ほえぶる!

ファンタジーやら現代もののエンタメ小説やら紀行文やら書いてます。自転車にも乗る。「文藝サークル~綴~」の中の人、「おにこくらぶ」の中の人、「ドジョウ街道宿場町」の中の人です。

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『イリエの情景 ~被災地さんぽめぐり~』連載中です。
被災地青春ロードムービーと銘打っている通り、主人公二人が東北被災地を旅しています。

旅レビューでは、作者が実際訪れた際に感じたことを、簡単に紹介していこうと思います。


フィクションでなくノンフィクションを楽しみたい方、
本篇を一層楽しみたい方は、ぜひご覧になってください。

本篇を読まなくても旅先の雰囲気は味わえると思いますので、お好みで。

本篇
カクヨム版:https://kakuyomu.jp/works/1177354054881746364
小説家になろう版:http://ncode.syosetu.com/n5301dn/
pixiv版:http://www.pixiv.net/series.php?id=755406
taskey版:



宮城県石巻市

石巻駅周辺
http://bluska.blog110.fc2.com/blog-entry-635.html


マンガロード
http://bluska.blog110.fc2.com/blog-entry-636.html


自由の女神像
http://bluska.blog110.fc2.com/blog-entry-639.html


宮城県南三陸町

戸倉地区
http://bluska.blog110.fc2.com/blog-entry-638.html



随時更新していきます。

依利江はどこへ行き、なにを見るのでしょうか?


物語は続く。
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現在カクヨムや小説家になろうで連載中の
『イリエの情景~被災地さんぽめぐり~』

旅レビュー第4回です。

本篇を読んでからでも楽しめると思います。
読まなくても旅先の雰囲気は味わえると思いますので、お好みで。 

小説家になろう版:http://ncode.syosetu.com/n5301dn/ 

『イリエ』旅レビュー 一覧
http://bluska.blog110.fc2.com/blog-entry-637.html


今回は「宮城県石巻市 自由の女神像」です。
 自由の女神像のある広場には
2013年9月4日、2016年1月23日、2016年8月2日の3回訪れているみたいです。 

『イリエ』でいうところの 
「違和感モーターボート。タープテントと移動販売車。あの女神。」
「諦観の音。彫刻の森より現代的な。ミルクティーを片手に。」
「星の子チョビンのいる通り。花壇跡。かつてのものを求めるわたし。」
「ロゴ・マーク。かき氷おじさんと憂鬱。これが旅の醍醐味。」 
の計4話分が主なシーンですね。



さて、今回ご紹介する石巻自由の女神像ですが、
一目で抱く奇妙な感覚。
片脚を失っております。

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それが印象的で、


文庫版『イリエの情景 ~被災地さんぽめぐり~1』の表紙題材にしております。

hyousi.png
イラストはkagati氏

依利江かわいいんじゃ^~と心で叫びつつ、
精巧な自由な女神像、お気に入りです。

あれこれ細かい注文をしてしまい、氏にはご迷惑をおかけしました。
それだけこの女神像には考えさせられるものがあったわけです。

が、まあその話は置いといて、
この女神像をどこで撮ったのか、そこからお話しましょう。



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石巻市街地には旧北上川という川がゆったりと流れています。

旧北上川……じゃあ(現)北上川はどこにあるんじゃいと言いますと、
石巻市の北境で枝分かれをし、市の東岸に流れております。
北上川にはヨシ(藁葺き屋根で使うアレ)の原っぱが広がっていて、
秋の夕暮れにドライブをするとそれは吐息が洩れるくらい美しいのですが、
まあそれは置いときましょう。

石巻市街地は旧北上川の河口付近にあります。
そして、河口近くにできた中州(↑写真中央)に自由の女神像はたたずんでおるのです。

ちなみに、中州にある白くて丸っこい建物は「石ノ森萬画館」です。

DSC_0123.jpg

近くで見るとこんな感じ。
石ノ森先生は少年時代、この中州にあった映画館に通っていたといいます。

なお、石ノ森章太郎の住まいは石巻の北隣、登米市の中田町石森にあります。
どうやら自転車で旧北上川沿いをくだって通っていたらしいです。
直線距離片道30km以上あるので、
時代と出身が違ったら総北のクライマーになっていたかもしれませんね。


