面し、南にトルコとギリシャの国境があり、さらに南には大小様々な島がたくさんある海(ソフィアはエーゲ海なんて言っていたが、オレにはさっぱりだった)があった。
「ブルガリアといえばヨーグルトだな。ほら、一昨日食ったやつ」
 地理がダメなオレでも、ブルガリアのヨーグルトが有名なことくらい知っている。
「きっと、山とか結構あると思うから、この町に似ています、なんて言っても変には思わないと思うぞ」
 ああ、オレは何を言ってるんだ。オレは嘘を下塗ぬりした壁に、嘘を重ねて塗っている。わかってる。これはいけないことだ。ソフィアにとって、これは申し訳ないことだ。だから、わかっていて、申し訳ないと思っているのにやっているオレがムカついた。
「うん、わかったよ、統流君っ!」
 ソフィアがオレのほうをじっと見つめていた。
 その声はとても明るくて、その顔はオレに笑顔を振る舞っていた。オレの名以外のことは何も言わなかった。ソフィアがオレを励ましているような気がしてならない。でも、ソフィアは実際そんなこと何も考えていないようだ。ただ、ソフィアはオレのほうを向き、笑っている。ソフィアらしい、裏表のない無垢で純粋で、あどけないソフィア。
 オレは……。


 オレは、ソフィアのために何をしてやってるのだろう。


 それから一時間と数分後、チャイムの音が響いた。リュックを背負っているソフィアは一度棚の隅に隠れる。もし客がお袋でなかったとしたら、ソフィアの存在を知られるのはまずい。第一、ソフィアとお袋を会わせること自体問題なのだが、そこは仲間が考えてくれた案を信じる。
 オレが玄関のドアを開ける。お袋がいた。何度見てもお袋一人。親父はいない。よかったと思えるオレがいる。実際安心した。もう九ヶ月も十ヶ月も会っていなかったお袋は、幾分背が小さくなっていて、さらに痩せ細っていた。顔のシワも数本多くなり、白髪も増えた気もする。大量の食材が入った二つのエコバッグとビニール傘を持つ両手も、どこか弱々しい。でも、初春のやわらかい日差しのようなお袋の微笑みは変わっていなかった。
「統流、久しぶりね」
 昨日や今日の朝と同じ声が目の前で聞こえた。
 なぜか、顔が熱くなってきた。
「ほら、さっさと上がれよ。オレも言いたいことがあるんだ」
 そう言ったオレの口調は、電話越しのときと同じだった。
 オレが部屋のほうを向き、ソフィアに出てくるよう合図をした。でかいリュックを背負うソフィアが立ち上がる。
 お袋がビニール傘を玄関に置き、靴を脱いでから部屋を見渡す。
「あら……」
 お袋はすぐに、目の前にいる一人の少女を見つけた。まじまじと見る。
「この子は?」
 数秒後、お袋が口を開いた。マイペースぶりは健在だった。
「こいつは、ソフィア・ブルースカイ。オレの彼女だ」
「彼、女……?」
 お袋が目を丸くしていた。どうせ、オレには彼女なんてできたことがないから驚いてるんだ。タネを明かせば今もいないんだが。でも、ああそうだ。こいつはオレの彼女だ、と頷いておく。
 そしてオレはソフィアのほうを向く。
「ソフィア、そっちは今日言ったとおり、オレのお袋だ。こんな感じでほんわかしてるけど、よろしくやってくれ」
 ソフィアはコクンと頷き、オレのほうに向いていた体をお袋のほうへ向けた。
「ソフィア・ブルースカイです。お世話になってます」
 ソフィアがお袋にお辞儀をした。翼を隠したリュックが揺れたが、白いものは見えなかった、と思う。でも、お袋はソフィアの翼に気付いていないようだ。
「あら、日本語が、とってもうまいのね」
 お袋が微笑んだ。今のところ、想像通りの展開になっている。
「私、祖国で日本語を学んでたんです!」
「へえ、それはそれは、日本がとても好きなんですね」
 お袋は何度も頷きながら、思い出したようにエコバックの開けた。中から野菜やら豆腐やらミソやら桜エビやらなんやらがたくさん出てきた。
「統流」
「ん?」
 お袋がオレに言ってきた。
「彼女がいるんなら、もっと早くに言ってくれれば、もっとたくさん食べ物買ってあげたのに」
「だから、多めに買ってきてくれって言ったんだよ」
 朝、電話で言ったはずだぞ。お袋は、ああ、確かに私、たくさん買ったわねえ、とゆらゆら頷いていた。
 お袋、頷いてばかりだな。
「ソフィアさん、日本がとても好きなのね?」
 ソフィアがそんなこと言った記憶はないが、お袋はなぜか付加疑問でソフィアに尋ねていた。
「はい、とっても好きです! 緑茶、おいしいです!」
 緑茶……。
 オレたちがいつも飲んでいるお茶の葉っぱは、自家製のものだ。結構前に述べたが、オレの親父はこのお茶の葉で家族を養っている。作っているのだ。だから、オレはお茶があまり『好きではない』。ただ、あれば飲む、それだけだ。よって、ソフィアにはその話をしてもらいたくなかった。特に、オレの親には。
「やっぱお茶はおいしいわよね」
 お袋はそれだけを言って、にっこりと笑っていた。オレはその反応が意外だった。もっと、その話に乗ってくるものだと思っていた。
 そして、話題はお茶から昼食に移る。
「そうだ、ソフィアさん、一緒にお昼ご飯を作りませんか?」
「え、いいんですか!」
 ソフィアの顔がパッと明るくなった。
 だが、オレはそれを制した。
「やめとけ、どうせケガするか新物質ができるのがオチだ」
「えー。残念……」
 ソフィアがしょんぼりとしたが、仕方のないことだ。料理はおいしく作らなければならない。
「ソフィアさん、お料理したこと、ありますか?」
 うつむくソフィアにお袋が優しく問いかけていた。ソフィアはお袋のほうを向き、ふるふると首を横に振る。
「いえ、作ったことありませんけど」
「なら、教えてあげる。やったことないのに、下手だ、なんて決めつけちゃダメよ。私が手伝ってあげるから、失敗は恐れないでね」
 お袋の温かな声。今まで忘れていたが、ずっと昔から変わらない。忘れてたのは、たぶんオレが遠い所にいて、ずっとお袋と会っていなかったからだ。
 懐かしい、なんて心の隅で思ってたりする。
 お袋はエコバッグを台所に置くと料理の支度をはじめた。ソフィアは立ち上がり、ちょこちょこと台所に立った。
「じゃあ、一緒に昼食作っていいですか?」
 ソフィアが首をかしげながらお袋に言っていた。
「もちろんよ」
 お袋は手提げのバッグからマイエプロンを取り出し、体に巻きつけながら言った。お袋がエプロン着けるんなら、ソフィアも着けたほうがいいだろう。オレは物置代わりの押入れ一段目(主に服をしまっている。というか、服くらいしかしまうものがない)を開け、上の方に置いてあったエプロンを取り出す。ソフィアを呼び、それを放った。それを受け取ったソフィアは、それがエプロンだということが分かると、笑顔になる。
「バンダナもあったらよかったんだけどな」
 バンダナを巻いたソフィアも見てみたかったが、あいにくここにバンダナはない。
「あらあらまあまあ」
 お袋がクスリと笑った。
「彼女には、とっても優しいのね。統流は。私には、いっつも冷たいのに」
 余計なお世話だ。第一ソフィアはオレの彼女ではない。そう思った瞬間、オレは一つ疑問が湧いて出てきた。じゃあ、なんでオレは彼女でもない、赤の他人であるソフィアに優しくしてやってるのだろうか。なんでタイムマシンが見つかったら二度と会えなくなるであろうソフィアのためを思ってエプロンを渡し、バンダナが無いことを惜しがったのだろうか。
「統流君のお母さん」
 そのソフィアがエプロンを巻きながらお袋に言っていた。
「それは、お母さんと統流君が、家族だからです」
 家族……。そうだ、確かにオレとお袋は家族だ。
「信頼できる家族だからこそ、離れることがないと思えるから、統流君はお母さんに冷たくあたれるんだと思います。私みたいな、まだ統流君と会って間もないような人じゃ、そんな信頼関係ありませんから……」
 お前がこの部屋で寝ていること自体、十分オレたちに信頼関係があると思うが。色々あるが、最後に少しだけ言わせてくれ。ソフィアがオレのお袋を『お母さん』と呼ぶのは違和感がある。お前とお袋は、嫁姑の関係か!
「でも、統流は私たちから離れていきましたけどね」
「あ……」
 お袋、それ言っちゃおしまいだ。
「冗談よ、冗談」
 そう言ってお袋は笑った。だが、オレはそう思えなかった。冗談? それこそ冗談だろ? オレは、家族から離れたのだ。その事実が冗談で済まされたら、オレが今までやってきた意味は全て失せてしまうだろう。
 オレはコタツの中に潜り、子どもっぽくソッポを向いた。
 あとは、適当にソフィアとお袋の話を流しながら飯ができるのを待った。
「ソフィアさんは、統流君と付き合って、どのくらいになるの?」
「冬休みの直前なので、そろそろ十日になります」
 ソフィアの明るい声。そして、包丁の音がリズミカルにまな板を鳴らす。
「付き合ったばかりなのね。……どこで出会ったの?」
「学校です。統流君の通ってる高校」
「そういえば、ソフィアさんの故郷がどこだか、きいてなかったわね」
「ブルガリアに住んでました!」
 火をつける音が聞こえた。
「ブルガリア……? 確か、首都はソフィアだったわね」
「えっ……。あ、はい。そうです」
「あなたと同じ名前ね」
「私の名前の由来は、確か『知恵』という意味なんですけどね」
「ブルガリアの首都『ソフィア』も、同じ由来なのよ」
「え、そうなんですか? 初めて知りました!」
「今度、ソフィアさんの両親に教えてみると、驚くわよ」
「はい!」
 冷蔵庫に入っていた奴だろう。豚肉が音を立てて焼かれている。かなりの火力だった。
「ところで、日本での生活は、楽しい?」
「はい!」
「よかったわね。それで……気になってたんだけど」
「なんですか?」
「リュックは下ろさなくていいの?」
「下ろさなくていいのです」
「だって、エプロン着けにくそうだったわよ」
「それでも下ろしません。これは、大切なものなんです」
「あら、とっても大切なのね」
「はい。ずっと、離さず持っていたいです」
 と、オレはようやく事に気付き、ガバリと顔を上げた。ソフィアが楽しそうにお袋と話している。
 まさか……。
 まさか、こいつはオレがボーっとしている間に二つの危機を回避したのか? 一つは、ソフィアの故郷がブルガリアだという仮設定。そして、翼のこと。
 あの天然なソフィアが回避するとは、驚いた。
 まあ、一番心配だった点を見事に通過してくれたので、オレは昼食ができるまで小休憩ができるようだ。一応オレはこの部屋の主で、お袋は客なので、なんとも無礼な行動のような気がするが、たまにはいいだろう。
 ソフィアも、見た目によらずしっかりしているようだしな。オレがフォローしなくたってよかったじゃないか。
 でも、フォローせずにボケっとしていたオレに対しては、やっぱりムカついていた。先ほど述べた小休憩、という言葉を違うものに言いかえると、自暴自棄だ。
「いたっ!」
 ソフィアの悲鳴が聞こえる。
「大丈夫?」
「指、切っちゃったみたいです」
 ソフィアは、やっぱり天然だった!
「あらら……。統流、絆創膏を」
「言われなくてもわかってるよ。やれやれ」
 オレはため息をつきながら、重い腰をあげて棚の中から救急箱を取り出す。
 絆創膏を一つ取り出し、お袋に渡す。
「いたっ!」
 またソフィアの悲鳴。
「今度はどうしたの?」
「熱い鍋に触れてしまいました!」
 痛い目にあった直後なんだから、少しは気をつけろ。
「ソフィア、冷やしとけ」
 絆創膏の次は軟膏だ。次は包帯か? 湿布か?
 と、結局オレは休むことなく、救急用具を出す役となった。実際オレはなかなかの活躍ぶりとなった。本来の目的とは違う意味で、オレはソフィアのフォローができたようだった。


 少しドタバタとしたが、それでも昼食はできあがった。コタツにお皿やお椀なんかが並べられていく。オレも箸を並べた(箸がオレとソフィアの二膳しかなかったので、お袋は割箸になった)。
 昼食の内容は、ご飯、豆腐とネギと桜エビの味噌汁、肉炒めに、ミカンだった。桜エビとミカンは静岡名物だよな。
 オレたちはコタツに入る。ソフィアのほうを見ると、指が見えないほど絆創膏でいっぱいだった。痛々しい。
「私、お味噌汁作ったんだよ!」
 痛いだろうに、ソフィアは笑顔をオレに見せていた。それとも、もう痛くないのだろうか。でも、ソフィアが必死に取り繕っているような笑顔ではないことだけはわかった。
「ケガするだろうなって思ってたけど、まさかこんなに切るとはな……」
 オレは呆れたが、ソフィアの頑張りは認めざるを得ない。
「ソフィアさんは、とっても頑張ってたわ。このお味噌汁、とっても美味しいわよ。……そうそう、ソフィアさん」
 お袋が何かを思いついたようだった。
「味噌汁に入ってる、このエビ。これは、世界でも静岡の駿河湾と、一部の地域でしか獲れない、とっても貴重なエビなの。発見されたのも、静岡なのよ」
 お袋のうんちくが始まった。お袋は為になるようでそうでない、いわゆる無駄知識をたくさん持っている。
「大きさや値段的には、春の桜エビのほうがあって、こっちの方が有名だけど、でも本当は、今頃の桜エビのほうが、殻もやわらかくて美味しいのよ。茹でると最高だって、漁師さんも言ってたわ」
 オレはそのことを知っていたから、お袋のうんちくに聞く耳を持たなかったが、ソフィアはとても感心していた。たぶん、地元の人や桜エビに詳しい人以外は知らない情報だろう。
 オレは味噌汁の入ったお椀を手に取り、すすった。
 正直に言おう。うまい。
 ただ、この味はお袋の味ではなかった。味噌は合わせ味噌だし、ダシもカツオとコンブの合わせダシだ。でも、お袋の味噌汁より甘みがあってダシの味が濃い。つまりこれを作ったのは、本人が言っていた通り、ソフィアが作ったことになる。ヤケドして、指を切って、それでも笑顔を絶やさずに作ったソフィアの味噌汁。うまいのは、きっと具材だけの力ではないだろう。料理はおいしく作られていた。
「うむ、隠し味が効いてるな」
 オレは遠回しに思ったことを言った。
 すると、ソフィアが嬉しそうにぴょこんと跳ねた。
「あ、はちみつ入ってたの気付いた?」
 一瞬で吹き、そしてムセる。
「んなもん入れんな!」
 息を荒げながら怒鳴るオレ。誰だって味噌汁にはちみつが入ってたら怒鳴るに決まってる。それでもうまかったのが驚きだ。
 オレはソフィアに『どうせケガするか新物質ができるのがオチだ』と言ってお袋の手伝いをするのを止めたが、まさか両方のオチをやらかすとは思ってもみなかった。
「まあ、いいじゃないの」
 お袋はソフィアの味方だった。
「彼女が作ってくれた、初めての料理なんだから、味わって食べなさい」
 確かにこの味噌汁(?)はソフィアが初めて作った料理だ。少しはお袋の手も加わっているだろうが、それでもだ。ソフィアはオレの彼女ではないが、作ってくれたのなら、オレは食う。
 お袋は続ける。
「どうせ、一人じゃロクな物、食べてないんでしょ? たまにはバランスのいい食事もしなさい」
「え! 統流君はいつもいろんな料理を作ってくれますよ?」
 ソフィアは、意外だ、という顔でオレを見ていた。
 どっちかがウソを付いている、という答えは間違っている。二人とも合っている。
「オレは、一人のときだと料理はしないんだ。だって、くたびれるだけだろ?」
 料理をするのはあまり好きではないオレだが、スキルはそれなりにあると思う。創作だってできるから、まずいようなものは作らない自信がある。
 誰かのために料理をする。それが大瀬崎だっていい。笑いながらマズいと言われても、心の中ではうまいと思ってくれるだけでオレは嬉しい。嬉しいから料理をする。オレはずっとそうしてきたと思う。
 だから、誰もいないときはいつもカップラーメン、ファーストフード、コンビニ弁当のサイクルだ。そりゃ、たまには気分転換に料理をすることもあるが、当然誰も喜んじゃくれないから、すぐ飽きる。
 オレの性格、めんどくさがりだが冷酷ではない、というのが浮いて出てきてるだろ?
「ソフィアさんは、いつも統流と、ご飯を食べてるんですか?」
 お袋が使い慣れてない箸を懸命に使うソフィアに質問してきた。オレは冷や汗が滲んできた。オレとソフィアが共に暮らしているとバレそうな気がしたからだ。
「ああ。まあな。一応オレたち付き合ってるんだし」
 ソフィアの代わりにオレが言った。前半は本当のことで、後半はウソを言った。お袋がオレをじっと見る。ウソはあまりつきたくない。すぐバレてしまいそうで怖いからだ。だが、やはりオレのお袋はほんわかとしていた。
「そうなの。幸せね」
 それで終わった。きっと、お袋が奏だったらビシバシとオレを質問攻めし、ソフィアと共に暮らしていることがバレてしまうだろう。そこから輪を広げ、しまいにはソフィアが翼の生えた人間、バーダーであることも暴露してしまうのだ。
 なにがソフィアをフォローするだ。今のはお袋に救われただけじゃないか。
 ああ、オレって本番に弱いタイプだな。
「そうだ、統流にお土産があるの」
 思い出したようにお袋は手提げのバッグを開ける。少々あさると、ビニールに包まれた深緑色のものを取り出した。
「お父さんから、自家製のお茶っ葉を、統流に渡してくれって」
 その一言でオレは氷のように固まり、動かなくなった。寒気を通り過ぎ、頭がくらついた。
 親父が、オレに、お茶を、渡してきた、だと?
 想像してほしい。熱せられた鉄板に氷を放ったらどうなるか。
 恐らく、一瞬にして水蒸気になるだろう。
 それと同じだ。
 一瞬にして凍りついたオレは沸点を超えた。
「親父は、まだオレの気持ちが分からねえのか!」
 コタツを思い切り叩き、立ち上がる。卓上の皿が一瞬揺れた。お袋とソフィアを見下し、睨む。お袋は驚いた顔をし、ソフィアは恐怖で怯えた顔をしていた。
「いいえ。お父さんは、統流が出ていってしまってからずっと、統流のことを考えているわ」
 お袋が言う。
「あのときは、言いすぎたって。お父さん、性格があれだから面と向かってごめんとは言えないから、せめてお茶を送って、統流の助けになればって思ってるの」
「そんなの、表の顔だろ! 裏は、オレを連れ戻して、引き継がせたいだけなんだろ? なあ!」
 オレは怒りにまかせて怒鳴っていた。迷惑だとか、そんなことは一切頭になかった。
「統流君! やめてよ! どうしたの? 急に!」
 ソフィアがオレのズボンを掴んでいた。その眼には、うっすらと涙が溜まっていた。白い腕が震えている。今のオレは、それほど恐いのだろう。ソフィアの髪は、青くてきれいで、出会ったあの日からずっと変わらない輝きを持っていた。髪をきれいに洗ったとしたら、もっともっと艶やかになって、いいにおいがするのだろう。
 ソフィアを見ていたら、怒りが嘘のように静まった。
「ああ……ごめん。ソフィアは知らないんだよな。なんでオレがこの町に来たのか」
 オレはしがみつくソフィアの頭に手を当て、撫でてやった。無意識のうちに、なぜかソフィアを安心させてやりたいと思っていた。
 そして、オレはソフィアに語る。


 オレがこの町に来るきっかけは、中三の今頃までさかのぼる。冬休みの真ん中だった。そのときオレは、地元の高校に通う予定だった。静岡の田舎だから、周辺に高校はそこしかなく、オレの同級生のほとんどはその高校を志望していた。
 そして、オレは夢がある。
 まだ誰にも言ってないことだが、将来なりたい職業はそれ一本に絞っている。もちろん親父だって、オレが将来の夢が決まっていることを知っている。
 ――なのに、なのにだ。
 親父はオレにお茶畑を継ぐように言った。
 それが許せなかった。親父が、このお茶畑は長男であるオレが継ぐ決まりだ、という理由を添えたのがさらに許せなかった。
 このお茶畑は結構昔から代々伝わってきたようなのだが、継いだ人はみんな兄なのだという。そんな古めかしい理由のためにオレは目指す夢を挫折しなければならないのか。
 兄だったから、オレは将来なりたい職業を選べないのか。
 そんなの違う。間違ってる。お茶畑なんて、弟にでも……いや、やりたい他人を呼んで継がせればいいじゃないか。
 だから、オレは反抗し、家出することを決めた。
 ただの家出じゃ、頑固親父はわかってくれないだろうから、オレは独り暮らしをすることにしたのだ。親父から遠い場所……そう、伊豆から、静岡から離れた場所の高校へ行くことを決めた。
 奏が今オレたちの通っている高校へ行こうとしていることを聞いたから、オレもそこに行くことを決めた。誰か知り合いがいたほうが、家出を成し遂げることができると思ったからだ。
 奏はため息をついていたが、わかってくれた。
 無事志望校に合格したオレだが、何も分からない町にオレは戸惑った。当時のオレはまだまだ未熟で、親父から離れることだけしか考えていなかった。まあ、奏のおじさんが大家さんと知り合いだったから、何とかオレはバイトをしつつこの町で暮らすことができるようになった。ちなみに今、バイトは休みを頂いている。
 それから、夏になった頃、オレのところに宅急便が届いた。
 中身はお茶の葉だった。
 お袋からの電話で、お茶の葉は親父から統流へのお詫びだと聞いたが、オレは許さなかった。
 理由は今日と同じだ。お茶畑を継げ、という宣戦布告じゃないか。
 だからオレは何日もお茶を放置した。結局そのお茶は飲まずに全部捨てた。それでも親父は、月に一度、洗面器大のお茶を送り続けてきた。
 お茶を飲み始めたのは、お袋から仕送りがきはじめた秋になってからだ。そのころ、バイトだけでは生活が厳しく、食えるものは食おう、飲めるものは飲もう、と思い始めてきたからだ。
 でも、オレはまだ親父を許したわけじゃない。
 親父と会うのは、高校を卒業してから考えることにしている。


 オレの長い話を聞いて、とっくにソフィアの作った味噌汁や、お袋の料理が冷めてしまった。
 でも、ソフィアもお袋も、はそれらに箸をつけず、オレの話を聞いてくれていた。
「そうだったの……。ごめんね、統流。私、そんなこと、全然知らなかった」
 お袋が謝った。オレは、お袋が頭を下げるところを見たくなかった。オレは親父が頭を下げるところを見たいのだ。だから、オレはお袋から目を逸らし、何も言わなかった。
「統流君」
 ソフィアの小さい声が聞こえる。
「知らなかったよ。統流君にそんなことがあったなんだ……」
 そうだ。オレにはそんなことがあった。ソフィアがお袋に、オレのいつも淹れているお茶、オレの親父が作ってるお茶がおいしいと言った。オレや奏たちに言うのはいい。でもお袋に言うのが嫌だった。それは、お袋がオレを実家に帰らせる口実として使えるからだ。
 ソフィアがこの件を知らないのは当然だ。これを知ってるのは、オレの家族と奏とそのおじさんだけだからだ。
「でも……」
 ソフィアが、何かを迷っているようだった。
 そして、決心がついたのだろうか、透き通った瞳をオレに向けて、続けた。
「一度でいいから、統流君、家に帰ってはどうですか?」
 家に……帰るだと?
「統流君は、たぶん誤解してると思います。統流君のお父さんは、もう統流君にお茶畑を継げ、なんて言わないと思います。統流君のお父さんは、ただ純粋に統流君に会いたがってると思います!」
 会いたがっている。果たしてそうなのだろうか。
「それなら、親父は今日、お袋と一緒にオレのところに来るはずだ。会いたがってるのに来ないのは、どうしてだよ」
 ソフィアに、オレの何が分かるというんだ。こいつは記憶喪失だ。両親のことだって知らないが、どうせこいつは幸せに暮らしてきたんだ。ソフィアの父さん母さんはどちらも優しくて温かいんだろう。そんな二人の間で過ごしてきたソフィアに、オレの家族のことなんてわかるわけないじゃないか。
 ソフィアは、オレの短い反論で黙りこんだ。
「統流。お父さんは統流の気持ち、わかってないって、今知ったわ。でもね、たぶん、統流だって、お父さんの気持ち、分かってないと思うわ」
 お袋が言った。
 その通りだ。親父の気持ちなんて、わかろうとも思わない。
「お父さんは、今日ここに来たがってたのよ」
「あ?」
 思わず声を漏らしてしまった。
「今日の日に、統流の家へ行こうと誘ったのは、お父さんなの。でも、三日前に近所の仲間と来年の茶畑会議が入っちゃって、行けなくなっちゃったのよ。お父さん、残念そうにしてたわ」
 オレは黙る。黙らずにはいられなかった。
 親父が、オレに会いたがっていた。茶畑会議は、家族の命をつなげるには必ず出席しなきゃいけない大事な会議なのは、小さいころから知っている。
 もしソフィアの言うとおり、親父はただオレに会いたいためだけにここへ来たいと言ったのなら、誤解をしていたのは、オレなのか?
 信じたくなかったが、心の奥底では気が付いていたのかもしれない。宅急便でお茶を送ってきたあの日から。
「統流君のお父さん、統流君のお母さん、統流君の弟さん」
 ソフィアの声が震えていた。先程オレが冷たく言ったせいで、ソフィアは泣きそうだった。
「……みんな、家族なんだよ。例え統流君にとって家族が嫌な存在でも、統流君の家族は一つしかないんだよ」
 友達はたくさんいる。大瀬崎や奏、中学時代の友達を入れるともっとたくさんいる。
 でも、家族はたった一つしかないものなんだ。
「そうだなあ……」
 だから、オレは一言、お袋に言っておく。
「気が向いたら、連絡するよ」
 お袋はゆっくりと微笑んだ。


 昼飯を食べ終えると、オレはみんなの食器を集め、流しに置いた。
 ソフィアが手伝うと言ってきたが、その手じゃ水や洗剤で痛むだろう、とオレは止めた。気持ちはありがたいけどな、と一言付け足す。
 代わりにお袋が手伝ってくれた。
 隣に立つ、オレのお袋。世界で一人しかいない存在は、背が小さくて、弱々しかったが、それでも輝いていた。
 本当に、懐かしい。
「統流」
 お袋がオレに呟いてきた。
「統流って名前の由来、知ってる?」
「んなもん知らねえよ」
 統流……。この名前に、何の意味があるんだろうか。
 語呂で決めたのよ、なんて言われたらショックだが、どうせそんなもんなんだろう。
「統流君って名前、カッコいいですよね」
 コタツでみかんを食べ、お茶をすするソフィアが会話に介入してきた。
 そう言えば、ソフィアという名前の由来は『知恵』だとかなんとか言っていたと思う。オレにも、そんな由来があればいいのだが。
「統流の誕生日って、六月三日よね」
「ああ、そうだ」
「その頃に見えなくなる星座って、何か知ってる?」
 んなもん知ったこっちゃない。
「それは、エリダヌス座よ。伝説上の、長い長い川。ちょうど今の時期が見ごろなの。そのエリダヌスは六月ごろ、西の空に沈んで見えなくなるの。そのころに、あなたが生まれたのよ」
 お袋の雑学は凄いもんだ。エリダヌス座なんて聞いたことがない。理科でも習わない星座だろう。
「で、その何とかとオレの名前、どんな共通点があるんだよ」
 オレは泡立ったスポンジで皿を洗いながら言った。
「それはね」
 お袋は洗っていた食器を流しに置く。
「その川が見えなくなる頃、あなたが生まれた……。つまりね、あなたは長大な川を治めたのよ」
 そう言われればそう思うし、でもやっぱり首が傾げる話だ。
「統流は、長くて大きなエリダヌス河の流れを、統べることができるのよ。統べるは、大統領の『統』に『べる』って書くの。一つにするってこと」
 流れを統べる。だから、統流ってか。
 少し驚いた。オレの名前はそんなにも壮大な名前だったなんて。オレ自身、そんな壮大な奴じゃないのが惜しい。
「いいでしょ、統流って名前」
「ああ」
 オレは正直に答えた。少し、自分の名前が好きになった。
 お袋が洗ってない食器を手にする。
「まあ、本当はね、あなたが大空を『飛べる』ようにって意味なんだけどね。『飛べる』から『統流』にしたのよ」
「エリダヌス関係ねえじゃないか!」
 しかも、名前の由来が恥ずかしすぎる。飛べるってなんだよ。アイキャンフラーイ、じゃねえよ!
 そんな感じで、お袋と過ごす時間は刻々と過ぎていった。


 冬は日が短く、しかも今日は雨なので、お袋は二時半ごろにはもう帰る支度をしていた。
 やはり、お袋のゆっくりペースに合わせることは難しかったが、それでもお袋がお袋だってことがよくわかった。
 親父のことはまだ許せない。
 でも、ソフィアのタイムマシンが見つかって、ソフィアが未来に帰ったとしたら、オレは日帰りで実家に帰ってやってもいいと思えるようになった。
 結局、お袋にソフィアの本性がばれることはなく、お袋が帰る時間になった。
 帰り際、玄関でお袋はソフィアに言った。
「何か困ったことがあったら、私に言ってちょうだいね」
 ソフィアは、ぴょこんと頷いた。
「はい! お世話になります! 今日は楽しかったです!」
 オレはもう疲れていたが、ソフィアはまだまだ元気だった。一体どこにそんな元気が溜まっているのだろうか……?
 お袋がソフィアに微笑んでから、母親の目でオレを見る。
「統流、ソフィアを大切にね」
「わかってるって。今までずっとソフィアのこと大切にしてるし、これからも大切にするよ」
 呆れた口調で言う。お袋は安心したようだった。
「それじゃあ、二人とも、元気でね」
 お袋はオレとソフィアに見送られて帰っていった。