DSC_0121-2.jpg

萬画館の周辺は公園になっています。
以前は駐車場でした。
最近行ったときは人工芝を天然芝に入れ替えていたような気がします。たしか。

ちなみに写真左上の建物「マリーナ中瀬」は震災以前から残っている建物で、
「マ」の近くに穴が空いています。
おそらくこの付近まで津波が押し寄せ、被災物がぶつかったのでしょう。


マリーナ中瀬の付近は地震による地盤沈下の影響で、
満潮と重なると水が溢れてしまう箇所があります。

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停泊中の船がある場所が本来の川岸です。
よく見るとタイヤでできた浮桟橋があります。

……こうした地盤沈下した地域は東北沿岸全域にあります。
たぶんまだこのまんまな場所もたくさんあるんじゃないかしら。
河口付近を散歩していると、水面が近く感じることが多々あります。
震災のスケールが多すぎて、妙な違和感を覚えるに留まる。

片脚を失った自由の女神像を見たときも、
一瞬なにがどうしてこうなったのか、理解ができませんでした。


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おそらく津波に流された乗用車かなにかがかすって、左脚だけ持っていったのでしょう。
しかし、そもそも乗用車が津波に流されている、ということ自体が、
津波を知らない自分にとっては異様に思えるわけです。
(しかも津波が残した結果だけが目の前にあり、只今の水辺は平らかなのですよ)

なにより、
トーチから伸びたコードが風に吹かれて、
から、から、という音を出すのです。

初めてこの女神を見たのは2013年秋でした。
震災から2年半、あの乾いた音が、当時抱いた震災のイメージそのままなのでした。


津波があったことは言葉の上では理解できますが、
僕はきっと本質的に想像できていないんだと思います。


だからこそちゃんと見なくちゃいけないし、
考えなくちゃいけないし、
それ以前に覚えなくちゃいけない。

震災を忘れちゃいけない、と口にするのは簡単ですが、
では忘れちゃいけないそれをどれだけ知っているのか。

僕はフェルマーの最終定理がどんなものか忘れたことなんて一度もありません。
なにせ、少しも知りませんからね。
知らないものなんて忘れようがないんです。
それとも、僕はフェルマーの最終定理という単語さえ忘れなければいいのでしょうか。


最終定理のことをどれだけ知っていようと、
人生にはなんの変化もないかもしれません。
実際そうかもしれないです。

定理を解こうとして散っていった数学者を見て、
ムダなことはするもんじゃないって教訓を得れば充分なのかもしれません。
でもやっぱり、定理を証明したワイルズに出会えたのとそうでないのとで、
目の前の仕事に対する姿勢は変わると思うんですよ。
(特にネタが浮かばなくなったときなんか特に、ね)

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アンドリュー・ワイルズ "copyright C. J. Mozzochi, Princeton N.J"

ま要するに「忘れちゃいけない」なんてわざわざ言う必要はないんですよ。
そもそも津波が押し寄せる映像なんて
忘れたくて仕方がないけど、こびりついて離れないじゃないですか。

ワイルズだって最終定理に魅了されて、
頭から抜けなかったんじゃないでしょうかね。

トラウマ級の衝撃をどうすればいいのか。

目を背ける。

たぶんそれが一番いいと思います。
僕のかつての上司も震災後、
「俺は自分の仕事を全うすることが使命だ」と仰ってました。
きっとそうやって決心をして、現実の荒波にもまれていくうちに、
あの日固く誓った意志も知らず知らず水泡に帰すのでしょう。
そうやって人は前へ進んでいく。
僕もそれができる器用さが欲しかったです。