 必然的にオレは、今年最後の夜をソフィアと過ごすことになる。
 今年は高校に入って、何も知らない地で右往左往し、忙しくて、バイトも大変で、貧乏な一年だった。
 でも、この一年は最後の数日間が全てだったような気がする。
 ソフィアと出会って、こいつがカラスに襲われているところを助け、この部屋を貸してやって、大瀬崎、奏にソフィアの存在がバレて、タイムマシン捜しを協力してくれて、山に登って、笑いあって、久々のお袋とソフィアと一緒に話して、涙を見せ、考えさせられた。
 なぜだろうか。今年一年の思い出はソフィアとの思い出だった。
 そして、今日。オレはソフィアをウソで塗り固め、お袋を騙し、何とか騒動にならないようにした。
 これでよかったのか?
「ソフィア」
 オレはコタツの上の湯呑を手に取る。
「ん、なに?」
 ソフィアはというと、お袋がくれたミカンを頬張っていた。
「……ごめんな」
 そう呟く。
「なんで謝るの?」
 ソフィアがミカンを食うのをやめ、不思議そうにオレのほうを見た。
「いや、ほらさ、今日はお袋を騙すために、お前の翼を隠しただろ? それはまだいいとして、お前は行きもしない商店街に行ったことがあることにして、通いもしない高校に通ってることにして、わかりもしないブルガリアの地形を適当に作り上げちまったんだよ、オレは。でも、お前はこのアパートと代樹山しか行ったことがないし、ブルガリアに生まれたわけでもない。オレは、お前を偽装してしまったんだ。ウソのソフィアを作ってしまったんだ。それが、悔しくて、申し訳なくて……」
「統流君、申し訳ないなんて言わないでよ」
 ソフィアがオレの両肩に手を置いた。顔が近かった。
「統流君は、私を守るためにそういうことを考えてくれたんでしょ? それなら、私は嫌だなんて思わないよ。統流君、私を守ってくれたんだもん。とっても嬉しいよ。そんな統流君に、ありがとうって言いたい」
 そう言って、笑ってくれた。そう言ってくれるだけで、そうやって笑ってくれるだけで本当に嬉しかった。
 オレこそ、ソフィアに言いたかった。
 ありがとう、と。


「穂枝……、お前正気か?」
 夜の九時半。大瀬崎がオレの部屋までやってきた。オレたちと一緒にタイムマシンを捜すためだ。
 そして、部屋に入ってきた瞬間大瀬崎はそんなことを抜かしやがったのだ。やれやれ、オレはいつも正気だ。
「正気じゃなかったら今すぐにお前を食ってるぞ」
「そんなら、なんでお前の隣に神子元がいるんだよ!」
 恐怖で青ざめた大瀬崎は、真っ直ぐ奏を指していた。
「神子元には秘密だって言ったのは穂枝のほうだったろ? なのに、なんでソフィアちゃんのいるお前の部屋にこいつがいるんだ! このオレが口を滑らさずに頑張ってきたのは無駄骨だったのか?」
「大瀬崎、オレの話を聞いてくれ」
「ひどいぞ穂枝!」
 オレの話を聞けよ。どうやら大瀬崎はマイワールドに突入してしまったらしい。ってか、九時半にそんな怒鳴り声を出したら近所迷惑だっつの。
「駿河、私がここにいるのは、統流がバラしたんじゃないの。私が協力したいって言ったからよ。つまり、ボランティア」
 奏がオレのフォローをしてくれた。ボランティアであろうと、バラしたであろうと、オレが奏にソフィアのことを大瀬崎に無断で話したのは変わらないんだが。
「……あ、なんだ、そうだったのかよ。もっと早く言ってくれよ相棒」
 こいつはなぜか納得してしまった。大瀬崎だって奏の洞察力が鋭いことはよく知っている。だから、近いうちにソフィアのことがバレてしまうとわかってたのかもしれない。もしくは、ただバカだから意味もわからず納得したのかのどちらかだ。ちなみに大瀬崎が相棒になった覚えはない。
「つまりは、奏のおせっかいだったのか。なんだ、つまらん」
 先ほどのような怒鳴り声とは裏腹に、大瀬崎の口調はため息まじりのテンションダウンだった。
「……殴るわよ?」
 奏は笑顔で右拳を震わせていた。おびただしいオーラが漂っている。
「ご、ごめんなさいっ!」
 大瀬崎は玄関の前でしゃがみこみ、仔犬のように震えだした。
 やれやれ、と奏は肩をすくめる。
「で、昨日のタイムマシン捜しは具体的にどんなことをしたの?」
 大瀬崎いじりはここら辺にして、奏が言った。
 すると、ソフィアが元気よく手を挙げた。なぜ手を挙げるんだ? というツッコミはあえてしないでおいた。
「昨日は、このアパートの裏山の、えっと……」
「代樹山な」
 ソフィアが裏山の名前を思い出そうとしていたので、オレが助言した。
「あ、はい。代樹山に行きました。でも、タイムマシンを捜すというよりかは、代樹山をお散歩した感じでした」
「お、お散歩?」
 奏が目をパチクリさせた。
 ちょっと待て。お散歩ってなんだよ。一応オレたちは昨日、代樹山の地形を覚えようとしたはずだ。でも、よく考えると、タイムマシンを捜してなかったから、お散歩ともとれるような気もする。
「仕方ないだろ、今のところ代樹山にタイムマシンがある確率が高いんだから、代樹山の地形を覚えるために山を色々と歩いたんだよ」
 ソフィアが目覚めたところも代樹山(正確にはわからないが、タイムスリップしてから目が覚めたら雑木林の中にいて、林を降りたらこのアパートがあったとソフィアは証言している。だが、目覚めた場所にタイムマシンがあったかは覚えていないようだ)っぽいし、タイムマシンもソフィアの第六感では『誰も来ないような、ひっそりとしたところにある』と言っていた。そんな場所、日本にもたくさんあるし、世界中を探せばそれこそ宇宙空間から生命の住む星を捜すほどタイムマシンを見つけ出すのは困難だ。
 だが、ソフィアがタイムスリップした場所にタイムマシンはあるはずだ、という仮定を立てれば代樹山にタイムマシンがある確率は非常に高くなる。
 難しい話だ。オレだってよくわからない。
 とにかく、代樹山にタイムマシンがあるとしたらまず代樹山を知らないといけない。だから昨日は代樹山を歩いたんだ。
「ほんと、時間の無駄遣いね」
 呆れきった奏の一言で、オレの考えが全て崩れてしまったようだった。
「代樹山は広いのよ。地形覚えるだけで何ヶ月も何年もかかるわよ。それに、代樹山には傾斜の厳しい坂だってたくさんあるの。地形覚えてるときに怪我したり遭難したりしたら、それこそ何の意味もないからね。まとまって少しずつ山を登って行くしかないわ」
 マシンガンのように奏は理由を述べた。わかった、わかったよ。オレが悪かった。
 さらに奏は、行きはいつも四人で行動するように、と言った。奏曰く別々に行動するのは危険だからだそうだ。帰りは別にいいけど極力行動は一緒にね、と最後に付け足す。
 その他にも、携帯は電波がつながらないから頼らない方がいいとか、なるべく一直線に山頂を目指すように歩き、横の移動は極力控えろ、などなど。遭難の素になるらしい。
 ソフィアは終始関心の相槌を打ってばかりいた。オレは、奏の幼馴染みのクセになぜこいつが山について詳しいのかわからなかった。
「ま、そんなことで行きましょう。……駿河!」
 奏は未だに玄関で震えている大瀬崎を蹴った。
 日本語に訳せない悲鳴をあげ、大瀬崎は飛びあがった。
「行くわよ」
 それだけ言って奏は部屋を出ていった。
「ちょ、冷たくないっすか?」
 大瀬崎がうなだれた。でも、奏の対処は適切だと思うぞ。オレ的に。
「大瀬崎さん、ちょっと震えてた姿がかわいかったですよ」
 ソフィアがにこやかに微笑みながら言った。
 フォローというか、率直な感想を言っているようだった。裏表のないソフィアらしい。
「うう、ソフィアちゃんだけだよ、そんなこと言ってくれるの!」
 大瀬崎は泣きっ面でソフィアにダイブしようととした。
 すると、ソフィアは俊敏に体をひねって大瀬崎を回避した。大瀬崎はそのままコタツに脛をぶつけ、転んだ。
「ご、ごめんなさい! でも、いきなり飛びつくのは嫌です。やめてください!」
 謝ってるのか嫌がってるのかわからないが、どちらもソフィアの本音だろう。
 そろそろ外に出ないと奏を待たせてしまう。倒れたまま動かない大瀬崎を外に放り、ソフィアがジャンパーを着て靴を履いたのを確認して、オレはドアを閉めてカギを閉めた。


 昨日と同じようにアパートの側にある薄暗い代樹山入口でオレたちは立ち止まった。オレの感想を述べると、毎日来るような場所ではない。こんなに暗くて寒いと、絶対に何か得体の知れないものがいるはずだ。
「アンタたち、懐中電灯持ってきた?」
 奏が言った。
 懐中電灯? そんなもの考えもしなかった。第一オレは懐中電灯なんて持ってない。あったらあったで邪魔なだけだ。
 だが、この暗さ。まるで、オレたちが墨の海底深くにいるような感じだ。懐中電灯がないとタイムマシンを捜すどころか、ここがどこなのかもわからなくなってしまうだろう。
「奏、携帯でいいか?」
 オレは携帯を開き、カメラのライトを点けた。
 すると、即座に奏の檄が飛ぶ。
「ダメよ! そんなんじゃ。もっとちゃんとしたやつじゃないと、タイムマシンを見過ごしちゃうじゃない」
 奏はオレのやる気のなさ(あるんだが、なさそうに見える態度)にご立腹のようだ。その裏では、ソフィアを大切にする気持ちがあるのがすぐにわかった。オレに負けないくらいのな。
「どうせ持ってきてないだろうと思ったから、懐中電灯四人分持って来てやったわよ」
 奏が手持ちのハンドバックから懐中電灯を取り出した。よくもまあその大きさのバックに懐中電灯を入れられたもんだな、と感心しながらそれを受け取った。
 同じく大瀬崎とソフィアもそれを貰った。大瀬崎は即座に点灯させ、振り回した。たぶんライトセーバーのマネなのだろう。オレも昔やったなあ、としみじみした。
 一方のソフィアは、懐中電灯をまじまじと見つめていた。
「カイチュウデントウ……初めて見ます」
 ソフィアの世界には懐中電灯という物体は存在しないらしい。それは、そんなもん必要じゃないくらい文明が進歩しているのか、懐中電灯すら作れないほど文明が廃れてしまったのかのどっちかだろう。さておき、オレはソフィアに懐中電灯の使い方を簡潔に教えてやった。
「あ、明るいです!」
 当たり前だ。
「さ、じゃあ行きましょう」
 奏が出発の合図をした。
 オレはジャンパーを肌に密着させ、代樹山を見上げた。この山は周囲の山と比べると小さいほうなのだが、間近で見ると赤石岳よりも大きいような気がした(ここで富士山を出さないあたり、オレってマニアックだよな)。オレたちは呆然と山の入り口に突っ立っていた。
「統流、早く行きなさいよ」
 不機嫌な奏の持つ懐中電灯がオレを照らした。眩しい。
 なんでオレが先頭にならなきゃいけないんだよ。
「だって……ほら、私だって一応女の子なのよ! こういうのは男が先頭だって決まってるじゃない!」
 照れを隠すように奏は言った。じゃあ大瀬崎だっていいじゃないか……と思ったが、あいつにそんな大役を任せられないのは言うまでもない。論理的に考えても、世間体からしても、オレが先頭を歩いたほうがいいに決まっていた。
 ただ、誰だっただろうか、リーダー的人物と自分で言ったのは。
 それにだ。
「お前、一応女の子ってなんだよ。……男だと思ってたのかよ」
 そういうと、奏は急に顔を赤らめた。
「バ、バババカッ! そ、そうじゃないわよ! ただ、その……」
 徐々に語勢が弱まってきた。言葉に詰まっている証拠だ。
「どっちにせよ、アンタが先頭歩くのが一番なのよ!」
 言葉に詰まると話題を変えようとするのは、奏の癖である。ほんと、いつまでも変わらない奴だ。
 奏は、ソフィアを指差した。
「それでも嫌って言うんなら、ソフィア、アンタ先頭行きなさい」
「え?」
 小さく悲鳴のようなものを挙げ、ソフィアはオレにしがみついた。
「こ、怖いです……!」
 そして、オレにしがみついていることに気が付くとパッと離れた。少しオレと目線を逸らすところがかわいらしかった。
「駿河は?」
 今度は大瀬崎を指した。
「え? お、俺か?」
 大瀬崎は自分を指差し、そしてオレに飛びついてきやがった。
「こ、怖いですーっ!」
「気持ち悪いわ!」
 オレはためらいなく抱きつく大瀬崎を右拳で吹っ飛ばした。
 とにかく、オレが先頭を行かなきゃならん、ということらしい。わかってたことだから嫌な気はしない。むしろ奏が『統流、早く行きなさいよ』と言ってた時点で腹をくくっている。まあ人生のうち何度もない奏いじりができたことだし、先頭行ってやるが。
 懐中電灯で腐った木の階段を照らす。懐中電灯の丸い光の部分だけ茶色の土と木が見えるが、そこ以外はただ真っ暗なだけだった。これから山を登る以上、オレの光だけが頼りというわけか。
 先が思いやられる。ため息が出た。でも、ソフィアのためにも行かなきゃいけないんだよな……。オレの重い足が代樹山に踏みいった。


「なあ、穂枝」
 山の中腹に行ったのかどうかわからないが、ちょうど坂が緩やかになったあたりで大瀬崎がオレに言ってきた。
「なんだ?」
 オレは前を向きながら言った。ちなみに、現在の並び順は前からオレ、奏、ソフィア、大瀬崎の順番になっている。だが、ほとんど密着しているようなもんなので、最後尾大瀬崎までの距離は三メートル以内となっている。この距離も奏が決めた。これ以上離れたらオレに声をかけて距離を詰めろ、とのことだ。
「ずっと気になってたんだが、寒くないか?」
 当たり前のことを大瀬崎は聞いてきた。知ってるか? 今日はクリスマスの三日後で、さらに三日経つと大晦日なんだぜ。寒いに決まってる。
 ああ、そういえば大瀬崎はジャンパーやコートを着てなかったような記憶がある。ジーパンにトレーナーというオーソドックスな服装をしていたと思う。
「オレはジャンパー着てるから最高に温かいぞ。ここで野宿しても大丈夫だ」
 山道からとっくに外れた道なき道を掻き分けつつ、オレは大声を出した。不気味なほど静かな夜だが、なぜかそうしないと大瀬崎にまで声が届かないような気がしたからだ。
「それ、俺に対する嫌味っすよねえ?」
 恐らく鼻水を垂らしてガタガタ震えているであろう大瀬崎が言った。
 そりゃあ、もちろんさ。
 でも、大瀬崎は暖房がないオレの部屋の押入れで寝られるんだから、ここで年越すのもへっちゃらなんじゃないか?
「統流君、野宿なんて凄いね。私もう凍えそうだよ……」
 ソフィアの声も震えていた。
 だがソフィア、勘違いするんじゃない。オレだって今、耳とつま先が痛いほど冷たくて死ぬほど寒い。
「じゃあさ、楽しいお話でもしようよ、ソフィアちゃん」
「え? どうして?」
「おしゃべりしたり、笑ったりすると、自然と温かくなるんだよ」
「そ、そうなんですか!」
 後尾二人がそんなことを言っていた。大瀬崎の意見には珍しくオレも賛成だ。
「話しててもいいけど、話に夢中になって立ち止まらないようにね」
 オレの後ろにいる奏が言った。オレだってこの暗さで離ればなれになるのだけは勘弁してほしい。まあ、大瀬崎なら例の生命力と妙な運があれば帰還できるかもしれないが。
 二人と一緒に笑いあえたらオレだって温かくなるだろう。というわけで、大瀬崎主催のソフィアへの質問コーナーが始まったわけだ。
「ソフィアちゃんのさ、好きな食い物って何?」
 なぜか大瀬崎は猫撫で声で言った。ソフィアは猫じゃない。
「私の好きな食べ物は……そうですねえ」
 少し考えてからソフィアはこう言った。
「ラぁめん王です!」
 聞くだけで笑顔なのが分かるほど明るい声だった。丁度この山の雰囲気と正反対な感じだ。
 オレは複雑な心境だった。もっとうまいもんを作ってるはずなんだが……。
「なら、毎日ラぁめん王にするか?」
 オレは少し歩くペースを速めた。懐中電灯の光が幹に巻かれたまま枯れている弦を不気味に映していた。
「嫌です!」
 ソフィアがムッとした口調で言った。
「おいしいものは、たまーに食べるからおいしいんです!」
 言ってる意味は正しいが、しかしラぁめん王は気にくわない。確かにあれはインスタントラーメン界の王だが、でもオレの料理よりは劣るはずだと思う。きっと、あのときソフィアはとても腹を空かせていたから、ラぁめん王のように香りが強くて味の濃いものがとても美味しく感じられたのだろう。そういうことにしておく。結論付けると、歩くスピードを元に戻した。
「それじゃあさ、好きな飲み物は何?」
 大瀬崎が質問を続けた。
「飲み物は、お茶です!」
 ためらいなく、きっぱりと答えた。
 というか、むしろそれしか飲んだことがないから仕方がないのだろう。
「……ソフィア」
 オレは立ち止まった。奏がオレの背中にぶつかった。
「痛ったいわね!」
「ああ悪りい悪りい」
 適当に謝ってから、オレはソフィアのほうを向き、そいつの肩に手を置いた。
「ソフィア、いつか金が貯まったら、うまいジュースとか炭酸とか飲ませてやるからな」
 なぜかは知らんが、オレは真剣にソフィアを見つめていた。
 貧乏な家族の大黒柱が我が子にこんなことを言ってもさほど変に思われないようなセリフに思える。
「ソフィアちゃん、俺が奢ってやろうか?」
 財政はオレとさほど変わらない大瀬崎がニコニコと言った。
 ソフィアは少し戸惑っていた。いつものソフィアなら率直に頷くはずなのに。
「大瀬崎君、ごめんなさい。統流君が頑張って稼いでくれるはずだから、それまで私は我慢します」
 勢いよくソフィアは大瀬崎に頭を下げた。健気だ。
 大瀬崎は目をパチクリさせていたが、すぐに笑顔を取り戻した。
「わかったよ、ソフィアちゃん。穂枝が買ったもんがいいんだよな。だから、俺のことは気にすんな。俺はそんなに、そんなに落ち込んでなんか……」
 しばしの沈黙のあと、大瀬崎が急に雄叫びを上げた。
「ソフィアちゃんにフラれたぁっ!」
 そして、おいおいと泣き喚くのだ。大瀬崎、お前落ち込んでないんじゃないのかよ。
 ソフィアは急に大瀬崎が泣きだしたのでソワソワと慌てているようだった。
「ソフィア、気にしなくていいわよ。いつものことだから」
 奏がソフィアに向けて言った。平坦な呟きのような口調は、大瀬崎を全く気にかけていない。
 このまま立ち止まっているのも空しいし、どうせ大瀬崎は数秒したらいつものバカに戻っているだろうから、オレはまた山頂を目指すために歩きだした。


 案の定大瀬崎は再度山を登り始めるとすぐに息を吹き返した。
「ソフィアちゃんソフィアちゃん。ソフィアちゃんの好きなこととか、やってて楽しいと思えることってなんだい?」
 またいつもの大瀬崎だった。『ソフィアちゃん』の言いすぎだ、と言っても大瀬崎が変わることはないし、そんなこと期待してない。
 この質問も、ソフィアはあまり考えることなく答えた。
「みんなと話すことです!」
 ソフィアが小さく跳びはねているようだった。枯葉の潰れる音がする。
「じゃあ、今みたいに話してるのは楽しいのね」
 奏の問いに、ソフィアは思いっきり首を縦に振っていることだろう。オレは前だけを見て、懐中電灯の明かりを頼りに険しい山を登っていた。
 そう、ソフィアはみんなと話すことが好きなのだ。だから、今までのように午前中ずっと部屋にこもりっきりの生活は嫌だろう。オレだってずっとそんな生活じゃあ嫌だ。大家さんが遊びに来ることもあるし今日から冬休みなのでオレは家にいるつもりだが、やはりたくさんの同年代の人たちと話すほうが楽しいはずだ。
 だからこそ、早くタイムマシンを見つけて、未来の世界にいるソフィアの友達と早く会わせてやりたかった。
「それじゃあ、ソフィアの身長を教えてくれ!」
「百五十六センチです」
 ソフィアは、自分の身長を覚えていた。記憶喪失だが、自分のことについて覚えているものもあるようだ。ソフィアの記憶喪失は法則性のない不思議なものだと思う。だって、もし記憶喪失じゃなかったら、ラぁめん王とかお茶じゃなくて、向こうの世界で食ったうまいものを挙げるだろうからな。なのに身長を覚えてるって、意味わからん。
「百五十六センチ……平均的だな。じゃあ体重は?」
「よんじゅ……って秘密です!」
 軽くセクハラらしき行為を、今大瀬崎少年はしている。大瀬崎らしいコミュニケーションだ。
 それにしても、ソフィアの体重は四十キロ台のようだ。別に秘密にしなくたっていいんじゃないか? 少し軽いほうだと思うが。
 でも、ソフィアにとっては……大抵の女子にとっては、重い軽い関係なくそういうことは秘密にしたいのかもしれない。
「うーん……。質問内容を変えるよ」
 大瀬崎が呟いた。なんとなくこの呟きのあとに、大瀬崎がなにを言うのかわかった。
「しょうがない。スリーサイズを教えてくれ」
「ス、スリーサイズですか?」
 ソフィアの語尾が上ずっていた。
 これはさすがに言わないだろう。
「えーっとですね、バストが――」
「か、考えるなよ!」
 オレの語尾まで上ずってしまった。ソフィアの脳内を覗いてみたくなる。なぜ体重は秘密で、スリーサイズは公開なのか。
「あーっ! 穂枝! いいところまで行ってたのになんで止めるんだよ!」
 大瀬崎が喚いた。こいつの頭はどこまで小さいのだろうか。一円玉より小さいんじゃないかと思う。
「お前だってソフィアのスリーサイズ知りたいんだろ?」
 なぜこんな真夜中に、しかもくそ寒い山奥でそんなものが知りたいのだろうか。興味はないとは言わないが、知るのなら温かい室内にしてほしい。
「断じて、お前ほど興味はない!」
 懐中電灯で斜面の果てを差した。もう登るのもうんざりする。半袖だったらすぐに腕をすりむいてしまいそうだ。
 ……ちょっと待て。オレは今、なんか変なことを言ってしまったような気がする。お前……ほど?
「……統流のムッツリスケベ」
 奏の冷めた呟きがどこかから聞こえた。夜の山奥でその声を、しかも背後から出されるとこの上なく怖い。
「神子元!」
 大瀬崎の怒鳴り声が聞こえた。オレは振り返って大瀬崎を見た。
「いいか、ムッツリっつったってな、男はオープンかムッツリかのどっちかしかいないんだよ! 確かにムッツリはキモイが、俺はその存在を断じて否定したりなんかしないぞ!」
「ちょっと待て! ソフィアが本気にするだろ!」
 こいつの脳内は絶対に見たくない。なんだこの異様なテンションは。
 ちなみに、男にはムッツリとオープンの他にも純粋がいるとオレは信じてるぞ。高校に入ってめっきり減ったが。ってか、なんでオレも大瀬崎のペースに合わさなきゃいけないんだよ。
 オレは話題を強制的に変えた。
「タイムマシン、見つからないな」
 オレの本意ではないセリフだ。だが、これから話題が変わってくれればそれでいい。オレはあまりそういう系のネタは好きじゃないんだ。
「駿河がふざけてるからよ。アンタ、おしゃべりしてばっかでちゃんと捜してんの?」
 すっかり呆れている(大瀬崎はもちろん、オレにも呆れている)奏がそう言った。
 すると、大瀬崎は似合わないため息を吐いた。
「フッ……。甘く見ないでくれ。こう見えても俺――」
「ごめんなさい」
 奏が大瀬崎のセリフを遮った。
「アンタのこと甘くしか見られないわ」
 奏の声が笑っていた。
「ヒ、ヒドイっすね!」
 この場合、奏と大瀬崎のどっちが正しいと訊かれたら、百パーセント奏が正しい。大瀬崎は何も言ってないが、確信できる。
 こうしている間にも、オレたちはどんどんと代樹山を登っている。もうそろそろ頂上についてもおかしくはない、そう思ってもう何十分経つのだろうか。懐中電灯の黄色い明かりが前方を照らす。
 ……恐ろしいものがあった。それは、獣でも毒キノコでもない。ただの斜面だ。しかし、木すら生えることができないような急勾配だった。直角の壁と言ってもおかしくない。いままで何度も急な坂を登ってきたが、それでも木々が生えていたから、そいつらを伝って上へ行くことはできた。だが、この壁にはそんな小賢しいことなんてできない。
 懐中電灯で上の方を照らしてみると、三メートルほど上方部分から木の根っこが露出していた。暖かくなって、下草がたくさん生えてくればそこまで登れないことでもないが、今は極寒の冬。道具もなしに窓から校舎の二階へ侵入しろ、と言われて無理なように、オレたちはこの壁を登る術を持ってなかった。
「奏、回り道したほうがいいんじゃないか?」
 オレは後ろを向いて奏を見た。奏もこの巨大な壁を見上げていた。
「そうね……。そろそろ頂上も近いと思うし、回り込んでみましょ」
 成り行きでタイムマシン捜しのリーダーとなっている奏の許可を得、オレたちは断崖絶壁に沿うようにして歩きはじめた。
 しばらく歩くと傾斜が緩やかで木々が生えている場所があったので、そこからオレたちは頂上を目指すために登った。
 他の奴らはあまり気にしていないようだったが、オレのすぐ脇には先ほどの絶壁だった場所の続きがあった。ここから光を当てると、中核に高台のようなものがあり、またすぐに切り立った斜面になっていた。まるで、侵入を許さぬ巨大な砦のようだった。本当にこの壁が城か砦か要塞の石垣のように見えてしまうから困る。
 仮に、仮にだ。もしそこにタイムマシンがあったらどうする? ……簡単な話だ。頂上からその場所へ降りればいい。いや、でも降りたら戻れないくらいの高さだしなあ……。
 そんなことを頭の隅に置いて、足場の悪い斜面をアスレチックのように木の幹をつかみながら登っていった。
 そして、しばらくするとオレたちの視界が一気に開けた。