残念なことに自分は不器用なので、
気になってしまったらもうどうしようもないわけで。

あえて向き合う。

そんなふうに震災と付き合っていくことにしました。
強烈なインパクトを残していった震災ですが、
その強烈さのまま心に留めるのでなく、
実際なにが起こったのか、今どうなっているのか、これからどうなるのか。
そんなことを自分なりに解釈していくことで、
強烈だったものを自身のどこかに落ち着かせたいと、そう思ってます。

目を背けて消し去る。
向き合って自分の中で落ち着かせる。
似てるようで、まったく違います。

そのことを片脚を失った自由の女神像は教えてくれました。


現在、石巻市に自由の女神はありません。

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地元の方の話によると、海外の富豪が持ち帰ったと言いますが、
真相は不明です。

わざわざ残す必要もなかったのでしょう。
石巻市はこれからどんどん変わっていきます。
あの日のままではいられませんし、いる必要もない。
誰も彼も、生きなければいけないわけです。


こうした震災遺構をめぐる議論は各地で行われています。

撤去されたもの eg:気仙沼第18共徳丸
審議中のもの eg:南三陸町防災対策庁舎
保存が決まったもの eg:陸前高田奇跡の一本松

賛否両論ありますが、自由の女神像に関していえば撤去されてよかったと思います。
石巻は東北被災地をリードする立場であってほしいですし、
きっとあの中州もニューランドマークに変貌していくのでしょう。

なにより個人的に、「から、から」という音。
心にあの音を刻めたのは、二度目の来訪時、
女神像がいなくなったことを知ってからでした。

そこにないからこそ、心に留まるものがある。
目の前にないからこそ、誰かが伝える必要がある。

そしてひとりでも多くのひとに、
この地に片脚を失った自由の女神がいたことを、
その女神の奏でる音楽に魅了された人間がいたことを、
不器用に向き合いつつ語りたいと思ってしまったのです。

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物語は続く。


『イリエの情景~被災地さんぽめぐり~』

『イリエ』旅レビュー 一覧
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現在カクヨムや小説家になろうで連載中の『イリエの情景~被災地さんぽめぐり~』
旅レビュー第3回です。

本篇を読んでからでも楽しめると思います。
読まなくても旅先の雰囲気は味わえると思いますので、お好みで。


カクヨム版:https://kakuyomu.jp/works/1177354054881746364
小説家になろう版:http://ncode.syosetu.com/n5301dn/


『イリエ』旅レビュー 一覧
http://bluska.blog110.fc2.com/blog-entry-637.html




今回は「宮城県南三陸町 戸倉地区」です。
戸倉地区には2013年9月3日(この日はBRTで通過したのみ)、2016年4月24日、
2016年8月2日と2016年10月4日の4回訪れているみたいです。

『イリエ』でいうところの
「津波の地。タイムカプセル・ストリートビュー。タコの名を持つ沢。」
「20mの高台にいる人が流される。山から来た。better。」

の計2話分が主なシーンですね。


1、津波の地。タイムカプセル・ストリートビュー。タコの名を持つ沢。

小牛田駅からBRT気仙沼線で走ると、最初は「なんだ」と思うかもしれません。
いたって普通の田園風景。いわゆるテレビ画面に映る「被災地」の姿ではありません。

陸前横田駅を過ぎ、陸前戸倉へ向かう途中、我々は初めて津波浸水区間を示す表示板を見ます。


共にBRTに乗った男性はこう言いました。


「このあたりから戸倉地区と呼ぶんだ。そンなかの荒町ってとこなんだが、見てみ、あの表示板から津波浸水区間だ」


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※写真は別の場所で撮影。

津波浸水区間の表示板から読み取れる情報は3点あります。

1、この道の名称(eg:国道45号)
2、津波浸水区間が「ここから」なのか「ここまで」なのか。
3、津波浸水高(この写真の場合、18m。ポールの裏に記載されている)


この地を知らない人にとっても、震災時危ないことを明確にあらわしているわけです。
陸前高田市だと、また違った表示版があるのですが、それはまた機会があれば。
2人の旅と歩調を合わせて、浸水区間を走ると、妙な感覚に襲われます。


   今まで山間を走ってきたけど、そこと大して変わったような感じはなかった。ただ、平地部分に違和感があった。
   「なんか、寂しいですね」


このうら寂しさは、そこにあったものが津波に流されてしまったことで感じるものです。
実際、この感覚は的中します。

男性はかつての風景を語ります。


「左手のそこ、以前は竹林でした。瓦礫が絡まってしまいましてね、すべて薙いでしまいました。その隣にトタンの倉庫がありましたよ」


無論、そんなの普通は覚えていないです。
新しく建てられた住宅の土地に、以前なにがあったのか覚えている人は少ないでしょう。
風景に溶けた景色はなかなか思い出せないものです。寂しいものです。

そういうときは、文明の利器に頼りましょう。
グーグルさんが素晴らしいお仕事をしてくだすってました。
「〈未来へのキオク〉ですよね」
https://www.miraikioku.com/

要するに、震災以前のストリートビューデータを遺しているサイトです。
情報は新しかったり古かったり色々あるのですが、記憶を蘇らせるのには大変ありがたいものです。
(あるいは、自分のように創作する人間にとっても財産ですね)


2、20mの高台にいる人が流される。山から来た。better。

陸前戸倉駅の写真を撮っておけばよかった。
駅はダークブラウンのプレハブ製で、待合室には液晶画面が付いています。
BRTが現在どこを走っているのか、何分遅れなのかがが、一目でわかるわけです。


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まちは津波によって壊滅。
閑散としており、建物はセブンイレブンと土木事務所の他、なにもありません。
現在は折立川(BRTと並行して流れる川)に架かる橋を建造中のようです。


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トップの写真は、戸倉地区の全景です。
撮影は地区のちょっとした丘にある、五十鈴神社の下、宇津野高台でおこないました。
今でこそなにもありませんが、かつてこの正面の平野部に、戸倉小学校という学校がありました。

三階建、鉄筋コンクリートの校舎でしたが、津波によって屋上まで浸水しました。
校内にいた児童は五十鈴神社へ避難し、生き残りました。
詳しくは本篇をぜひご覧になってください。

もしくは、本篇を書く際参照にした小学校のウェブサイトや、避難の報告書をご覧になってください。

南三陸町立戸倉小学校:
http://academic4.plala.or.jp/tokura_e/

【PDF】麻生川敦『東日本大震災における戸倉小学校の避難について』:
http://www.pref.miyagi.jp/uploaded/attachment/12404.pdf


これらの事細かな情報提供からも、防災減災意識の高い学校であることが窺えます。
実際、PDFの報告書を読むと、
屋上避難か五十鈴神社のある高台に避難するか、事前に議論しつくされていたことが分かります。
同じく小中学生のほぼ全員が生存した釜石市の件や、
反対に多くの児童の命が奪われた石巻市立大川小学校の件と絡めて考えるとなかなか興味深いです。


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五十鈴神社境内。広さはバスケットコート半面ほど。拝殿はまるで物置に屋根を付けたような、そんな小さな建物である。この神社が人々の命を救った。

大川小学校では震災後に議論が活発になったようですが、
戸倉小学校ではその議論を震災前までには済ましていた、という点は特筆すべきでしょう。
(実際、戸倉小の校長は屋上避難派だったが、2011年3月9日の地震から危険性を憂慮し、避難先を高台に変更することを決断した)


   九一人の児童が助かったのは奇跡ではなかった。日々の積み重ねが実った結果だった。
   あらゆる状況を想定した防災訓練の徹底。綿密に検討を重ねた避難マニュアル。日頃から行ってきた地域住民との交流。リーダーを中心にした情報収集と迅速かつ〈ベター〉な判断(ベストを尽くして決断が鈍るよりもいいのだ)……。
   これを奇跡と呼びあらわして褒め称えてしまったら、わたしも三ツ葉も男性も、先生も児童も亡くなってしまった方も、誰ひとりとして救いがない。



依利江はこう心に描きます。
エピソードを聞いて奇跡なんて称してしまうのは、上っ面しか見ていない人の発言です。
生存譚に奇跡なんてどこにもなくて、あるのは単なる(そして偉大な)日々の積み重ねなんですね。