 代樹山の山頂は平坦になっている。一般的に千畳敷と呼ぶのだろうか? そういう山は珍しいのかどうかわからないが、最低でも伊豆にはそんなものなかった(そりゃオレだって伊豆の全てを知ってるわけない。オレの実家がある付近の話だ)。
 代樹山は広場になっており、展望台やレストハウスがあったりして、地元では少し有名なスポットだ。だが、こんな真夜中に人がいるわけもなく、ひっそりとしていて物騒だった。
 携帯を開いて時間を見ると十二時を過ぎていた。ふと時計の左上にあるアンテナに目が行くと、なんとアンテナが三本も立っていた。レストハウスにでもアンテナが設置されているのだろう。オレは携帯を閉じた。
 今までなら、携帯を閉じると懐中電灯の光を頼るしかなかったが、山頂では懐中電灯の光に頼らずともソフィアたちを見ることができ、遠くの展望台だって見ることができた。電池がもったいないと思ったオレは、懐中電灯のスイッチを切る。
 闇の中にばかりいたオレたちにとっては、小さな光でも眩しいほど明るかった。
 例えそれが、電灯のように人工の光でないものでもだ。
 見上げると空一面に輝く星があった。一つ見つけると、すぐ近くに二つの星があった。いや、四つ、五つ……。違う。もっとたくさんある。どこもかしこも、見上げる空のどこにでも星があった。
 オレの吐く白い息。赤い星、青い星。よく見ると薄い雲のように小さな星が集まったものもあった。学校で星雲とか星団とか習ったが、それなのだろう。
 オレたちの住む山のふもとで見る星とここで見る星は、全く違っていた。輝きが違う。ふもとの星のように、ビルや車の光に遠慮して申し訳なさそうに輝いている星ではなかった。一人一人が「さあ、俺を見てくれ」「僕が一番きれいさ」「私を見て!」と胸を張って輝いているのだ。星が自身を陶酔しているようだが、嫌な気はこれっぽちもしない。むしろ、オレの心が癒される。リラックスした。天の川という川に心が洗われる気分だ、と思いたかったが、あいにく冬なので天の川らしきものが見当たらなかった。ただ、川ではなく星の海が広がっている。
 ちょっと空に近づいただけで、こんなにも明るさが違うんだな……。
 この星を見るために毎日代樹山に登ってもよかった。寒いし泥だらけになるし、知らずに切り傷ができるし疲れるが、これを見るためなら、いい。
「空気が澄んでるわね……」
 奏がぽつりと呟いた。誰もがこの幻想的な風景に見とれているのだ。
 静寂な一時……。
 だが、オレが目を閉じて深呼吸をすると、空気を読まない邪魔が入りこんできやがった。
 ピロロロロ――。ピロロロロ――。
 そんなしょぼくれた携帯音がオレたちを幻想から現実の世界に引きずりだしたのだ。
「誰だ! ケータイをマナーモードにしてない奴は!」
 一瞬前まで目を細めてうっとりしていた大瀬崎が急に目を見開き辺りを見渡した。その声が携帯の音よりも大きいこと、大瀬崎は常時マナーモードにしてないことなど大瀬崎に対するツッコミどころが多いのであえて何も言わなかった。
 これでアラーム音が大瀬崎のものだったら笑えるが、残念ながらそうではなかった。
「あ、ごめんね。私の」
 その音は奏のものだった。奏はもう少しおしゃれな曲を着メロにしていると思ったが、意外と色のないものだったのが驚いた。
 奏はオレたちから離れてから電話に出た。小声で話していたので内容はよくわからなかった。
「神子元のケータイが鳴るなんて珍しいな」
 大瀬崎が耳元で囁いた。
「そうなんですか? 大瀬崎君」
 ソフィアが首を傾げていた。
「そりゃ、もちろん」
 オレは頷く。奏がオレたち以外の奴らと遊んでる姿なんて想像できなかった。
 電話は親からなのだろうか? それともいつの間に作った友達だろうか。奏にオレたち以外の友達がいるのか?
 そんなことを考えてたら、すぐに奏は戻ってきた。
「ごめん、私先に帰るわ」
「なにっ! なんでだよ!」
 白っとしている奏に向かって短気な大瀬崎がつっかかった。そこら辺がなんとなく不良を保っているように見える。まあ、こいつが不良だと思えるのは、金髪なのと最初の勢いだけなんだが。
「しょうがないでしょ! 明日、友達が朝から東京まで行こうって言うから!」
「と、友達……? いたのか?」
 大瀬崎は驚いていたが、それよりオレのほうが驚いた。知らなかった。奏はオレたち以外にも友達がいたんだな。
 昔のように、オレだけが友達だったわけじゃないんだな。
「ま、まあ、いるんなら仕方ないな」
 だが、押しが弱すぎると思うぞ、大瀬崎。
 一応オレから奏に訊きたいことだけ訊くとする。
「奏、明日のタイムマシン捜しはどうなるんだ?」
「私は行けないと思うわ。たぶん明日はずっと東京にいると思うから」
 そんなに東京って遊ぶ場所あるのか?
 ……ああ、あるんだろうな、東京だから。
「奏、頼む。早めに切り上げて――」
「そんなの、無理よ!」
 奏が急に語気を強めた。オレもソフィアも大瀬崎も驚いた。
「……ごめんなさい」
 熱の冷めた奏。
「でも、これは、これは……。私自身の、戦いだから……」
 奏は軽く俯き、今度は自分に言い聞かせるように小さな声だった。今の奏を一言で言えば、奏らしくない。
 どうしたんだよ? そう言おうとしたとき、急に奏がオレを見つめた。
「統流、新ルールよ!」
 新ルールって、いきなりなんだよそれ。ってか立ち直り早すぎる。
「タイムマシン捜しは一番後回し! なんか用事があったら行かないの!」
「は? なんでだよ!」
 怒鳴らずにはいられなかった。
 つまり、明日のこと以外にも、タイムマシンを捜す直前になって急にキャンセルされることもありなのか? それが例え冬休みの宿題で忙しいとか、親にお使い頼まれたとか、観たい深夜番組があるとかでもいいのか?
 納得いかない。もう少しソフィアのことを考えてくれてもいいんじゃないか?
「いい? 私たちは、ソフィアのことを絶対に第三者に教えちゃいけないって前提で協力してるの。駿河はどう思ってんだか知らないけど」
「俺だってそうさ。俺の意志の強さを甘く見るなよ!」
 お前の意志は強いんだか弱いんだかわからない。意志が強かったらもう少し奏と張りあるはずなのに。
「だから、私たちの行動が不自然になったらいけないのよ。アンタは独り暮らしで大家さんはソフィアのことを知ってるからいいけど、私たちはソフィアを知らない人と暮らしてるの。だからね、必然的にタイムマシン捜しは後回しになっちゃうの。バレないように心掛けるのならね」
 奏の意見は的確すぎて、何も言い返せなかった。だから要望だけ出しておく。
「でも、極力手伝ってくれよ……」
 なぜオレがこんなことを言わなきゃいけないんだろうか。やれやれ。
 でも奏は頷いてくれた。
「もちろんよ。駿河もお願いね」
「まっかせとけ!」
 大瀬崎はドンと胸を張った。
「ま、明日は夜から朝までぶっ通しでオケ行く予定なんだけどな」
「おいっ!」
 なら『まっかせとけ!』なんて胸を張って言うな!
 一段落して、奏が背を向けた。
「それじゃ、またね」
「おう、またな!」
「じゃあね! 奏ちゃん!」
「ああ」
 大瀬崎とソフィアとオレは奏を見送った。
 奏は歩きはじめたが、坂を下りようとしていたとき、オレたちの方を振り返った。
「言い忘れてたわ。あのね、タイムマシン捜しみたいに何かの目標に向かって闇雲に探し求めてるのは、ソフィアだけじゃないから。それだけ覚えてもらえると嬉しいわ」
 奏の口調は穏やかだった。顔も綻んでいたような気がする。
 でも、その内容は意味深長で、奏の心深くは小さく震えていたのかもしれない。
「っじゃ、今度こそ帰るわね」
 でも奏はオレたちに笑顔を送っていた。
 残ったオレとソフィアと大瀬崎が奏の背を見届けると、山の冷たい風が吹きこんできた。やはり、冬は冬だ。寒い。寒いから空気が澄んでいて、星がきれいだった。
「なあソフィア」
 オレは大瀬崎に聞こえないよう小声で言った。
 どうしても気になったことがあったのだ。それは星空とは全く関係ないことだけど。
「ちょっと来てくれ」
 オレはそれだけ言って歩きはじめた。焦ったように後ろからソフィアが付いてきた。なぜかその後ろから大瀬崎も来ている。
 オレが足を止めた先には簡単な柵があった。しかし、土に刺さる杭はとうに腐りはて、そんな杭と杭にかかる縄も糸同然になっていた懐中電灯を闇に向ける。足元には懐中電灯の光すら届かないような谷があった。落ちたらひとたまりもない。
「統流君、どうしたの?」
 遅れてやってきたソフィアが訊いてきた。
「……ソフィア。この下に何かあると思わないか?」
 と、オレは谷底を指差した。
「何かって……タイムマシン?」
 オレは頷いた。この下には山を登っていたときにあった断崖があるはずだ。木すら生えないあの急斜面の壁だ。
 そのことを説明すると、ソフィアが小さく笑った。
「もしそうでも、私は下に降りれないから無理だよ」
 ああ、確かにそうか。あの高さから降りたとしたら、軽くても骨折くらいはするだろう。
 怪しすぎるだけだったのかもな。あの壁は。
「穂枝ぁ、遊ぼうぜ!」
 なぜか付いてきた大瀬崎が能天気に言ってきた。
「そうか、頑張って遊んでこい。オレたちは帰るから」
「誘ったのに人ごとっすか!」
 大瀬崎が驚愕していた。今何時だかわかってるのか? こいつは。
「だってここ、こんなに広いんだぜ! しかも人がいない! だから……」
 ここで、大瀬崎は思考を巡らす。
 しばらくして、はっと何かをひらめいたようだった。
「そうだ! いつかさ、ここでみんなで遊ぼうぜ! そっちのほうが断然面白いに決まってるさ。ボールとか縄跳びとか持ってさ」
 縄跳びはどうかと思う。
「タイムマシン捜しはどうすんだよ」
「んなもんサボっちまえ」
 サボるか!
「でもな、たまにはそんなこと忘れて、遊んでもいいんじゃないのか? スッキリ楽しいと思うぜ!」
「そうだよ、統流君! 私のために頑張ってくれるのは嬉しいけど、でもみんなで遊んでも私は嬉しいよ」
 ソフィアも大瀬崎の意見に賛成だった。ソフィアがそう言うんなら、オレがわざわざ反対することもないような気がしてきた。
 ……まあ、そういうことは奏にも相談したほうがいいだろう。あいつが賛成するとは思えないが。
 それからしばらく頂上の芝広場を歩いた。もちろんタイムマシンを捜すためだが、昼は人が多いことなので、たぶんタイムマシンはないと思う(何度も言っている通り、タイムマシンは誰もいないような、ひっそりとしたところにあるとソフィアは感じているからだ)。
 思ったとおりタイムマシンは見つからなかった。
 やることがなくなり、いよいよ深夜の冷え込みが訪れてきたところでオレたちは下山することにした。もう大瀬崎の鼻は鼻水でグシュグシュだった。でも大瀬崎はバカだから風邪は引かないだろう。
 帰り際、オレは星空を見上げた。星の位置が微妙に変わっていたような気がした。
 次、お前らに会うのは何日後なんだろうな……。
 そんなことを思いながら、オレたちは懐中電灯を点けて暗闇に溶け込んでいった。


 オレは、寝てる間に必ず夢を見る。それも、いつも同じ夢だ。
 ……同じ夢? 少し言い方が適切じゃない。その夢は、同じ場面が繰り返されるようなものではない。連続テレビ小説のように短い時間だが少しずつストーリーが進んでいくのだ。
 だが、この夢にオレは登場しない。おかしいよな。でもそうなんだ。この夢の主人公は『もう一人のオレ』だ。もう一度言うが、オレが登場するのではない。『もう一人のオレ』が登場し、活躍するのだ。ただ、『もう一人のオレ』は、昔のオレと顔が似ているから、という理由で勝手に名付けただけであって、彼にも名前があるのだろうし、性格だってオレと違うように思える。きっと、夢に出てくるもう一人のオレは『オレ』ではない。
 オレがまだガキだった頃、もう一人のオレは無の中にしかいなかった。無とは、そいつ以外の奴がいないというわけではない。空間もなければ、時間もない世界だ。光もなければ闇もない。パッとしない、何色とも言いがたい場所にもう一人のオレはいた。生きてるとも死んでるともわからない、曖昧な状態として。
 当時のオレはもう一人のオレに感情を移入しすぎた。朝起きるときは、いつも冷や汗をかきながら泣いていた。『無』ほど恐いものはないと今でも思う。
 それから、オレが大きくなると夢も少しずつ進展していく。
 空間ができ、時間ができたのだ。そして、もう一人のオレは大地に足を着いて歩き始める。何か大切なものを求めて。
 ふと、オレはオレに似た誰かの人生を眺めているのではないか、と思った。だが、オレはもう一人のオレに話しかけることも触れることもできなかったので実際のところわからない。冗談だが、こいつは未来のオレなのかもしれない。最低でも、夢の中では現在のオレは存在しないことだけはわかった。オレについて誰も気を止める奴もいなければ、目の合う奴もいなかった。
 もう一人のオレは、オレの意思に関わらず夢の途中で剣を手にした。
 その時ようやくわかった。
 夢の世界は、現在の日本ではない。
 遠い過去か未来の、とある国か星(宇宙人を信じているわけではないが)なんだ。つまり、この夢がオレの空想だとは胸を張って「違う」と言えるわけだ。夢にしてはリアルすぎる。
 騎士なりしもう一人のオレは、大切なものを探し出すための旅に出ている。だからオレも睡眠中の退屈しのぎにそいつの後ろを付いている。
 そして、旅の途中でオレは目を覚ました。
 夢が終わり、現実が始める。耳にしたのは携帯のアラーム音だった。……電話が鳴っている。
 その電話のアラーム音こそが、今年最後のドタバタの前奏曲だったとは、あとになってからでないとわからなかった。


「えー、緊急会議なわけなんだが……」
 先ほど述べた電話から三時間後、いつもの四人はオレの部屋のコタツを囲っていた。
 しかし、明日は大晦日だというのに、出席率百パーセントは異常だ。
「お前ら、年末なのにヒマなんだな」
 オレは奏と大瀬崎に向けて言った。
「あのさあ」
 奏がため息をついていた。それはそれは、とてもめんどくさそうに。
「私は暇じゃないんだけど。本当ならもう電車に乗って、東海道線に乗り換えてる時間なのよ」
 奏は里帰りをするようだった。奏のセリフから察するに、一時間以上の遅刻だろう。なのに来てくれたのは申し訳ない半分嬉しかった。
「俺だって暇じゃないんだ」
 次に大瀬崎がオレの淹れたお茶を飲みながら言った。
「今日から旅に出る」
「どこへだ」
 オレが訊くと、待ってましたと大瀬崎は親指を突き立てた。
「聞いて驚くな。自転車で富士山登るんだ! もちろん俺だけの、孤独の放浪だ。で、初日の出を拝むんだぜ!」
 色々とツッコミどころが多すぎる。例えば、明日は雨だ。それでもこのバカは行くのだろうけど。
「ああ、そうか。富士の樹海に足を踏み入れるんだな。最期の大舞台なんだから頑張れよ」
「なんか俺が自殺者っぽくなってるんですけど!」
「行ってらっしゃい、駿河。来世で会いましょ」
 にこやかに手をふる奏。
「神子元! お前鬼っ!」
 面白いほど大瀬崎の顔が歪んでいた。
「お……大瀬崎君」
 ソフィアが心配そうに大瀬崎をじっと見つめていた。
「嫌なことがあったり、辛いことがあったら私に話して下さい。力になれる自信はありませんけど、でも話せば楽になると私は思ってます。だから、樹海になんか行かないで下さい! そんなことしたら寂しいです!」
 ソフィア……。
 気付け。
 さすがに大瀬崎も愛想笑いを浮かべていた。
「で、何が緊急なの? 早くしてくれない?」
 とうに呆れ、長くつややかな髪を手櫛でほぐす奏が呟いた。忘れていた。大瀬崎のせいで。
「ああ。えっとだな……」
「統流君!」
 オレが議題を述べようとすると、ソフィアが厳しくそれを制した。
「今は大瀬崎君のほうが先だよ! 一刻を争う事態なのに!」
「ああ、それ冗談だ」
 めんどくさいので、短くそれだけ伝える。
「え、そうだったの!」
 ソフィアの驚きは置いておき、ようやく本題に入ることができた。とてもムダな数分間だったような気がする。
「実はだな……」
 ここで、朝に話は戻る。


 携帯が鳴る。
 働かない頭で携帯がどこにあるかをまさぐった。枕元にあったので、すぐに見つかる。
 携帯を開ける。電話だった。
 それまではいい。だが、電話をかけてきた人を見たとき、オレは目を疑ってしまった。
「お……お袋?」
 画面に映った文字はまさしくオレのお袋の名前だった。
 嫌な予感がしたが、オレは電話に出た。
 ――ああ、つながった。つながった。統流かい?
 懐かしい声だ。あの、ゆっくり間延びした声。前話したのは十月だったと思う。友達でも二ヶ月話さないと懐かしく感じるのだから、家族という関係ならなおさらだ。
 ……というのが一般的な独り暮らしの学生の気持ちだと思う。
「ああ、オレだ」
 友達と話すときとは違い、イライラとした早口になる。
 ――そっちの生活は、慣れたかい?
「それなりにな」
 適当に言った。やる気が起きない。朝から何なんだよ。早くオレを寝かせてくれ。眠いんだ、こっちは。昨日もタイムマシン捜しで三時頃に寝たんだ。用件ならすぐ言って電話を切ってくれ。
 ――今年も、もうすぐで、終わるのねえ。早いこと、早いこと。
 他にも、宿題は終わったのか、元旦は曇りだから初日の出が見れないね、初詣へは行くのかなど、オレにとっては必要でない、本当につまらないことをお袋ほざいていた。
 ただオレは相槌を打つだけだった。半分寝ていて、半分呆れ、怒っていた。
「んで、オレに何の用があるんだよ!」 
 お袋のマイペースぶりにイラついたオレは、電話越しに怒鳴っていた。
 嫌だった。
 オレは早くお袋との会話を終わらせたかった。
 ――ああ、そうだったねえ。
 オレのイライラと焦りとは裏腹に、お袋はぼんやりとした口調だった。
 ――年末年始なんだし、こっちに来たりはしないの?
「行くもんか」
 オレは奏と違う。だからそれだけ言った。ソフィアをこの家に残して遠くへ行ってしまうなんて、そんなの心配で休まる気になれるわけがない。
 なんていうのは口実で、ただめんどいだけだ。
 ――そう言うと思ったわ。忙しいと思うし。だから、私が、統流の所に、行くからね。
 ……意味がわからなかった。
 お袋のセリフより、『私』という代名詞は話し手であるお袋をさす。『わたし』、つまりお袋は『統流の所』と言っている。統流はオレの名前だ。すると、統流の所というのは、オレの所――所は住む場所を示すから、オレの家、このアパートだ。
 私が……つまりお袋が、統流の所……このアパートにやってくる。
 ややこしい。四文字と句点にまとめる。
 母が来る。
「無理だ! 断る!」
 携帯に向かって叫んでいた。
 オレの側で動く気配がした。寝ぐせの付いたソフィアが目を擦っている。崩した正座をしながらオレを見ていた。起こしてしまったようだ。
 ――どうして?
「それは……」
 そう言われると何も言い返せない。理由は簡単だ。先程、オレが実家へ行きたくない理由とほとんど同じだからだ。
 ――どうせ統流は嫌がるでしょうけど、私は行くわよ。でも安心して。明日行くのは私だけだから。お父さんは来ないのよ。
 明日だと? 明日は大晦日。正月になると向こうは忙しいから、大晦日に来るのはなんとなくわかる。親父が来ないのが不幸中の幸いといったところだが、しかし時間がなさすぎる。
 そのあと適当な会話をし、久々の長電話は終わった。
「統流君、誰?」
 寝ぼけ眼のソフィアが尋ねてきた。
 オレは、ため息を一度ついてからソフィアに言った。
「オレのお袋が来るんだ。明日な」
 ソフィアはキョトンとオレを見つめるだけだった。


 お袋が来る。それはもう仕方のないことだ。どう言いくるめようとしても、お袋はこっちに来るはずだ。
 一番心配なのは、ソフィアがいることだ。ソフィアがオレたち以外の人間に見られてしまったらヤバい。もちろん、お袋も『見られてしまったらヤバい人間』だ。
 だが、オレの頭脳ではどうしてもソフィアをお袋に見せない方法が思い浮かばなかった。
 だから、仲間に助けを求めようと思い立ち、今に至るのだ。
「そのときだけ大家さんのところにいればいいじゃない。ソフィアは」
 奏は即答だった。
「あ、俺も賛成だ。それで一件落着じゃん」
 大瀬崎も手を挙げて賛同する。
 やれやれ、とオレはため息をつく。
「そんくらいオレだって考えたさ。お前らを呼ぶ前に大家さんとこ行ってお願いしてきたんだからな」
「そうしたら、断られたの?」
 と、奏。
「ああ、そうだ」
「頭のカタいジジイだな。オレがシメてやる!」
 と、大瀬崎。
「バカ、やるな。大家さんは、明日息子たちと孫たちと一緒に京都へ行くんだ。大家さんの部屋は、大家さんがいないとどうしても開かないし(ドアも窓も頑丈だという意味で)、カギも大家さんしか持ってないから、大晦日にソフィアを大家さんのところにいさせるのはできないんだ」
 そのカギがマスターキーというのだから、誰にも貸せないわけだ。
「やっぱそうだと思ったよ。俺だってそう思ったさ。他人任せにするなんて卑怯だと思うぞ」
 大瀬崎が簡単に意見をひっくり返した。
 しばらくオレたちは思考を巡らした。代樹山にソフィアをいさせようと思ったが、あいにく明日は雨で、ソフィアが風邪をひいてしまったら困る。大瀬崎と奏は、明日どこか遠くに行ってしまっているので、一緒に代樹山で遊んで過ごすこともできない。また、明日二人は出掛けるが、その親(奏の場合は叔父と叔母)は家にいるからソフィアを二人の家にかくまうことすらできなかった。……というか、二人の家に行くまでに誰かにソフィアを見られ、通報されるのがオチだった。
「それじゃあ……」
 沈黙を奏が破った。新しい案が浮かんだのだろうか。
「押入れの中に隠れてもらうってのはどう?」
「あ、俺もそう思ったところだ。寝心地いいぜ、あそこ。俺が保証する」
 奏の新案は、押入れで寝た大瀬崎のお墨付きだ。
 よい発想……というか、この部屋で唯一隠れる場所であるから、適切な意見なのはわかる。だが、残念ながらオレは反対だ。
「大瀬崎はともかく、奏は知ってるだろ? お袋は勝手にオレの部屋を掃除するんだ。だから、こっちに来ても勝手に押入れを開けたりするに違いないんだよ」
 そう言ってやると、奏は昔を思い出したようだった。「ほんと、アンタって変わらないわね」と顔に表した。どうせこの部屋が汚いと思っているだろうが、オレ的にそんなわけないはずだ。汚いのは、掃除がめんどくさい電灯とか換気扇とかトイレとかカーペットの裏とかだけだ。
「神子元! 俺だってそんくらいわかったぞ! もっといい案出せやい!」
 また大瀬崎が意見をひっくり返した。
 もちろん大瀬崎は冗談のつもりだったが、すでに奏の堪忍袋の緒は切れていた。 
「駿河、アンタって奴はねえ……。何も考えてないでしょ! こっちは必死で考えてるのよ! なのに、アンタみたいな奴に否定されたら、くじけるじゃない!」
 奏がコタツを叩いて立ちあがっていた。いつもなら大瀬崎の冷やかしを華麗にスルーする奏だが、今回は違っていた。なぜか。オレの推測では、奏は本気でソフィアのことを想って考えているのだ。それは、オレにとっても嬉しいことだ。
 でも、今の奏は大瀬崎視点から見ると恐ろしい他なかった。
「か、奏ちゃん、やめてください。私なんかのために、喧嘩しないで下さい……」
 ソフィアが悲しそうにつぶやく。
 これがケンカと呼べるものなのか、微妙なところ……ってか、これはケンカじゃない。一方的だ。
 奏がうってかわって、恐ろしい顔から優しい顔をしてソフィアの方を向いた。
「ソフィア、ごめんね。でも、これだけは言わせて」
 そして、そのまま温かい視線を大瀬崎に向ける。
「駿河、何でもいいわ。一つでいいから、アンタの案を教えてくれる? とことんツッコんで、一生富士を散歩できるようにしてあげるわ」
「あれ、変だな……表情も温和だし、口調もやわらかだ。なのに、どこかトゲがある……」
 大瀬崎の顔がひきつっていた。
 だが、奏は黙っている。にこやかな表情のまま動じない。
「ひ、ひいっ! わかりました! 考えます、考えますからっ!」
 冗談じゃない、と大瀬崎は必死に小さい脳みそで案を考え始めた。それでも奏の表情は一ミクロンも変わらない。大瀬崎が富士(の樹海)へ散歩するか否かは、案の良し悪しで決まるようだった。
 徐々に大瀬崎も焦りが出始め、今まで見たことのないような真剣な目をして考えていた。そこまで奏が怖いのか。
「奏ちゃん……このままだと大瀬崎さんが富士山に行って帰ってこれなくなってしまいます。大丈夫でしょうか……」
 ソフィアの心配そうな声。冗談だなんてわからないんだろうな。
「ソフィア、安心して。犬みたいなペットには帰巣本能が備わってるから」
「誰のペットなんでしょうかねっ!」
「余談だけど、伝書鳩っているでしょ? あれ、たまに迷って帰れなくなったり猛禽類に食べれらちゃったりするみたいね」
「とても楽しい余談っすねっ!」
「そこ、急いでね?」
 奏のにこやかな声。大瀬崎は、はいとも言わずまた思考を巡らせる。
 と、すぐに案が浮かんだようだ。顔をあげる。
「あー……。これってさあ、ソフィアちゃんの翼さえ見せなきゃいいんだろ? ソフィアちゃんを隠すんじゃなくて、翼を隠せばいいじゃん。それができるんなら、ソフィアちゃんは穂枝と一緒にいればいいんじゃね? これなら、最低バレるのは穂枝の母ちゃんだけで、ソフィアちゃんがどっかに行っちゃうよりかはバレる人数がめちゃくちゃ少ないぜ」
 デタラメだ。本末転倒だと思うね。
 どんな奏のツッコミで、大瀬崎を楽しい富士樹海ツアー片道チケットを渡すのか楽しみだ。
「逆転の発想……。なるほど」
 奏はツッコむどころか、色々と考えているようだった。
「確かにそれなら、頑張れば根本の問題が解決できるわね」
 根本の問題とは、お袋にソフィアの翼を見せなくするにはどうするか、ということだ。
「でもな、それはそれで問題が多すぎると思うぜ」
 オレが反対意見を出す。
「翼を見せなきゃいいって言うけど、翼はどう隠す? ソフィアをオレと一緒にいさせるっていうけど、それじゃあお袋から見てソフィアとオレの関係はどうすればいい? 赤の他人です、なんて言われたらお袋に怪しまれるぞ。更にだ、お袋がソフィアの異変に気付いて、翼を強引に見ようとしたらどうするんだよ」
 オレはこの場にいるみんなに問いかけた。またしばらく沈黙が訪れ……なかった。奏があっさりと返してきた。
「やっぱ、駿河の案で決定のようね」
「まじで! 俺って天才じゃね?」
「問題が具体的になってきたわ」
「お、俺天才っすよね……?」
「それに、それらの問題はどうにでもできそうな問題だしね」
「認めてくれよ、な? 駿河君超天才! いよっ、歩くウィキペディ! って」
 奏は大瀬崎を完璧に無視する。オレも大瀬崎を無視しているから気にしない。
 確かに奏の言うとおりだった。ずっと漠然としていた問題が浮いて出てきた。でも、やっぱりオレにはこれらの問題が解決できる自信がない。
 奏が続ける。
「まず、アンタのお袋さんがソフィアの異変に気付くとか言ってたけど、それについては問題なさそうよ。おばさんの性格からしてね。統流、知ってるでしょ? おばさんがとってもほんわかした性格だってこと。翼を隠してるなんてわからないわよ」
 まあ、オレだってお袋の息子だ。その性格は十分承知だが、でも心配だ。そんな楽観的じゃあダメなんだ。
「アンタは、ソフィアをフォローするためにいるのよ」
 最後に奏は一言付け足した。
 つまりそれは、万が一のときはオレが全力で言い訳してごまかせ、ということなのだろうか。
 わかった。お袋がソフィアの翼を見せようと動いたならば、オレがごまかしてみよう。でも、問題はそれだけではない。お袋にとってソフィアは見知らぬ外国人だ。そんな奴とオレが一緒の部屋にいたら、不審に思うに違いない。百歩譲ってソフィアの翼に気付かないとしても、ソフィアがお袋の知らない人だということくらいは分かるはずだ。
 そんなオレの神妙な面立ちを見てか、浮かれている大瀬崎が言った。
「ソフィアちゃんをさ、穂枝の彼女にすればよくね?」
「なっ……」
 オレは息をつまらせた声を発してしまった。ソフィアは顔を赤くし、奏はムッとオレと大瀬崎を睨んだ。
 なんてことを言ってくれるんだ、こいつは。
 もはやこいつは、酔ったオヤジ状態だった。
「それは、ソフィアに迷惑だろ」
 そうオレが言った瞬間、隣からの視線が刺さった。
 見ると、そこにはソフィアが上目遣いでオレを見ていた。
「私、統流君の彼女になったら迷惑なの……?」
 いや、そうとは言ってない。
「そうじゃなくてだな、これは仮なんだぞ。嘘っぱちの、名前だけの彼女になるんだぞ。そうしたら、ソフィアは嫌だろって言ってるんだ」
 わかりやすく説明をする。
 すると、理解したのだろう。ソフィアは二、三度首を横に振った。それからオレに言う。
「私、迷惑じゃないよ。それに、統流君のお母さんともお話がしたいよ。一人で隠れるよりかは統流君と一緒がいいもん」
 そんなもんなのだろうか。
「まあ、ソフィアがそう言うんなら、オレもわざわざ否定しないさ」
 それは、明日仮の彼女になってもいい、とオレが許可をするのと同じ意味だった。
「よっし、決まりだな。あとはソフィアちゃんの翼をどう隠すかってことだよな」
 オレたちはもう完璧に大瀬崎ペースにはまっていた。気にくわないが仕方ない。
 ソフィアは、オレの彼女として紹介すればお袋にオレたちの関係を怪しまれることはない。お袋がソフィアの隠した翼がバレそうになり、それを見せるように言われてきたら、オレが言い訳する。お袋に反論の機会を与えなければ大丈夫のはずだ。
 ……だが、ソフィアの翼をどう隠すかが一番の問題になる。今まで翼を隠すことができなかった(または隠しても不自然だった)からソフィアは今まで日中の外出、人のいる場所への外出が許されなかったのだ。
「リュックサックを背負ってさ、背中と合わさる部分を切って、翼をその中にしまってみるってのはどうだ?」
 大瀬崎がそんな案を出した。
 ソフィアの翼は、折りたたんでも高さは八十センチメートルはあると思う。そんな長いものを入れるリュックサックなんてあるのか? まあ隠せたとしたらそれ以外に翼を隠すなんて方法はないと思うが。
 いや、その前にだ。
「普通、室内でリュックサックを背負うか? 不自然すぎるぞ」
 これはこれで問題だった。
 ソフィアも少し困っている様子だった。当たり前だ。
「そんなの、いくらでも偽装できるわ。例えば、そのリュックサックはとても大切なもので、肌身離さず持ってないと不安で仕方ない、とか」
 奏の発想は、ものすごく偽装しました、ということが滲み出ている。
 ……まあ、このくらいならお袋は気付かないはずなのだが。
 お袋の訪問でオレたちは危ない崖をよじ登っているような気がする。いや、絶対そうだ。オレたちは崖の目前に立っている。
「……どうせオレがそのリュックサックについてもフォローしろとかいうんだと思うから特に何も言わないけどな。でも、オレはソフィアの翼がしまえるほど大きいもんを持ってないぞ。しかも、翼をしまうんなら背に面する部分を切らなきゃいけないだろ? そんなもったいないことできない」
 オレの財政を知ってるのならば同然だった。
 ニヤリと大瀬崎が笑う。まさかお前……。
「俺のをやるよ。一昨年の誕生日にジジイから縦走ザックってやつを貰ったんだ。高さは俺の頭から腰辺りまであるから、ソフィアちゃんの翼なら入ると思うぜ。でも、自転車乗るとバランスが悪いから去年新しいリュックを買ったから、今はポテチの袋とかペットボトルとか脱いだ服の下敷きになってる」
 んなもん背負いたくない。
 でも、貰えるものは貰いたかった。それさえあれば、ソフィアは明日オレと一緒にいれる。
 いや、それだけじゃない。湖のほうや駅前へだって外出することも可能になるのだ!
 これは、大瀬崎に感謝しなければならない。ソフィアが未来へ帰るまでの間、もしかしたらあと一週間もしないうちに行ってしまうかもしれないようなソフィアのために、自分の誕生日プレゼントをあげてくれたんだから。しかも、それは翼が入るように加工するので、もう使えなくなってしまうのに。
「大瀬崎……ありがとう」
 大瀬崎にそんな言葉を贈るのは初めてかもしれなかった。
「これで、明日安心して富士の樹海に行けるな」
「行かねえよ!」
 もちろん大瀬崎をいじるのも忘れない。
「今までのやつを要約すると、明日おばさんがここに来る。ソフィアは駿河のリュックに翼を隠して、統流の……一応の彼女という設定で一緒にいる。統流はソフィアのフォローをしながらおばさんと話す。これで異議はない?」
 奏がオレたちを見まわした。色々と心配なことがあるが、それも全部オレの頑張り次第、ということのようだ。
 でも、相手がお袋だけで、あの厳格な親父の野郎は実家でボケっとしているのだろうから、そんな不安にはならなかった。
「じゃあ、これでいいわね? 何かあったらメールしてね」
 そう言って奏は立ち上がった。これから奏は里帰りだ。忙しい中、緊急会議に参加してくれてありがたかった。
「じゃ、頑張ってくれよ。あとでリュック渡すけど、そのあと俺も富士の樹海……じゃなくて初日の出見れるように突っ走っていくからさ」
 続いて大瀬崎も立ち上がる。なぜか今日は結構大瀬崎が活躍していたような気がする。最期にいい仕事をしたな。
「二人とも、今日はセンキューな」
 オレも立ちあがって、二人を見送る。ソフィアも付いてきた。
 大瀬崎と奏は手を振り、玄関を出ていった。
 何というか、友達は大切だな……。なんて思った。
「統流君」
 二人きりになったオレたち。ソフィアが声をかけてきた。
「なんだ?」
「私……頑張るね!」
 ああ、頑張ってくれ。
「私、実は翼が生えてるんです」「私、未来から来ました」なんて言わないことを願う。