特に「リーダーを中心にした情報収集と迅速かつ〈ベター〉な判断」は非常時の鉄則と言えるでしょう。
ベストな判断を考えては、40分といわず40日あっても足りません。
そんなことをいちいち考えていては、生きられるものも皆死んでしまいます。

当時大川小学校の校長先生は不在でしたが、
有事の際にリーダーシップを務められる人(あるいはひとりの判断で全員が動くというキマリ)を定めていくことは、
今後の犠牲者を生まないために必要不可欠なものであると考えられます。


さて、話は戻りまして、先程から話に挙がっている五十鈴神社ですが、境内の高さは約30mです。

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戸倉小跡付近から宇津野高台と五十鈴神社を見る。住宅のある高台が宇津野高台。その右、杉の生えた丘の奥に神社はある。

また、境内から少し下がった場所に鳥居があるのですが、波はこの鳥居まで来たようです。

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宇津野高台から草に覆われた鳥居。鳥居へ続く階段は急。神社らしいと言えば神社らしい。

鳥居の脇には震災記念碑があります。

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この碑で注目すべき点は以下の2点。
1、五十鈴神社下の宇津野高台に避難した住民は津波に呑まれ、多くの犠牲者が出た。
2、津波浸水高は23メートルである(記念碑の建つ場所の高さに同じ)


2階建ての一軒家の土台から屋根までが約8mなので、津波浸水高23mは、それがほぼ3軒浸かる高さだということです。
要するに、そんな高いところにいても流される危険性があり、実際多くの方が避難した場所で亡くなったのです。

次来る津波も五十鈴神社を上回らない保障はどこにもないので、とにもかくにも高いところへ逃げましょう。ええ。


以後は、本篇に出さなかった場所ですが、先月歩いてきた場所なのでお伝えします。


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あれこれ写真を撮りまくっている自分ですが、写真になるとどうしても高さや長さを的確に伝えられなくて苦労します。

裏手から五十鈴神社と宇津野高台を見上げてみました。
津波は裏手からまずやってきたため、宇津野高台に避難していた人は逃げ遅れてしまったようです。
波は住宅の一階部分まで浸水しました。

この付近は震災以後ほとんど手付かずのままで、
被災物は撤去されていますが、土台は震災以前のままです。


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セイタカアワダチソウと遺された土台。
この土台がかつての住居なのか、農業用施設なのかは判別がつきませんが、なんとも寂しい光景です。

やはり、セイタカアワダチソウ(黄色い花をつけた背の高い植物)は強いです。
アスファルトの割れ目からも伸びていますし、放置された田んぼにびっしり生えていたりします。
それからススキも非常に強いみたいです。
セイタカアワダチソウは他の植物が生えないように毒素を出すと言いますが(出典不明)、ススキはそれに負けず伸びています。


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さらに奥へ進むと、手入れの施された田園が広がっていました。
この地を手放さずに暮らす人々もいる。
初めて戸倉を訪れると、一見まるでこの地は死んでいるように見えてしまいますが、そんなことはないのです。

何度波が訪れようとも、その地に暮らす人がいる限り、文化はきっと絶えず続いていく。
そんなことを、ぽつんと思ったのでした。


まあそんなわけで、依利江は議論に議論を重ね、震災に臨んだ小学校の思いに心打たれたのでした。
これから依利江たちはどこへ行くのでしょうか?

「BRTが発車する。専用レーンのトンネルに突入した。窓の数センチ先に壁がある。すれすれを走っている。」


物語は続く。



『イリエの情景~被災地さんぽめぐり~』
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『イリエ』旅レビュー 一覧
http://bluska.blog110.fc2.com/blog-entry-637.html
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現在カクヨムや小説家になろうで連載中の『イリエの情景~被災地さんぽめぐり~』
旅レビュー第二回です。

本篇を読んでからのほうが楽しめると思います。
読まなくても旅先の雰囲気は味わえると思いますので、お好みで。


カクヨム版:https://kakuyomu.jp/works/1177354054881746364
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『イリエ』旅レビュー 一覧
http://bluska.blog110.fc2.com/blog-entry-637.html




今回は「宮城県石巻市 マンガロード」です。
マンガロードには2013年9月4日と2016年8月2日の2回訪れているみたいです。

『イリエ』でいうところの
「とんでもなく大きな缶詰。依利江の熱弁。三ツ葉の歩幅。」
「外回りのサラリーマン。塩のまち。商業地帯に関する推察。」
「孔明の罠。関連する直線道路と津波。廃スナックの文字の跡。」

の計3話分が主なシーンですね。


1、とんでもなく大きな缶詰。依利江の熱弁。三ツ葉の歩幅。

依利江は「石巻が石ノ森章太郎のまちだというイメージ」を抱いてこのマンガロードを歩きます。
駅には009や仮面ライダーなど、有名どころのキャラクターたちが大勢いましたが、
このマンガロードにはマイナーなキャラクターもたくさん登場します。

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星の子チョビン。1974年に放送されたアニメです。
他にもキカイダー(1972年)やさるとびエッちゃん(漫画1963年/アニメ1971年)などなど。

仮面ライダーが1971年からスタート、ゴレンジャーが1975年からなので、
70年代はまさしく石ノ森章太郎の時代といえるかもしれないですね。
(50歳前後の方は、なにかしらの作品に触れているのではないでしょうか?)


作中、依利江が009の某シーンについて熱弁していましたが、
分からない方にとっては三ツ葉のような対応を取ってしまうかもしれません。

それもまた二人旅の醍醐味だと思っていただけたら幸いです。



2、外回りのサラリーマン。塩のまち。商業地帯に関する推察。

マンガロードを歩いていると、

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ここが津波浸水区域であることを伝える表示板を見かけます。
(この写真は2013年撮影のもので、2016年8月に訪れた際は撤去されておりました)

津波は石巻駅前で膝下ほど、マンガロードでは膝上~腰あたりまで波が来たようです。
詳細は石巻市サイトをご覧になるといいかなと。
http://www.city.ishinomaki.lg.jp/cont/10151000/7218/7218.html

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作中、三ツ葉は、

「生き残る手段として観光客を狙う必要があった。そのためのマンガロードなのかもしれない。どこにでもある駅前商店街から、マンガロードとして生まれ変わる途中で震災がやってきたんだと思う。そうして今があるんじゃないかな」
と語っておりました。

イオンモール石巻のグランドオープンは2007年。
現石巻市役所のある旧さくら野百貨店の撤退は2008年4月。
エスタ(市役所1F部分)オープンが2008年6月。
市役所移転が2010年です。

http://tohoku.itot.jp/ishinomaki/18
上記東北の観光サイトをみると、当初マンガロードのキャラクター像が建つようになったのは
2001年前後、萬画館開館に合わせて8体でした。
※下記のサイトを信用すると駅に像が設置されたのが2003年末らしい。
http://ekisya.net/A-GENEKI/127-ISINOMAKI/127-ISHINOMAKI.html


その後、2010年に11体が追加されています。
市役所の移転と重なりますね。


単なる駅前商店街からマンガロードとして本格始動しようとした矢先、震災が起こったのではないか。
そんなふうに推測しております。



3、孔明の罠。関連する直線道路と津波。廃スナックの文字の跡。

マンガロード終盤、寿町通りや橋通りは駅前よりも海に近く、
被害も比較的あったようです。

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寿町通り付近から、橋通りを撮った写真。
旧北上川に架かる西内海橋・東内海橋まで250mほどの直線が続いています。


2013年の段階で下記のような廃墟化してしまった建物が数多く残されておりました。

DSC_1935.jpg


写真左の荒地は、現在「橋通りコモン」という仮設商業スペースがあります。

DSC_0916-2.jpg


ちょうどチョビンが目印ですね。
いわゆる「復興市場」のような形態で、プレハブやキャンピングカーのテンポがひしめいております。
散策した感じ、ここがマンガロードで一番賑やかな印象でした。

石ノ森萬画館からも近いですし、ちょこっと散歩がてら、遊びにいってみるといいかもしれないですね!