 それからしばらくして、サイクリング用のヘルメットを被った大瀬崎がやってきた。そして、大瀬崎からリュックサックを渡された。縦走ザックと呼ばれるそれは、確かに縦に長い。これなら翼がすっぽり入りそうな大きさだった。
 すぐに大瀬崎は去った。本気で富士山に行くようだ。いや、富士の樹海へ行くって意味じゃないぞ、きっと。
 一度ソフィアの背中に合わせ、リュックの翼が当たる部分をハサミで切った。リュックを故意に切る奴なんて、オレが初めてなんじゃないか?
 切り終え、ソフィアに背負わせる。翼は見事縦走ザックの中に収まった。翼のないソフィアがオレの前に立っている。なんとなく違和感があった。これで外を歩いたとしても、まさかこいつが翼の生えた少女だとは思わないだろう。
 だが、室内でこの姿というのは変すぎる。だから違和感があったのだろうか。
 不安だ……。
 すると、携帯のメール受信音が聞こえた。
 メールを確認すると、奏からだった。どうやら電車かバスからオレのところにメールをやったようだ。
『アンタのことだから、どうせ明日、おばさんがソフィアについて何か言ってきたとしても対応できないんでしょうね』
 辛口な冒頭で始まっていた。ごもっとも。そんなこと全然考えてなかった。
 次の段落を読む。
『ソフィアの仮プロフィールを考えたわ。ソフィアにも伝えてちょうだい』
 仮プロフィール。仮の彼女。なんか、ソフィアが偽造で埋め尽くされている気がして、どうも腑に落ちない。
 一応メールを斜めに読んだ。
『出身国は、ブルガリア。ヨーロッパ系なのはわかるけど、トルコの血が混ざってるような気がしたから、地理的にブルガリアにしたわ。(それプラス、テレビで見たんだけどブルガリア人は否定のとき首を横に振るって文化があるらしいの。だから、アンタはフォローしやすいわ)それに、ソフィアが前歌ってた歌も英語っぽかったけどそうじゃないような気もしたし。
 誕生日は一月二十七日。これは、なんとなくソフィアが冬に生まれたようなイメージがあるのと、その日は日曜日で誕生日パーティーもできるかなって思ったからよ。
 日本に来たのは留学(日本の文化を学ぶ)のためで、日本語がうまいのはブルガリアで勉強したから。
 年齢は十七歳。調べてみたら、向こうでは一年生~十一年生まであって、十一年生が十七、十八歳なんだって。だから、キリよくソフィアは十七歳ってことにしたわ。ちょっと大人すぎるかもしれないけど、何とかなるでしょ。
 リュックについて訊かれたら、これはとっても大切なものなのですって言って。なんか、納得できない言い逃れだけど。嫌だったら二人で案を出してみてくれると助かるわ。
 好きなものやことなんかは、私が初めてタイムマシン捜しをしたときに駿河の質問の答えと同じでいいと思うわ。あれが一番自然な答えだからよ』
 そこまで読んで、オレはようやく自分の低脳さに気付いた。
 奏は、ソフィアの友達だ。そして、奏は友達思いだ。友達が少ない分(少ないって、奏に失礼だな)、奏は友達に尽くすのだ。だから、プロフィールだってデタラメでなく、こんなに必死で考えてくれていた。誕生日なんて、まさにソフィアのために考えたようなものだった。
 面と向かって、ありがとう、と言いたかった。まあ、オレは恥ずかしがりだから、そんなこと心に留めるだけなんだが。
 文の最後に、オレに対する注意書きがされていた。
『統流、ソフィアが仮の彼女になったからと言って、アンタはわざわざソフィアの彼氏らしい振る舞いをしなくていいんだからね。あくまで自然に、いつも通りに振る舞ってちょうだい』
 そんなこと言われなくてもわかっていた……と思う。
 オレはリュックを背負ったソフィアを呼び、奏のメールを見せた。
「統流君、奏ちゃんにありがとうって言ってくれるかな? 私、とっても嬉しいよ」
 メールを読み終えたソフィアがそう言った。日本語が読めないはずの外人ソフィアだが、なぜか日本語が読めるのは、きっと翻訳機のようなものが働いているのだろう。
「ああ、そう伝えておくよ」
 そして、十二月の三十日が終わり、ついに十二月三十一日、大晦日が訪れる。
 無事に年が越せるかどうかは、オレにかかっていた。


twitterバトン


このバトンはtwitterユーザーのためのバトンです。


ヒwiヒヒerですね、がんばります、じょがぁです。



[1] twitterのアカウントIDは?

johgasakiです、右段を見た通り。


[2] twitter歴はどのくらい?

隣国が2ちゃんを鯖落ちさせたときの募金からなので、かれこれ七ヶ月やってるんですかね?


[3] 何人をフォローしている?

現在66人です。うん、少ないですね。


[4] 何人にフォローされている?

43人ですね。ええ、少ないです。


[5] twitterを始めるきっかけは?

チリ沖地震の募金活動がキッカケでしたね。
で、某氏の勧めで本格的にやり始めました。


[6] いつも何から投稿してる?

Tweenです。とっても便利。サブはWEBからとP3。


[7] 一日にどのくらい投稿してる?

おそらく30~60くらいなのではと。


[8] お勧めのtwitterアカウントはある?

奏ぼっt(ry
修造botはイキイキします。あと原稿botもぐっど。


[9] twitterで面白かったことは?

フォロワーさんからのリツイート色々ですかね?
なんか繋がってるって感じします。をかしです。


[10] あなたの周りのtwitterユーザーに回してください!

RTすればおk


--------------------------
このバトンのURL:
http://www.baton-land.com/baton/1134

バトン置場の『バトンランド』:
http://www.baton-land.com/


あー眠い。四時寝が普通になってしまっているぜ……!
 鍋というのは、火の通りにくい具材から先にダシのきいた汁に投入するんだ。具材はあらかた何でもいい。白菜とか豆腐とか、そういうものを適当にざく切りして、カツオと昆布の合わせダシにぶち込む。
 この説明だけだと、日本冬の料理の最高峰である鍋が単なる男の料理にも見えてしまう。
 でも料理なんてものは最低でも食えればいいわけで、別に文化とか最高峰とか男とかそんなもんはどうでもいい。第一、今の時代『男の料理』って言葉すら消えかけているから……と、こんな戯言は置いておこう。オレだってたまに死にかけた言葉を使ったりするからな。
 とりあえず今現在、オレの部屋がどうなってるのかを教えるのが先決だろう。
「穂枝ぁ、俺ポン酢なポン酢。醤油だったら怒るからなー」
「大瀬崎さん、ポン酢ってなんですか?」
「ポン酢? ああ、醤油に酢が合わさった感じの飲み物だよ」
「なら酢醤油をかけて食え! それと、ポン酢は飲み物じゃない」
 とまあ、オレとソフィアと大瀬崎がコタツを囲んでぐつぐつと煮えたカキ鍋を食い始めたところなのだ。
 大瀬崎は何度かオレの部屋に泊まったことがある。あのときからわかっていたはずだが、大瀬崎には遠慮という言葉を知らないらしい。昼休みに言ってた『マニュアル通りのお客さん』というのはウソに決まっていた。
 でも、ソフィアのタイムマシンを真剣に捜してくれたら、それでプラマイゼロになるだろう。そう思ったのだが、こいつときたらオレたちと山のふもとで会って、そして捜しものに協力すると爽やかに笑ったあと、なんて言ったと思う?
「そうと決まれば、飯だ飯!」
 跳びはねながら言っていた。楽なものを選ぶ(例えば、よくオレに「授業は受けるんじゃない。寝る時間だ!」と言っているように)こいつらしいといえばこいつらしいが、ソフィアの協力をすると言ったあとにこうだと、どうも苦笑いものだ。
 そう思ってるオレだってこうしてカキ鍋を振る舞ってるんなら同罪なんだけどな。
「ソフィアちゃんはカキ鍋食ったことあるの?」
 大瀬崎がニコニコ笑いながらソフィアに問いかけた。見る限り、ソフィアがバーダーだということを全く気にかけていないようだった。
 ある意味柔軟な男だ。というか大瀬崎はソフィアが未来から来た鳥の人だと理解できているのだろうか?
「いいえ、食べたことはないです。でもカキなら私の国でもたくさん食べますよ」
 ソフィアを見ると、オレとソフィアが慣れるよりもこいつと大瀬崎が仲良くなるほうが早い気がした。やはり、お互いが心をいかに早く開くかで溶け合う時間は長かったり短かったりするんだな、と実感した。
 今更だがコミュニケーションは大事なんだと思った。それなら、ぎこちない中でタイムマシンを捜すより、こうして交流を通してから捜したほうが効率がいいのかもしれない。そんなことまで大瀬崎は考えていた……わけがないけど。
「それにしても、相変わらずお前の部屋ってお茶ってんな」
 大瀬崎が意味不明の言葉を放った。たぶんオレの部屋がお茶の匂いでいっぱいだ、と言いたいのだろう。
「嫌なら帰っていいぞ。いや、むしろ帰ってくれると助かる」
「ま、待て! それは山で寝ろってことっすか!」
 大瀬崎がツッコむと、ソフィアは小さく笑った。
 こういうのも悪くはないな……。大瀬崎がいると、オレとソフィアだけのときにある微妙な沈黙を意識しなくてすんだ。
 オレはソフィアと大瀬崎がまた話し始めたのを機にカキ鍋を食いはじめた。大家さんから貰ったカキは大量にあった。それはもう、鍋いっぱいにカキがあってもまだ余るくらいの量だ。大家さん、どこでこんなに仕入れたんだよ……。
 残りのカキはバターかなんかで炒めて、大瀬崎が帰ってからオレとソフィアの二人で食うとするか。


 カキ鍋を食ったあと、オレたちは再度山へ向かった。
 ただ、一日でソフィアのタイムマシンが見つかるわけもなく(どだいこの山にあるのかすらわからないのに)、ただ寒い山の中を掻き分けただけだった。むしろ今日は何かを捜すというよりかは代樹山がどんな山なのかを調べているような感じだった。今夜はオリオン座がいいところまで傾いたところで山を降りた。携帯をズボンのポケットからとり出して画面を見てみると、二時三十三分だった。あと一時間したら三が揃うぜ、とかそんな嬉しくないことを思ってしまった。
 オレたちはアパートに戻ることにした。体の芯まで凍え、肌はどこも泥だらけな気がした。こういう時に風呂のないこのボロアパートが嫌になる。明日銭湯に行くか、と思いつつ歯を磨いた。
 と、ソフィアが脳裏に浮かんだ。ソフィアは銭湯にすら入れないのか……。翼があるだけで不便が出まくる。めんどくさい問題だ。家で体を濡れタオルで拭くだけじゃさっぱりしないだろう。
「穂枝ー、コタツで寝ていいか?」
「あ、いいぞ」
 オレは適当に言ってしまう。……しまった、ソフィアは布団で寝るとして、コタツが大瀬崎だとすると、オレはどこで寝るんだ?
「大瀬崎、やっぱり押入れで寝てくれ」
「俺はネコ型ロボットか!」
 当たり前だが断固否定された。
「明日の学食、カレーライスおごってやるから! な?」
「お、まじで? ラッキー! ならどこにだって寝てやるぜ!」
 ニヤッと笑った大瀬崎はあっけなく意見をひっくり返し、満面の笑みで押入れの中に入っていった。
 押入れに入ろうとする大瀬崎の背中を見て、オレは笑いをこらえるので大変だった。シュール、シュールすぎる。
 とにかくオレは寒い押入れではなく、まだ温かいコタツで寝られる。
 ちなみに明日の学校は午前中で終わる。もちろん学食はない。あいつはそれを知ってて押入れに入ったのだろうか? どっちにしろ、バカは風邪引かないって言うし、大瀬崎のほうは問題ないだろう。あるのはむしろソフィアのほうだ。このくそ寒い中、布団一枚はかなりきついと思う。女子は男子よりも体温が低いと聞いたことがあるから、オレよりも余計寒いと感じてるはずだ。
 押入れから大瀬崎のいびきが聞こえる。オレは呆れるを通り越し感心してしまった。これで、こいつはどんな環境でも眠ることができると立証されたわけだ。
 ふとオレはあることを思いついてコタツから出た。寒さが身にしみる。まだ冷えた体は完全に体温を取り戻していなかった。
 だから、急いでことをすませようと思う。
 電気もつけずにヤカンを出した。少しだけ水を入たそれを火力最大にしたコンロに置いた。ソフィア(と一応オレ)のために、温かいお茶でも淹れておこうと思った。でも、お茶にはナントカナンタラという成分が興奮作用があった気がする。あれ、逆に落ち着くんだったか? でも、もしお茶に興奮作用があってソフィアが眠れなくなったら逆に悪い。というわけで、お茶ではなく急きょお湯にすることにした。熱湯ではすぐ飲めないので、まだ沸ききっていないがヤカンの火を止めた。
 さておき、二つの湯呑にお湯を注いだ。湯気が立ちのぼる。これだけで体が温まる。
 二つの湯呑を持ってオレはソフィアの元へ行く。相変わらず白い翼がはみ出ていた。昨日もそうして眠っていた。そういえば、まだこいつと会ってから一日と数時間しか経っていないのだ。道端で偶然会ったあの日が遥か昔のように思えた。
 ソフィア、寒くないか? そう言おうとしたがやめた。小さな寝息を立てて寝ていたのだ。ゆったりと布団が膨らみ、しぼむ。
 ……寝てるのなら、仕方ないか。
 オレは二つの湯呑をコタツに置いた。それからオレはコタツに潜り込んだ。今となっては、なぜソフィアに温かいものを飲ませようと思いたったのかわからなかった。
 本当に、謎だ。
 反射的に携帯を開いた。時刻はもうヤバイ時間になっていた。
 寝よう。
 オレは大きく息を吸い、吐くと睡魔に襲わた。そのあとの記憶はもうなかった。


 朝、オレと大瀬崎は学校への道を歩く。
「なあ穂枝、学校サボらねえか?」
 荷物のない大瀬崎が言った。彼は、教科書とノートはもちろん筆記用具も学校に置いてあるので、登下校は何もなくていいのだ。弁当はいつも学食で済ます。ただ今日はない。
「オレは、お前と違ってサボったりはしないんだよ」
 居眠りはするが、そこは言わないでおく。
 視界の左側には湖がある。さほど大きいものではないが、すぐ側に都会がある湖も珍しいかもしれない。
 湖に沿って進むとダムがあり、横から来る風の冷たい天端――ダムの一番高い部分だ。天端を歩いてんのは橋を渡ってる感覚だな――の国道を渡ってすぐの所に、オレたちの通う高校がある。
 外見も中身もさほど特色はない。あるとしたら文武両道という目標を掲げていたり、書道部が関東大会出場したとか、そんな進学校って感じだ。
 なぜ静岡の人間がこんなところに選んだかとよく聞かれるが、とりあえず都会に近いというのと、学力が適切だったのと、静岡じゃないところに行きたかったと思ったからだ。ただそれだけだ。
 また、オレをつけ狙っているのかもしれない幼馴染みの奏は、おじさんの家がこの近くにあることと、あいつの行きたい大学(オレでも知ってるくらいだから、結構凄い大学のはずだ)がすぐ側にあるから、と言っていた。他にも、違う環境の中で生活したいとかなんか色々あった。理由を聞けば聞くほど、奏の高校計画がちゃんとなされていることに驚かされる。
 そうそう、オレが遅刻してもサボらずに学校へ行くのは奏のこともある。あいつはああ見えても結構寂しがり屋で人見知りも激しい。特に女子に対しては触れ合いにくいようだ。それらを克服するのも、この高校にやってきた理由の一つだろう。
 顔にはほとんど出さないが、オレと大瀬崎がいない今、たった一人高校にいる奏は不安なはずだ。幼馴染みとして、あいつを置いてけぼりにするのはかわいそうだから、今日みたいに授業がない日もオレは学校へ行く。そのおかげで今まで無欠席という偉業を成し遂げているのだ。たまーに遅刻はするけどな。
 ……でも、そんなことやってたら奏が人見知りを克服できない気がする。
 そんなことを思いながら、大瀬崎の戯言に適当な相槌を打ちながら歩き、ようやく高校に着いたのだった。
 一応職員室に寄ってからオレたちは自分のクラスへ行った。
 階段を上ると、終業式が終わって教室に戻る一群が見えた。しめた。これなら担任に気がつかれずに教室に戻れるぞ。オレと大瀬崎は人ゴミに紛れて教室に入った。
 自分の席に着くと、案の定担任に気がつかれずに学活が始まった。
 そのあと、冬休みの注意事項や不審者注意なんかが簡単に説明された。そして、担任はオレたちの存在を知ることなく学級委員に号令をかけさせ、二学期最後の高校が終わったのだった。
「アンタたち、遅いわよ」
 オレが席を立つ前に奏がやってきて言った。担任ですら気付かなかったオレに気付くところ、クラス中にアンテナを張り巡らせているようだ。
「寝坊だ。悪いか?」
「悪くはないけど、不自然よ」
 そう、こいつの洞察力は、誰よりも凄いのだ。
「なんで統流と駿河が一緒に遅刻……しかも、同じ時間に登校するわけ?」
 そこは盲点だった。いや、まだ持ちこたえられるぞ。
「大瀬崎を泊めさせてやったんだ。あいつ言ったらきかないからな」
「あら、そうなの。昨日、統流はあんなに駿河を泊めさせたくなかったのにね。アンタがそんなにまるいと思わなかったわ。……何かあったんでしょ?」
 なんか、墓穴を掘ってるような気がする。
「おい! 穂枝あ!」
 あまり登場してほしくないときに大瀬崎がどたどたとやってきてしまった。
「学食ねえじゃねえか! お前がおごってやるって言ってたから楽しみにしてたのに!」
 どうやら大瀬崎は食堂まで行って帰ってきたようだ。息を切らしながらオレを涙目でじっと見つめている。
「泊めさせるだけじゃなくて昼までおごってあげようとしてたの? ……怪しい」
 で、なんで奏はそういう部分だけ鋭いんだよ!
 おさらいすると、オレが大瀬崎を泊めさせたのは、ソフィアの捜しものに協力と口封じのためで、昼のおごりは昨晩寝る場所がなかったので、押入れで寝て欲しいというお願いでだ。どちらもソフィアに関わることだ。口を滑らしてはいけない。オレはどんなことがあっても絶対に口を割らない決心をした。例え敵が勝ち目のない奏だとわかっていても。
「……まあ、いっか。どうせなんか裏でこそこそワイロみたいなもんもらったんでしょ」
「渡すかっ!」
 奏がため息まじりに呟き、大瀬崎がワイロを否定した。
「とにかく、もう早く帰りましょ。おなか減っちゃった」
 大瀬崎のいちゃもんを華麗にスルーしながら、奏が言う。
 あれ、おかしいな……。完璧主義の奏にしては押しが弱い気がした。
 さておき、オレも奏に置いていかれないようにカバンを持って席を立った。教室には居残り常連(補習組という意味はなく、ただ学校で遊ぶ奴ら)が数人いるだけだった。一応オレは奏に対してソフィアを秘密にすることができた……のか?
 しかし。
 あとになって振り返ると、なんでこれが奏のフェイントだと、あのときのオレは気付かなかったんだろうか……。


 オレたち三人は、校門に出た。
 大瀬崎の家は、オレの家とは反対の道にある。何度か行ったことはあるが、国道沿いにある浄水場の近くに家はある。そっけなく、特徴のない一軒家だったと思う。
 奏の家も大瀬崎と同じ方面だが、天端を渡る前に国道から道は逸れ、湖に隣接する道を歩くとある。正確には、奏の家ではなく奏のおじさんの家なのだが、かなりの豪邸というイメージがあった。
 オレの家は二人とは反対の方面にある。なので、校門のところでオレは大瀬崎と奏と別れるのだ。ダムの天端を渡って少しすると見える小さな道に入り、さらに歩くと見えるボロアパートがそうだ。すぐ側にある山が昨晩タイムマシンを捜した代樹山だ。
 いつもの道をいつも通り歩く。
 やれやれ、日が出てるのになんでこんなに寒いんだよ。昼、何食おうかなあ。夜はタイムマシンを捜すのか。大瀬崎とは朝に「九時半、オレの部屋へ来い」と言っといたが、来るだろうか。いや、来るに決まってるさ。ソフィア目当てに。
 なんてことを考えてながら歩くと自宅が見え始めた。何度見てもボロい。それがいいんだが。ソフィアが倒れていた駐車場を通り過ぎ、アパートの壁に付いている郵便受を開けた。何もなかったのでそのままオレは自室のドアの前に立った。
 カバンからカギを取り出し、鍵穴に差して回す。かちっ、という短い音のあと、オレはため息をついてからドアを開けた。
 ソフィアがお茶を飲んでいた。あいつがお茶を淹れたのか、それともオレがいない間に来たであろう大家さんが淹れたのか。どっちにしろソフィアがいてくれたことでオレは安心した。
 その瞬間、オレの左肩にズシリと何かが乗っかった。
「統流、どうしたの?」
 振り返ると奏がいた。右手をオレの左肩に置いている。いかにも勝ち誇った笑顔だ。おいおい、お前はこんな場所を通学路として歩いてんのか? ってか、ここはオレの部屋の前だ。オレの部屋の前を歩くのは、鈴木さんと大家さんしか許さない。いや、まて。そもそもこんなところを通学路にするバカがどこにいる? ああ、もちろんここを自宅としているオレは除いてだ。
 まさか……、とオレはある一つの答えを導き出した。
 ……こいつ、オレが大瀬崎を泊めた証拠を掴むために尾行してたのか? つーかそれしかあり得ないだろ! なにワケわからんことを考えてた、自分!
 オレの一人ボケツッコミが終わったところで、いきなりだが問題だ。奏がオレの部屋を覗いた瞬間、勝ち誇った笑顔が固まった。もちろんソフィアを目撃したからだと思うが、そんな奏に対して、オレはどんな対処をすればいいだろうか? オレは頭をフル回転させて選択肢を四つに絞った。
 一番、固まる。
 二番、とっさにドアを閉め、奏が見たものは気のせいだということにさせる。
 三番、仕方がないので、奏にソフィアのタイムマシン探しの協力を求める。
 四番、強引に奏を部屋に押し込み、口を塞いで見動きさせないようにし、忘れるまで監禁する。
 そして、その中から一つに絞ろうと、必死になって考える。
 一番だが、これは論外だ。こんなことをして、何の意味がある?
 といって二番を選んだとしても、あの奏が『気のせい』で自分を納得させるわけがなかった。もう一度見せろ、ドアを開けろとオレを洗脳させるに違いない。だから、二番もダメだ。
 ――時間がない。残された選択肢は二つ。
 なら三番はどうだ? ダメだ。触らぬ神に祟りなしと言っている奏だ。協力なんてするわけもないか。
 ぐずぐずしている暇はない。もう奏は何かを言おうと口を開いている。
 考える時間なんてない。オレは残された四番『強引に奏を部屋に押し込み、口を塞いで見動きさせないようにし、忘れるまで監禁する』を選んだ。
 カンマ一秒で答えを導き出したオレはとっさに奏の背に腕をまわした。不意を打たれた奏は、少しオレが引っ張ると簡単に部屋へと押し込むことができた。オレがドアを閉めた刹那、左手で奏の口を押さえた。奏が叫ぶ前にオレの手がその発声を妨げた。次に右手を奏の腹にまわす。同時に奏の両手を背中に移動させ、オレの手と腹筋で動けないようにした。
 ここでオレはようやく事に気付くのである。
 ……ちょっとヤバイことしてないか? ということを。
 あと三秒早く気付けばよかったと思う。しかし、もう後戻りはできない。
 奏が懸命にもがくが、体格的に奏がオレにかなうわけもなく、脱出することはできなかった。結局、数回オレを引き剥がそうと頑張るが、すぐに観念してしまった。
 ソフィアがオレたちを見て唖然としていた。なんか、オレが奏を特に理由もなく人質にしているように見えてしまう。いや、そうとしか見えない。
 だが、今は見た目がどうとか奏がかわいそうとか、そういうことにこだわっている場合ではない。オレが奏をどう説得するかでソフィアの運命が決まり、世界が震撼するかどうかが決まるのだ。
 ……と心に言い聞かせて、オレは奏に問いかける。
「奏、こいつのことを、絶対に、何があっても、誰かに言うんじゃないぞ」
 奏が何度も頷いた。小さな体が小刻みに震えているのがよくわかった。
 なんか、オレがすごく悪いことをしているような気がした。奏がいよいよかわいそうになってきたので、このくらいで開放してやった。
 すると、緊張が一気にほぐれたのか、奏はヘナヘナと床にへたり込んでしまった。
「この人、統流くんのガールフレンドですか? そ、それにしても統流君って情熱的な恋をするんだね……」
 ソフィアが恐るおそる天と地がひっくり返るほどありえないことを訊いてきた。
「ソフィア、勘違いをするな。こいつは神子元奏といって、オレのガールフレンドじゃない。ただの腐れ縁だ。それと、オレは情熱的な恋よりもロマンチックな恋のほうが……」
 おっと、口が滑った。まあソフィアに言ってもわからないだろう。ただ、今この部屋にはソフィアの他にもう一人お客がいるんだがな……。
「統流。あのさ、自己紹介の前に私に言うことがあるでしょ?」
 奏が顔をあげた。脹れっ面の彼女の声が震えていた。奏の回復力は大瀬崎に負けず劣らずあるようだ。でも、なんか言うことがあるっぽいから、オレは適当な言葉を並べる。
「いやあ悪い悪いとっさの判断でつい」
 棒読みで謝った。
「……アンタって奴は『いやあ悪い悪いとっさの判断でつい』で私にあんなひどいことするの?」
 奏は本気で怒っていた。オレが得意とするへちょいお詫びじゃどうにもならなかったようだな。
 奏がため息をついた。
「確かに私はアンタを尾けてたわよ」
 そうだな。できればそのことについて謝ってもらいたいところだ。
「でも、アンタにだって悪い点はあると思うわよ」
 あるのかよ!
「だってほら、駿河と隠し事してたじゃない」
 ああ。ソフィアのことを秘密にしてた。でもそれがどうした? 仕方ないだろ?
「だから、私は何を隠してるのか知りたかったのよ」
 待て、意味がわからん。なんでオレと大瀬崎の秘密までお前が知ってなきゃいけないんだよ! お前はオレの保護者か!
「それに、いきなり私を羽交い締めにするなんて信じられないわ」
 その件については、オレだって信じられない。とっさの判断というものは恐ろしいものである。だから、何かがあってもよーく、じっくりと冷静に考えてから物事に当たるべきだと思う。これからは気をつけよう。
「何かされるんじゃないかって、すっごく不安だったのよ!」
 そうだな。ベタなシーンではあったから、そんな心境にはなるよな。
「それに、なんでアンタ如きにドキドキなんてしなくちゃいけないのよ!」
 怒鳴られても困る。
 奏が小言を区切った。数秒後には第二波が襲来するだろう。早く奏のお説教を終わらせないと太陽が沈みそうなので、オレが譲歩して強制終了させた。
「わかった。好きなだけ殴っていいぞ。だから許せ」
 殴ればいいわけではないが、奏に命令権を一つ与えてでもしたら、オレは奏の奴隷になってしまう。しかも大瀬崎よりも下層の奴隷だ。だから一番手っ取り早いものにした。オレは手を前に出す。ボクシングの受けのポーズだ。
「……わかったわ。でも約束して。この子が誰か、アンタとどんな関係なのか、教えてよね」
 奏がそう言ってくれた。あの奏がオレの言ったことに快くオーケーを出したなんて変だが、そんくらいのことなら大歓迎だ。
 さあ来い、とオレは構えた。奏もパンチの姿勢をとった。右ひじを引き、腰をひねる。そして奏が全力のパンチをオレの手に喰らわせた。
 衝撃に備え、オレは目を瞑った。平に硬いものがぶつかった。ただ、それだけだった。オレは目をゆっくりと開けた。奏の拳がオレの左手のひらを捉えている。
 ……そのパンチはあまりにも拍子抜けするほど弱々しかった。奏が手を抜くわけがないので、やはりこれが全力なのだろう。つまり、いつの間に力が弱くなっていたのだ。そういえば、ずっと昔はオレのほうが奏より小さかったのに、いつの間にかオレが奏を見下ろしていた。
 それでも、奏は昔と同じようにオレに無理な注文ばかり投げるだけ投げてくる。
 変わっていくものと、変わらないものが、駆け巡っている。
「ふう、すっきり」
 奏はとても満足そうだった。
「あれ、一発でいいのか?」
「うん。別にそんな怒ってもないし」
 怒ってない? まさか、そんなわけがない。いきなりあんなことされて、しかも奏自身『ひどいこと』と称して小言を言ったばかりだ。なのに怒ってないなんて、そんなの意味がわからない。まさか、そんなことやられて嬉しかっただなんて、そんな矛盾してるわけもないだろう。
「そこの子、自己紹介がまだだったわね」
 奏は一気に話を変えた。奏の視線がオレからソフィアのほうに向けられる。
「私は、神子元奏。奏って呼んでいいわよ」
 ウソだろ……。奏は、触らぬ神に触れようとしているのか? しかも、かなり友好的な感じで。
 ソフィアも少し戸惑っているようだ。だが、こちらはどちらかというと、友好的に接せられているからというよりも急に話しかけられたからのようだ。
「あ、私はソフィア・ブルースカイって言います。未来から来たバーダー……鳥の人です。ソフィアって呼んでください」
 ソフィアは小さくお辞儀をした。背中の大きな翼が揺れる。
「ふうん。ソフィアね。これから宜しく!」
 奏がソフィアに握手を求めると、ソフィアはそれに応じた。どちらの手も白くて艶やかそうだった。ただ、ソフィアの手には包帯が巻かれている。
 二人は手を離した。
「……ところで、未来から来たって言うけど、その未来には日本って国か、日本語が使われている国ってある?」
 その質問に、ソフィアはふるふると首を横に振った。
「いえ、ありませんけど……」
「そっか。それにしても、あなたたちが住む世界の人って、立派な翼が生えてるのね」
 奏が関心してソフィアの白い翼をまじまじと見ていた。
「ちょっと待て」
 オレが奏を制する。
「奏、なんでお前はそんなすぐにこいつが未来から来たって、しかも翼が生えてても受け入れられるんだよ!」
 こいつだけじゃない。大瀬崎もだ。なんでオレの友達はこれぼど簡単にこいつが未来から来た奴だってわかるんだ。
「だって、ソフィアの世界に日本語なんて存在しないのに、こんなにも日本語がうまいんですもの」
 確かに、日本語がないのに日本語が話せるなんてわけがわからんよな。……つまり、こいつはウソをついている。見え見えのウソだ。わかるよな? 日本語が存在しないのに日本語が話せるのなら、ソフィアの世界に『日本語が存在しない』わけがないのだ。
 だが、オレはある重大な見落としをしていた。授業で答えがわからないことがあったら先生に訊くように、この問題もソフィアに訊けばよかったのだ。
「私、日本語なんて話してないよ」
 ソフィアが奏に対してそう言った。オレには確かに今言ったことが日本語で聞こえたぞ、ソフィア。これはオレの耳が悪いのか? 頭が悪いのか? 病院行ったほうがいいのか? 次の言葉を聞き逃したら、オレは間違いなく精神科へ足を運んでいただろう。
「未来の人たちはみんな翻訳機を携帯してるんです」
 翼の生えた少女は耳の裏に付いているリチウム電池のようなものをオレたちに見せた。
 翻訳機……ああ、未来にはなんて便利な機械があるんだろうか。そんなものがあれば元々必要のない英語なんて習わなくてもいいじゃないか!
 つまり、ソフィアの発した言葉は翻訳機を通してオレたちに日本語としてやってくる。そしてオレたちが言った言葉はソフィアの国の言葉に翻訳されて聞こえるのだ。
 どうにしろ、未来人という存在を受け入れることのできる精神力と柔軟性(大瀬崎とは違った、もっとしっかりとしたもの)を持つ奏は凄いと思う。それに、オレなんかよりずっとソフィアのことを信用していた。そうしないと、オレがウソだと思ったことを真実だと捉えられるわけがなかった。
「で、なんで奏はソフィアの翼を見ても驚かないんだ」
 未来人の次は、鳥人《ちょうじん》の話だ。
「ソフィアが未来から来たってわかったんなら簡単よ。だって、未来の可能性は無限大だもの。どんな人がいたっておかしくはないわ」
 そういう考えかたもありか。
 さすが奏だ。この短時間で、しかもオレがあんなことをした後だというのに落ち着いて答えを導き出していた。
「で、ソフィアと大瀬崎を泊めたのと、何か関連があるのよね?」
 さすが奏だ。オレの部屋に来た理由を忘れてはいなかった。
 ここまできたら、昨日のことを話したほうがいいだろう。もしかしたらタイムマシン捜しを一緒にやってくれるかもしれない。オレは昨日のこと、一昨日のことを正直に話した。もちろん大瀬崎には言ってないこと――未来の世界はどうなっているのか――は教えない。
「……というわけで奏、タイムマシン捜しを協力してほしいんだ」
 一通り話を終えた。すると、奏がポツリと言った。
「なんで、私にはずっと教えてくれなかったの?」
「この件については、あまり人に教えない方が良かったと思ったからだ」
「だからって、私じゃなくて大瀬崎に頼るなんて、ひどいわよ!」
 頼ってなんかない。成り行きなのはさっきの説明で言ったはずだ。
「第一、アンタとソフィアと駿河の中でリーダー的人物がいると思うの?」
 その答えは考えるまでもなかった。オレは黙って首を横に振る。
「でしょ。だから、ずっと前から言ってるじゃない。アンタが困ったときは、私が助けてあげるって」
 その言葉は、オレが小学生だった頃に散々言われてきた言葉だった。あいつ、まだ覚えてやがったか。
 結局奏は、協力してあげる、とは言わなかった。だが、
「アンタの弱みを握ったことだし、ね」
 と独り言を言っていた。弱みとは、間違いなく例の問題の選択肢四番だろう。無意識にため息が出た。