橋通りCOMMONhttp://www.ishinomakimatinaka.com/common/



まあそんなわけで、依利江は生き残りをかけた駅前商店街の現状を目の当たりにしました。
これから依利江たちはどこへ行くのでしょうか?


「石巻はまたたく間に姿を変えていく。変わらなくちゃいけない。その使命感をぴりぴり感じた」


物語は続く。



『イリエの情景~被災地さんぽめぐり~』
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『イリエ』旅レビュー 一覧
http://bluska.blog110.fc2.com/blog-entry-637.html
DSC_1933.jpg

現在カクヨムや小説家になろうで連載中の『イリエの情景~被災地さんぽめぐり~』ですが、
ブログでは自分が行った際の旅レビューを簡単に行いたいと思います。

本篇を読んでからのほうが楽しめると思います。
読まなくても旅先の雰囲気は味わえると思いますので、お好みで。


カクヨム版:https://kakuyomu.jp/works/1177354054881746364
小説家になろう版:http://ncode.syosetu.com/n5301dn/



今回は「宮城県石巻市 石巻駅周辺」というわけでして、
石巻駅周辺には2013年9月4日と2016年8月1日(川開き祭)と同年8月2日に訪れているみたいです。

『イリエ』でいうところの
「しゃべり通しのおばあちゃん。重いため息。淡い桃色の建造物。」
から
「一緒なのだけど。親しみの方法。欲望や習慣と異なる衝動。」
の合計6話部分をそれなりに時系列な感じで触れていきます。


1、しゃべり通しのおばあちゃん。重いため息。淡い桃色の建造物。
2、役所リサーチ済。帝王の戦士たち。ナシのふるい落とし。

依利江たちは石巻市の玄関口、石巻駅に降りたちます。
そのホームで目撃するのが、

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この石巻市役所(1階がエスタ)です。
依利江の見つけた「巨大な図体の脇腹に、〈石巻市役所〉と書かれた青地の看板」もちゃんとあります。

この写真は駅の外から撮ったものですが、
ホームからだと立体駐車場のなかがよく見えるので、
観察してみると車がのぼってくのを目撃できるかもしれないですね。

市役所(エスタ)入口には、「威風堂々たる仮面ライダーV3像」もおります。


石巻駅改札の前には、

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依利江が興奮したサイボーグ戦士たちと仮面ライダー1号の姿もあります。
『サイボーグ009』をご存知でない方も、上の写真を見れば、
「主人公009こと島村ジョー、紅一点003のフランソワーズ・アルヌールに、天才赤ちゃん001イワン・ウイスキー」
それぞれどんなキャラクターなのか、一目瞭然でしょう!


3、三陸海岸の玄関口。「 」。すごくいいね。
4、空白の中には。問いかけ超上級テクニック。向けられたレンズ。
5、撮影に関する依利江の考察。究極の淹れ方。思いもつかぬ構図。
6、一緒なのだけど。親しみの方法。欲望や習慣と異なる衝動。


石巻駅周辺4回目から、依利江たちは市役所(エスタ)に潜入します。

本来市役所は桃色の奇妙な外観だけ触れて、中には入らない予定だったんですが、
三ツ葉の性格上エスタに入らざるを得なくなってしまったので、
急遽取材&加筆をしたのでありました(知らなくていい情報)

三ツ葉の探究心に作者まで振り回されたわけですが、
そのおかげで大切な出会いと構想を得ることができました。
ありがとう。

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ピンボケで申し訳ないですが、依利江が見つけた「風月堂」がテナントとしております。
その裏にフードコート(詳細は不明。ラーメンや軽食等を食べるスペースがあった)、
それらを囲むように生鮮や惣菜が売られているという、なかなかカオスなテナント構成が魅力。