 そういえば忘れていた昼食をオレは作った。なぜか奏でもいるので、三人分の食事をオレだけが作る。
 昨日余った大家さんのカキを使ったバター炒めを作った。
 カキなんて高級品を使った料理なんてほとんどわからないけど、バターと合いそうな気がしたので作ってみたのだ。
 完成し、カキのバター炒めを三人で食べてみた。
 オレの感想は『バター適当だったけど、カキと合ってて良かった』。
 ソフィアの感想は『おいひいです』。
 奏の感想は『もっと野菜を入れたほうが栄養バランスが良かったんじゃない? あと、バター使いすぎね。ま、マーガリンじゃないだけまだましだけど。でも、私がいるんだから、少しくらいカロリーに気をつけてくれてもいいんじゃないの? これで体重が増えたりでもしたら、どう責任とってくれる? ま、付き合い長いアンタならどうすればいいのかわかるでしょうけどね』だ。お前は文句言いすぎ。
 つまりはだ。オレたちの感想をまとめると、このバター炒めはうまいということらしい。
 昼下がり、片付けもオレ一人でやらされた。隣ではソフィアがお湯を沸かしていた。大家さんからお茶の淹れかたを教わったので、今から三人分のお茶を作っているようだ。やけどしないといいのだが……。
 食器を洗っていると、コタツの中にいる奏がヤカンをじっと見つめるソフィアと話していた。
「ソフィアは人のいるとこに出られないのよね?」
「見つかっちゃったら大変ですから……」
 ソフィアの声は重かった。当たり前だ。
「このアパートって、お風呂ないのよね?」
「そうみたいです……。もちろん、タオルで体を拭くくらいはできますけどね」
 さらに声が重く暗くなっていた。オレとソフィアが出会ってから今日で三日目。ソフィアがこの世界に行きついてからだったら、もっと前。タイムスリップする前だったら体感時間的にはずっと前のはずだ。
 その間、ソフィアは風呂に入れないどころか、シャワーすら浴びることができなかったのだ。そして、これからもそうだろう。
 オレは慣れてるからいいものの(普通慣れちゃいけないんだが)、問題はオレじゃなくてソフィアだからなあ。
「なら、少しでも楽しんでやらないとね!」
 奏が意味深長なことを言った。そして、許可なく奏は干してあったタオルを引っ張りとった。
「さあ、男子は立ち入り禁止よ」
「は?」
 意味がまだつかめていないのは、オレだけじゃない。ソフィアもそうだった。
「私がソフィアの体を拭いてあげんのよ」
「えっ! そんな……」
 ソフィアの顔が急に紅潮した。オレも顔が赤くなってる気がする。
「コミュニケーションよ、コミュニケーション。ほら、統流はすぐに出てって」
 方法はどうであれ、コミュニケーションが大切なのは昨晩に知ったばかりだ。
 判断に困ったが、最終的にオレは一言だけ言って部屋を退散した。
「二人とも、静かにな」
「え? 統流君! 助けてよ!」
「大丈夫だ。奏は不器用だけど優しい奴だから」
 ソフィアか奏が何かを言っていたが、その前にオレはドアを開け、外に出ていたから聞こえなかった。


 昼過ぎなのに、風が氷だった。上着を持ってこればよかった……と思ってももう遅かった。オレは極寒の地で眠らないように時折跳びはねながらコミュニケーションたるものが終わるのを待った。
 それにしても、女子のコミュニケーションというのは、そういうものなのだろうか。男子がそんなコミュニケーションをしたら……想像しただけで吐き気がする。それともこのコミュニケーションは奏だけのものなのだろうか。
 しかし、あの奏が自ら女子に触れ合おうとしたのは初めてかもしれない。最低でもオレの記憶にはないぞ。
 奏は奏なりに、自分を変えたいのかもしれない。変えるためのきっかけを作ろうとしているんだ。
 北風と北風の間の静けさがボロアパートにもやってきた。オレは両腕、両足をこすりながらじっと待った。
 ――統流君って、小さい頃はどんな感じの人だったんですか?
 ふと、ソフィアの声が入ってきた。とても落ち着いていて、ゆったりとした声だった。
 ――泣き虫で、おっちょこちょいで、でも私以外の人なら誰でもツッコんでたわよ。
 奏の声。悪かったな、泣き虫でおっちょこちょいでツッコミ屋で。
 オレはドアに耳をつけ、二人の会話をこっそり聞くことにした。
 ――小さい頃から今と一緒だったんだね。
 いやいや、確かにオレはツッコミ屋だが、最低でも今は泣き虫でもおっちょこちょいでもないと思うぞ。
 ここでオレはソフィアの口調が敬語でないことに気が付いた。奏に心を開きかけているのだろう。
 ――ううん。一緒じゃないわ。統流は背も高くなったし、力も強くなった。変わらないのは私のほうよ。
 ――そうかな? 奏ちゃんは凄いよ思うよ。統流君にツッコミに耐えられるもん。
 奏は耐えるを越えて反攻に転じていると思う。
 ――本当にそうならいいんだけどね……。
 そんなことを言って、しばらく沈黙が続いた。
 奏がソフィアの体を拭いているのだろうか。それにしても、よくソフィアはじっとできるもんだ。奏のほうがふざけずにちゃんとやってるとオレはみた。奏だって、ここで嫌われる……というか、気まずくなったらいけないだろう。
 いくぶん続いた止まった時間は、それを作った奏が動かした。
 ――ねえ、ソフィアは統流のこと、どう思ってる?
 その話題は興味深いな。
 ――統流君? うーん……たまにツッコミがずれるところが面白い人だなって思ってるよ。
 めちゃくちゃ細かいこと思ってるんだな。
 ――ああ、確かにあいつはよくツッコミ失敗するわよね。
 ――私がカラスにちょっかいされたこと知ってるよね? あのとき、統流君がずれたツッコミをしたんだよ。そしたら、カラスが……。
 やめてくれ、今思い出すと恥ずかしすぎるから。
『カラス! アンタらは昔、スゲー霊鳥だったろうが! なのに、アンタらはどこまで堕ちぶれれば気が済むんだよ!』
 ……やっぱり恥ずかしい。
 またしばらく沈黙が続いた。風がまた強くなったようで、寒い。早くオレを中に入れてくれ。
 ――ねえ、ソフィア。
 奏が会話を再開させる。どこかぎこちなかった。
 ――ソフィアは、統流のこと、好き?
 思わず吹いてしまいそうになった。いきなりそんなことを言わないでもらいたいな。特に、奏から言われると変な感じがする。まあ、これはこれで興味深いところはある。オレは息をひそめて耳をドアにぴったりと張り付ける。
 ――統流君のこと、好きだよ。
 ソフィアの純粋な声がオレの耳の中に入ってきた。透き通ったその声は、紛れもなく『好き』の二文字だった。
 ……は?
 ――それって、本当?
 ――うん。だって、統流君は私を助けてくれて、ラぁめん王を食べさせてくれて、私のためにいろんなことを正直に言ってくれたから。だから、統流君は家族みたいな存在だよ!
 オレたちは誤解をしていた。ソフィアはオレを異性として好きになったのではない。信頼できる人という理由で、オレのことが好きだということなのだ。
 悪い気はしなかった。むしろ嬉しい。それが、少し前まで宇宙からの侵略者だと思ってたソフィアであってもだ。
 ――そ、そっか。そうだよね。でも、気をつけなさい。統流は衝動的に羽交い締めをするから。
 奏が笑っていた。なんだ、この異様な明るさは。
 でもソフィア。安心してくれ。オレは羽交い締めなんてしないからな。例のアクシデントを除いて。
 ――うん! 気をつけるね!
 ソフィアの朝日のような笑顔が浮かんだ。外の寒さとは違って温かいんだろうなあ、と想像する。マッチ売りの少女の気持ちがわかった。
 ただし、そんな想像もひと吹きの風で吹き去ってしまった。鳥肌が体中から立っている。
 ――それにしても、ソフィアの翼は大きいわね。
 鳥肌のことを思っていたからか、話題が翼の話になっていた。
 翼のことを聞かれたソフィアは嬉しそうに応える。
 ――みんなに言われてたよ。私の住む世界の人たちにも。
 ――そうなんだ。私もこんな翼が生えてればいいのに……。
 翼か……。どこかの歌にもあったが、翼をばたつかせて大空を飛ぶのもいいかもしれない。オレの体重を支えられたらの話だが。
 ――でも、翼の生えてない人たちがバーダーをみると、ちょっと嫌な顔するんだよ。おんなじ『人』なのにね。
 ――ふうん。未来の人って全員が全員翼をもってるわけじゃないのね……。
 奏の呟きは、奏の本音を表してはいなかった。
 ソフィアの言うことを聞く限り、未来の世界にも少しばかり差別があるような気がする。そりゃそうだ。人間なんて宗教とか色とかですぐに差別したがるもんだ。
 翼なんてものがあったら人間はすぐに差別するに違いない。なんなら、未来の人の全員に翼をつければ解決しそうだが、過去の人であるオレが未来に文句を付けたところで何も変わるわけがない。過去に文句をつけるよりかは、変わる可能性が高いと言えなくもないが。
 でも、ソフィアの口調に差別なんて意味はこれっぽっちも含まれていなかった。翼の生えた人間は、他の人間とは違って差別をしないのだろうか? いや、そんなわけがないだろう。そんなわけ、ない。
 ――あ、思い出した!
 ソフィアが少し大きめの声で言った。それでも隣の部屋には聞こえなさそうなボリュームだった。
 ちなみに、奏にはちゃんとソフィアが変な記憶喪失にかかっていることを教えている。
 ――歌。歌を思い出したよ! 私たちの国で愛されてる歌。みんなが大好きな歌。
 ――歌? 聴かせてくれる?
 奏が嬉しそうに声を弾ませている。
 ――歌詞は一番しか思い出してないけど、いい?
 ――もちろんよ。
 ソフィアが照れ笑いをしているのと奏が頷いている光景が目に浮かんだ。
 ――じゃあ……歌うね。
 ソフィアが深呼吸をする。
 この歌は、日本語ではない言語が使われていた。だが、なぜかその言語は脳内で和訳され、歌詞がちゃんと分かるようになっていた。翻訳機の性能だろう。便利すぎる。
 ソフィアが、歌を口ずさみはじめた。周囲を気にして小さな声だったが、それでも小鳥のように美しく、空のように澄んだ歌声だということはわかった。

   僕は君に誓う 希望を持ち続けることを
   いつだって捨てることはしない
   君には希望の翼がある
   君の背に付く翼は 飛ぶためだけのものではない
   どんなものも包み込むやさしさを与えてくれる
   それは どんな人にも言えることだろう
   君が包み込んでくれた ひとつひとつのやさしさが
   君と僕の 一つの思い出となっていくのだ
   だから、どうか忘れないでおくれ
   思い出の中の僕たちは
   君が大空へはばたく渡り樹だということを
   そう 信じて前へ

 ゆっくりとした、静かなメロディーが一つの芸術となっていた。
 未来で歌われているはずの歌が、時空を超えてオレたちの世界に伝わった。
 この曲は、未来の曲のはずだ。なのに、この曲は過去の人間であるオレたちに何かを伝えようとしているようだった。
『思い出の中の僕たちは、君が大空へはばたく勇気だから。そう、信じて! 前へ!』
 この歌詞を心の中で口ずさむと、ああなるほどな、と思った。
 どんな世界でも、どんな時代でも、根本的なものは同じなんだ。
 ――奏ちゃん、もしかして……泣いてるの?
 まさか! オレはソフィアのセリフを聞いて、頭をドアにぶつけそうになった。
 そんなわけがない。奏自身もそのことを否定する。
 ――そ、そんなわけないじゃない! ただ、ただ感動しちゃっただけよ。だ、だから、アンタの顔見ると、もっと感動しちゃいそうで……。
 奏の言っていることは嘘ではないと思う。ソフィアが嘘を言っているわけではないが、勘違いをしていることはあるだろう。
 オレがそう思うのは、小学校の頃からずっと泣き顔を見たことがないからだ。どんなに苦しいときがあったって、あいつはオレを励ましている記憶しかない。その逆があったか、と言われたら「ない」と自信を持って言い切れるだろう。
 ――私の顔って、そんな風に見えるの?
 天然なソフィアがそんなことを言っていた。お前の顔を見ると、周囲(ソフィアを知ってる人)が和むか、(ソフィアを知らない人なら)悲鳴を上げるかだろう。
 ――そうじゃないけど……。ほら、もうそろそろ終わらせましょ。これ以上やると羽が抜けちゃいそうよ。
 ――あ、そうだね。ありがとう。わたしの翼、大きいから一人じゃ洗えなかったんだよ。
 どうやら、奏はソフィアの翼を手入れしていたようである。あの大きさはソフィアの腕の長さよりも大きいのだから、手の届かないところがあってもおかしくはないだろう。
 そろそろ奏の『コミュニケーション』は終わるだろう。息を吸って、吐く。音をたてないようにドアから耳を離した。
 今夜からタイムマシン捜しはオレ含め四人で行う。オレがソフィアの力になると誓ったあのときに比べれば、人数だって増えた。人数が増えたってことは、ソフィアだって淋しい思いをしなくて済むってことだ。それはソフィアにとって悪いことではない。逆に人数が増えたということは、いろんな問題が増えるということだけど、それでも仲間が増えたのはソフィアにとっていいことに変わりはない。
 オレが最初にソフィアを見つけ、部屋に運んだときの一歩から今まで、小さな一歩をゆっくり踏みしめていった。ゴールはどこにあるのかわからないけど、スタートからずいぶんと遠い所にまで来たような気がした。
 冷たい風が吹きこんできた。やっぱり外は寒い。
「統流、入っていいわよ」
 奏の声だ。オレはようやく南極の極寒から脱することができるようだ。
 ドアノブを回し、開ける。
 目の前に、笑顔のソフィアとわざと視線をそらす奏がいた。
 オレは心に誓った。一人で解決できるなんて思っちゃダメなんだ。今いる二人と、家出を終えて叱られているであろう大瀬崎と『そう、信じて、前へ!』


 オレたちは人々が目覚める前に、ゴミ出しのおばさんや犬の散歩をするおじさんが近所をウロウロする前にアパートへと戻った。
 オレの部屋はオレがソフィアを慌てて追いかけたものだからかなり汚れていた。布団が飛んでたり、寝巻がコタツの上に放置されてたりして、かなりごちゃごちゃしている。
 簡単にまとめて、オレはヤカンに水を入れた。
「お茶淹れてやるから、少し待ってろ」
 玄関に突っ立っていたソフィアに向って言った。いつもなら遠慮なくドカドカ入ってくるのに(と思ってこいつが自分の足でこの部屋に入るのは初めてだと気付いた)なぜか今はキョロキョロと辺りを見渡し、落ち着いていなかった。
「統流君の家……」
 ソフィアが呟いた。
「今日からずっとここが私の家なんだ……」
「いや、お前には帰る場所があるだろ。勝手にソフィア宅にすんな」
 ソフィアはいつも通りだった。カラスにやられて傷だらけだというのにこの元気。もしや、オレはソフィアに騙されたんじゃないよな?
「うん、ソフィア宅。私の帰る場所はここだよ。統流君もそう言ってたもん」
 オレは騙されていた。……まあ、オレもそんなことを言ってしまったのが悪いんだが。
 ソフィアがそう言って、コタツに座った。オレのため息をものともせず、能天気に部屋をまだ見渡している。
 タイムマシンとやらが見つかるまでオレはこいつのお世話をしなくちゃいけないのか……。気が重くなる。
 でも放っておくよりかはマシだと思う。その意志は変わらなかった。乗り掛かった舟だ。ここがオレとソフィアの家なら、オレは切りつめてでも人間らしい生活をしていくぞ! と大黒柱の統流君は誓った。いつまで持つかわからないが。
 生活……という言葉でふと疑問が湧いた。
「お前って、向こうの国ではどんな生活をしてたんだ?」
「それが……」
 オレ尋ねると、ソフィアの顔がふっと暗くなった。さっきまでしゃんとしていた翼まで影が落とされる。
「わからないの。タイムスリップしたときに記憶を無くしてしまったみたいで……」
「そう、なのか」
 いわゆる記憶喪失。……なんというお約束だろうか。
 お湯が沸いてきた。白い蒸気が立ち上がり、そして消えていく。
「あっ! でも、覚えてることがあるよ!」
 ソフィアが急に顔をあげる。その表情を見るかぎり、ちょうど今思い出したようだった。
「私は、鳥の人……バーダーって種族なんだ!」
 ソフィアが自慢げに言った。とはいっても、そんなことくらいわかっている。そのでっかい翼を持っていながら「普通の人間です」なんて言われても誰が信じるものか。
 でもその翼は天使のものではなく鳥のものだったのか。それはそれで発見だ。あと、お前みたいな翼の生えた奴を鳥の人とかバーダーとか呼ばれていることも大切な発見だろう。間違えて翼の人と言わなくてよかった。
「それにね、私は空に浮く島に住んでたんだよ!」
「はぁ?」
 思わず声をあげてしまった。近所迷惑だと思って口を閉じてももう遅い。ま、誰も来なかったから気にしなくてもいいだろう。これからは気をつける。
 しかし、空に浮く島……聞いたことがない。もしかしたら『空に浮いているように見える島』のことかもしれない。またはこいつが夢見がちなだけか。
 それにしても、青い髪と服とスカート、鳥の人に空に浮く島、そしてソフィアの苗字ブルースカイ……。なんとなくではあるが、共通して空に関係あるように思えなくもない。こいつは嘘を言ってるのだろうか。
 ソフィアの顔がまた曇る。
「それで、私はその島から何者かの手によって突き落とされました」
「な、なんだってぇ!」
 マンガのような展開にオレは叫び声をあげてしまった。隣の鈴木さんが起きなければいいが……。
 それにしてもこの少女、この若さでそんな経験を持っているのか。人(バーダーだっけ?)は見かけによらないな。
 というか突き落とされたらやばいだろ。しかも空に浮く島という俗称の島からだとなおさらだ。落ちて生きていられる高さなのだろうか?
 いやいやまてまて。こいつは突き落とされたといっても、まさか崖っぷちというわけではないだろう。公園の砂場の上で、とかそういうことを言うに決まってる。
「しかも、崖っぷちからです」
 ああ、なんでだよ……。嘘にもほどがあると思う。やっぱりこいつは嘘つきだ。
「付き合ってられん。ってか翼が付いてんなら飛べばいいだろ」
「あのときは飛べなかったの!」
 ソフィアの言い訳を聞き流してオレは立ち上がった。お茶を淹れるためにヤカンを手にとる。
「私はあのとき、飛べなくて、ただ落ちることしかできなくて……あっ!」
 オレの背中の方からぽんと手を叩く音が聞こえる。
「その時に私はタイムスリップしたんです!」
 思わぬ言葉にオレはヤカンのお湯を手にぶっかけてしまった。
「うあっちぃ!」
「と、統流君! 大丈夫ですか!」
 あわあわとソフィアが駆けよってきた。心配されてるが、原因はお前だ。
「水かけてれば大丈夫だ。お前はコタツでゆっくりしてろ」
 なぜかオレはソフィアに優しい言葉をかけていた。
 ソフィアは、ごめんねと言ってコタツに潜り込んだ。
 蛇口をひねると冷水が出てきた。冬の、しかも早朝の水なので、氷を液体したようなやつが手に降りかかってくる。氷を液体にしたようなものってのが一般的に水と呼ばれるんだが、水とは比べものにならないくらい冷たい。といっても、今降り注いでいるのは水だ。なんてややこしいことか。
「そういやソフィア。お前昨日、過去へ旅行しようとしたらタイムマシンとやらが故障したって言ってたよな? お前らの国の人間は旅行するためにわざわざ突き落とされなきゃいけないのか?」
 突き落とされたとき飛べなかった、というのも嘘臭いが、昨日言ったことと今言ったことは明らかに矛盾している。
「きっと……旅行じゃなかったんだと思う。過去へ強引に飛ばされたんだよ、たぶん。昨日言ったことは……記憶のホテンみたいなものじゃないかな?」
 記憶の補填。失われた記憶を、想像で埋めてしまうとかそういう奴だとどこかのマンガで読んだ。
 ソフィアは記憶喪失だと言っている。しかし、これは本当に記憶喪失なのだろうか? 現に今、思い出していることがある。記憶の補填だって、どうせなら全部やればいいものを一部しか埋められていない。
 これはどういうことだ?
 ソフィアは未来から来たと言い張っているだけで、ただの一般人なのか? でもそれならこの翼はなんだ? しかも今朝はオレの目の前で確かに飛んでいた。ソフィアが普通の人間ではないことは誰が見てもわかる。じゃあソフィアは本当に未来から来たのだろうか。わからない。しかし、今はもう信じるしかないだろう。
 よし、やけどもこのくらい冷やしておけば十分だ。蛇口を閉め、冷えて痺れた手で再度ヤカンを手にした。火を消して数分経った、熱湯に近いお湯を急須に注ぐ。
 急須をコタツの上に置き、食器棚から湯呑を二つ取り出してこれもコタツに置いた。オレと来客用だ。狭いから一歩も歩かずにこれらの動作ができる。また、狭いからこそオレは整理整頓を心がけている。ソフィアが来てさらにこれ以上狭くなったら、ちょっとでも掃除を怠ったら間違いなく部屋は崩壊するだろうな、と苦笑した。
 四十秒くらい経ち、急須のお茶を二つの湯呑に注ぐ。少しずつ交互に淹れることで味が均等になるそうだ。
 最後の一滴まで淹れ終えると、来客用の湯呑をソフィアの方に置く。オレは自分の湯呑でお茶を一口飲むとまた台所に立った。
「どうしたの?」
 ソフィアが訊く。
「朝食と昼食の準備だ」
「もうお昼の支度もするの?」
「昼はお前だけだ」
「え……?」
 ソフィアは首を傾けたまま何かを考えていた。だからオレが教えてやった。
「オレは学校の学食を食うんだ。お前は外出できないんだろうから、オレが作ってやるんだ。わかるか?」
 ソフィアはびっくりして翼をばたつかせた。
「統流君も学校行くの? なんで私は外出できないの? 統流君料理できるの?」
 いっぺんに三つも質問されてしまった。
「学校くらい通ってる、お前と会ったのも放課後だし。外出られないに決まってるだろ、エイリアン騒ぎになる。オレだって料理くらいできる、毎食ラぁめん王食ってるなんて思うなよ」
 オレも一気に三つ答えてやった。
「そんなに言われても、何が何だかわからないよ……」
 ソフィアが困った声を漏らしていた。
「お前が質問三つもぶつけてきたからだろ!」
 なんて天然なんだ、この少女は。


 ソフィアの眼は青いので、おそらくヨーロッパの人なのだろう。いや、翼が生えてる時点で純粋なヨーロピアンではないと思っているが、ヨーロッパの血も混ざってると思う。
 なので朝は洋食にしてみた。
 トーストにバター、目玉焼きとベーコン、簡単なサラダ。そして緑茶。残念ながら、飲み物だけは和になってしまった。オレの家には飲み物は水道水か緑茶しかない。ペットボトル飲料は金銭的に友達とワイワイする時くらいにしかムリだ。しかもソフィアが居候することになったのならなおさらだ。次ファンタを飲めるのは何年後だろうか。とにかく早くこいつのタイムマシンとやらを見つけて、国に返さないといけない。
 ちなみにソフィアの昼飯はサンドウィッチだ。とりあえず学食のキャベツパン(ネーミングセンスが悪くて、むしろ印象に残っている)をイメージしたらできた。
 これは昼食だからすぐに食うなよ、とソフィアに言ってからオレはコタツに座った。そして、朝食が始まる。二人で初めての朝食だ。そういえば昨日はラぁめん王をこいつにとられたから、二人で食べる飯はこれが初めてだった。
「あ、このトースト」
 バターが塗られたトーストをかじったソフィアがぽつりと言う。
「私のとこと違う味だ」
 祖国のパンの味なんてわかるもんだろうか。と思って、オレはタイ米を思い出した。確かに日本の米とタイ米の味は違う。オレにそれがわかるんだから、ソフィアも小麦粉の違いがわかるのかもしれない。
「ねえ、この小麦粉はどこ産?」
 その質問は、かなりマニアックだった。
 コシヒカリとあきたこまちの違いもわからないオレに訊くな。
「アメリカじゃねえの?」
 適当に言って終わらせようとした。
「アメリカって……どこ?」
 ソフィアが和やかな口調で言った。ベーコンを食っていたオレはむせた。
「い、いきなりボケるなっ!」
「だって、本当にわからないんだもん!」
 ソフィアの語気が強くなった。そういえば、ソフィアは一応記憶を失っているんだったか。
 オレは渋々箸を置いて、カバンから世界史の教科書を取り出し、世界地図のページを見せた。
「いいか、ここが日本だ」
 オレの指は、ユーラシア大陸の隅にある小さな島をさした。そして、その島の左にある大きな海を渡る。海の終わりには大きな大陸があった。
「ここが、アメリカだ」
 こう言っても、記憶がないのだから思い出すわけがない。そう思ったのだが、ソフィアはオレの想像の斜め上をいくことを言った。
「……世界地図が違う」
 それは、誰に対する、何に対する反論だろうか。
「私たちの世界地図は、ここら辺だけだよ……」
 ソフィアが指したのは、トルコからヒマラヤ山脈辺りの地域だった。いわゆる、西アジア、中東アジア、オリエントと呼ばれる場所だ。どういうことだ?
 ソフィアは未来から来たと言っていた。でも、ソフィアはその地域を指して『ここら辺だけだよ……』と言っていた。
 まてよ……。もしかしたらソフィアは未来の人間なのではなく、過去の人間なのかもしれない。なぜかというと、この地域はメソポタミア文明、インダス文明の中心である場所だ。オレはその周辺地域の地図も当時作られていたことを知っている。当時の世界は狭かったのだ。でも、それはありえなかった。そのときの地図は世界史の教科書に載ってるような正確な地図ではなかったからだ。実際の地図を見たところでオリエントがどこにあるかなんてわかるわけがない。
 じゃあやっぱりソフィアは未来の人間なんだ。つまり、未来の世界は何かによって一部だけになってしまったということなのか……?
 自分で考えても信じられない。未来は何が起こっているんだ?
 ……未来に関わるのは、それなりにリスクが必要なのかもしれない。そう思って強制的にオレはオレ自身を納得させた。この件は深く入ると精神が参ってしまうような気がする。
「おい、ソフィア」
 世界地図からサラダへと目を向けたソフィアがオレを見た。
「喜べ。今からオレは、お前を未来から来たバーダーだと認めよう」
 少し王様気取りな口調で言った。
 つまり、オレはこいつが未来の人である、ということを仮定としてこれから過ごすことにする。まあ嘘をついているという可能性もゼロではないので、あくまで仮定なわけだが。
「ずっと信じてなかったの?」
 今さら的な視線を向けられた。
「オレは慎重だからな」
 自慢にならない自慢をした。
「でも……良かった。私を信じてくれるんだね」
 少女はキラキラと目を輝かす。
 無論ソフィアの全てを信じているわけではない。同じ屋根の下で暮らすんだから、少しくらいは信じてやってもいいと思っただけだ。コミュニケーションは大事だからな。
 もちろんそれでこいつが嘘をついていたら即追放してやる気持ちを抱きながら。


 朝食を食べ終え、オレはハンガーにかかった制服を手にとった。時刻は八時。このアパートと高校はなかなか近いところにあるので、今から準備をしてゆっくり歩いても間に合う時間だ。
 寝間着を脱ごうとすると、コタツからじっとオレを見る少女がいた。
 そういやこいつ、女だったな……。そう思うのと同時にオレはカッと熱くなり、恥ずかしくなった。
「こ、こっち見んな!」
「あっ……ごめんなさい!」
 ソフィアが白い翼で顔を覆った。手よりも遥かに面積が広いのでチラ見もできないだろう。
 その翼は、カラスの件で所々むしり取られていた。見えてしまっている鳥肌も、赤い点々や線が無数にあり、痛々しかった。
「ソフィア……その、痛いか?」
「え?」
 白い翼からソフィアの顔がひょこっと現れた。オレは上半身裸だった。
「だから、見るなっ!」
 ソフィアが瞬時に顔を覆った。ほのぼのしすぎだぞ……。
「で、傷は痛くないか?」
 オレはソフィアの翼を指差した。といっても、ソフィアにはオレが指をさしているところなんてわかるわけがないんだがな。見てなければ。
「もちろん痛いけど……。でも大丈夫。掠り傷だし」
 ソフィアはそう言っていた。しかし、その生々しい傷を見るとどうしても心配になってしまう。
「ソフィア……、その体勢で、その体勢で聞け」
 オレはソフィアの翼がもぞっと動くのを見て『その体勢で聞け』という言葉を付け足した。
「救急箱は時計の下の棚にある。それを自由に使っていいからな」
 消毒液と絆創膏と包帯くらいしかないが、あるだけマシだろう。
「うん。ありがとう」
 ふう、とため息をついてからオレはYシャツを着る。それから寝巻のズボンを脱いだ。
「それから、誰かがチャイムを鳴らしても絶対出るんじゃないぞ」
「なんで?」
 ソフィアが翼で顔を包んだまま尋ねてきた。
「なんで? って……。お前なあ、翼を見た奴は普通驚いて、ケーサツ呼んで、最後に捕まえられてテレビ局で報道されるのがオチだぞ」
 ソフィアが怪しい珍獣番組に登場しているところを想像すると、寒気がした。
「だから」
「統流くん、差し入れだよ」
 玄関のドアが開け放たれた。朝の日差しがパッと暗い部屋に入り込んだ。
「こんなふうに誰かが来たら居留守を使え……って」
 オレは玄関を見た。そこには穏やかな表情をした老人が立っていた。手にはなぜか盆栽。
「お、お、おお、大家さん!」
 この老人はこのアパートの大家である。とても優しくて、今のように差し入れ(よくわからないものから日用品まで多種多様なもの)をよくくれる。
 しかし、今この時間はまずかった。
 ちなみに、今オレの部屋の構成はこうだ。
 玄関に大家さんが立っている。彼から見て右側にオレが立っている。しかも制服のズボンを穿きかけているというかなりへちょい格好で。もちろんパンツは見えてしまっている。さらに厄介なのは、大家さんから見て左側に――オレの目の前に――翼の生えた少女がちょこんと座っていることだ。白く大きな翼で顔を隠しながら。
 変な誤解が生まれそうだった。
 オレは慌ててズボンを穿き、ソフィアをコタツの中に押し込んだ。
「統流君、い、いたいっ」
 と、ここでオレはもう手遅れだということに気付いた。
 老人の大家さんがオレの部屋にやってくるとき、チャイムを鳴らさなければノックもせず、ただマスターキーを使って無断で部屋を開けるのだ。このアパートとの付き合いも長いので、そのくらいは十分承知だったのにすっかり忘れてしまっていた。
「統流くん、この子は一体?」
 大家さんが首を傾げる。
 オレは大家さんのほうへ駆け寄る。
「お、おお、大家さん。こここ、これはですね――」
 とっさに言い訳を考えようとするが、何も思い浮かばなかった。誰かがオレの部屋にあがりこんでくるなど考えもしなかったから当たり前だ。
「もしや、統流くんの恋人かの?」
 ……は?
 と大家さんに向かって言いそうになった。
「いや驚いた。ついに統流くんにも彼女ができたんだなあ」
 大家さんは、おめでとうおめでとうと言ってオレの肩をぽんぽんと叩いた。
「大家さん、それよりあいつを見てどうも思わないのか?」
 オレは頭を押さえながらコタツから出てきた翼の生えた少女を指差した。ふかふかしていそうな白い翼がその背についている。
「ふむう、欧州大陸のべっぴんさんかの」
 大家さんはボケていた。もうオレがツッコミしたところでどうにもならないだろう。
「あー……、大家さん。あいつの背中に何か生えてるの、わかるか?」
「生えておると……?」
 大家さんは目を細めてソフィアを見た。
「かわいい子じゃのお」
 そう言ってフォッフォと笑った。呆れるしかなかった。
「まあまあ、統流くんの言いたいことはよくわかるよ」
 ゆっくりと大家さんはオレへ近づいてきた。くしゃくしゃの手がオレの髪をくしゃくしゃにする。
「その子のこと……他には漏らしてならん、ということじゃな」
 目を細めて大家さんは笑った。
 ときたまオレは大家さんがボケてる老人なのか、それとも人の心を読み、状況を理解できる人間なのかがわからなくなる。もしかしたらソフィアを見てすぐにバーダーだとわかっているのかもしれない。だから大騒ぎにならないようにわざとボケているようにも見えた。もちろん、ただそう見えるだけで本当は年老いたじっちゃんなだけかもしれないけど。
「そうそう、差し入れを忘れてたよ」
 大家さんが、手に持っていたものを差し出した。
「ほれ、盆栽じゃ」
 煉瓦のような赤茶の盆に、苔むした土、迷路のように曲がりくねった根、同じく波のようにうねる立派な幹、ウニのイガイガみたいで、抹茶のように濃い緑色の葉。
 いかにも和、だということは理解したが、オレにこの盆栽の素晴らしさが全くわからなかった。
「……それなら鈴木さんにやってください。喜びますよ」
 大家さんはボケてるに違いなかった。
 オレは大家さんを部屋から追い出した。大家を追い出すという変な矛盾が生じているところが何とも笑える。
 大家さんはソフィアを見てしまったが、どうやら大事にはならないようだ。大家さんが大家さんで本当に良かった。
 大きくため息をついてからオレはソフィアを見る。
「というわけで、誰かが来たら大騒ぎになる。だからオレが帰ってくるまで静かにしてるんだぞ」
「あの人は大騒ぎしてなかったよ」
「大家さんは例外だ」
 そう言ってオレはジャンパーとカバンを手にとって玄関を開けた。
「いいか、おとなしく待ってるんだぞ」


 確かにオレはソフィアにおとなしく待ってるように言った。しかし、あいつがはたしてオレが帰ってくるまでの八時間近く、おとなしく待つことができるのだろうか? オレが高校に登校したあともソフィアのことが心配だった。
 オレがいない間に誰かが入ってきて、ソフィアを見て何かがあったら……と思うと退屈な世界史の授業中でもぼんやり外を眺めてなんていられなかった。
 なぜかオレは娘を心配する父親のようになっていた。オレは心配性だったか? きっとあのとき大家さんが急に入ってきたからオレはソフィアを心配しているのだろう。オレがいない間に誰かが入ってくる可能性がゼロではない、ということを知ってしまったから。
 黒板にはちょうど冷戦についてのことが書かれていた。
 ソフィアの住んでいた未来の地図が変わっていたことを思い出す。正確には世界が一部だけになってしまった、ということだが。
「ソビエト連邦で造られた『ツァーリ・ボンバ』という核爆弾は、人類史上最強の威力を誇る水素爆弾であります。ここチェックね」
 世界史の先生がそんなことを言っていた。
 いつもなら大したことないと、ただ落書きまじり適当にノートを書くだけだが、今日のオレの想像力はたくましかった。そんな爆弾がたくさん作られたとしたら、地球は一瞬で死の星になるんじゃないか? と頭の片隅で思った。
 ソフィアが世界地図を指した部分が頭から離れない。
『私たちの世界地図は、ここら辺だけだよ……』
 未来の世界で核戦争が起こって、それでソフィアの指差した地域だけがその被害から免れたとしたら、ソフィアの言ったことと辻褄が合う。
 オレはポジティブ派だが、こんなことを考えると急にネガティブになってしまうようだ。こんなこと初めてだ。
 もやもやした心をどうにかしたくて、オレは現実逃避――つまりは居眠り――を強行した。


「穂枝、おい穂枝」
 誰かがオレの背中を叩いていた。
「穂枝……、お、おい……。ほ、穂枝?」
 誰かがしきりにオレの名を呼ぶ。
「もしや……勉強に疲れて、生きることに疲れて、息するのも疲れて、死んじまったのか! 穂枝っ! 穂枝ぁっ!」
「オレはまだ死んでない! ってか、それじゃあ死因が窒息死じゃねえか!」
 ガバリと起き上り、ツッコんだ。窒息死じゃなくて、孤独死くらいにしとけ。
 振り返ると、髪を金色に染めた少年が立っていた。さっきオレの名前を連呼した奴だ。学ランのボタンを全て開けている。
「ゾ、ゾンビー!」
 そう言って、金髪の少年は跳びはねた。
 この男子生徒は見た目は不良だが、実に憶病で、ツッコミがいのある少年だ。大《お》瀬《せ》崎《ざき》駿《スル》河《ガ》、オレの親友だ。
「で、大瀬崎。結局お前は何がしたかったんだ?」
「起こしてあげたのにそれはないでしょ! あと、ゾンビについてツッコんでくれよ!」
 また、ツッコミがいもあればいじりがいもある奴だ。
 大瀬崎のおかげで目が覚めたオレは、黒板の上にある時計に目をやった。十二時四十二分。どうやら寝ている間に昼休みになっていたようだ。(オレの高校は、十二時四十分から昼休みになる。オレ的にもうちょっと早く昼休みになってもいいと思うんだが)
「まあいいや。ほら、学食行こうぜ! 学食!」
 大瀬崎はオレに比べまだまだ元気そうだった。
 オレは重い腰をあげた(慣用句ではなく、普通に重かった)。と、いつものメンバーの一人がいないことに気付いた。
「大瀬崎、奏はどこ行った?」
「神子元か? ……そうか、穂枝は寝てたから知らねえのか。神子元は食堂で席取りにいったぜ」
 まあ、あいつならオレたちの分まで席を取ってくれるだろう。
 神子元《みこもと》奏《カナデ》、オレの幼馴染みだ。同じ小学校、同じ中学校を共に過ごし、そしてオレが静岡からこの高校へ入学したとき、奏も同じ高校へ入学した。
 オレをつけ狙っているんじゃないかと思う。あいつは女だが、逆ストーカーされてるんじゃないかとたまに感じる。といっても、向こうからしてみればオレが奏をストーカーしていると思われるだろう。というか、奏はこの高校の近所に住む奏のおじさんとこに住んでるから、やっぱり独り暮らしをしているオレのほうが世間的にストーカーっぽく見える。断じてストーカーではないことをここで誓う。
 そんな奏だが、何もかもきっちりしている仕切り屋だ。オレは小学生のころからずっと奏に仕切られていた。オレが「奏、席取りに行ってこい」と言っても「アンタが行けばいいでしょ? 行ってきなさい」と命令される。もう慣れっこだが。
 でも奏は何をやるにも一生懸命なので、自分からやると言い出したことならば食堂での席取りだって一生懸命にこなしてくれることだろう。
「おい穂枝! ボケっとしてんなら行くぞ! 早くしねえと神子元が怒っちまうぞ!」
 そう言って、大瀬崎は教室を早足で出て行った。
 オレはこの時間から行ったとしても、だいたいあいつがどんなことを言うのかわかっていたから、ゆっくりと余裕をもって歩きはじめた。


「遅い! 遅すぎるわよ!」
 オレたちが食堂に着いて、大勢の生徒たちから発せられる雑音より先に奏の怒声が聞こえた。オレは予想していたので特に何も思わなかったが、大瀬崎の方はイラッとしていたようだ。
「俺たちだって、できる限り早く着くように努力したんだよ!」
 大瀬崎が奏に負けないくらいの怒鳴り声をあげていた。ちなみにオレは早く着く努力をしていない。
「私はアンタ達が来る前から何も食べずに食欲と周りからの目線に耐えてたのよ! そんくらいわかってよね!」
 やれやれ、奏に歯向かっても何の意味もないことくらいそろそろわかってほしい。
 オレたちは、八ヶ月間もこうして過ごしている。そろそろ大瀬崎にも奏のことがわかってもらえないと困る。ま、あいつはアホだから八年くらい一緒にいないとわからないか。
 しかし、よく奏は飲まず食わず、独りぼっちでオレたちを待つことができたな、と感心した。オレだったらパンか何かを買って待ってしまうだろう。といっても、オレは席取りになったことがないので、なんとも言えない。なぜなら、いつも席取りをしてるのは(雑用の)大瀬崎だからだ。それ以外は三人で食堂へ行く。
 辺りを見渡すとどの席も全て埋まっていた。そして、カウンターはパンや定食などを注文する生徒たちで満員電車のようにぎっしり詰まっていた。
 学食は、戦場である。
「というわけで、私は日替わり定食ね。飲み物はほうじ茶で宜しく、駿河」
 奏がきれいな笑顔を大瀬崎に見せて小銭を差し出した。奏は、ただ人ゴミにまぎれたくないだけなのだろう。
「なんで俺が行かなきゃいけないんだよ!」
 カッとなっと大瀬崎がぼやく。
「宜しく、ね。ス・ル・ガ・ク・ン」
 奏の口調は先ほどと変わらないが、目が笑っていなかった。手に持つ小銭をチャラチャラと鳴らす。
「かしこまりました」
 大瀬崎はうやうやしく礼をし、奏から小銭を貰って戦場へ突っ走っていった。わかってるじゃないか。反抗したって「あんた達が来るのを待ってやったんだから、このくらいのことはしなさいよ」と言われて撃沈されるだけだ。それでもオレ的にプライドを捨てないでほしかった。
「やれやれ……」
 オレも、大瀬崎についていくことにした。


 オレたちは戦場を突っ走った。どうも強引に進もうとした大瀬崎は人ゴミに跳ね返され、何度も何度もフリダシに戻っていったようだったが、オレは順調に生徒たちの流れに沿って進んだ。
 三分程経っただろうか、オレは親子丼と野菜ジュースの乗ったお盆を手にし、奏の待つテーブルに戻った。
「駿河は?」
 奏が訊いてくる。
「あいつなら、そろそろ死んでると思うぞ」
「いいえ、駿河は何やられても死なないわよ」
 そういやそういうキャラだったな。オレは奴のキャラで納得した。
 ひとまず大瀬崎のことは置いておき、オレは親子丼と野菜ジュースの乗ったお盆を奏の横に置いていつもと同じように奏の前に座った。そして、そいつらを食わずに大瀬崎が来るのを待った。
 食堂はいつもどおりとても賑やかだった。
 ふとソフィアのことを思い出した。
 あいつはオレの作ったサンドウィッチは食っただろうか? 味見するのを忘れてしまったことにいまさら気付き、ちゃんとバターを塗ったか心配になってきた。うまいだろうか? それともまずいだろうか?
 しかもソフィアはオレの部屋で、一人っきりで昼食を食べるのだ。この世界にいる間、ここのような賑々しい昼食は食えるのだろうか。
 夕食はちゃんと一緒に食べてやろう。そう思った。
 そのあとで、夜が更けたらタイムマシンを捜す。今日はこんなスケジュールにする。
「統流、なんか今日のあんた変よ?」
 オレはビクッと前に座る奏を見た。
「なんか、挙動不審って感じ。もしくは、ボケーっとしてる」
「昨夜、あまり寝られなかったんだよ」
 それは嘘ではない。
 ただ、ソフィアのことは言えなかった。
「……ふうん」
 奏はそれだけ言った。
 あまり気にしていないようだ。
 もしかしたら……、もしかしたら奏ならソフィアを受け入れることができるかもしれない。
 オレの勘がそれを知らせていた。
 タイムマシン捜しも協力してくれるかもしれない。
「なあ奏」
 大瀬崎がまだ来てない今がチャンスだと思い、尋ねてみた。
「なに?」
 奏は窓の外を見ていた。あまり真剣には聞いてくれなさそうだった。
「夢で見たんだが、もし路上に天使が倒れてたらどうする?」
「は?」
 奏がオレのほうを見た。しかもかなり怪しいものを見るような目で。
 オレは苦笑いしながら続けた。
「いや、だからさ、夢の話だ。もしお前が普通に歩いてて、そしたら天使が倒れてたとしたらお前はどうする?」
「無視するわ」
 答えをあらかじめ決めていたかのような言いかただった。
「だって、変に関わったらあとあと大変じゃない。触らぬ神に祟りなしっていうしね」
 ごもっともな意見をありがとう。おかげでお前に何も頼めなくなった。
 オレの勘は、普段こんな感じで当たらない。
 微妙な空気が流れる。と思ってるのはオレだけで、奏は特に変わりなく外の山々と湖を眺めているだけだった。
「あのー、なんかめちゃくちゃ重いんすけどー!」
 ちょうどいいタイミングで大瀬崎がやってきた。お盆に乗った日替わり定食と、大瀬崎が食う分であろうカレーライスの乗ったお盆を二段重ねにして持っていた。
 そのバランス感覚はこの八ヶ月間でかなり上達していた。
「あ、ありがとねー」
 主に大瀬崎にバランス感覚を養わせている奏が気楽そうに言った。
「ここ置いといて」
 と、奏はテーブルの手前を指でさした。
「俺って、一体何なんだ……?」
 オレになんだかよくわからん哲学を投げかけながらも、大瀬崎は奏に指定された場所に日替わり定食(今日は白米に味噌汁、鮭に漬物など純和風定食だ)とほうじ茶の乗ったお盆を置き、大瀬崎は自分の前にカレーライスを置いた。
「それじゃ、戴きましょうか」
 仕切り屋の奏が手を合わせながら言った。
 いつも通りの昼食が始まった。
 大瀬崎はいつもカレーライス系かラーメン系(麺類ではない。ラーメン系だ)。奏は日替わり定食。オレは丼かパン。ここの学食は他の高校と比べれば結構バリエーションが多いと思う。静岡よりも東京に近いからか、それともここが特別なのかのどちらかだろう。それかこのくらいのバリエーションが標準的なのか。
 テーブルをはさんで、先生に対する愚痴や宿題の話、大瀬崎をいじったりと、いつもと変わらない、周りからみればあれのどこが楽しいんだ? と思われるような他愛のないことが楽しかった。
「そうだ、穂枝」
 大瀬崎がカレーを半分くらい食べたところで言った。
「なんだ?」
 ちなみにオレはもう親子丼の三分の二を平らげていた。昔から食うのは早い。野菜ジュースを手に取る。……オレはこう見えて、栄養バランスを考えているんだぜ。
「今日、家出する予定だから泊めさせてくれ!」
 オレは盛大に噴き出し、野菜ジュースを大瀬崎にかけてしまった。
「うわっ! ばっちい!」
 大瀬崎がわめいた。どうも、ソフィアと会ってから吹いたり噎せたりしてばっかのような気がする。
「ちょっと、統流」
 奏がオレにとびっきりの笑顔を振る舞った。ああ、今からオレは怒られるんだ。大瀬崎がいつもやられているように。
 ……と思ったら、奏はウィンクしながらオレに親指を突き出していた。
「ナイスよっ!」
「ナイスってなんだよ! おい!」
 野菜ジュースまみれの大瀬崎がツッコミを入れた。
 オレはため息をついてから大瀬崎の方を見る。
「あのな、第一家出する予定ってなんだよ。予定って」
「ほら、今日って通信簿渡されるだろ?」
 そうか。そう言えば今日は冬休みの前々日だ。昨日のホームルームでそんなことを言っていたような気もする。
「だから、ジジイとババアに怒られる前に家出するんだよ。俺って頭いいだろ?」
「……いまさら言うのもあれだが、お前って小学生だろ」
 小学生で、しかものび太のようだ。
 発想が呆れるを通り越して笑えた。
「いいよいいよ小学生で。だから、お前んところに泊めさせてくれよ!」
 とにかく泊めさせてくれということしか考えていないとわかる口調だった。ずっと気になっていたが、やはりこいつにはプライドというものがないらしい。
 しょうがないな……と思ったところで、オレはソフィアを思い出した。
 やばい。これはやばい。特に、大瀬崎なところがやばい。大瀬崎がアパートに来てソフィアとばったり会ってしまったら、大瀬崎は大声をあげるに違いない。
 意地を張っているが、あいつは妖怪みたいな奴が大の苦手で、お化け屋敷の入り口に描かれている絵だけですくみあがってしまうほどだ。……ソフィアは妖怪でないにしろ、翼が生えているだけであいつはエイリアンと勘違いするだろう。オレだってまだソフィアが何者なのかよくわかっていないんだから。
 大瀬崎の悲鳴で隣の鈴木さんがオレの部屋にやってきて、鈴木さんもソフィアを見てしまったらオオゴトになってしまう。それだけは防ぎたいところだ。
「ダメだ。お前みたいな奴を泊めて、わいわい騒いで、オレがアパートから放り出されたらやばいだろ」
「頼む! ワイワイしないから! ちゃんとマニュアル通りのお客さんとして静かにするから!」
 大瀬崎は両手を合わせ、拝んでいる。
「マニュアルってなんだよ! ってか、その前にちゃんと叱られてこい!」
「俺のババアは怖いんだよ!」
「だから、小学生かっ!」
 一応確認しておくが、オレたちは高校一年生だ。こいつが進学できたことに、正直驚きを隠せない。
 とにかくこいつがオレんちに泊まることだけは阻止せねばならない。オレは助け舟を求めるように奏を見た。
「別に、泊めてやってもいいんじゃないの?」
 なっ……。
 奏の奴、絶対にオレのことなんて考えてない。
「それに、一日家出したってその次の日に怒られるから変わらないわよ」
 確かにその通りだ。皮肉なことに、助け舟はドロでできていた。いや、奏にそんなことを言ったら怒られるから心でそう思うだけだけど。
「ならもう一泊してやる!」
「やめろっ!」
 大瀬崎は何を言い出すんだ?
「ってか、一日目に怒られた方が二日目に怒られるより優しいぞ」
「俺の意志はそんなに甘いもんじゃないぞ! なら三日、いやいや一週間だって泊まってやってもいいぜ!」
 頼むから意志を甘くしてほしい。そして勝ち誇ったように親指を突き立てないでくれ。
「統流、なんでそんなに嫌がるの? 少し前までこの小学生を泊めてやってたじゃない」
「俺は小学生じゃない!」
 大瀬崎はオレにボケをかますのと奏にツッコむので忙しそうだった。つーか、さっき小学生でいいって言ってたじゃないか。
 とにかく、奏の言うとおりオレは大瀬崎を何度か泊めてやったことがある。しかし、それはソフィアがいなかったからだ。
「どっちにしろ今日はダメだ」
 オレはため息をついてから野菜ジュースを口にした。
「どうしてだよ」
 大瀬崎はまだ諦めなかった。
「どうしてもだ」
 そろそろオレもヤバくなってくる。
「どういう意味だ?」
「どうも言えない」
 ヤケになって即答する。
「……なあ、お前」
 大瀬崎が、ジッとオレを見つめてくる。疑いの目でオレの顔を隅々まで見回していた。
「……彼女できたのか?」
 大瀬崎が意味のわからないことを言ったので、オレは目に角を立てた。
「んなわけないだろ! オレに彼女ができると思うか?」
 この調子で大瀬崎がオレの部屋に来たとしたら、確実にオレとソフィアは恋人同士に……そう見られるだろう。誰があいつみたいな奴を好きになるか!
 ああ、でも大家さんもオレに彼女ができたと喜んでたな……。いやいやいや。それは違う。あれはボケてたんだ!
「ったく、どっちにしろ今日は泊めないからな」
 オレはそう言って残りの親子丼と野菜ジュースを胃の中に流しこんだ。
 なんかソフィアをかばっているオレが大瀬崎よりも小学生に見えてきた。


 その後、オレは大瀬崎と奏と一言も会話をすることがなく今日の授業が終わった。
 通信簿は一学期と変わらなかった。全ての評価を足して割ると、平均は三だった。たぶんオレは世の中でも平均的な男だと思う。
 放課後、オレは帰宅部なのでまっすぐアパートへの帰路をゆく。
 息を吐くと、白い煙もやが口から出てきた。
 十二月の晩。これからもっともっと冷え込む時期だ。オレは伊豆半島出身なので、こんなに寒い冬は初めてだった。これでも平年というのだから驚きである。伊豆とここの距離は近いようでとても遠かった。
 ジャンパーを体に巻きつけるようにして歩く。
 しばらくすると、馴染み深いボロアパートが見えた。所々ペンキが剥がれ、各号室へ行くためのコンクリートの道はヒビだらけだし、鉄柱は赤茶に錆びている。最初は少し嫌だったが、今では庶民的な雰囲気がとても好きになっていた。
 部屋を開ける。ソフィアがちゃんといるか、独断で家を飛び出してないか心配だった。
 だが、それはオレの杞憂でしかなかった。
「おかえり!」
 その声がとても懐かしいように聞こえた。
「お、おお。ただいま」
 そういえば、こいつみたいなテンションの奴は今までの友達にはいなかった。少し新鮮味を感じる。テンションもそうだが、自宅に戻ると誰かがいるのはとても落ち着くものだ。
「昼、食ったか?」
「うん!」
 ソフィアが元気よく言った。オレが帰ってきてよっぽど嬉しいのだろうか、犬が尻尾を振るように翼をばたつかせている。まあでも、オレが帰ってくるまでずっと独りで、しかも外にすら出れずこのくそ狭い部屋に幽閉されているのだから、オレが帰ってきただけでもとても嬉しいのだろう。
 ちらっとコタツを見ると、朝サンドウィッチをぎっしり入れたはずのお皿には、一つだけ残していて、あとは全部無くなっていた。
「なんだ、一つ残してるじゃないか」
 オレは靴を脱ぎ、玄関の側にカバンを置いてコタツに入った。
 オレの作ったサンドウィッチはパサパサになっていた。乾燥している時期だから当たり前だが、こうしてオレの作った料理がしおれると、オレもしおれてしまいそうだ。
「うん、残したよ」
 ソフィアが平然と言った。
 未来の世界では、人が作った料理は少し残す習慣があるのだろうか。どっちにしろここは日本だから日本の習慣に合わせてほしかった。
「でも、とっても美味しかったよ」
 ソフィアがそう言った。
「うまかったんなら残さず食えばいいじゃないか」
「ううん」
 ソフィアはゆっくりと首を横に振った。翼も揺れる。
「美味しかったから、統流くんにも食べさせたかったの」
 ソフィアが屈託のない笑顔をオレに見せた。純粋すぎる。純粋すぎて、幼くも見えた。素朴なやさしさに負けた。オレは頷いてから自作のサンドウィッチを手にした。食べる。思ったとおりパンは乾燥してカチカチになっていた。しかし――作った本人が言うことでもないが――普通にうまい。
「まあ、まずくはないな」
「だよね。統流君の料理、おいしいもん」
 ソフィアが微笑みながら言った。
 こいつは、このためだけにサンドウィッチを残してくれたのか。優しいところがあったんだな。いや、むしろ襲われたカラスに恨みを持たなかったんだから、やさしさしかないのかもしれない。
 自分の作った料理(ちゃんとした料理でも、サンドウィッチのような簡単なものでもだ)をうまいと言ってくれると、胸の奥底から込み上げてくるものがある。とても嬉しかった。
 よし、とオレはサンドウィッチの最後のひとカケラを食うと、立ち上がった。
「夕食作るか」
 オレは制服姿のままで台所に立った。
 今夜は、ミートソーススパゲティーとコーンサラダを作る予定だ。