食品の他、雑貨も売られてたりして、かつて小売業をしていた身としては歩くだけで面白かったです。


三ツ葉に連れられるようにして入った〈いしのまきカフェ「」〉。

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内装がオシャレで、よかったですね。



個人的にキャビネットの

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アクセサリーがとてもよかったです。
たんなる置物ではなくて、実はこれ、地元やその周辺の手芸品でして、
気に入ったものがあれば購入も可能だったりします。

そういう点も「このカフェを通して地元の人たちとも交流」するという理念が伝わってきますよ。ええ。



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メニュー。ドーナツ推しらしい。ランチタイムにパスタも食べられる。

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お茶各種メニュー。

ちなみに桃生茶(ものうちゃ)は作中でも語られている通り「北限のお茶」と呼ばれていて、
あの伊達政宗が産業復興のために積極的に茶を栽培するようになったらしいですね。
まあ自分も石巻総合情報サイトの「ぼにぴん」さんの受け売りなんですけどね!(ステマ)
http://bonipin.com/delivery/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9C%80%E5%8C%97%E7%AB%AF%E3%81%AE%E5%B9%BB%E3%81%AE%E3%81%8A%E8%8C%B6/


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川開き祭り(2016 7/31、8/1)限定メニュー。
シャカシャカパスタ塩コショウ味と氷出し冷茶を頼んだ。


お世話になりましたあ、かぎかっこのサイトもあります。

いしのまきカフェ「」http://doorwaytosmiles.jp/

いやあ、エンジ色のエプロンが素敵なのだ。


そういえばツイッターをしてると、最近こんなツイートがタイムラインにに流れてきます。



若い人を町に永住させよう、呼び込もうという某町の町おこしの会議に行ったんだけど年金暮らしおじさんたちが「日当を求める奴はダメ、熱意のある若者ボランティアを募ろう」とか盛り上がってて(だから若者1人も来てないの分からないの?)ってすごい闇を発見してしまった。



続き。その町おこしでシャッター通りをどうにかしたいというのに対して「今あるお店の儲けが減るのは困るから儲けて欲しくないけど賑やかしに若い人にカフェとかお店をやって欲しい」って意見がおじさんたちの中で一致してて(は?そんなのやるバカどこにもいねーよ自分でやれば)とか思った次第。

このカフェで行われていることは、
町おこしをすすめる際の、いわばヒントに成り得る試みがなされているように思いました。

「このカフェを通して地元の人たちとも交流してもらいたかった、というのもありますね(中略) 生産者と直接お話して、仕入れたんです。石巻では、高校を卒業すると大半が市外へ出ていってしまいますから、こうして地元の方と触れ合うことで、石巻をより親しく感じてほしいなと」

外部から人を呼び寄せるだけではなく、
内部にいるこれから石巻を担っていく人を養っていくという考えです。

この試みは震災をキッカケにしているのは言うまでもないです。
不謹慎を恐れずいうのであれば、震災を武器に地域振興を推し進めているとも言えるでしょう。
こういう姿勢を見ると、震災でいつまでもクヨクヨしていたのは自分だってよく分かります。

利用できるものはなんだって利用する。そしてみんながプラスになる。
その姿勢は見倣いたいものです。


まあそんなわけで、依利江はエスタのなかで「地域振興」というものに触れました。
これから依利江たちはどこへ行くのでしょうか?


「次どこ行くとか決めてある?」
「予定は未定だし、今んとこ気になるのはマンガロードだね。その途中でも終着点でも、気になったところ寄って昼食って感じかな」
「そうだね」


物語は続く。



『イリエの情景~被災地さんぽめぐり~』
カクヨム版:https://kakuyomu.jp/works/1177354054881746364
小説家になろう版:http://ncode.syosetu.com/n5301dn/


スペシャルサンクス
いしのまきカフェ「」http://doorwaytosmiles.jp/
(8/1 閉店間際に来て申し訳ありませんでした。ジンベイ姿の店員さんがとても素敵でした。氷出し冷茶おいしかったです)

じょがぁへのお便りは
  こちらからどうぞ。

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