 夕食は、ソフィアと一緒に色々なことを話しながら過ごした。
 何か思い出したことはないか。オレが学校に行ってる間、淋しかったのか、など。ソフィアが言うには思い出したことは朝言ったことだけで、他は思い出してないようだ。また、オレが学校言ってる間は淋しくなかったと言っていたが、オレが帰ってきたときの対応を見る限り、淋しかったに違いなかった。
 翼を見たら、絆創膏が無数に張り付いていた。顔にもそれが張ってあって、脚には包帯が巻きつかれている。
「救急箱、使ってくれたんだな」
「うん! 遠慮なく全部使ったよ!」
 全部だと! とオレはコタツから救急箱が入っている棚を開け、中身を確認した。
 絆創膏、消毒液、包帯、全てが無くなっていた。
 まあ、あれだけの傷なら、仕方ないといえば仕方ないのだが……。
 ため息をつき、オレはゆっくりと救急箱を閉めて棚にしまった。
「さてと、夕食の続きを楽しむとするか」
 オレは何事もなかったようにフォークを手にとった。
「私、迷惑……だったかな?」
「いーや、全然そんなことないから気にすんな」
 オレはケガをするようなことがないから(ケガしても使わないし)、救急箱はあってもなくても別にいい。
 でも、ソフィアのケガは一日だけで治らないのだろうし(バーダーとやらの治癒力が異常なほど高いのなら話は別だが)、消毒液と包帯と絆創膏に加え、ガーゼと紙テープや塗り薬なんかも必要になってくるだろう。
「そうですか……」
 どうも、ソフィアはオレの言ったことを信じてないようだった。
「夕食食い終わったら、タイムマシン捜しについて打ち合わせをしような」
 昨晩から気になっていたが、タイムマシンがどこにあるのかわからなかった。それはソフィアもそうなのだろうけど。タイムマシンのありかがわからなければ捜しようがない。
 それに、その大きな翼をどうやって隠すかも話し合わなければならない。
「あっ!」
 ソフィアが声をあげて、スパゲティー用のフォークを置いた。
「どうした? 何か思い出したのか?」
「このスパゲティー、アルデンテだ!」
「お、気がついたか。オレのスパゲティーはいつも髪の毛一本分の芯を残してるんだ……って、お前なあ」
 こいつは、本当に未来に帰りたいのだろうか。不安になってきた。


 食い終わった皿を台所で洗っている間、ソフィアはコタツでゆっくりお茶を飲んでいた。オレの部屋は無言だった。ただ、水の流れる音と食器が重なる音だけが妙に透き通って響いていた。
 なんか、独りのときよりも静がある。
 最後のフォークの洗剤を流し終えたところでオレは水を止め、手を拭きながらコタツに入った。ソフィアはまだお茶を飲んでいた。
「ソフィア、ちょっと翼を折りたたんでみろ」
 オレは何の前触れもなくそう言った。
「え? うん……」
 ソフィアが反論するわけもなく、少女はオレが言ったたとおり立ち上がった。
 一度白い翼を大きくはためかせる。翼の片方だけでも、オレが両手を広げたほどあった。改めてこいつの翼が美しいと思った。そのあとで、翼の真ん中あたりが折れ、それはソフィアの背中に張り付いた。ある程度は想像していたが、一般的な鳥と同じように翼はかなりコンパクトに折りたたまれていた。ソフィアを前から見ても、翼は両脇からはみ出ることはなかった。横から見ても、何とかランドセル程度の厚みに抑えられている。
 しかし、ソフィアの頭からは翼がはみ出てしまっていた。前から見ると、白い棒のようなものが二本生えていて、ちょっと怖い。
「うーん……これを見られたらかなり驚くよな」
 ソフィアがバーダーだということをバレないようにするのが第一条件だというのに、最初がこれではこれからも多事多難であろう。昨夜……というか今日の早朝からそのことは十分承知だったのだが。
「統流くん、差し入れ」
 突然ドアが開き、オレはドキッとした。まさか、カギを閉め忘れたとかないよな? と思ったが、どうやらちゃんと鍵は閉めたようだった。ドアのところには、マスターキーを手に持ち、段ボール箱を脇に抱えた大家さんが立っていた。
「おやおや、ソフィアさんこんばんは」
 大家さんは、オレより先にソフィアへ挨拶をした。とりあえず、この部屋の主はオレなんだが……。
 って、まてまて。なんで大家さんがソフィアを知ってるんだよ。今朝ソフィアの名前を大家さんに教えた記憶はないのだが。
「大家さんもこんばんは! お昼はお世話になりました!」
「お世話?」
 オレが繰り返すと、ソフィアはオレのほうを見て言った。
「大家さん、お昼に煮物を下さったんです。それで、私と一緒にお昼も食べました」
 オレは大家さんの方を見ると、優しい笑顔で頷いていた。孫に優しいおじいちゃんのようだ。それだけソフィアのことを心配しているのだろう。とても心強かった。ならもっとサンドウィッチを作っておけばよかった。
 ……煮物にサンドウィッチという組み合わせについては、何かをぶち壊してしまいそうな気がしたので触れないでおこう。
「で、今回は何を持ってきたんですか?」
 大家さんは差し入れを持ってくるためにオレの部屋に来たはずだ。あまり期待はしてないが、貰えるもんはありがたく貰うことにしている。そうしないとやっていけない。
「統流くんは、ミカンとカキ、どっちが好きかな?」
 大家さんが段ボール箱を揺らした。どうやら、その箱の中にミカン、あるいは柿、もしくは両方が入っているのだろう。
「オレは柿派だけど……」
 それにしても、この寒い時期に柿なんて採れるものなのだろうか。柿と言えば秋である。でも、大家さんのことだ。柿というのは干し柿のことだろう。
「そういうと思ったよ。旬のカキは美味しいからね」
 え? 柿の旬は秋だろ?
「私も、ミカンよりかはカキの方が好きです!」
 ソフィアって柿食ったことあんのか? 雰囲気的に柿は日本の果物で、ヨーロッパにはなさそうだと思うぞ。しかもソフィア曰く未来の世界には日本がないのだからなおさらだ。そう遠くない未来、柿がヨーロッパで大ブレイクし、ヨ-ロッパでも栽培されるようになって洋柿というブランドができたという壮大なドラマがなければの話になるが。
「まあ、揚げるなり鍋にするなりして食いなさい」
 大家さんが言った。柿を油や鍋に投入する話なんて、聞いたことない。まあ、洋柿の調理方法が以下略。
 大家さんは段ボールをドスンと置いて、そこから袋詰めにしたカキを取り出した。
「ほれ、今日は魚屋で安く売ってたから、いっぱい買っておいたよ」
 袋の中には、確かにカキがあった。しかし、オレの思っていた木になる柿ではなく、貝の牡蠣であった。
「大家さん……」
 オレは、少し苦笑いをしながら続けた。
「蜜柑と牡蠣を比べられても、色々と困るんですが……」
「そいで、お二人さんは捜しものかな?」
 話を中途半端に終わらせないでください。と思っても言う気力がなかった。
「私たち、これからタイムマシンを捜すの」
 ソフィアは話の流れの向きが急に変わっても舟を沈ませずに舵を取っていた。こういうところを見ると、天然は便利だと思う。
 タイムマシンの件は大家さんにも少しくらい知ってもらったほうがいいのかもしれない。
「ほほう、タイムマシンとはずいぶん時代も変わったもんで」
「大家さん、まだ現在はタイムマシンの時代じゃないっすからね」
 とりあえず言っておいた。
「それで、そのタイムマシンはどんな形なのかな? 机の中の異次元にある、薄っぺらい板のような形なのか?」
 そんな簡単なものではないと思う。とは言っても、タイムマシンを実際に見たことがないので言いきれないのは確かだ。それに、オレだって巨大なカプセルのイメージしか思い浮かばない。
 ソフィアは首を横に振った。
「ううん。もっと目立たないものだと思う。形はまだ思い出せないけど、でもとっても小さかったと思う」
 ソフィアが言うには、タイムマシンは装飾品のようなものだった気がするらしい。タイムマシンもそんなに小型なら、その世界の科学はどれだけ発達しているのだろうか。少し気になるが、それ以上にその答えを聞くことが怖かった。
「落ちてる場所は知らんのかね?」
 大家さんの質問に、ソフィアは再度首を横に振る。
「わからない……。でも、誰も来ないような、ひっそりとしたところにある気がする」
 そうソフィアは言った。なぜそんな気がするのか、オレには理解することが出来なかった。だが、タイムマシンが装飾品ならソフィアとタイムマシンが共鳴しているとしても不思議ではない。オレの勘だから、たぶん違うだろうけどな。
 大家さんは大きく頷き、オレたちに背を向けた。そして、ドアを指差した。
「このアパートの裏に代樹山《しろきやま》があるのは知ってるね? そこは人もほとんど来ないから、あるかもしれないよ。昔はワシもよく遊んだものじゃ」
 代樹山は、このアパートから歩いて一、二分で着く小さな山だ。頂上は平坦で公園があるようだが、そこ以外はほとんどが森だ。近いから移動中にソフィアの翼を見られる危険性も比較的少ない。これでタイムマシンがあればタイムマシン捜しには打ってつけの場所である。タイムマシンさえあれば。
 さすが大家さん。色々と凄い。そして、とてもやさしい。
 オレは棚の上にある時計に目をやった。時刻はいつの間にか進んでいて、もう十時を過ぎていた。主要道路から離れたここ一帯ならもう歩いている人などいないだろう。
「よしソフィア、行くぞ」
「うん!」
 オレは立ちあがり、ジャンパーを二つ取ると一つをソフィアに放った。
 大家さんは段ボール箱を担ぎ、ドアを開けた。どうやらアパートの同居人がいないかを調べてくれるようだった。
 大家さんが頷く。誰もいないという合図だろう。
 オレたちは靴を履いて外に出た。そのとき大家さんの段ボールにミカンが入っていたのが見えた。果物のミカンと貝のカキを一緒の箱に入れるのはどうかと思った。


 代樹山はそこら辺にある山と同じようなもんだ。頂上にある公園へ行くには、たった一本の細い車道を通るか、車道よりももっと細い山道を登るかのが一般的で、あとは森を掻き分けて進むしかない。オレたちはアパートのすぐそばにある小さな山道から山の中に入る予定だ。
 入口の前に立つと、目の前は真っ暗だった。次第に目が慣れてくると前方に腐りかけた木で枠組みされた階段がうっすら見えた。この山を登ったことは少ないが、最低でも夜に登るような山ではなかった。逆に言えば今この山にオレたち以外の人間はいないと思われる。
「ソフィア、行こう」
 なぜかオレのジャンパーの裾を掴んでいるソフィアに言った。ハムスターのように小刻みに揺れるソフィアは、頷いているものの自ら歩き出しそうもなかった。表情は暗くて読み取れないが、おそらく怖がっているようだ。
 ただ、ジャンパーが黒いせいもあると思うが、それからはみ出る白い翼だけがこの闇の中でやけに目立っていた。
 やれやれ、とオレはため息をついてから代樹山の入り口向かって歩を進めた。
「あれ? 穂枝じゃん」
 背中がぞわっとした。オレたちの背後からその声が聞こえたのだ。
 穂枝、とオレのことを言うのだから、大家さんでもソフィアでもないことはわかった。つまりそれはソフィアを知らない誰かが後ろにいる、ということでもあった。
 オレもソフィアも声が出なかった。
 ソフィアの翼はきれいにたたまれてジャンパーで覆われているわけだが、それでも肩から上の翼は見えてしまっている。とっさにソフィアの首の根を掴んだ。そして、オレの前まで引っ張った。オレの背と頭で翼を隠した。もう遅いことなどわかっている。でも、オレにはそのくらいしかできなかった。
 耳の裏から足音が聞こえる。こっちに近づいてくるようだった。
「穂枝、なあ穂枝ったら! なに固まってんだよ。俺だよ、大瀬崎だよ」
 大瀬崎……? オレは親友の名を聞き、振り返った。
 目の前に、忘れるわけもない金髪少年がいた。大瀬崎駿河、奴だった。
「なんでお前がいるんだよ、こんなところに」
 オレが大瀬崎に尋ねる。一応平然を装ってはみたが、どう聞こえたかはわからない。
「俺、家出中だから。で、お前んちに泊めさせてくれないし、お前んち留守っぽかったからこの山で野宿するつもりだったんだ」
 こいつは有言実行タイプだったか? そういえば夏休みにあいつは何泊でもしてやるから、自転車で日光行ってサルと戦ってくる、とオレたちに告げて、数日後に顔に引っ掻き傷をつけて帰ってきたことがあったな。……忘れてた、大瀬崎は本気でやると決めたらやる奴だった、とオレは思い出したのだ。
「で……お前は、見ちまったか?」
 オレはソフィアの翼を懸命に隠しながら言った。
「ん、何をだ? ゆ、幽霊か?」
「違う。さっきオレの近くにあった白いものだ」
「え……。それってやっぱり幽霊だったのか?」
 大瀬崎の声が震えていた。そして、オレの後ろ辺りを指差す。もちろん指の先にはソフィアの翼があったわけだ。隠そうにも隠せなかったようだ。
 だが、ここでオレはあることを思いつく。最後の手段、頼みの綱だ。
「大瀬崎、頼みがある」
「なんだ? 幽霊狩りなんて言ったら怒るぞ」
 大瀬崎は大瀬崎通りだった。大瀬崎通りというのは、見栄を張っていながらも、怖いものを想像して声がすくんでいるという意味だ。
「何かを探すという意味では同じだが、でも幽霊じゃない」
 そこで、オレは再度ソフィアの首を掴み、大瀬崎の前に置いた。
 いたっ、と短い悲鳴をあげていたようにも思えるが、ソフィアはじっとしていた。オレの合図があるまでじっとしているのだろう。
「こいつが持ってたタイムマシンを捜してほしいんだ」
「……へ?」
 大瀬崎は口をポカンと開けてソフィアを見つめた。特に、ジャンパーからはみ出た白いものをじっと見ている。言いたいことは山ほどあるが何から言えばいいのかわからない、といった様子だった。
「こいつは、未来から来た鳥の人、バーダーだ」
 もう、こうなってしまったらソフィアのことを話してしまおうと思った。
 周りに大瀬崎以外の人がいないことを確認し、ソフィアのジャンパーを脱がせる。そして、その背中にある大きな翼を大瀬崎に見せた。
「アパートの駐車場で倒れてたんだ。だからオレんちを貸してやってるんだ。もちろん強制とかそういうもんじゃなくてな。善意でタイムマシンを捜してやってる」
「同棲か?」
「居候とそのお守だ!」
 大瀬崎の言葉を強く訂正した。
 そのほか、ソフィアについてのことを説明した。ただ大瀬崎に未来はどうなっているのか、なぜ来たのか、なんてことは言わないでおいた。もちろん必要になれば言わないといけないのはわかっているが、話がややこしくなる。未来を知っているのはオレだけで十分だ。
「だから、協力してくれないか? もちろん他の人には極秘、ということを絶対条件に」
「ふーん……」
 大瀬崎はそう漏らしたままソフィアを様々な視点から見まわしていた。
「なあ、彼女はなんて言う名前なんだ?」
 大瀬崎はオレに聞いてきた。
 オレはソフィアの背中をつつく。
「自己紹介しとけ」
 ソフィアが振り返ってオレを見た。少し怯えているようだった。
「大丈夫。こいつはとりあえず信用できる奴だ」
「とりあえずってなんでしょうかね?」
 大瀬崎がツッコんできた。
「軽い冗談が言える関係だ。信用できる」
 ソフィアの頭に手を置くと、ソフィアは少し恥ずかしそうに頷いた。
 前を向く。
「私はソフィアです。ソフィア・ブルースカイです。統流君が言ったとおり、私は未来から来たバーダーです。私のタイムマシンを捜してくれると嬉しいです」
 そして、ソフィアはぺこりとお辞儀をした。
「ソフィアちゃんか。いい名前だね。あ、俺は大瀬崎駿河。学校のスーパースターで成績優秀な上に運動神経抜群なのさ。穂枝の言ったとおり誰よりも信用できるという一攫千金、四捨五入だ!」
「ソフィア、全部嘘だからな。特に信用できる、というところらへん」
「少しくらいいい気になってもいいじゃないか! ってか、少しは信用してくれよっ!」
 いい気になるとかならないとかの次元の前に、一攫千金も四捨五入も意味がわからなかった。
「……まあ、あれだ」
 大瀬崎が話を戻す。
「俺と穂枝の関係はだな……」
「特に関係はない」
「バリバリあるじゃないっすか! 俺たちは親友だろ?」
 そう、大瀬崎はオレの親友だ。……おっと、前言撤回。
「いや、大瀬崎はオレと奏の下僕だ」
「ひでえ!」
 大瀬崎はオレたちの下僕であり、オレがツッコミにもボケ役にも回れる奴だ。たまに暴走するが、それを除けばこいつは正直いい奴だと思う。
「で、お前は協力するのか? まあ、お前の場合は強制だけどな」
「強制かよ!」
 本当にボケがいがある。こいつにツッコまれるのもいい。
 それは、こいつが友達思いな奴だから、という前提があってのことだ。
「……そうか。お前ソフィアちゃんがいて、バレるのが嫌だったからオレを泊めさせなかったのか。もっと早く言ってくれたらもっと早く協力してやったのに」
 そう言ってこいつは爽やかに笑って親指を突き出した。
 こいつの言ってることを直訳すると『ソフィアちゃんはかわいいから、困ってることがあるんならなんでも助けてやるぜ!』ということなんだろう。
 しかし、どんな理由だとしても、困ってる奴がいるとこいつはこんなふうに助けてくれるのだ。持つべきは大瀬崎だな。
「ま、協力してやるんだから、今夜くらい泊めさせてくれよな」
 付け足すようにこいつは言った。はいはい、言われなくてもそうするよ。
 今夜は大瀬崎にカキ鍋を振る舞ってやろうと思った。


 いきなりだが問題だ。道端に百円玉が落ちている。それを見たあなたならどうする?
 とりあえず、オレみたいな奴だったらこっそりと持ち帰るだろう。仮にこれを一番とする。
 二番目に思い浮かぶのは、オーソドックスに交番へ届ける、だろうな。オレは行かないが。
 次に、ムシ。これが三番だ。
 あとは……こんなことする奴は滅多にいないだろうが、落とし主を捜す。オレがやるとは到底思えないな。まあ、そんな優しい心の持ち主はこの四番を選んでくれ。
 と、オレ的にこの四つの選択肢が思い浮かんだわけだ。そして、この選択は百円に限らず、ケータイでもサイフでもライフルでも、道端に落ちてればオーケーなのだ。
 これらを踏まえて、改めて問題を出す。百円と同じ道端――というか、オレが独り暮らしをしているアパートの駐車場にそれは落ちてるんだが――での問題だ。
 翼の生えた少女が横たわっている。そう、道端に百円玉でもケータイでもサイフでもライフルでもなく、翼の生えた少女だ。
 選択肢は四つ。
 一、持ち帰る。
 二、交番に届ける。
 三、ムシ。
 四、落とし主を捜す。
 さあ、あなたならどうする?
 ……ふざけてる? いやいや、オレは大真面目だ。エイプリルフールでもない。ってか『ふざけてる』はこっちのセリフだ。駐車場の砂利ですやすやと眠っている(それか気を失っている)、白くて大きな翼っぽいものを背中に付けているこの少女に『ふざけてないでうちへ帰れ』と言ってやりたい。
 寝てなかったら、百二十個くらいツッコミを与えてたいところだ。
「……いや、待て待て。これは夢だっての」
 普通に考えて、こんなものが道端に横たわってるわけがない。オレはオレにツッコミを入れた。……ただ空しい北風が吹いただけだった。
 少し恥ずかしくなり、試しにそのツッコミが本当なのかどうかを調べてみた。夢か現実か調べるといえば、自分の頬をつねるのが一番だと某タヌキロボも言っていた(ような気がする)。……って、夢かどうかをそんなことで確かめる奴なんてマンガでしか見たことないぞ。誰かに見られたら完璧に引かれるだろう。
 ……いてえ。どうやら、この感覚は夢ではないようだ。オレも、そしてこの少女も現実の世界にいる。弱ったもんだ。
「つーかなんだよ。一日遅れのクリスマスプレゼントってか?」
 アパートの駐車場にプレゼントを置くんだから、ずいぶんやる気のない赤ジジイだな。いまどきあわてん坊の赤爺さんなんて流行らないんだろう。いや、慌てて三百六十四日くらい早いプレゼントを配る、最先端をゆくあわてん坊野郎とか。……まてまてまて、その前にこんなプレゼント貰ったって嬉しくねえよ! つーか誰へのプレゼントだよ!
 ……誰に対してボケて、誰に対してノリツッコミしてるのかわからなくなり、余計寒くなる。どうでもいいことに時間を掛けてしまった。
 辺りを見渡しても、人一人、猫一匹いやしない。まあ当然か。もう日も沈んじまったし、クリスマスが終わってまだ一日しか経ってないのに、みんな年越しの準備に忙しそうだし、連れの大瀬崎と高校帰りにゲーセン行って、そのあとコンビニでアイスを衝動的に買って後悔し、そのあと適当にブラブラしてたからな。北風が冷たいってもんじゃない。だから、ここみたいなつまらないところにわざわざ人が来るわけがない。でも、現にこの少女はわざわざつまらないところに横たわってんだよなあ。ったく、もっと人目につく場所で寝っ転がっていてくれればよかったのに……。  とにかく……助っ人はナシ、か。
 オレはため息をついた。途方に暮れた白い息は風に流され、あっという間に消えてなくなった。
 なんて、情景の描写なんてしてたら、もし大瀬崎がオレを見ていた場合、「よくもまあこんな不自然な格好をした少女を見てもなお平静を保って解説してて慌てないですねえ」って言われそうだ。
 そんなの間違ってる。オレは平静なんかじゃない。今世界で一番パニくってんのは、誰でもない、このオレだ。
 だって、女の子……しかもオレと同い年くらいの奴が目の前で倒れてるんだぜ? おまけに白いもんを背中に付けて。
 ったく、こいつはまるで天使みたいじゃねえか。それに、寝顔がとてもかわいい。この青い髪はすべすべしてんのかな。青い髪なんて初めて見た。本当に天使みたいだ。いや、でも青を基調にしたチュニックのようなものとスカートを見ると、天使というか妖精だ。まあ、天使だと思ったのはその大きな白い翼を見たからなんだが。とても柔らかくて温かそうな翼は、コート代わりにすればちょうどいいかもしれない。
 全身に突き刺さる真冬の強い風をモロに喰らった。ようやくオレは我に返ったようだ。そうそう、この少女をどうするべきか、ということだ。
 というわけで、やっとオレは例の選択肢を思い出したのだ。
 四択の一番、持ち帰る。
 ……いや、オレにそんな勇気はない。確かに百円だったら家に持ち帰る。しかし、こいつと百円は全く違うものだ。オレの部屋に女子を、しかも得体のしれない、天使なのかもしれない、第一人間なのかもよくわからん生物を入れることなんてできない。
 ちなみにこのアパートはペット禁止だそうだ。ただ、こいつが動物だとは思えないので特に意味はない。
 二番目、交番に届ける。
 確かに迷子的な意味でこれは正しいだろう。しかし、交番はこの小道を出た大通りを右に、ダムの天端(てんば)を渡って、そのまま大通りを歩き、オレの通う高校、病院、浄水場、町唯一のファミレスなどを尻目に七つの信号を渡らなければならないのだ。しかも、こいつの意識はないようなので、そこまで運ぶのは……オレですか。オレがこの子を担いで行けと?
 その前に、こいつを見たおまわりさんはどんな顔すると思ってるんだ?
 三番、ムシ。
 オレはめんどくさがりだ。自覚している。だが冷酷ではない。こんなところにこいつを放置してたら、いつか彼女は凍え死んでしまうかもしれない。オレだって今、手も足も血が通ってないし、歯をガチガチ言わせている。耳だってもう悲鳴を上げている。早く家に帰りたい。
 そういえば、今日の天気予報では粉雪が降ると言っていた。結果は、雪のない猛吹雪。雪くらい降ってもいいじゃないか、ケチ。
 四番、落とし主を捜す。
 つまりは、こいつの身内を捜すか、妖精だったらネバーネバーランドへ、天使だったらあの世まで送るってことか。無論四番は除外だ。
 身内と天国という言葉で、オレは両親を思い出した。……まあ、暗い話じゃない。オレの親は、二人とも静岡で元気に暮らしているから安心してくれ。ただ弟が昔天国と連呼してたんだ。
 以上のことから結論、考え直す。そうか。
 オレはこいつと極力関わりたくはない。でも、無視はしたくはないという矛盾を抱えていた。
 はあ……。ついついため息が出てしまう。
 どうするかな……。


 ――こうしてオレは、翼の生えた少女と出会った。
 もちろん、これから起こるドタバタも事件も何も、今の段階では何も知らないわけだが、それでもこの物語は始まってしまったのだった。
 
 
 今オレは、コタツに入ってお茶を飲んでいる。飲みながらケータイのタイマーを使ってカップラーメンができる三分後を今か今かと待っている。なんとなくもどかしいが、とても幸せな気分だ。
 あと、今飲んでいるお茶だが、これは親父が毎月どっさり送ってくるものだ。しかも、その量がハンパじゃない。缶ジュース一本分くらいならまだいいが、親父は洗面器大盛りを一度に送ってくる。……飲めるわけないじゃないか! おかげでこの一室だけ和の香りが充満してるだぞ! 客が来るたびに驚いてるんだからな!
 ……まあ、こう寒いとガキから飲んでて飽きたお茶もありがたい。温まる。コタツは言うまでもないが。
 このアパートは一部屋、キッチントイレ付のアパートだ。家賃が安い代わりに、狭いしボロいし、風呂はないしエアコンも取り付けられない。ただオレは独り暮らしだから、一部屋だけでも十分いけるし、エアコンがなくとも、冬はコタツと根気で、夏は冷蔵庫と根気を駆使すれば何とか乗りきれる。
「そこまではいい。そこまではいいんだ……」
 オレはため息をつく。湯呑をカップラーメンの隣に置き、腰を右にひねって下を向いた。
 白いワタが見えた。いや、ワタじゃないんだ。それは翼の先端だ。そいつは畳の上できれいに広がっている。オレが広げたんだが、そっちのほうが寝癖にならないかな、という憶測でだ。翼に癖もくそもあるのかどうかさえわからんが。
 翼の先端から少しずつ根元のほうへと視線を移動させる。翼の根元に少女がいた。
 最終的に、オレは選択肢一番を選んだのだった。もちろん目が覚めたら出ていってもらうが。
 ここまでこいつを運ぶときに、一つ気が付いたことがある。それは、少女の翼が付けまつ毛ならぬ付け翼ではなかったことだ。どうやら、天使のコスプレをした危ない女ではなかったようだ。まあ、この場合はそっちのほうがまだよかったが。こいつは、背中から翼が『生えて』いるのだ。こいつ、天使だったらどうしよう……。なんて、童話じみたことを本当に想像してしまった。でもオレがメルヘンチックなんじゃないぞ。こいつを見れば誰でもそう思うはずだ。
 かの少女は、下半身をコタツの中に、上半身にオレの布団をかぶって寝ている。翼の大半はオレの布団から飛び出していて寒そうだった。が、顔色はだいぶよくなっていた。翼は温かそうな羽毛に包まれているから別に関係ないのかもしれない。こいつはすやすやと寝息を立てている。オレはホッと……していいものなのだろうか?
 ケータイを開く。タイマーは残り一分三十秒だと告げていた。気のせいか、時間が長く感じられた。オレはケータイを閉じてポケットにしまう。
 一息ついてからもう一度翼の生えた少女を見つめた。こうして改めて見ると、そこらの同級生みたく髪をキンキンにしてはしゃいでいる奴らなんかより、ずっと上品な顔立ちだ。外人だろうか、服装が日本とまるで違う。髪の毛が青色だが、見たところ染髪しているわけじゃなさそうだ。そういう西洋人もいるかもしれないな。それに、血の通い始めた肌でさえオレよりかずっと白い。昔、お袋が言ってたことを思い出す。
「お嬢様は、ずっと家にこもってるから、日焼けしないのよ」
 こいつが引きこもりなのか、ただ日に当たってないのかどうかしらんが、もしかしたらこいつはどこかのお嬢様なのかもな。
 実はどこかの国のお姫様だったりして。ファンタジーっぽいな。……というか外人・お嬢様・お姫様・ファンタジーと想像を膨らます前に、翼がある時点で異世界人のような気がしてならない。そうしたらファンタジーじゃなくてSFだな。
 もんもんとしても、こいつの翼さえ除けば外見はオレのタイプだ。
 ただ、性格が荒かったり、地球征服を企んでたり、国連軍を一人だけで全滅させるような奴だったら話は別だが。
 不意に何かが震えた。
「メシの時間だぜえ! グェッヘッヘ」
「ぬうおぁ!」
 オレの腰が抜けた。身構えることもなく、後ずさりする。エイリアンが襲ってきたのだ。
「メシの時間だぜえ! グェッヘッヘ」
 もう一回聞こえた。よく聞くと、震えてるのはオレのポケットだ。そこを探ってみると、硬いものがあったので取り出した。
「メシの時間だぜえ! グェッヘッヘ」
 エイリアンだと思っていたケータイのアラームが鳴っていた。どうやら、カップラーメン完成のお知らせをオレに伝えていたらしい。オレは『切』ボタンを押してアラームを切った。腹が立つので、電源も切ってしまおう。ああそうだ、あとでアラーム音変えておくか。
 ケータイをポケットへ突っ込み、ラーメンのカップをとった。白い湯気と同時にラーメンのうまそうな匂いが立ち昇る。食欲がそそられる。割箸で麺を混ぜると、香りがさらに際立ってきた。
 そんなことをしながら思う。よく考えればよくわかるもんを、オレはなぜこんな生き物を自室にまで運んでしまったのだろうか。
 かわいそうにな……と思わせる天使の誘惑か?
 それとも、部屋に入れさせろ、という侵略者の洗脳攻撃か?
 どっちにしろ笑えん。
 とにかく、理由がどうであれ、こいつに害はあるなし関係なくオレは上目遣いで見つめる捨て犬をかわいそうだと思ってアパートに連れてきてしまった少年マンガの主人公とはワケが違う。いや、確かにオレは少年マンガのひねくれキャラだが『連れてきてしまった』モノが違う。
 この少女は犬じゃない。それどころか、見た目……外見……いや翼を除けばオレと同い年くらいの女の子にしか見えない奴を連れてきてしまったのだ。
 だからこそ、こいつの翼が神秘的なのだが……とかそんなことはさておき、オレは色々とヤバイことをやってしまってるんじゃないか? ……待て、勘違いするなオレ。これは人助けだ。誰がヤバイことしてるなんて言った? オレか。……もういい。ひとまずこいつのことは忘れよう。
 オレは熱心にラーメンをすすった。のど越しが最高だ。それにこの熱さが全身を温めてくれる。
「やっぱり、カップラーメンは『ラぁめん王』で決まりだよな!」
 オレは人生最大の幸せを、のびのびとした声で表現した。
 少しの間、あの子のことは忘れて、ラぁめん王に全てを集中させよう。
 と思ったのだが。
「わぁ、おいしそう……」
 珍しく返答が来た。
「ん、そうか? ……なら食うか?」
「え、いいんですか!」
 もちろん、とオレはラーメンをその人にやった。その人は嬉しそうに受け取り、箸をフォークのように使いながらラーメンを食べはじめた。
 箸を使ったことがないのか? それでも食うんだからよっぽど腹減ってたんだな……。と、オレは湯呑を手に取った。ラーメンの香りから緑茶の香りに移る。
 今日はいつもよりにぎやかだ。理由を考えてすぐに、今日は客がいることを思い出した。そうか、今日は二人なのか。あいつの目が覚めなかったら今日はコタツで寝るか。仕方がない。
 オレは少女の寝顔を見るためにコタツの右側を見た。
 ……あいつがラぁめん王を懸命にすすっている。
 オレはお茶を口にした。
 そして、盛大に吹き出した。
「わっ! だ、大丈夫ですか?」
 オレではないもう一人の人物が言った。大丈夫ですか? と言われてもお前のせいでオレはシュールな対応しちまったんだ。
 知らぬ間に少女の目が覚めていたのだ。ケータイのアラームか、あるいはラぁめん王の匂いでだろうか。
 オレは咳き込みながら、袖で飛び散ったお茶を拭いた。ちらりと少女を見ると、驚いたような顔をしていたが、すぐにクスクスと笑った。とてもかわいらしい笑顔だ。
「……あ、初めまして、ソフィア・ブルースカイです。あなたが私を助けてくれたんですね?」
 ……ん? 今こいつは自己紹介をしたのか? なんて唐突な。でもまあ、紹介してくれたんならオレもしないといけないんだよな。オレは中途半端に律儀なのであった。
「オレは穂枝統流だ。助けたっつーか、お前がアパートの前で倒れてたからだ。無視したくても無理だったし」
 適当に言っといた。よくわからん奴への自己紹介はこのくらいで十分だろう。それに、ソフィアとかいう少女の口調は穏やかで明るいが、実は心理作戦の一環だという可能性もある。
 ソフィアはオレの紹介聞きながらうんうんと頷いてラーメンを食っている。
「そうなん……はふはふ、ですか。でも、ほふほふに、ありがとふごはいはふ。あ、おいひいです」
「ラーメン食いながら礼言われても困る。それに意味わからん」
 最後の『あ、おいひいです』って、お前なあ……。
 ソフィアはハッと我に返ったようだった。ラぁめん王をコタツの上に置き、箸を手元に置いた。ついでに青い服のしわも伸ばす。
「失礼しました。あなたは命の恩人さんなのに、私はもう少しであなたをテリヤキバーガーだと思っちゃいました」
「腹減りすぎだろおい!」
 オレは苦笑いをした。人を食べ物だと思ってしまった人間を初めて見た。とにかく、オレがそうツッコんだらソフィアは身を乗り出してきた。こいつの無駄に長い袖がラーメンのスープに付きそうだったが、めんどいので何も言わない。
「そうです! お腹が減って、こんな寒いところで迷子になっちゃったんです! 疲れちゃって、じゃりじゃりした駐車場で、出来立てあつあつアップルパイや、暖炉の暖かい光に包まれたお部屋とか想像してたら、限界が来てしまったようです」
「マッチも持たずに路上で果てるマッチ売りかよ……」
 ツッコんだ。やれやれ、意識せずともため息が出る。ってか、マッチも持たずに路上で果ててしまっては、もはやマッチ売りの少女じゃない。
「ちなみに限界は空腹のほうです」
「空腹かよっ!」
 オレは、こいつが凍えそうだったから、貧乏だけど最大限の善を尽くしたつもりだったんだぞ。腹減ってたから倒れたって、オレの行いはなんだったんだよ……。
「で、お前はどこに住んでるんだ?」
 言いたいことは山ほどあるが、グチは漏らさずに要件だけ言っておく。早くこんな奴母国かどこかへ帰ってもらいたい。今だってオレの夕飯食ってるし。もう返してくれよ。
「みふぁいです」
「食ってから言え」
 どうしよう、こいつとかかわるのやめようかな……。
 ソフィアはラーメンと箸を置き、口を四、五回モグモグさせてから麺を飲みこんだ。
 そして一言だけ言った。
「未来です」
「はぁ?」
 思わず大声を出してしまった。しまった、ソフィアは空腹で頭がパーになってしまったらしい。すぐに出ていってもらおう。
「未来です。たぶん過去へ旅行に行こうとしたら、タイムマシンが故障して、時空をずっとさまよってたんです。だから、何も食べてなくて……」
 過去? ここは現在のはずだ。こいつは何を言ってるんだ? 未来ってなんだよ……。しかも、多分……だと? オレは一瞬ワケがわからなかった。でもソフィアの瞳を見た。こいつは絶対にウソをつかない目をしていた。オレの直感がそう言う。眼差しはオレを捉え、揺るぎない。頭も大丈夫みたいだ。だからこそ徐々に真実が曇ってきてしまったのだ。
 ソフィアの話は続く。
「それで、やっと時空から出れたと思ったら、今度は異常気象ですよ! 寒いのなんのって……! よく統流さんはこんな寒いところで生きていけますね」
 ああそっか。やっと意味が通じた。こいつは今ボケをかましているのだ。オレが十六年磨いてきたツッコミを待っているんだ、こいつは。
 ならやってやろう。
「いや。ソフィア、この寒さが普通だから」
 状況から冷静なツッコミをしてみた。だが、ソフィアはきょとんとしている。あれ? ツッコミ失敗? ああそうか、オレ意識してからツッコむと外すんだった。
「え、そうなんですか……?」
 ソフィアが真面目に訊いてきた。そんな目で見られてもなあ。確かに今日は寒いがこれが平年並みだぞ。
「……あれ、ここって何世紀ですか?」
 ソフィアがまたよくわからんことを尋ねてきた。
「十九世紀」
「冗談なしです!」
 ご、ごめんなさい! オレがお前にボケるのは似合いませんでしたね! と、オレはこんな感じで軽いノリなのだが、ソフィアの方はずいぶんと必死だった。顔面蒼白という四字熟語が似合う。
「……スマン、今は二十一世紀だ」
 なんか、正直に答えるというのはバカらしいな。それとも問題自体がバカらしいのか。
 だが、ソフィアのほうは白と青の顔から白が抜け、真っ青になっていた。
 ツッコんでもダメ、ボケてもダメ、普通に答えてもダメ……。じゃあオレはどう言えばいいんだよ、翼の生えた少女さん!
「どうしよう……。タイムマシンのない世界の人に色んなこと言っちゃったよぉ……」
 ソフィアは顔を手で覆ってしまった。というか、タイムマシンが禁句なのか?
 過去の人間に「タイムマシン」と言ったら人類滅亡。そんな理由だったら笑えないが笑える。
 ……仮に、仮にだ。本当にこいつが未来から来たとしたら、どうだ?
 未来には冬が来ないのか?
 時代を行き来することができるのか?
 タイムマシンがあるのか?
 未来の人間には翼があるのか?
 ……違う。違う違う。ウソに決まってる。そうさ。
 第一オレはそういう理解できないようなことには興味ない。
 未来の世界に冬が来ないんじゃない。こいつは赤道直下の国出身なんだ。
 時代というのは……そうだ、その国でいう『国』という意味で、過去とか未来とかいう意味は全くない。国を行き来するのは別に変なことじゃないから大丈夫だ。
 タイムマシンってのは、こいつの国で、他の人には絶対言っちゃいけない言葉か道具なんだ。
 そんで、その国では十五歳になると翼を背中に移植するしきたりなんだ。ちなみに十五歳という年齢は勘だ。ついでに言うと、オレの勘は当たらない。
 で、こいつが日本語ペラペラなのは、こいつの母国語が日本語ってことでオーケー。
 だからオレは信じない。こいつは未来人じゃない。ただの外国人だ。
 オレの中では整理がついたが、ソフィアは相変わらずうなだれていた。顔を見せてくれない。少し心配になる。
「あー、そんなにヤバイことなら他の人には黙っておくぞ」
 だからそんなことを約束してしまった。すると急にソフィアが顔をあげた。それも、とびっきりの笑顔をオレに見せて。
「本当に?」
 その笑顔を見せられて、オレは冗談だとは言えなくなってしまった。
「あ、ああ。いいぞ」
 言いきるか言いきらないかの境で、オレの前方から重くてやわらかいものが飛び込んできた。そして、のしかかるようにしてオレを押し倒す。
「ありがとう! 本当にありがとう! 統流君っ!」
 ソフィアは翼をばたつかせながら言った。
 状況がよく理解できない。なぜオレを抱きしめるんだ。……オレ的に、これはソフィアの民族で喜びを表す行為なのだろう。とりあえず翼でお茶をこぼさないよう祈りたい。


 数分後、ようやくソフィアが落ち着いた。少し伸びたラぁめん王をソフィアは完食した。それを見計らって、余ったヤカンのお湯を使ったお茶をソフィアに淹れてやった。
 オレは息を吹きかけてお茶を冷ましているソフィアの向かいに座る。
「さてと、ラーメン食ってる時に聞かせてもらったが、タイムマシン……とやらがないと元の時代……お前の国に戻れないんだな?」
「うん」
「で、それはこの時代……日本にあるんだな?」
「……たぶん」
「多分、ねえ。まあいい」
 オレは残ったお茶を一気に飲んだ。ずいぶんぬるかった。
「一緒に探してくれるの?」
 ソフィアが目を輝かしている。こいつはずいぶんとオレになついてしまったようだ。口調が数分前と全く違う。
「いや、誰が探すなんて言った。ただオレは今夜は泊らせてやるから、朝になったら出ていってもらうと言いたかったんだ」
「え……」
 ソフィアは目を丸くした。
 オレにも事情があるんだ。大家さんや隣の鈴木さんがこいつを見てなんて言うか、クラスメイトがいきなりやってきたらなんて言うか、金だってない、部屋だって二人だと狭い、などなど。まあ、こいつが起きるまでここは貸してやる、ということだからいいだろ。
「そうだよね……。やっぱりそうだよね……。統流君も大変だもんね……」
 心の底から悲しんでいるのがよくわかった。だが、人間というものは心を鬼にすることも必要だし、苦しみを味わうことも大切なんじゃないか? きっとそれは翼があるない、時代……つまり国籍も関係ないと思う。……だろ?
 ソフィアは少し経ってから頷いた。ソフィアはもうお茶を飲まなかった。


 今夜は早く寝ることにした。ソフィアは朝に出ていく、ということになってるので早起きしなければならない。まあ学校もあることだし得っちゃ得だ。
 ……なんて言い訳が思いついた。本音は、ソフィアと無言でいることが気まずいだけだ。
 今夜はコタツで寝ることにする。ソフィアにはオレの布団を貸してやった。一日だけならコタツで寝ても風邪を引いたりはしないだろう。
 夜中、寒さで目が覚めた。電源の入ってないコタツの中はかなり冷え込む。部屋は真っ暗だった。
 ただ暗闇の中で少女の声がする。
「パパ……ママ……」
 ソフィアだ。
 急にオレの胸が痛んだ。そりゃそうだ。よくわからない時代……国に迷い込んでしまったのだから。誰も行ったことのない時代……国からこいつは日本に来てしまったんだ。
 知ってる人は誰もいない。その中で、オレはソフィアを突き放そうとしている……。
 タイムマシンというソフィアにとって大切なものはどこにあるのだろうか。ソフィアはきっと日本にあると言っていたが、それは本当だろうか。きっと、くらいのもんだったら外国にある可能性だってある。
 じゃああいつは海を渡るのか? 空は飛べるだろう。でもな、ソフィア。
 食いもんはあんのか?
 金はあんのか?
 寝るとこはあんのか?
 ……ねえだろ。
 じゃあお前はこの寒い中、一人で生きていけねえだろ。
 そしてオレ、せめて春までだけでもあいつをここに居させてやってもいいんじゃないのか?
 オレはめんどくさがりだが冷酷じゃない。そうずっと前から思ってるはずだ。


 気がつけば朝になっていた。いつからか寝てしまっていたらしい。このくそ寒い冬の朝なのに小鳥がたえずさえずっていた。
 もう決心がついていた。よし、ソフィアを春までここに居させてやろう。それがいいに決まってる。コタツから抜け出してソフィアを探した。
 だが、部屋にはオレしかいなかった。スズメたちが空しさを演出している。マジかよ。もう出ていっちまったのかよ。ウソだろ……。
 ケータイを開く(電源がラぁめん王の件で切れていたので、イライラとボタンを長押しして起動させた)。六時半になったばかりだった。外はまだ薄暗い。オレの布団は押入れの中にきれいにたたまれていた。
 鳥の声。ふとオレは思った。オレはあいつのことを天使天使思ってたが、あいつの翼って鳥の翼なんじゃないか? 昔、お袋が言ってたことを思い出す。
「鳥は、どんな動物よりも、早起きなのよ」
 ごもっともだ。
 押入れを閉め、次に冷蔵庫を開けた。中には卵なりヤキソバなりが入っていた。昨日のままだ。
「あのバカ野郎……。食うもんなくて旅なんかすんなよ!」
 オレは思い切り冷蔵庫のドアを閉めた。そして厚いジャンパーを二着用意し、勢いよく部屋を出た。


 外は予想以上に寒かった。ここが険しい山中だったら確実に雪が降る寒さだが、この地域のことだ。どうせ期待はずれの曇りだろう。だが今日に限ってはそっちのほうが嬉しかった。視界が開けるし、ソフィアも雪よか風のほうがいいはずだ。もちろんソフィアに旅をさせるつもりなどオレには微塵もなかったが。
 起きたばかりで、しかも眠りが浅く、走ると体中がギシギシいっている。でもオレは走らないといけないように思えた。ソフィアがどこにいるか、そんなのあいつに聞かなきゃわからない。だから頼れるのはオレの勘だ。いつも外れるが今回ばかりは当たってくれ。
 直感で小道を右へ左へ曲がった。今はただソフィアのことで頭がいっぱいだった。だからどんなに冷たい風が顔面に直撃しても、耳が冷えて激痛がジワリと奥のほうまで染みてきても気にならなかった。
 数分後、実際は数十秒後かもしれないし数十分後かもしれないが、オレはアパートの近くにある公園に立っていた。まだ日は昇っていないが、東の空はもう明るい。なぜかはわからないが、ソフィアがすぐ近くにいるとオレの勘が知らせていた。
 この公園は、サッカーや野球ができるくらい広い割には陰気くさい。確かに朝っぱらだから暗いし、人は誰もいない。だがそれ以外の何か……そう、カラスだ。カラスの鳴き声が遠からず聞こえるのだ。だから不気味な空気が漂ってたんだ。しかも一羽二羽じゃない。大群の鳴き声だ。
 それは公園の奥にある雑木林からだった。突然黒い塊がわっと現れた。あそこだけ夜中なんじゃないか? と思えるほどの量だ。ふと――恐らく誰もが気のせいだと思うだろう――一瞬だけ白い部分が見えた。
 オレにはそれが何かよくわかった。ずっと見続け、そして探し求めていたものだ。オレの勘が珍しく当たったのだ!
「ソフィア!」
 オレはとっさに大声を出し、そこら辺に落ちている枝から一番大きいものを手にし、カラスの集団向かって突っ込んだ。思えば戦士気取りだった。
 理由は知らんが、ソフィアがカラスに襲われている。
 頼むソフィア、オレに気付いてくれ。そして、こっちに来い!
 オレは何度も何度もあいつの名を叫んだ。近所迷惑なんて関係ねえ。そんならカラスの方がよっぽど近所迷惑だ。カーカーうっさいし、生ゴミあさるし、それに……カラスのくせに賢いしよお!
 ソフィアが黒い塊から顔を見せた。
「ソフィア! 大丈夫かっ!」
 オレがこれ以上ないほどの大声をあげると、あいつと目が合った。やべえ、ちょっと嬉しい。
 思いが伝わったのか、ソフィアは懸命に黒い塊を引き連れて近づいてきた。
 オレは近づくそれを睨むと、無性に腹が立ってきた。オレの血がうずめき、心臓が高鳴る。
 これは……これは、覚醒というものなのか? オレは今、誰よりも強い気がする。
 そうだ、今しかない。今こそオレは、秘めた力をカラスどもにぶつけるのだ。
 いけ、オレのフルパワーツッコミ!
「カラス! お前らは昔、スゲー霊鳥だったろうが! なのにお前らはどこまで堕ちぶれれば気が済むんだよ!」
 カラスは『ソフィア』という叫びには応じなかったのに、オレのツッコミには驚いたようだった。恐らく、これほどまでの数の動物を、ツッコミ一本で散り散りにさせたのは世界でオレくらいしかいないんじゃないか?
 そう、これがオレの覚醒して得た力、その名も『滑り気味のツッコミ』……って、いつもどおりじゃねえか。
 ああ、そういや枝、いらなかったな。とオレは太い枝をそこら辺に捨てた。
 閑話休題。カラスは去り、公園に残ったのはオレと白一点だけだった。それは木の葉のように地面に着いた。オレはそいつに駆け寄る。
 翼の生えた少女は傷ついていた。手も足も翼にも、まるで定規で引いたように真っ直ぐな赤い線が引かれていた。服は奇跡的に無傷だったのが信じられなかった(それはきっと、未来の……ソフィアの故郷の服は素晴らしく丈夫なんだと解釈した)。オレはすぐに持ってきたジャンパーをソフィアに羽織らせた。翼が邪魔だったので前後反対に着させると、ソフィアは弱々しく微笑んだ。その顔にもいくつか傷があって、痛々しい。
「えへへ、また統流君に助けられちゃいました。カラスさんに挨拶したら、つっつかれちゃった」
「カラスに挨拶するか? 普通……」
「します、普通なら」
 オレはソフィアの冷たい手をやさしく握ってやった。オレの手も冷えてるだろうけど。
「これからの旅が心配です……」
「その前に、食いもんなしで旅するバカがどこにいるってんだよ」
「私がいます……」
 思わず失笑した。ああ、そうだな。あんたみたいなバカ、どこにもいないさ。
「さて、帰るぞ。歩けるか?」
 オレは立ちあがり、手を差し伸べると、ソフィアは小首をかしげた。
「帰るって、どこに?」
 ソフィアは、オレの手に掴まって立ち上がりながら言った。
 オレは、苦笑いをした。さっきは失笑してしまったが、こいつはオレに様々な笑いをさせるためにボケを言ってんのか?
「決まってんだろ、オレの家だ。その傷じゃどこも行けないだろ? つーかお前が外飛んでたら……まあ歩いててもそうだが、誰かに見られたらユーフォー騒ぎになる」
 とオレはソフィアの翼を指さした。慣れとは恐ろしいものだと身に沁みて感じた。こんな奴を放し飼いにしてたら、世界中が大混乱してしまうのに、なんで夜のオレはこいつを手放そうとしたんだろう。
「でも、統流君に悪いです!」
 ……やれやれ、こいつは鈍感なのか?
「いいんだよ、そんなこと。それよりお前は早く元の時代……故郷に戻りたいんだろ? オレも協力する」
 真夜中のソフィアの呟き――パパだママだのあれ――を聞いたとき、当たり前のことに気付いた。こいつは淋しいのだ。淋しいに違いない。
 だから、オレはぼけっとオレを見つめるこいつに言ってやった。
「早くタイムマシンとやらを見つけようぜ」
 ソフィアの表情が、パッと明るくなった。日の出の瞬間のような、あんな感じだ。
「本当に? 嬉しい!」
 ソフィアがまた抱きついてきた。翼をばたつかせながら。
 まあこれはこれでいいんだが、羽がたまに鼻の中に入るからそっちの方ではやばい。
 ……って、ちょっと待った。オレは例の四択を思い出す。
 一、お持ち帰り。
 二、交番に届ける。
 三、ムシ。
 四、落とし主を捜す。
 もしや……、もしかしてオレは、知らぬ間に四番を選んじまったのか? タイムマシンという、ソフィアをこの世界に落としちまった奴を捜す。なんてこった。
 はあ……。ついついため息が出てしまった。
 気がつけば、朝日が昇っていた。
 それは、ソフィアとオレとの何とも不思議な生活が始まる合図だったんだと、そのあとで思った。


休載


どうも、じょがぁです。
休載ジェネレータを久しぶりに使いました。


HPの休止をいつかやろういつかやろうとようやくだよ!!


というわけで、「まあ、そんなわけですけど。」本日をもって休止致します。
うん、更新しなさすぎてお絵かき掲示板が消えたことが休止を決定する一番の要因ですよ。

休止と書いておきながら、載ってた小説と詩、その他諸々は全てデリートしたので、実質的な閉鎖なのかな……?
一応ここへ繋がるリンクをTOPとコンテンツのページに張っておきましたが。






まあ、そんなわけですけど、これからもこちらはこんな感じで続けていく予定ですので宜しくお願いします^^
笹波のしか、地球の裏側の感動を見て思いに耽り、詠う腰折れの歌。


  かげろふ陽 数多の日々を仰ぎ見し誰を思うか地球のうらで


ちょいと時事ネタなじょがぁです。
鉱山落盤事故、無事全員救出、ホッとしてます^^
家族との再会はさぞかし嬉しかったことでしょう。





追記展開するとコメント返信です。

⇒続きを読む

どうも、じょがぁです。

えーっとですね、これ書いてんのは10/12(火)なわけですが、


ええ、遅刻しましたよ。

いや、最近遅刻が目立ってきていて、なんかもう五分の四は遅刻している状況なんですけども、まあ問題はそこじゃない。いや問題だけど。寝不足が原因なんだけど。まあやっぱどうでもいいんです、自分のことは。


あのですね、丁度じょがぁがのらりくらりと自転車をこいでいると、前方に遅刻常習犯がいたのです。
ええ、あれは常習犯ですよ。
あの諦めモード入ってるのらりくらり走法は。

どうやら自転車のシールを見る限り、うちの高校の二年生っぽい模様。

んで、化学薬品で染めた髪に、なんか時代錯誤なルーズソックスを履いていて、ガニ股できいこきいこしてるんですよ。
ええどうみてもDQNです。


まあ、そこまではいいでしょう。
何だかんだで二年生。うざったい三年生からの抑圧から解放されて、高校生活の夏だってことくらいわかってますよ。

まあ確かにルーズソックスなんてうちの代うちの先輩の代の皆方は履いてませんでしたよ。
でも一人や二人、世間APPEALレディがいらっしゃることくらいわかりますし、わざわざいう必要もないでしょう?














おい、何タバコ吸ってんだよ。











はあ?って思いましたよ、さすがに。

なんかね、ペットボトルのフタに水入れて、ちょびちょび呑むみたいにたばZをペロペロしちゃってるんですよ。


はあ?って思ったあとで、キメェwwwと思いましたね。


まだ歩きタバコなら許しますよ。堂々としてていいじゃないですか。


でも自転車上でのタバコは絶対に許しませんよ?
誰かにぶつかったら危ないとか、片手運転になるとか、そんなことはどうでも良くて、ただただ親愛なる自転車を穢すなと、単にそれだけの理由ですが、ふっつら腹立たしくなりましたよ。

あー、うちの高校も堕ちたな……。あとで報告してやろう。
まあ先生と言わずにネット上に報告しちゃった方が色々楽なんですが、スモーカーのためを思えば、柔らかいほうがいいんでしょうけどね。

当然だけど学校入るときにはタバコ吸ってなかったけど(それをどう処分したのかは見てませんが)、うん、やるなら堂々とやりなさいよ。カッコ悪い。



さておき、一つ結論として言えることは、というかここからが本題なんですが、

「タバコは税金の塊」

常識ですけどそういうことですね。

噂じゃ消費税程度しか利益になってないようです。
(詳しく調べてないので本当のところは知りません)

あとは国税から市税町税にいたるまで、幅広ーく政府自治体の懐が潤うことになります。


つまり、あのスモーカーさんはとってもとっても日本を愛しているようです。
まだお若いのに、文字通り身を削った血税を国家に献上しているんですね、わかりますw


というわけで、

「分煙分煙言ってるけど、少しは愛煙者のことも考えろよ!」

というのはつまり

「俺たち庶民より税金払ってんだから少しは優遇しろよ!」

ということになるんですかね?w



まあそうですね、我々に出来ることはと言うと、

「タバコを吸ってる方々のおかげで日本はまだかろうじて呼吸をしているんだね」

と、スモーカーさんたちを敬うことくらいでしょうかね?w
まあ、かろうじて呼吸する日本の空気は非常に悪い、ということに異論はないでしょう。
笹波のしか、受験終わりし後に海へ行かんとするを詠う腰折れの歌。


  春はせる心づくしのはらの中草あらなくに映えわたる海


受験終わったら海行くぜェ……の歌。
image222.jpg

携帯撮影です。じょがぁです。

一面の青の中、山だけに雲が掛かっていた。

わあ、高地にいるみたいじゃけ! と、一人はしゃいで撮影してしまった。
黄金色の絨毯の香りを嗅ぐと生きてるって感じがします。

うーん、いつでもデジカメ持っていたいなあ。


というか、あれだな、いつかバイトしてお高いカメラを買おう。
旅のお供にするぜ!
どうも、じょがぁです。
今日はちょこっと、文系受験の通過すべき門、近代思想批判について。
じょがぁなりの意見というか、「近代思想批判とはなにぞや?」という方向けに。


まず、近代思想批判について言う前に、近代思想とは何か、それについて説明しないとですね。
近代思想とは、簡潔に言えば、産業革命以降、人間の身体と精神を二分し、精神が身体を支配している、という考え方です。

身体は単なる精神の入れ物であり、精神の操り人形として考えているようです。

そして、人間は理性によって世界を制するために、法律を作り、科学を発展させてきたわけです。
法による秩序と、科学による幸福。
そう、科学を追求していけば人間は幸福になるのだと信じ、今に至るまで科学を前進し続けてきたんですね。

そして、理性にそぐわないあらゆるもの(例えば宗教、言い伝え、伝統、野蛮な存在)を排除し続けてきたわけです。


ですが、そんな理性の支配する世界があらゆる問題を生み出してきました。
例えば大気汚染、海洋汚染、核兵器、生物兵器。自身の話では精神病、うつ病。

そういったものが急速に増加していったのが近代から現代に至る状況なのです。

近代思想は、科学を突き進めていけば、やがて人間は幸福へと導かれるであろうと信じられてきたものです。
しかし実際、科学の進歩によって本当に我々は幸せになったのでしょうか?
身体的に、精神的に恵まれていると言えるでしょうか?

確かに身体的には、つまり物理的には幸福かもしれません。
情報化社会を支えるパソコン、携帯電話がその例です。
ありきたりな言葉を使うと、地球の裏側の人と今すぐにでも話せるようになった、それは非常に素晴らしいことかと思います。

しかし、精神的には、どうでしょうか?
無論一時的な幸福は存在するでしょうが、一方で拘束的な状況が増加し、長期的な幸せはなかなか見当たらなかったりするのではないでしょうか?
携帯依存症とまで言われ、携帯が無ければ生きていけない、そんなことを言いのける人間がいるのに、どうして心の中まで幸せがあると言えますでしょう?

果たして科学至上主義は本当に人間に幸福を招いたでしょうか?
人間に幸福を招くための機械であったはずが、逆に今では携帯依存症・PC依存症と言う言葉が存在するように、機械が人間を服従させているのではないでしょうか?
また、古くから伝わる伝統が消えてしまうことに気付かず、理由もなく西欧化していく日本では、日本を知らない日本人が増えているのではありませんか?

この疑問から、近代批判は展開されているわけです。

今の時代、近代思想とかポスト近代思想(簡単に言えばグローバル化した近代思想)とか、そういうものは時代遅れでなければならないと思います。
これからは先視思想、つまりこれからのことを考えるという思想が大切なのではないでしょうかね?

例えば、化学調味料の安全性、幼児への染髪・パーマ、遺伝子組み換え食品などなどにおいて、短期的な症状に関する検証はなされているでしょうが、長期的な検証はほとんどなされていません。

仮に、長期的な化学反応によって遺伝子が人間の傷つくことがあれば、恐らく人類は死滅します。
それは人間のようでであって人間でない存在だからです。

取り返しのつかない事態になる前に、長い目で善し悪しをを見定めるべきなんじゃないですかね?

当然、カロリーオフとか謳っちゃってる飲み物もそうですよ?
人工甘味料って、あれ化学薬品ですからね。
広い目で見ればナイロンとかサランラップみたいなもんなんですよ?
(自分から見れば同じようなもんです)

ですが、そうとわかっていても摂取してしまう自分がいます。
そりゃ当然のことです。
そういうものしかないわけですし、7うpクリアドライだってそうですし。

資本主義に圧されて、そういったものでなくては売れなくなってしまった社会。
健康を害するものであろうと理解しているにもかかわらず安いものを買わざるを得なくなってしまっている経済状況。
そういったものも見直さないといけないんですよね。

そして、自分はそういった問題を提示、あるいは解決への糸口を示さなければならないわけですが……。
うーん……。


とにかく、近代思想批判というものはそういうものなのです。

きっと理系の方はご存知ないものなのかもしれませんが、この考え方は知っておいて損はないと思います。
今は科学主義からの脱退が微かに見え隠れしている状態のまま科学主義が暴走している状態だと思いますからね。

まあ、実に難しいというか、一筋縄ではいかない問題化とは思いますが、宜しくお願いします。
笹波のしか、弓道部の後輩の大声なるを聴きてのち三日ほど経て詠う腰折れの歌。


  あづさゆみ射るなる声に忍ばるるひちてはならぬと引き下がらまし


そして、後輩たち大丈夫かなあ、と自転車に乗りながら心配するじょがぁなのです。
まあ彼彼女らならやってくれるでしょう。
笹波のしか、授業中うつらうつらしている間に長歌の存在を思い出して詠う腰折れの歌。


  ひさかたの光の漏らるる枠組みに
  揺られひかれる窓の幕
  うごめく陽光淡き影
  湧き出づ泉はいとけなき
  かの日を仰ぐ水の中
  みなもに揺れる淡い濃い
  紋様編みこむ幻影の
  流れ変はるる情景を
  おさなごころに眺めやる
  無垢なる心のち続きしが


【反歌】

  まなびやのうちを流るる夢うつつ秋の日和に照りわたる風



授業中に寝ちゃうと、ビクンッて痙攣することあるけど、あれ何なんだろう?
アレすると寝てるのバレるよね。じょがぁでした。

じょがぁへのお便りは
  こちらからどうぞ。

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。